第20話:悪役令嬢はヒロインを布団に寝取られました。

 ヒロイン。それは乙女ゲームの世界のあらゆる因果の中心にいる存在。多種多様なイケメンの中から己の性癖に合ったイケメンをつまみ食いすることが許される最強の生物だ。

 だが、そんなヒロインですら太刀打ちできない敵──それは、布団だった。


「おふとん……私、お布団と結婚する……」


 私たちが寮に戻ってきた時、リデルは布団を抱えながら床で眠っていた。


「な……な、なーっ! ふ、布団にNTRされましたわー!!!」


 私が布団を取り上げようとすると、リデルが寝ぼけながら布団を奪い返そうとした。


「もう、リデル! 起きてくださいまし、起きてってば!」


「うにゃ……むにゃ……やあだー、1日24時間寝てたいぃぃ……」


「それは永眠ですわよー! 死んでますわよー!!!」


 死因:布団と結婚。そんなふざけた理由で二度目のループが起こってたまるか! 私がリデルから布団を引っぺがすと、ようやくリデルはゆっくりと体を起こした。


「うう……なんですかもう。ひどいじゃないですか……ちょっと寝ちゃったくらいで……くらい、で……? 寝てた……? ね、て、た……?」


リデルは真っ青な顔で散らばった原稿をかき集めた。どの頁も僅かに黒い染みが付いているだけ、キャラクターや背景はどこにも描かれていなかった。


「あわわ、わわ……な、なんにも描いてない! たしかに、あと残り1頁のところまでペン入れしたはずなのにぃぃぃ!」


リデルは頭を掻きむしりながら床を転げ回った。私はトントンとリデルの肩を叩く。


「寝落ち……しましたわね?」


「い、いや、あと1頁のところまで描いたのは本当で……モモとハイタッチしたところまでは覚えてて……」


「でも、さっき寝てましたわよ?」


「………寝落ちしたのは事実です……」


 リデルは汚れた原稿用紙を抱えながらがっくりとうなだれた。

 私は溜息をつきながら、原稿用紙の数を数えた。入稿期限まではあと数日。だが、残りの頁数は10頁以上あった。私は頭を抱えた。まさか異世界に転生してから、同人作家の苦悩を味わうことになるとは思わなかった。


「とりあえず、この緊急事態をどう乗り切るか、作戦会議ですわね……」



 残り頁は10頁以上。そして、残りの原稿用紙が汚れていることが手痛い打撃となった。

 乙女ゲームの世界での同人誌制作は一筋縄ではいかない。まず、現世と異なり、作画は全てアナログでの作業となる。また、漫画が普及していない世界では漫画用の原稿用紙は販売していない。

 私達自ら真っ白の紙に仕上がり線や断ち切り線を描き込み、「原稿用紙」を作ってから、ようやく作画作業が始まる。原稿用紙が汚れたということは、ただ作画をするだけではなく、紙の用意と原稿用紙の作成から再スタートしなければならない。


「でも、そもそもどうして原稿用紙が汚れていたんでしょうか……」


リデルは首を傾げた。


「それは……寝ているうちにインクが付いた手で紙をこすったのではなくて?」


「でも、私の手もモモの手も、あとお布団も綺麗ですよ」


 原稿用紙にはインクを擦りつけたような染みがついていた。だが、部屋にはインクを溢した跡は全く無かった。

 すると、ハンスが机の上から完成済みの原稿を手に取り、私の前に差し出した。


「ゲルダ様、どうやら事態は予想よりも深刻なようです」


 完成したはずの原稿にも似たようなインク染みがあった。それどころか、既に描いたはずのキャラクターや背景が消えている。まるで何者かに食い散らかされたかのように、白い空白になっていた。


「なにこれ! ちょっとまって。そうなると、単に急いで原稿を完成させればよい話ではなくなりますわ!」


「お察しのとおりかと。まず、この黒い染みと空白の原因を解き明かさなければ、期日までに原稿を仕上げても、同様の汚れが付く恐れがあります」


 私たちは顔を見合わせた。この汚れは不注意や事故で付いたものとは思えない。最悪の可能性が頭を過ぎる。この場にいる誰か──リデル、ハンス、モモ、エンデ。この中の誰かが、悪意を持って原稿を汚したという可能性だ。

 その場にいる誰もがその可能性を考えただろう。皆の不安を察したのか、リデルが全員に声をかけた。


「誰がやったのかよりも、先にどうやって汚したのかを考えませんか? この汚れや空白……どう見ても普通じゃないですよ」


「そうですわね……。汚れるのはまだしも、描いた物をどうやって消したのかしら……あ、そうだ。原稿以外に、何か汚れたものはありませんの?」


皆、ぐるりと部屋を見回したが、特に異変は見当たらない。布団やクローゼット、窓の淵……原稿が置いてあった机にもシミ一つついていなかった。


「原稿以外は全部無事というのもおかしな話ですわよね……」


 そのとき、突然モモが悲鳴をあげた。


「キャァ! なにこれ、どうなってるんだよ!」


モモは一冊の本を開いたところだった。第四地区に行った際、馬車の中で開いていたあの本だ。あの時は呪文化されたお菓子が本の中に書かれていたが、今は黒い汚れが本の中で蠢いていた。


「ゲルダ! あの本、あの汚れた原稿と似てませんか?」


 リデルが本の中を指す。インクをこすりつけたような跡があるだけではなく、本来そこに書かれていたはずの文章が消されて空白となっていた。


「つまり、『アレ』が原稿荒らしの犯人ってことですわね……」


 私は本の中で蠢いている黒いものに心当たりがあった。第四地区に行った時も、私たちは似たような生物に出会っている。この世界を構成する大切な書を食い荒らす者たち。この世界から討伐されるべき悪──「黒紙魚(くろしみ)」だ。


「みんな、本から離れて!」


 漆黒の怪物が本から湧き上がってきた。最初は泥のように不確かな形をしていたが、徐々に大蛇のような形に変化していった。黒紙魚は黄金の瞳で私をにらみつけ、舌なめずりをしている。視線の先にあるものは──私たちが作り上げた原稿だった。


「許せませんわ……」


 私は怒りで震えていた。原稿を抱えたまま、指をボキボキと鳴らして黒紙魚を見据えた。


「キサマのせいで極道入稿必須ですわ! この恨み、ボコボコにぶつけて生首にしてさしあげますわー!!!」


 威勢良く啖呵を切ってみたものの、悪役令嬢という役割の端役には大した戦闘能力は与えられていない。ここは、この場にいる皆の力を借りながら、この黒紙魚を討伐しなければならないのであった。

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