紅き飛竜と金の空

譜楽士

赤銅の大地よ、はばたけ

 赤茶けて乾いた大地の上を、ひとりの青年が歩いていた。


 黒髪黒目。そして黒い衣。

 上から下まで黒尽くめの青年は、ひび割れた大地を真っ直ぐに進んでいた。


 植物は少なく、吹き抜ける風は生あるものを拒むように水を奪っていく。

 そんな赤い大地と対照的に、見上げれば空はどこまでも蒼く――雲もないその空の下、二色の世界が広がっていた。


「……」


 そんな中を、青年は歩く。

 赤と蒼の間にできた、小さな影。

 そんな黒い青年が進んでいくと――しばらくして多くの木や石が突き刺してある、切り立った崖に突き当たった。


「……」


 青年は黙って、それを見つめた。

 木や石を組んで作られたそれらは、つまり――墓のしるしだった。


 ◆◇◆


 大小、新旧、さまざまな種類の墓がそこにはあった。

 一面にそれが広がっている様子は、黒尽くめの青年にはしっくりと似合っていた。

 供えられた花もなく、故も知らぬ者たちの終焉の地であるここに他に生あるものはいないと思われたが――しかしそこには、ひとつの墓の前にひざまずく女の姿があった。


「――そこで何をしている」


 青年がそう声をかけると、女は組んでいた手を解き振り返った。

 目鼻立ちのくっきりした、地面と同じ色の目をした女だった。乾いた大地の民らしく、風と砂よけのための長い布を羽織っている。

 青年の姿を見とめた彼女は、立ち上がって問いに答えた。


「祈っておりました」

「何にだ」

「それはわかりませんが――何かに」


 女はそう言って、もう一度墓を見た。じっとそれを見つめる様子に、再び青年が声をかける。


「……誰か近しい者の墓か」

「はい。妹が先日亡くなりました。その前は弟が。その前は兄が――みな、ここに眠っておりますので」

「そうか」


 青年は彼女の隣まで行き、墓の前で少しだけ目を伏せた。

 開いたその目に映ったのは――やはり赤茶けた大地だった。

 しかし切り立った崖の上から見るそれは、それ以外の場所から見るものとは少し違っていた。


「空がよく見えるな」


 乾いた風に吹かれながら、青年はそうつぶやいた。

 視界に映る景色には、空の色が多くなっていた。

 既に太陽は中天を過ぎて久しい。

 西は紅く染まり始め、東は段々と暮れつつある。

 刻々と変わるその景色を青年が眺めていると――同じく空を見上げながら、女はうなずいた。


「はい。ここは見晴らしがようございます。なので村の者はいつしか、ここに死者を葬るようになったそうです」

「……前に来たときはこうじゃなかったんだがな」

「前、ですか」


 額を押さえる青年に、女は空を見上げるのを止めて青年を見た。

 くっきりとした目で、驚いたように青年を凝視する。


「この墓たちは、私が小さな頃からありました。きっとずっと、昔から――。……どういうことでしょうか。貴方は、いったい――」

「ああ、聞かなかったことにしてくれ」


 きっと俺の勘違いだ。どこか別の場所と間違えているんだ――そう言う青年に、女は不審に思いつつもそれを飲み込んだようだった。

 わずかにうなずいて、そして再び空を見上げる。


「……ここは天に近い場所に思えます。こうしてここで出会えましたのも、何かの縁でしょう。

 どうでしょう、そのうち日も暮れてゆきます。この近くに私たちの村があります。今夜はこちらに泊まられてはいかがでしょうか」

「折角のお誘いなんだが――俺はこれから行くところがあるんだ。だからここでお別れだ」

「……そうですか」


 青年の返答に、女は少し残念そうに肩を落とし、息をついた。

 そして「では」と口を開く。


「どちらに往かれるのか存じませんが、お気をつけて。私は村に戻ります」

