第21話:布団との仁義なき戦いが始まりました。
漆黒の怪物─黒紙魚は狭い寮の一室をぐるりと見回して舌なめずりをした。私は魔法を使う為の媒体となる「栞」を取り出し、じっと相手を睨みつける。傍にいたハンスも自分の栞を取り出した。
「申し訳ございません、ゲルダ様。今は銃が手元にございません。第四地区の戦闘の時のような火力は出せませんが、今はこれで可能な限り対処いたします」
「急な出来事ですもの。仕方ないですわ。とにかく、今はあの黒紙魚をなんとかしますわよ!」
そう言った瞬間、黒紙魚は爆発四散した。
私があんぐりと口を開けている最中、追い打ちをかけるように黒紙魚の背中に光の槍が突き刺さり、腹には光弾が撃ち込まれ、瞬く間に黒紙魚は肉片も残らず消滅した。
啞然としていた私とハンスの背後で、リデルの声がした。
「ヒロインの御前だ……頭が高い」
リデルはもはや影も形も無い黒紙魚に向けて魔術書を突きつけ、般若のような表情を浮かべていた。
「り、リデル……お強い、ですわね……?」
私が声をかけると、途端にリデルの表情がぱあっと明るくなり、私の手をぎゅっと握りしめた。
「ゲルダ! 怪我はありませんか?」
「え、ええ……おかげさまで……」
「よかった! あの油汚れみたいなツラした経験値如きがゲルダに触れるようなことがなくて安心しました!」
「け、経験値……。あの、リデル……随分怒ってますわね……」
すると、リデルは指をぼきぼきと鳴らしながら不気味な笑みを浮かべた。
「怒りますよお、そりゃあ……私の原稿……私がどれだけ必死であの原稿を進めたと思ってるんですか!」
その点に関しては、私も腸が煮えくり返るような想いだった。だが黒紙魚が瞬殺されてしまった以上、いつまでも怒りに囚われていては原稿の遅れを取り戻すことはできない。
ひとまず、今後のスケジュールを考え直さないと──そう思った時、再びハンスの声がした。
「お二人共、お気をつけください! 例の黒紙魚はまだ生きております!」
部屋の中央で、本がカタカタと動いていた。第四地区に行った時に、モモが持っていた本。その全ての頁が真っ暗に染まり、水面のように波打っていた。
黒い頁から、小さな塊が二、三個ほど転げ出た。
「あれは……マカロン?」
たしか第四地区に行った日、モモがマカロンをあの本に呪文化させて持ち運んでいた。あの時の残りだろうか。
すると、黒い頁から再び大蛇のような形状の黒紙魚が這い出てきた。黒紙魚はマカロンを食べると、身体を小さく丸めた。
「ゲルダ、気をつけて! 何だか様子がおかしいです……変形してる……?」
蛇のような形だった黒紙魚はゴボゴボと音を立てながら巨大なマカロン型へと変貌した。
「なにあれ! あんなのアリですの!?」
「私も初めて見ました! とにかく暴力でねじ伏せます!」
再びリデルは無数の光の槍を放ち、マカロン型の黒紙魚を木っ端微塵にした。巨大な黒紙魚の姿は消えた。だが……黒く変貌した本の頁はまだ海面のようにゆらゆらと蠢いていた。
リデルは指をボキボキと鳴らしながら、本の傍へと向かった。
「このままではまた復活されるでしょうね。この本に私の魔法で封印術をかけましょう。本の中に閉じ込めておけば、ひとまず原稿は汚されないはずです。ゲルダ、どうでしょうか?」
「名案だと思いますわ! ……って、リデル! 本が!」
本の頁から一本の手が飛び出してきた。手は部屋の中を這いずり回った後──部屋の隅に転がっていた掛け布団を掴み、本の中へと引きずり込んだ。
「あぁ、私のお布団が!」
その瞬間、本の中から巨大な黒い布団が飛び出してきた。布団はふわりと宙を舞った後──リデルの頭上に覆いかぶさった。
「リデル!」
頭から布団を被ったリデルはその場に倒れ込んだまま動かなくなった。
「おふとん……すやぁ……」
「ギャーーーーーーッッッ! 最大戦力が布団の餌食になりましたわ! 強敵ですわ!」
黒い布団は倒れたリデルの上から動かなかった。あのままではリデルの身に何が起こるかわからない。私は懐から「栞」を取り出した。この世界で魔法を使う為に必要な媒体。これを使えば、あの黒紙魚に攻撃を仕掛けることができるはずだ。
