『鋼の森のアリス』


 有栖が誰も居ない待合席で最後の一節を書き上げると、一人きりのホームでアナウンスが鳴り響く。構内を照らす電灯が一斉に点滅して、大きな揺れが一度きたあと、暗がりの中から全ての絵の具を混ぜ合わせたような黒色の電車がやってきた。電車は三回チカチカと点滅したあと扉が開いて、有栖はそこに乗り込んだ。午前四時の『街』を、電車の形をした終末が走り抜けていく。

 人は概念によって生かされている。見せかけの『正しさ』を与えた行為で鬱憤を晴らし、『自由』という言葉で誰かに対して負った責任から逃れようとする。無法地帯である『街』の人間さえもがそうやって生活に折り合いをつけていて、概念のない場所で人間の精神を守るものなど何もない。同時にそれが人を閉じ込める、決して逃れられない牢獄の正体でもあった。

 私の中にあった概念は「フラッシュ」が見せた幻覚の中で、車窓を流れていく『街』に立ち並ぶ摩天楼の姿をしていた。そして電車が通り過ぎた後には、それらの概念が流砂のごとく崩れ去り、果てに目を覆うほどの眩い光を放つのだった。終末の電車は、全ての概念を否定した先に昇る朝日を目指して、概念の廃墟を走り抜けていく。そして煌々と光を放ち、たちそびえる鋼の森は、今死にゆく人々のための墓標だった。



「私はこれを書いているうちに、昔アングラサイト巡りで読んだ話を思い出したんだ。『かわいそうな動物に寄付を』という題名のホームページがあって、大怪我をした犬や捨てられて衰弱死寸前の猫の写真が載せられていた。それは目を背けたくなるような写真だったけれど、寄付を治療費に充てて回復していく経過も撮られていたから寄付する人も多かった。けれど本当はそれらの写真は徐々に傷つけられていく動物の姿があらかじめ撮られていたもので、ホームページには順序を逆にして写真が載せられていただけだった。これは何処にでもある小話(フィクション)だけど、創作物の性質を端的に表している」

 チェシャとの帰り路で、まだ書き終わった後の虚脱が抜けない私は、次に書くものを考えながら、帰ったら久しぶりに煙草を一本だけ吸おうと思った。もしかしたら私は自分を取り巻く現実を、物語を綴ることで変えようとして、文面の中に現実を閉じ込めてしまったのかもしれない。

 チェシャが最初から最後まで、徹底的に私と相容れない存在だったことに感謝したかった。彼女と私は決して近づくことのない永遠の平行線を歩んでいた、だから私が自らを曝け出した相手の中で、彼女だけは唯一そのまま離れることがなかった。本当にお別れがやってきた時、きっと本当の気持ちでさよならを言うことはできないから、今のうちに言っておきたかった。

「撮られた写真は全て現実にあったものだとしても、それらを切り取って並べ直すコラージュによって全く別の虚構を生み出すことができた。完全な無から生まれる物語なんてものはなくて、作者が現実に経験した出来事をもとに想像力で膨らませて、脚本に従って並べ直すことで創作物は生み出される。例えば小説なら現実の世界で成り上がって行った人は転落の物語を書くとき、変わっていく様相の全てを今から過去に遡るようにして克明に描写することができるし、その逆も同じかもしれない」

 視覚を映す眼球の裏側に大きな概念が張り付いていて、私は瞳孔を開いて景色の中に映り込んだそれを視る。普段見ている景色というものは、眼球というガラス球が映し出している映像に過ぎない。私はその内側に立って、世界を視ていた。

 『わたし』は核分裂にも等しい熱と輝きを発しながら活動し続ける思考そのものを認識していて、視覚や聴覚はそのほんの一端に過ぎなかった。表情も瞬きも口呼吸もなくなり、植物人間のような身体の中で眼と脚と指だけが思考を紡ぎ出す。

 世界は世界だった。眼に写る人は人でなく車は車でなく意味を持たない景色という一枚の絵に還元された ざあざあとタイヤがアスファルトを摩る音と行き交う車は繋がりを失い、己の身体と己という存在もまた繋がりを失った 私という存在は眼球の内側にのみ棲んでいて、鏡面に映る身体は私と無縁のものに……この文章だけが私という存在であり……それを書き連ねる身体のどこにも私は存在しなかった。

