春は苦手だ。

まだ冬の香りが残りつつも生暖かい風が私を包んでくる?いや、生暖かい風が襲ってくる春が苦手だ。

薄手のカーディガンでは寒いが、厚手のコートでは暑くなる体温の調整が出来ない私を惑わせるそんな春が凄く苦手だ。


「一年生になったら〜♪一年生になったら〜♪友達百人出来るかな♪」

この歌詞の意味も考えずに大声で陽気に歌って友達百人出来るかな?って考えていた幼少期に戻りたい。明るく可愛らしい音程に子供ながらの願望と希望を持った無邪気な歌詞だが、数年後には「二人組みを作ってください」の教師の言葉に幼いながらに冷や汗をかいてしまう事になる子が出てくるのだから。

連絡手段として主に使っている緑のアイコンのアプリに“友だち”百人以上はいるが、よく連絡手段として利用している“友だち”は確実に片手に収まっている。緑のアイコンのアプリで“友だち”の数は増えていくが、実際は年々私の中で“友だち”は減っていっている。ただ、これは私だけではないよな。と思いながらも今日もぐーたらベッドに横たわってこの文章を現在書き記している訳です。


世間は春とやらで、新しい環境で新生活を迎える人が溢れている。そんな中で、働きもせず昼間からぐーたら横たわって世間が働き出す時間に就寝という生活をしていると背徳感となんとも言えない幸福感に包まれる。これがとてつもなく気持ちが良くクセになる。

しかし、こんなはずではなかったのに…!と同時に物凄く苦しい気持ちになる時が私も人間なのでたまにある。そんな時に何気無くつけているテレビのニュースの音声ほど鬱陶しいものは無い。社会人でも無いのに社会に参加出来る状況でも無いのに、家に居ることしか出来ないのに社会の情報なんて聞いたところで、劣等感と罪悪感に襲われ自分のダメ人間加減を再度改めて確認するようで嫌な気持ちになる。眩しい笑顔で原稿を読んでいるニュースキャスターの姿を見ると同じ人間のはずなのに。と悔しさが込み上げ、電車の遅延情報や天気情報を見ていると尚更に私の心はオーバーキルされる。爽やかな気持ちになんてなれたものではない。

と書いているが、これに対しては春に限らずなので春が苦手な理由としては成り立っていないのでブッブーです。

これといって特別に苦手な理由も無いんだけど、何故か春は苦手。学生の時から気持ちが落ち着かない。どうしても気分の浮き沈みが激しくなる。ソワソワする。きっとそういう人は多いはず。


でも、最近になってちょっと春が嫌いな理由が出来た。

一年前の一月に半同棲してた男と関係が終わった。その男と私は二年前の春に一緒に桜を見に行った。お弁当を作って俗に言うお花見というものをした。

おかずだけのお弁当箱、おにぎりだけのお弁当箱、サンドウィッチだけのお弁当箱、果物だけというお弁当のラインナップで、基本的にリラックマのキャラベンを意識してお弁当を作った。しかし、文にかたちを残すと私はお花見をに行けることが当時は相当嬉しかったんだろうなぁと我ながら自分に微笑ましい気持ちを現在抱いてしまってる、目は笑ってないと思うけど。

ちなみにお花見に関して彼は嫌がった。私はかなり駄々を捏ねた。二日間交渉していたと思う。そしたらお花見をしてもらえた。そんなに桜が好きなのか?と聞かれると特別好きという訳でもない。寧ろ男性とお花見なんてした事がない。では、なぜ誘ったのかというと彼は私と出かけたがらなかった。普通にお出かけしようと誘ったところで応じてくれるわけも無いと分かっていたのでただ出かける口実に過ぎなかった。

大きな公園にお花見しに行ったが、彼はお花見というのを初めてしたようで私以上に楽しんで凄くはしゃいでいた。

日頃喧嘩ばかりだったがその日はすごく彼はご機嫌で、沢山並んでいるお弁当を見て「わぁあ!」と大きな声をあげてテンプレートな喜び方をして、お口を大きく開けて私が作った料理を「美味しい!」とひたすら言って食べていたがこれらを作るまで遅い!って怒ってたのになぁ、これらを作ってる工程なんて絶対に考えていないんだろうなぁと私は頭の中で思いながらも成人男性が子供のように無邪気にぱくぱくとご飯を口に頬張ってる光景が可愛らしくて自然と私は口角も緩んでいた事を覚えている。そして「また来年も来ようね!」って彼が誘ってくれてすごく嬉しかった。

そんなお花見から一年後に、私は一人で中目黒の桜を見に行った。ちなみに今年は桜を見ていない。


同棲してた男と関係が終わったと先程書いたが、正確には強制的に追い出されて振られたと書いた方が正しいと思う。ある日普通にお家に帰ったらその時にはブロックされて数週間後にブロックを解かれ荷物を私の家に郵送するね!と彼は言ってきて長文で彼は自分の親と兄について愚痴を送った後にまたブロックしてきた。

追い出された理由は、恐らく私への対応が疲れたからだと思う。しかし私を重たくさせたのはおめーだろって感じだし、そこから急に音信不通にされて荷物郵送から彼の長文愚痴LINEからのまたブロックで、お花見の誘いだなんて呑気な男だと思う。笑わせてくれる。

そして、彼に今年もお花見を誘われた。複雑な気持ちになりながら、それとなく角が立たないように遠回しに断った。


彼に至ってはそこからも色々と厄介な話があるのだが、今では彼に対して私は憎しみの感情が大きい。

しかし憎しみながらも、あの日初めて彼が凄くご機嫌だったことと無邪気な様子が私の頭の中には焼き付いてしまっていてそれらを桜の時期になると嫌でも思い出してしまうので苦しくなる。

自意識過剰かもしれないが、桜の時期になると彼も私を思い出してくれるのなら嬉しい。

憎んでいるからこそ思い出してくれるのなら嬉しい。

桜を見る度に、他の女にお花見を誘われる度に、他の女と桜を見る度に、私を思い出して私にしてきた事と言ったことに後悔と罪悪感にまみれて苦しんで欲しい。私が朝のニュースで感じるものを桜という美しいもので彼には感じて欲しい。


だから春は苦手ではなく、やっぱり春は大嫌いだ。

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