手稿『ここに居てはいけない』

 中学時代、そして高校時代。いつだって私は、そんなことを考えていた。それが進歩であるか堕落であるかなんてどうでもいい、この場所を離れなければ自分は駄目になってしまう。

 あてがわれた狭い自室のベッドの上で、パソコンの前で、そして何もない実家から何もない学校へと向かっている電車の中、窓の向こうに過ぎ去っていく何もない景色を眺めながら。


 私の住んでいたのは県単位で何もないような寂れた田舎で、見渡す限りの田園と今や不良債権でしかない個人所有の山々だけが広がるような場所に住み、その周辺地域の中では一番ましという程度でしかない、駅前に寂れた百貨店とコンビニやスナックが数件立つだけの地方都市へと早朝から長い時間をかけて電車で通うのが通例だった。そのような場所に通ってくるのは、私立に通わせたり独り暮らしをさせられない家の金銭的な事情と、地理的な事情でそこを選ばされたような生徒ばかりで、無論私も似たようなものだった。

 そしてヒトは施設や文化に娯楽を見出せなければ、必然そこに集まった人間に対して退屈しのぎを見出そうとする。それは往々にして、人間の最も醜悪な習性として顕れる。仲良しグループ内での陰口に、孤立した人間を的にした嗜虐、何も持たない者同士でのどんぐりの背比べのような優劣争い。

 行き交うのは誰と誰ができているだとか誰々がやれるだとか睡眠薬を使ったというような話ばかりで、小説やネットの出来事について語らったりしようものなら根暗の烙印を押されて侮蔑と悪意を向けられる。学校内での立場の上下に関わらず誰も彼もが他人の眼に怯えながら、彼ら自身もまた退屈しのぎのゴシップを他人の中に見出そうとしていた。


 そんな場所で私の日常を支えたのは、私自身の言葉だった。一人きりで周囲を眺めている時に、ふと湧き出てくる感想や批評。それは時に、おおよそ自分と似た立場にあるものが抱くであろう感情を、適切な言葉へと変換するような。そして自分が不快に思う人間に対する、気の利いた皮肉。一度生まれたその言葉たちを私は心を守る鎧に、或いは日々の感情の捌け口として抱き続けていた。そうすれば私は彼らと違うのだと、自分の心を守ることができた。けれど私は、いつか誰も彼もを口に出さないまま批判する癖がついて、やがて批評し続けた彼らの中で生活を続けている自分のことまで見下してしまうだろうとも分かっていた。

 そして高校に入学して間もない時に、家でのネットサーフィンの中で、私は生まれてから自分と同じだけの歳月を経た『街』の噂を知ったのだ。その場所では、あらゆる自由が保障されている、と。後ろ暗い欲望を抱えた変態性癖者ですら、犯罪に走るまでもなく需要を満たしてくれる店がある。今ほど検索のフィルターやソート機能が洗練されていなかった頃、実話として語られる創作と現実の区別も付かぬまま。

 『街』で行われている商売のことや、震災から復興がなされるまでの真偽入り混じる惨状についての眉唾物の話。けれど、私は『街』で生きたいという生まれて初めての猛烈なまでの衝動を感じた。その出所は『街』そのものへの魅力というより、何もかもが今居る場所と真逆であるという理由だった。左遷されてきたか、或いはこの場所で生まれてこの場所で死ぬことに疑問を感じていない時代遅れの大人としての教師たち。そして犯罪もなければ刺激もない、減り続ける子供と活力のないまま日常を繰り返す大人達の、老衰死を待つだけのような辺境。その衝動が論理的でない自覚もあって、そして同時にその衝動に従わなければ駄目になることも分かっていた。


 それまで私は何一つとして愛着を持って繰り返すような習慣を持たなかったし、精神的に支えとなるような人間も居なかった。それは裏を返せば容易く今までの日常を捨てられるということで、私は今まで一人で読書とネットに費やしていた時間を、丸ごと勉強へと割り振った。友達もいなければ学校に行って寝るだけの、ただ通学していること以外は引きこもりと大差のない生活をしていた私の成績は一朝一夕で上がるものでもなく、けれど私が『街』へと脱出するための密かなる計画を諦める理由にはならなかった。何故なら私はその時、失うことを恐れるほど価値のあるものもまた、何一つとして持ち合わせて居なかったからだ。

 中学生の頃について思い出すのは、現実に居場所を見出せずにネットと活字の海に溺れる無為な日々。まだ当時は似たような趣味を持った人間同士で寄り集まっていて、けれどある日を境にそれすらせずに一人で居続けるようになった。それは立場の弱い者や能力の足りないものが分不相応の楽しみを他者に求めようとするよりは、何も発さず何も見せずに一人で居続ける方が外に眼を付けられないと学習したから、そして社会的弱者の中にもまた序列は存在し、彼らは自らの趣味を突き詰めて孤独を愛したのではなく、ただ弱者同士で寄り集まるための篝火として文化を利用しているに過ぎないと分かったからでもあった。

 小学生の頃の私も学校に居場所を持たず、そして軽いいじめを受けていた。多分それは当時の自分自身の振る舞いによる、ある意味必然のことだった。それよりも昔のこと、一歳、二歳、三歳、四歳、五歳、六歳。その時の私の世界の全てであった家のことも、物心ついて以来、私は一度として戻りたい場所だと思うことはなかった。決して暴力を振るわれたわけでも、一般的に罵倒に分類されるような言葉を受けたわけでもない。けれど子供にとって、大人というのは身体的にだけでなくて立場や語彙的な知識面においても力及ばない相手で、そして大人がそのことを自覚していながら子供に対して理詰めの言い合いを仕掛けるのは、それは身体を使った暴力と何が違うというのだろう?子供は決して抗えない、それに打ち負かされて従うしかないという点において、そして決して罰されることがないという点において、暴力よりも始末が悪いかもしれない。

