第三話 心壊れて

 それからしばらくして、ちょうど煙から味わいが消え始めたときだった。

 シャシエが稲妻のように森を走り抜けて家に帰って来た。


 そしてそれを追うようにして、男たちが走ってくる。しかし家の前で立ち止まり、舌打ちをして、なにやらひそひそと喋っている。彼らには見覚えがあった。確か以前にもここに来て、ひとみの魔女に文房具に変えられてしまったのではなかったか? だとしたら先の川の一部が人間に戻ったのかも知れない。


 それから一人が意を決したかのように両腕に力をめ、ふんっと鼻息を荒くした。

 ドアをノックすると、声だけが帰ってくる。


「君たちとは話すことはない」

「いえ、話を聞いてもらいますよ。瞳の魔女さん」

「ならばどうしてシャシエを追い回したのか。どうしてシャシエが怯えているのかを教えてもらおうか」

「教えますので、出てきて頂けませんか」

「それはできない。納得のいく理由を聞く前に君たちを見たら、また文房具にしてしまうだろう。どうしても話したいのなら、そこで話せばいい」


 男は咳払いをした。


「では……。その女は空輝くうきうたうたいなのです。以前にもお話しましたが、オーグスは昔より太陽がでかくなっています。それはそいつのせいなんですよ」

「なぜそう断言できる」

「そいつの母親が、街のやつらの前で歌を唄ったら、全員空まで飛んで行って光に変わったんです! それで、しばらく空を漂っていたと思ったら太陽に吸い込まれて、太陽が大きくなった。この目で見たんです。他の奴らだって見てる。空輝の歌唄いは人を殺して、太陽を大きくして人々を苦しめる気なんですよ!」

「違う!!」


 シャシエの声が聞こえた。その声は震えながらに、鼓膜をつんざくような意思を明確に持っていた。


「お母さんは! 悪い人じゃない! 私を守るた——」

「なんだと!?」

「まあそう熱くなってくれるな。空輝の歌唄いの話は僕も聞いたことがある。シャシエがそうだったとは知らなかった。だが、空輝の歌唄いは本来人を傷付けない。むしろ、死に際まで解決できずに引き連れてきた罪悪を空に打ち上げるための、いわば魂の救いになる役割を担っている」

「罪悪だって? 飛んでった俺の友達はみんな良いやつでしたよ!」

「ただの罪悪ではない。無自覚なる罪悪だ。これについては否定させないよ。真実だからね。しかし知らないことに対して君たちを非難するつもりはない。陽の街で群れている君たちは自覚する必要がないものだからね。それでも自分は無自覚の罪悪などない——まごうことなき正義の使者だと言うのならば、この場でシャシエに唄って貰おうか」


 男たちは一歩二歩とさがって、お互いに顔を見合っている。困惑の表情が窺えた。


「お師匠、様……」


 彼らには聞こえない弱々しい声で、シャシエが呟き始めた。壁越しの嗚咽おえつ交じりの声でも、私はつぶさに聞き取ることが出来た。


「わたしが初めてお母さんと一緒にオーグスへ行ったとき、男の人に絡まれたんです。なにを言っているのかわからなかったんですけど、目の前の人の心がもじゃもじゃぐじゃぐじゃしていて、とても怖くて、怖くて……。それで嫌だ嫌だと思っていたら、目が見えなくなっていたんです」

「……僕の魔瞳術まどうじゅつが効かないのはそのせいか」

「え?」

「なんでもない。続きを話して」

「わたしは突然のことにびっくりしちゃって、怖くて泣き叫んだんです。そしたら男の人に殴られて。お母さんは私を守るために空輝の歌を唄ったんです」

「なるほどね」

「近くに居た人も全員巻き込まれました。それで街の人たちが集まってきてしまって、お母さんはわたしに逃げるように言いました」

「よく逃げ切れたね」

「もともと目をつむっていても、音で形がわかりますし、匂いで色もわかったので」

「そうか」

ひじりの丘に帰ってから私は歌い続けました。街の人が来ないように。でも、このままではどうすることも出来ない。聖の丘にもまた、新しい生命が誕生します。そのときにはわたしがお母さんにならない……。お母さんの帰りをいつまでも待っていても、街の人に怯えたままでもいけない。だから意を決してオーグスに行ったんです。そしたらそこで太陽が大きくなっていることと瞳の魔女の話をしているのを聞いて、お師匠さまのように魔法が使えるようになれば、街の人の願いを叶えて説得できるかも知れないと思って」

