第二話 理の急流

 私は梟である。名前は、銀梟ぎんふくろうと付けられてしまった。もう自由に羽ばたくことはできない。

 シャシエめ。と、少し恨みもしたが、まあ良い。いずれにせよ、この森から出ることもないだろうから。


 彼女がここを訪ねてきてからどれくらい経っただろうか。ひとみの魔女のもと毎日修行をしているが、上達のきざしがまるでない。


 シャシエは扉を開け放って、掃除をしていた。弟子よろしく、身の回りの世話をしているということなのだろう。部屋の清潔さはかねてより気になってはいたので、魔女になれるかどうかはともかくとして、掃除係が出来たことは喜ぶべきだろうと思った。

 もわん、もわん、と家の中から外へと埃が吐き出されていく。


 ——バキッ!


「ぎゃあ!」


 ほうきが折れる音と同時にシャシエの悲鳴が響く。本日これで二本目だ。どれだけ不器用なのだろうか。


「シャシエ」


 庭の安楽椅子に腰掛けて、くつろいでいた瞳の魔女が声を掛けた。


「すすすすみませんお師匠さま!」

「もう掃き掃除はいいから」

「では雑巾がけを」


 表の水道から水を汲み、掃除を試みるも——


 ——ゴンッ。


「イテッ」


 ——ザバァアア。


「ぎゃあああ!」


 擬音と悲鳴がこだまするだけで遅々として進まなかった。

 瞳の魔女は本を読みながら、眉をぴくぴくと動かしている。


「もう掃除はいいから、裏に文房具の山があるから取って来てくれないか」

「文房具の山ですか」

「ああ。裏に行けばわかる。それをこの辺りに積み直してほしい」


 彼女が指したのは、ちょうど玄関の前辺りだ。


「わかりました!」


 言われた通りシャシエは、裏の文房具をわっせわっせと運び出した。

 三角定規、コンパス、鉛筆、消しゴム、分度器……山のように積みあがった文房具を見て、シャシエは疑問を口にする。


「これ、なんでこんなにあるんですか?」

「無自覚なる罪悪」

「ほえ?」

「これは、そのようなものだ。人々にある罪悪の中で最も醜い罪悪だよ」

「んんん?」

「シャシエ。人はね。ずるさによって生きられるが、そのずるさによって苦しめられもする。彼らは自分の悪に無自覚になるずるさを持っているから、罪悪感に苛まれないで生きていられるが、いつかその罪悪感はうしろから首を絞めてくる。そこで自分が自分を苦しめていることに気付く人間はほとんどいなくて、大概の場合、誰かやなにかのせいにしてしまうものなんだよ」


 シャシエはピンク色の瞳をパッと明るくして、口元を緩ませた。


「お母さんも同じようなことを言っていました。それで、うしろから首を絞めてきた正体が自分自身だと気付いた人はどうなるんですか?」

「死ぬ」


 瞳の魔女はさもありなんと言った表情をしていた。シャシエの緩んでいた頬が引きつる。


「気付いた方がより人間で居られるけれど、反面それが自分をさいなむ。だから人は、群れたいのならずっと無自覚であるべきだし、人間でありたいのなら一人で居るべきなんだよ」


 瞳の魔女は、文房具の山を見つめた。

 文房具はガチャゴチャギチャグチャと震え始める。ゆっくりと山が崩れ、水が流れ出るように動き出した。それは家とは反対方向の、の街=オーグスへ向かっていた。


「わあ! なんですかこれは! お師匠さま凄いですね!」


 シャシエは流れていく文房具を見ながら、言うなりトンッと飛んだ。文房具の川に着地するとその上に座り、どんぶらこと揺れながら急流下りを楽しむ。晴れやかなる笑顔だ。まるで本当にここに太陽が在るような。


 瞳の魔女は最初手を上げて制止しようとしたようだったが、ゆっくりと降ろした。


「まあ、いいか」


 シャシエはどんどんと流されていく。


 瞳の魔女はきびすを返すと、そのまま家の中に入っていった。扉が閉ざされてから間もなく、屋根の煙突から煙がもくもくと立ち上り始める。それは肉とキノコの匂いをまとっていた。

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