栞を手にして、強く想いを籠める。──あの黒紙魚を払いのけろ、と。
「えいっ!」
栞が鈍く輝いた。いける──そう思った時、ポンッと小さな音が鳴り、黒い布団の周囲に青々とした芝生が出現した。
「え……それだけ?」
黒い布団は小さく飛び跳ねながら芝生の上を散歩しはじめた。楽しんでいるように見える。
「ぜ、全然効いてないですわーーー! リデルみたいにズバーンドキューンと強そうなやつは出ないんですの!? 所詮ザコの悪役令嬢の力はこの程度ってことですの!? キイーッ!!!」
「ゲルダ様、落ち着いてください。ゲルダ様は草属性の加護を受けておりますので、リデルさんの光属性と魔法の性質が異なるのは致し方ないことです」
ハンスはそう言って私を宥めた。魔法の属性──ゲーム内で何度か聞いた単語だ。火、水、草、光、闇──この世界の司書たちは五つの属性のうちのどれか一つの加護を受けており、己が加護を受けている魔法のみを使用することができる。
言われてみれば、ゲーム内の悪役令嬢ゲルダはたしかに草属性の魔法を使っていた。
「はぁ……私のあまりの弱さに衝撃を受けてしまいましたわ。そ、そういえば私は草属性だったかもしれませんわ……」
「はい。ちなみに僕は水属性です。基本となる五属性以外にも、ごく稀に特殊な加護を受けた方がおりますが……いえ、その話よりも、まずはリデルさんの救出が先ですね」
「そ、そうですわね!」
ハンスは魔法で水の塊を呼び出し、黒い布団に向けて何発か放った。布団はひらりと空中に舞い上がり、巧みに攻撃をかわす。
「結構素早いですわね」
「ええ。僕の方も、銃が無いと火力も速度もあまり出ないようです……」
「でも、ひとまず布団はリデルから離れましたわ。とりあえずそのまま布団に攻撃を続けてくださる? ちょっとリデルをこっちに引っ張ってきますわ」
「かしこまいりました。主にこのような役目をさせてしまい申し訳ないのですが、リデルさんのことをよろしくお願いします」
私は倒れているリデルの傍に駆け寄り、黒い本から引き離した。見たところ、リデルの身体に傷は無く、苦しんでいるようにも見えない。ただ眠っているだけのようだ。
「布団だから覆い被さられると眠ってしまうってこと? あれだけ素早いと、その効果は厄介ですわね……」
黒い布団はまだハンスの攻撃から逃げ続けている。その隙に、私はリデルをハンスがいる場所まで移動させようとした。とはいえ、私の腕力はそう強くはない。リデルの身体を引きずりながら少しずつ移動させていたところ、突如、床に暗い影が落ちた。
「まずい……ゲルダ様、お逃げください!」
ハンスの声に反応して上を見上げた時、既に黒い布団は視界を覆い、今にも私の上にのしかかろうとしていた。やばい……逃げ切れない。そう思った時、突然黒い布団が宙に浮いたまま動かなくなった。
「ゲルダさん、今のうちにリデルさんを連れて離れて」
エンデの声がした。私は深く頷き、急いでリデルを連れて部屋の隅まで後退した。その間、黒い布団は宙に浮いたまま、動くことも床に落ちることも無かった。
「無事みたいだね……よかった」
エンデは私たちがいる場所とは反対側の壁際で、栞を手にして魔法を発動している最中だった。エンデの腕にはモモがぴったりとしがみついている。どうやらエンデの魔法の効果で黒い布団は動きを封じられているようだった。
「俺の力は『時』の力……相手に直接攻撃はできないけれど、一時的に相手の時間を止めることはできる。援護するよ。ほらハンス、今のうちに攻撃して。もうすぐ魔法の効果が切れるからさ」
ハンスは頷き、人の顔ほどの大きさの水塊を召喚し、黒い布団に向けて放った。相手は動きを封じられている。確実に当てられるはず──だが、直撃する寸前に布団はひらりと身を翻し、水塊を回避してしまった。
「いくら直前で時の魔法の効果が切れたからって、あの距離で攻撃を避けるなんて、あいつ相当素早いですわよ!? 逆になんでリデルは攻撃を当てられたんですの!?」
「さあ、リデルさんの魔力は強大だからですかね……? 僕の力不足で申し訳ございません」
「謝ってる場合ではなくてよ。うだうだしてるとこっちに来ますわ!」
