瞳の魔女と空輝の歌唄いシャシエ

詩一

第一話 瞳の魔女

 私はふくろうである。名前は、ない方が自由に羽ばたけるだろうとひとみの魔女が言っていた。

 瞳の魔女の家からほど近い木に私は止まっている。出窓に置かれた花瓶越しに、よい色のローブにくるぶしまで包まれて安楽椅子に揺られる彼女の姿が見える。

 見上げれば銀河が広がっている。これらはすべて、太陽の残滓ざんし。太陽はここに辿り着く前に粉々に砕け散り星となり空に銀河を作り上げる。それがこの森に吸い込まれていくのでいつからかここは、銀色が帰る森と呼ばれるようになっていた。


 玄関付近に近寄ってくる一人の男が居た。またオーグス民だろう。夜に慣れていない彼らは、いつもビクビクしている。もしかしたら、理由は夜ではなく、瞳の魔女にあるのかも知れないが。


 ドアをノックされて出てきた魔女は不機嫌そうだった。蒼い瞳を鈍く曇らせて、相手の声を聞くより先にため息を吐いて見せた。そんな様子など気にもかけず、男は頭を下げる。


「瞳の魔女よ。お願いします。どうか街をお救いください」

「慌てるようなことではないと、以前にも言ったはずだ。帰ってくれたまえよ」


 扉を閉めようとする瞳の魔女の手を、男が押さえた。声を震わせながら懇願こんがんを続ける。


「そこをなんとか」


 魔女は諦観めいたため息とともに、魔女帽子の広いつばを摘まんで上げた。耳に掛かっていた長く蒼い髪がとろりと落ちる。瞳はより一層蒼を深めた。銀河の対岸のように底が抜けた暗闇。


「君は多分、三角定規になるね」


 男はその言葉に答えるより先に、三角形の薄い木になった。息を呑むよりも早く、吐き出すよりも緩やかな現象だった。まるで初めからそこに三角定規があったかのよう。これで何人目だろう。オーグス民が文房具化してしまったのは。


 芝生に張り付くように落ちたそれを拾いもしないで、彼女は扉を閉めた。




 それからまた別の人間が走って来た。少女だ。懲りもせず来るのはいつものことだが、それにしても間がない。


「すみませーん!」


 ドンドンドンドン! と扉を破るのではないかと言うくらいけたたましい打撃音を響かせながら、少女は魔女を呼んでいる。彼女の挙動に合わせて、短いピンクの髪が揺れる。


 扉を開けた瞳の魔女は、先にも増して不機嫌そうだ。


「瞳の魔女さんですよね!?」


 大きな声に、両端のつばを掴んで耳を塞いだ。少女は構わずずいっと前に出て、瞳の魔女の顔を覗き込む。


「わたし、シャシエって言います! 弟子にしてください!!」


 瞳の魔女は“面倒くさい”を顔に張り付けたまま、少女——シャシエの両肩に手を置いた。


「なるほど、今度は弟子と来たか」


 天を仰ぎ短く息を吐く。それから彼女の瞳を見返す。


「君はきっと——」


 魔女はそれ以上の言葉を紡がなかった。代わりにぎょっとして、それからぐっと睨んだ。そのまま食い入るように見つめ続ける。


「イタタタタッ」


 シャシエの声が瞳の魔女を我に返した。


「すまない」


 肩を掴んでいた指に、知らず力が入ってしまったようだ。


「い、いえ。それでその、弟子にして頂けますでしょうか?」


 瞳の魔女はしばらく考えるそぶりを見せ、それから踵を返した。

 首を傾げるシャシエ。短い髪がふるりと垂れる。


「入ってきなさい」

「え」

「ついでにそこの三角定規を持ってきて」


 シャシエはきょろきょろと辺りを見回した。すぐ足下にあるのだが、なかなか気付けない。

 彼女はパンッと両手を叩いて一呼吸ほど間を空けてから、「これかあ」と拾い上げた。


 家の中に入り勢いよく扉を閉めると、彼女のうしろ姿から草原の香りが駆け寄って来た。一度も見たことがない太陽だが、香りがあるとすればこのような匂いなのではないかと思った。

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