 そして同じように意味を失った雑多な音の濁流を、ウサギという人間が作った一つの音楽にしようと思った。『街』の総体としての法則を見た 人という赤血球、組織や施設という臓器によって構成される、一つの生命体だけが外に認識できるものだった その血潮の脈動に、呼吸と代謝に、私という小さな存在が呑まれようとしているのを感じていた。

「ねえ有栖、ウサギって誰のことだったの?」

 私の書いた話について聞き終えた後、チェシャが困惑して尋ねるのは分かり切ったことだった。

「あたし、こんな人知らない」

 『鋼の森の有栖』で描いたウサギという人物のモデルはチェシャの親友で、有栖も『お茶会』で何度か話したこともあった。けれど彼は映像制作なんてしていないし、致命傷となるような過去も背負っていない。そして店の金の持ち逃げだったか、全く関係ない些細なことで殺されたのだ。そして私はチェシャの友人を依代として、ずっと私の中に居たもう一人の私を、『鋼の森』の有栖と出会わせようと思ったのだ、

「ウサギは……私の生まれたかった性別で生まれて、私と正反対の境遇で生まれ育ちながら、かつての私が認めずにいた私自身の奥底にあるものを共有している人間。そんな彼自身の生を描くことができれば、最後まで自分以外の誰も愛せなかった私の生も、少しくらいは慰められるんじゃないかと思ったんだ」

 

 足は身体を前に運び続けるが、何処を目指して歩いているのでもなかった 何一つとして見知った景色はなかった、既に足を運んだ場所もなかった。自分が何者で、今まで何処を歩いてきたか思い出せなかったからだ。複数の現実が右目と左目に見え続ける夢――部屋の明かりのスイッチを押すと目が覚めて、別の現実らしきものが始まるんだけどすぐ前の現実がノイズみたいに混線してくる。扉を開けてもまた別の現実が始まって、最後にはプログラムコードか小説の文字みたいなのだけが現実に混線して残る。

 概念が途切れたとき、虚無だけが残る なにもない……意味のない景色と意味のない音だけが終わりなく続き……何を為せば良いかも分からず立ち竦む……空があり、建物の屋上と瓦屋根があり、ヤニの臭いを風が運んでくる……それだけしか分からない どの道を歩いてきたのかも分からず、目の前には『曙光の橋』から見える夜明けの空があった。

 あのサウナの仮眠室の、壁にこびりついたヤニとベッドに染み付いた汗の臭い――日が昇りきるまでには全てが素知らぬ顔で片付けられて、けれど確かにこびりついた汚れが人知れず堆積していく。それは『街』に暮らす人々の、そしてあらゆる命に逃れがたく積み重なってゆく疲労と同じように。


 烏が夜明けを告げる。鳩が残飯を漁りに地に降り立ち、人々が目覚め始めるころに雀たちの姦しい鳴き声が響き渡り、そして夜の街の住人たちがようやく眠りに落ちる。散歩される犬の鈴の音が、何も変わらない新たな一日の始まりを告げる。もしもこの世の底に一片の光さえも差さないとしたら、それはきっと救いだ。眠れ、眠れ、太陽が全ての汚いものを照らし出してしまう前に。

「ここに居たくない……ねえ有栖、有栖が居た場所に連れてってよ」

 立ち尽くす私の隣でチェシャが泣く、そこら中に漂う『苦しい』『もう嫌』といったホストにデリ嬢の泣き言の一つでしかないように……昼間は足の踏み場さえないようなこの橋も、夜明け前はゴミ清掃業者と諦めの悪い客引きしか居ない 誰も彼もが自分の居場所に籠り『街』の目覚めを待つのだ。


 『曙光の架け橋』から遠く続く堀の向こうで曙光を覆い隠す、決して越えられぬ壁のように聳え立つ摩天楼。それでも、日ノ出の見えない曇天は微かに紫を帯びる。消え忘れた街灯たちが仄明かりの中に所在なげに立ち並ぶ。

 どんなに心揺さぶる朝焼けも瞬きの内にその色を失い、そして記憶からも失われたそれは二度と戻らない。今この胸にある名もない感情たちと同じように、それを忘れたということさえ思い出すことは無いのだ。また自分たちの日常へと向かっていく、フラッシュの効果が切れて死にたくなるような頭痛の中でどこかのベッドに潜りこむ、その一瞬前の出来事だった。私は言った。


「私はここじゃない何処かへ行きたくて、ここまで来たんだよ」

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鋼の森のアリス 仮名仮名(カメイカリナ) @karinakamei

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