布団は俊敏な動きで部屋を縦横無尽に飛び回った。私は布団を回避しながら、動きをじっと観察する。飛び上がってから着地までの距離も、着地場所にも規則性が無く、動きが読みづらい。見たところ、鳥のように羽ばたけるわけではなく、あくまで高いジャンプ力を持っているだけのようだ。だが、現状ハンスの攻撃はほとんど黒い布団には当たっていない。ただやみくもに攻撃するだけでは、この局面を乗り切ることはできないだろう。
そう思った時、黒い布団は地面に降り立ったまま動きを止めた。動きを止めた理由はわからないが、この機を逃すまいとハンスとエンデが布団に狙いを定める。
その時、布団は再び大きく宙に飛び上がった。天井付近まで浮かび上がった後──エンデの頭上へと落下していく。
「エンデ、危ない!!!」
モモがエンデを押しのけ、大きく両手を広げて盾となった。そして、布団はモモの上に落下した。
「おふとん……ふにゃあ……」
「モ、モモーーーーーーーッッ!!!」
エンデは即座に布団を蹴り飛ばし、倒れ込んだモモを受け止めた。
「モモ……どうして、俺なんかのために……」
「い……いいんだ、君が無事なら……あとは、よろしくね……」
そう言い残して、モモは眠り込んでしまった。布団の被害者はリデルとモモの2名。神絵師が全滅してしまった。エンデはモモを抱きかかえながら、今まで聞いたこともない悲痛な声をあげていた。
「モモ……モモ……どうして……」
「エンデさん、多分モモはリデルと同じように眠っているだけですわ。きっと目覚めますわ。だから……」
鼓膜が張り裂けそうな轟音が響き渡った。エンデの拳が床を叩く音だった。エンデの拳はフローリングの床にめり込み、穴をあけていた。
「ゲルダさん。あの布団野郎……潰すよ。俺のモモに手を出したやつは、八つ裂きにしてやる!!!」
普段の冷静沈着なエンデとは似てもつかない表情だった。私とハンスは引き気味で呟いた。
「おおおぉ……愛は恐ろしいですわ。エンデさんから闇の感情パワーがあふれ出てますわ」
「大変申し上げにくいのですが、エンデさんの魔法属性は、基本の五属性には含まれない特殊な『時属性』ですので、闇属性とは異なります」
「魔法の属性は闇ではなくても、確固たる復讐の意志があればなんとなく闇ですわ」
そして私は気づいた。どれほどエンデが復讐に燃えようと、エンデの魔法は攻撃には向かない。復讐を遂げるためには私やハンスの力が不可欠ということになる。
「エンデさんの怒りを鎮めるためにも、早くあの布団をやっつけないとまずいですわ!」
「ですがゲルダ様。相手は非常に俊敏なため、攻撃が当たらなくて……どうしましょうか」
ハンスの言う通りだ。まずはあの俊敏な動きを抑えなければ……そう考えた時、私は思い出した。
「あれ、そういえば……エンデさんの蹴り、当たってましたわよね?」
「え? あ、たしかに……」
私とハンスは部屋の中央で立ち止まっている布団に視線を向けた。ハンスが一歩、布団に近づいてみた。すると、黒い布団は瞬く間に部屋の端まで後退して距離を取った。
「まさかあの布団、ハンスに対してだけものすごい勢いで逃げてるってこと?」
「僕、布団に嫌われたんでしょうか……」
私は布団が部屋の隅まで移動する際に通った場所をじっと見つめた。恐るべき速度だったが、左右に蛇行するように移動しており、最短ルートだったとは言い難い。
「確実に攻撃を当てられるように、エンデさんに援護していただいたほうがいいかもしれませんね。あまり攻撃を外しすぎると、床が濡れて滑りやすくなりますから……」
ハンスの言葉を聞いて、私はピンと閃いた。部屋全体を見まわしてみると、ハンスが外した攻撃によって、床が濡れている場所が多数存在した。続けて、布団が通らなかった場所に目を向けてみると──布団が通る場所について、一つの法則が見えてきた。
「そうですわね。エンデさんの手も借りつつ、仕留めますわよ」
私はハンスとエンデの双方に目配せしながら、歯を見せて笑った。
「私に策がありますわ」
乙女ゲームの悪役令嬢はヒロインを攻略することにしました。 ワルツ @warutuuuuuuu
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