「ああ。あんたも気をつけて」


 さようなら――そう言って去っていく女を、青年はずっと見つめていた。


 その長い布を巻きつけた姿が見えなくなって、青年は口を開く。


「おい。起きてるんだろ、≪紅き飛竜レッド・ドラゴン≫」


 赤茶けた大地に刺さる、無数の墓の群れの中で――

 青年の呼びかけに応える者など、誰もいないと思われたが。


『久しいな、≪古きもの≫よ』


 低く響く声があがって、その大きさに宙が震えた。

 乾いた風と、暮れゆく空の中にいても。


 生きている者は確かに、そこに在った。


 ◇◆◇


 少しずつ色を変える空の下で、青年は≪竜≫に呼びかける。


「≪黎明の都≫まで行きたい。乗せてくれないか」

『構わぬ。乗れ』

「もう乗ってる」


 どこからともなく聞こえてくる低い声に、青年は近くの墓を掴んでそう答えた。

 青年が手にしたそれは、先ほどの女の一族の墓だった。


『ふむ、では――行くぞ』


 その声とともに、地震が起こった。

 ひび割れていた地面が裂け、崖が大きく割れて墓ごと落ちていく。

 大地から離れ、空に包まれたその崖は――


 赤茶けた翼を広げ、空へと飛び立った。


 ◆◇◆


 風を受け、宙を舞い――≪竜≫は西の空へと向かう。


 沈みゆく太陽は朱の輝きを放ち、その輝きのまま空の色を染め上げていた。


 その中で青年は、自らを乗せた≪竜≫を見て言う。


「……次に来たとき崖ごと墓がなくなってたら、さっきのねーちゃん怒るかなあ」

『墓? 墓とはなんだ≪古きもの≫』

「おまえの背中にいっぱい生えてる木とか石のことだよ、≪紅き飛竜≫」


 そのうちのひとつを掴んで≪竜≫の背に乗りながら、青年は答えた。


「しばらく寝てたおまえの背中に、人が同族の亡骸を埋めていったんだ。木や石はその目印になる。それが『墓』だ」

『ふむ? 我らにはそういったものは必要ないが、ニンゲンにはそのようなものを作る風習があるのか』


 やはり≪古きもの≫は、ニンゲンに詳しいな。

 大きな翼をひとつ打ち、≪竜≫は青年に言った。


『ニンゲンといえば、性欲でしか仔を為せない哀れな存在だと思っていたが――そういったものも作るのだな』

「みたいだな」


≪都≫に着くまでの、僅かな時間の暇つぶし――そういった調子で、≪竜≫は言った。

 それに青年が軽く相槌を打っていると、≪竜≫は尋ねてきた。


『なあ、≪古きもの≫よ』

「ん?」

『ニンゲンはなぜ「墓」とやらを作るのだ?』

「なんで、か……」


 物言わぬ者となった存在に対して、どうして何かを作るのか――

 そう訊く≪竜≫に、青年は少し考えた。

 哀れみからか。

 自分と向き合うための、鏡とするためか。

 あるいは単に、周りがそうしているからか――様々な理由が浮かんだが。

 ふと青年は、自分の手にしている粗末な木切れを目に留めた。

 そして「――ああ」と言う。

 先ほどの女は言っていたのだ。そう――


「見晴らしがいいから、らしいぜ」

『そうか。なるほどな』


 朱というよりも、もう黄金に近い輝きの中で。

 ≪竜≫は納得がいったらしく、その翼を大きくはためかせた。


 自分の周りに在る、空の色を見渡して――

 青年は、紅き竜の背を叩く。


「そう。だからもっと飛んでくれ。久しぶりだ、翼が鳴るだろう」

『言われるまでもない』


 その声に応え、ひとつ咆え。


 金色の空の中を、背中に無数の十字を負った竜が飛んでいった。

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紅き飛竜と金の空 譜楽士 @fugakushi

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