 郷愁や懐古に値するような還りたくなる過去は無い、座して希望を託せる未来も無い。だから私は今その瞬間を、昨日とは違う日を迎えるために生きるしかなかった。成功する可能性が万に一つしかなくて、失敗すれば人生が破滅するような賭けだったとしても私は同じようにしただろう。例えそれが人生を破滅させるとしても、それを諦めた人生に存続する価値がないのだとしたら、立ち止まる理由にはなり得なかったのだ。

 そして高校二年から三年に差し掛かり、群れの中での序列争いに明け暮れていた彼らが、ようやく受験と将来というものの存在を思い出す頃、確かに私は前進していた。低レベルな公立校だったこともあり校内では常に三位以内に居て、一度ばかりは模試の全国欄に名を連ねたこともある。そして彼らは、私のことを天才だと言った。彼らの見えないところで、ずっと私が積み重ねていた努力を認めまいとするように。

家は騒音が絶えないから私は学校が閉まるまで図書室で勉強して、家族が寝静まってから日が昇るまでまた勉強した。そして二時間の睡眠の後、受験の役に立たない授業をする教師ばかりの学校へと仮眠を取るために向かった。かつて中学の頃よく話していた底辺仲間が、高校になって垢抜けて彼氏らしき男と駅のホームでいちゃついていた時、私は普段通りに徹夜で勉強して朦朧としながら立っていたところで、その光景を目にした私は衝動的に電車に飛び込みそうになったりもした。けれど私の行為は『街』の大学受験に合格するという、妥当な結果の実を結んだ。

 そして、ざまあみろ、と長年住んでいたその地を後にした時、私は確かにそう思ったのだった。その言葉が浮かんだのは、合格発表の日よりも前からだった。その言葉は最初から私の内に育っていて、それを吐き出すためだけに血のにじむような努力をしていたといっても過言ではなかった。全ての価値は結果によって決まるのならば、お前達の今までの生の全ては、この受験という『結果』によって価値を決められたのだと。何の変りもない退屈な日常を決定づけられるためだけに、その慣れ合いと序列争いの日々があったのだと、自分のかつて居た場所にこれからも残り続ける全ての人間に言ってやりたかった。


 そして何本もの電車を乗り継いで、ようやく『街』が見えてきた時のことを忘れはしない。無機質で、それでいて威容のある、鋼の森に初めて訪れた時のことを。二つの山と長いトンネルを越えて、『街』に近づくにつれ新幹線の途中停車する駅の規模と数が少しずつ増えて、大きな団地と舗装された河川敷の数も増えてくる。『街』に入った途端、電車に乗った窓の外の流れ去っていく鋼とコンクリートの木々の全ての中に、樹に棲む微生物がごとく人がひしめいているのが想像もできなかった。そして私は、まるで熱帯雨林の土を這い回る虫のように夥しい数の慣れない人混みと、キャスター付きの重い旅行バッグに疲れ切った足で『街』の駅に降り立ち、学生を対象にした安下宿へと荷物を置きに向かったのだ。その瞬間、私の世界には今までになく色が溢れていた。見上げた四角いビルの、褪せたコンクリでさえも灰色という色を持って立ち上がり、そして田舎に住んでいたときには決して頭上を見上げることなどなかったことを思い出す。

 そして嵐のような新生活を乗り越えて大学二年目になり、ようやく人並みの作り笑いができるようになった頃。私は不意に訪れた日々の凪に、自分がこの場所に何も求めていなかったことを思い知らされる。周りがどう思っているかは知らないけれど、私は未来のことなんて一度たりとも見据えてはいなかった。『街』の大学に行く将来的なアドバンテージすら副賞程度にしか考えていなくて、ただ私はあの場所から逃げ出したかっただけ、今居る場所が嫌で仕方なかっただけなのだ。

 選んだ学科や『街』の大学に興味があるわけではなかったから単位のためだけに授業に出て課題をこなして、いつしか講義やサークルのない空いた時間で『街』を彷徨い歩くのが日課になっていた。何を探し求めているのかも分からないままに、何かを探し疲れたような顔の人々が夜になれば方々に見られて、それが自分だけでないのだと分かった。私が行きたいと思っていた『街』は、こんな場所じゃないと思った。これは安いラブホテルと同じように、見た目を似せているだけのハリボテだ。南国のホテルのような見た目と内装をしていても泳げるプールさえついていなくて、よく効く冷房とドリンクバーだけがついている。大学生という立場で『街』で暮らしても、私の求めていたものは程々の安全と引き換えに決して手に入れられはしないのだ。


 何も持っていなかった自分と、何も見出せない周囲だけが、かつて私の進む理由だった。そして今もまだ周囲には何も見出せず、けれど向かうべき次の場所が見つからない。夜に眠れないのは受験時代に染み付いた就寝起床のリズムだけではなくて、激しい衝動に従って動き続けていなければ自分は駄目になるという、行き場のない焦燥が胸の内にくすぶっているからでもあった。

 今日もまた焦燥を胸に抱えて、私は眠れぬままに朝を待つ。かつて暮らしていた場所では、もっと沢山の星が見えたけれど、都会に暮らす人は星空なんて見上げない。そんな遠くを探さなくても、すぐ手の届く場所に煌びやかなものが沢山あるからだ。都会の人が暗闇を見るのは明かりを落とした部屋の中だけで、彼らが眠れぬ夜に目を凝らすのは、星灯りではなく電子機器のブルーライトだ。

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