「それで弟子入りか。なるほどね。けれども僕のそれは魔法じゃあない。魔瞳まどうだ。目の見えない君には扱うことができない」

「じゃあ、わたしは、もう……」


 沈黙が、一滴、二滴、と二人の間に落ちた。


 瞳の魔女の足音がドアへと近づく。


「君たち」


 外へ向けて声を張った。


「なるほど、シャシエが君たちの脅威に成り得るのはよくわかった。しかし彼女は怯えていただけだ。もうコントロールができる。今後君たちの前で唄わないと約束すればいいか?」

「そんな! 約束なんていつ破られるか!」

「君さまたちのようなあさましい御心みこころとは違って、彼女の心は純粋で満たされている。約束はたがえな——」

「じゃあせめて咽喉のどだけでも潰させてください!」


 ——バァン!


 扉の開く音とともに、瞳の魔女が現れた。


「君たちは彼女から母親安らぎ視力を奪っておいて、さらに自由まで奪おうと言うのか!」


 ローブの長いすそを持って、男たちに詰め寄る。蒼い蒼い瞳。それは熱を持って揺れていた。


「君たちは結局、僕が何度文房具に変えてもかえりみない! 空輝の歌が本当に必要らしいな!」


 抑えることのない、荒々しさだけを爆発させた、ドスの効いたしゃがれ声だった。


「そんなに言うなら、君たちの願いを叶えてやろうじゃあないか」


 爆撃に焼かれた咽喉の裏側に冷徹を忍ばせて、魔女らしく契約を持ち掛けた。


「え」

「太陽がデカいんだったね」


 そう言い捨てて、オーグスの方を見る。そこには太陽があるはずである。


「え、あ、ああ、はい! えっと、案内します」

「結構だ。ここから飛んで行く」


 庭の方に歩き出す。


「お師匠さま! わたしがほうきを折っちゃったから飛べないんじゃ……?」

「僕はそんなもので飛ばないよ」


 瞳の魔女は、ちょうど私の真下の辺りにまで歩み寄って来た。それから木をじっくり見回す。


「君のはそこか」


 彼女がそう言った瞬間、私の乗っていた木が揺れだした。

 ああ、まずい。このままだと倒れる。

 私は翼を広げてふわりと降りる。

 パキパキと枝が折れる音を背中に聞きながら地面を目指す。ちょうど着地のタイミングで、砂埃を伴った地鳴りが響き渡った。


「シャシエ」


 呼ばれた彼女は走り寄り、私を拾い上げて肩に乗せてくれた。


「シャシエを頼んだよ。銀梟ぎんふくろう君」


 穏やかな笑顔で言われた。飛べなくても、人間数人の目玉を食い取ることは容易たやすい。しかしまずそうなので、できればしたくないなと思った。

 瞳の魔女はローブの裾を掴んで、倒木に足を掛けた。木の上に立った状態で、蒼い瞳を濁らせると、木はぶるりと震えて、一瞬の静寂ののち、風切り音だけを残して空へと昇った。


 それから太陽があるべき方へ向かって飛んで行く。人間たちはシャシエに手を出すこともなく、慌てて街の方へ走っていった。

 考えてもみれば、彼らの直近での問題は太陽が大きくなっていることだ。抜本的な解決のためには空輝の歌が邪魔になるというのであって、まずは太陽を小さくしないことには始まらない。


 シャシエは彼らの背中と家とを交互に見て、それから私の方を向いた。


「お師匠さま、心配ですよね。やっぱり見に行った方がいいのでしょうか」


 いや、ダメだ。陽の街に行ったら私は視力が働かなくなるし、街の住人がうるさかったら聴覚も使えなくなる。


「イタタタタタッ」


 いつの間にか私は、彼女の肩を強く握っていたようだ。


「わかりました。お師匠さまを信じて待ちますね」

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