5・楽器屋は公私ともに忙しい
「……とまあ、こんなところかな」
楽器屋ではなかった僕と、そして家業をどうして継ぐことになったのかを話し終えて。
僕は――店長となった
「そうなんですかー」
「……そうなんデスよ」
……まあ、彼女は焼き立てスコーンにかぶりついていて、僕の話なんてどこ吹く風といった様子だけれども。
合戦場さんに連れられてやってきたカフェにはレースのカーテンがはためいていて、明るい日差しが入ってきていた。
健康的な眩しさに、目を細める。彼女は気にもしていないかもしれないけれど、この場にそぐわない話をしてしまったことを少しだけ後悔して、紅茶を飲む。
休日で油断していたからか、いらないことまで口走ってしまった。
解放的な雰囲気と、合戦場さんのノリに押し負けたからだけど――次からはここまで突っ込んだ内容までは、言わないようにしようか。
近所の学校の部長になった彼にも言ったけど、僕だって初めて挑むことには失敗するクチなのだ。
ひっそりと反省して、帰ってから落ち込むコミュ障だよ。たぶん今日も家に帰ってから、なんでこんなことまで話しちゃったんだろうって超落ち込むことになる。
寝たら忘れるようにしてるけど。
それでもたまに、以前のように記憶がフラッシュバックすることはある。大抵は、疲れているときなんかに――
あ、そうそう。まさに今日みたいな日だ。それを防止できたと考えると、こんな素敵な場所に連れ出してくれた合戦場さんには、お礼を言っていいのかもしれない。
具体的には、いま目の前でアフタヌーンティーセットをもしゃもしゃ食べている彼女に、食事代を払うくらいのことはしていいのかもしれない――うん。なんというか、元気でいいね。いつもの合戦場さんだね。
口に含んだ紅茶は、最初にここに来たときと同じで暗い気持ちを押し流してくれた。
美味しいものはいい。人の心を癒してくれる。
というわけで、せっかく彼女が店を予約してくれたのだ。好意を無にしないよう、僕もご相伴にあずかるとしよう。
三段になったティースタンドには、一番上の皿にゼリーとチーズケーキらしき焼き菓子、二段目にスコーン、三段目にサンドイッチが置いてある。
冷めないうちにスコーンをいただく。粉砂糖のかかったパンは優しい甘さで、素朴だけど奥深い味わいだった。
物足りなくなったら添えられたジャムを付けて食べればいい。正面ではまさに合戦場さんがそうしている。
お腹が満たされれば、気分も変わるものだ。小さな見た目のわりにスコーンは案外と胃にずしんときた。
「美味しかったですねてんちょー!」
「うん。たまにはこんなのもいいね」
お腹がいっぱいだ。
日の当たる場所で、こんな風に過ごせるなんてあのときは想像もつかなかったなあ。
自分でいっぱいいっぱいだった僕は、相変わらずいっぱいいっぱいだけど、あの日からがむしゃらに仕事をするようになった。
それから、色々あって店長を任されるようになったわけだけど――
「そういえば店長のお父さん、今頃どこにいるんでしょうね。世界旅行をしてくるって言っていなくなってから、もうずいぶん経ちますけど」
「あの親父いいいいいいい。経営責任を息子に押し付けて自分は好き勝手なことしやがってええええええ」
当然ながら父は死んでなどおらず、名誉会長という謎の職に就いて僕に仕事を全部押し付け、第二の人生を謳歌しまくっている。
好きなように生きろとは確かに言っていたけれど、まさかそれを自分で実践してくるとは思わなかったよ……。
『辞められないからな』って言ったのも、単に自分が楽したかっただけなんじゃないだろうか。そんな風に邪推してしまうくらい、清々しい遊びっぷりだった。
あの親にしてこの子あり。
やりたいことをやるために手段は選ばない。
そこにあるものを利用して、自分の目的をとことんまで追求する――酸いも甘いも噛み分けて。
頭を下げることも生まれた境遇も、ヘラヘラした性格もとことんまで使いこなしてみせる。
腐れ楽器屋、なんて周りからは言われる僕だけれど、まだまだその域に達していない。
けど――まあ、その、なんだ。今になって親父ってすごかったんだなあって、改めて思うよ。
「当分は帰ってこないだろうな、あの様子だと……。『仕事してきた分遊ばせろ!』なんて、いつか僕も言ってみたいよ」
基本的に仕事漬けだったから(学生まで脛かじりだった僕のせいでもあるんだけど)、その反動が来てるんだろうなあ……。
まあ、今までがんばってきたんだ。親父が積み上げてきた分は、僕が肩代わりしようか。
いつか僕も父みたいに、誰かに仕事を譲って休暇を取る日が来るのかもしれないけれど。
「ま、隠居後のことを考えるなんてまだ早いか。さて、明日からまた仕事だ」
少なくともそれはまだ先の話だ。
今の僕に許されているのは、こうして職場の子とささやかに、ひと息つくぐらい。
ずっと引っかかっていたことを話し、美味しいものを食べたおかげか、へばりついた疲労は嘘みたいに軽くなっていた。
いつか親父と話したときみたいに。合戦場さんにも似たような力があるのかもしれない。
彼女に礼を言って、食事代を払い店を後にする。
「じゃあ、また今度どこか行きましょうね! てんちょー!」
帰り際、また合戦場さんにそう言われたので、僕はうなずいておいた。
数日後。
「……店長。それってデートじゃないですか」
その日の出来事を
学生の頃から何年も経って、店のリペアマンである静和さんとは付き合いも長くなり、ずいぶんと話せるようになってきている。
だからこの人の微妙な顔面の変化にも、気づくようになったのだけど――あれ?
「え……デート?」
「職場の女の子に誘われて、洒落た店に行って、食事をしながら身の上話をしたんです。これがデートと言わずになんなんですか」
「え、あれ……?」
言われてみれば、その……。
わざわざ店を予約して。彼女は職場では見ない格好をしてきて。
個人的な話を聞きたがって、一緒に食事をするっていうのは、その……。
「え……? ああいうのがデートっていうの……? なんかこう、考えてたのと違うんだけど」
「……店長」
とてつもなく呆れたといった調子で額を押さえ、静和さんがため息をつく。
この間の僕は、全くそんなつもりなかったんだけど――え、気づかなかったの僕だけ? 僕が悪いのこれ?
単純に職場の部下が、慰労会をセッティングしてくれただけだと思っていたんだけど――合戦場さんもあの調子だから、まるで。
「店長。仕事しすぎです。私が言うのもなんですけど、疲れすぎて目の前のこと以外に頭が回ってないでしょう」
「……そ、そのとおりです、ハイ」
他の意図があるなんて、考えもしなかった。
考えてみればいつだって、僕は周りの言動を一面的にしか見ていないのだ。
親父も。静和さんも。同期のあいつのことも。
あ、ていうか静和さんに仕事してるって言われた……。嬉しい……。
「あの、これじゃいつまで経っても進展しないんで、私は空気を読まずに言いますね。合戦場はずっと、店長のことが好きです」
「う、え、あ。はえ?」
「次もどこか行こうって言われたんでしょう。行ってください。ていうか二人の間に挟まれる私の気持ちにもなってください」
分解整備、組み立てのプロはそう言って、僕をジト目で見てくる。
楽器を扱うはずのリペアマンの彼が、いつの間に人間にまで手を出すようになったのだろう。
昔はもっと不器用で、人の心なんか専門外みたいな感じだったのに。
年月が経った分、静和さんも変わったのだろうか。そして僕も。
もう何がなんだか分からない――昔と同じく呆然として、宙を見上げる。
そこで、笑顔の親父が親指を立てているような気がした。
ひとしきり思考を停止して、視線を戻せば店内には、合戦場さんがいた。
いつものように元気よく接客をしている。こちらの視線に気づいたのか、笑顔で手を振ってきて――
彼女の顔を正面から見ることができなくて、僕は全力で目を逸らした。
恥ずかしくて照れくさくて情けなくて、他にもなんだか色々な感情がこみあげてきて、耳まで真っ赤になるのを感じる。
心臓が早鐘を打って、それと同じくらい早足で僕はそこから逃げ出した。
昔と同じ。いつもと一緒。
だけど。
「父さん……なんか僕、またすごく忙しくなりそう……」
心は脈打って、身体の隅々まで活力を届ける。
一度壊れた僕にまだ動けと、
何も知らなかった僕の中に、またひとつの価値観が投げ込まれた。
これだから――生きることは、辞められないのだ。
才能の在り処~落ちこぼれ音大生の僕が、いかにして楽器屋の店長になったか 譜楽士 @fugakushi
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