魔女に呪いをかけられました

 物心ついた時から、ずっと一人だった。



 いつもお腹が空いていて、毎日ゴミを漁り、申し訳程度に生えている雑草を食べ、汚泥を啜り生きながらえてきた。



 そんな生活をしている奴は、自分の周りには沢山いた。



 皆毎日飢えていて雑草一本すら取り合い、時には殺し合う。



 生きることに必死だった。

 隣で眠っていた奴が、次の日には冷たくなっていようとも無視して、ただただ必死で切なく鳴く腹の虫を宥めるために食べ物を探した。



 そんなある日、突然人相の悪い大人にに捕まって、暗い場所に閉じ込められた。



 抵抗すれば棒で体を強く殴られ、踏みつけられる。



 痛くて、苦しくて、怖くて、震えるしかできなかった。



 そんな日々が何日か続いたある日。



「こいつはもう駄目だな。売りもんにならん」



 声が聞こえたと思ったら、暗い場所から放り出されて、どこかの森に置いていかれていた。



 体のあちこちが痛くて、凄く熱かった。

 けれど反対に、体の真ん中辺りはどんどん冷たくなっていく。



 とても眠たくて、けれど目を閉じてしまえばもう二度と起きれなくてなってしまうと、本能で理解して。



 怖かった。誰でもいいから、助けてほしかった。

 けれど、誰も助けには現れない。



「何でこんな所に人の子が……?」



 もうダメだと思った時、声が聞こえた。



 必死で閉じそうになっていた目を開けば、視界に色鮮やかな赤が映る。

 それは目の前に立っていた女の髪だった。



「まあいっか。放っておこう」



 そう言って、その女は背を向けてしまう。



 ――いやだ、いやだ、おいていかないでっ!



「ぃ……な……で……」



 必死で声を上げる。

 いかないで、と。救いの手を求める。



 助けを求める声はちゃんと女の耳に届いたらしい。

 振り返った彼女の緑色の目と目があった。



「お前、綺麗な目をしてるね」



 まるで面白い玩具を見つけたような目を向けてくる。

 そして、こちらに近寄って地面に膝をついた。



「いいよ、気に入った。助けてあげる」



 甘く、優しい声が耳朶を打つ。

 その瞬間、冷えていたはずの体がカッと燃えるように熱くなった。



「けれど、飽きたら捨てちゃうからそのつもりでね」



 ゆるり、と女が緑の目を細める。



 どうしてかその瞬間、名前の付けられない激しい衝動が胸の奥から込み上げた。



 *



 物心ついた時から一人だった自分には、名前なんてものはなかった。

 自分と同じ境遇の者たちは皆そうだった。だから別にそれを疑問に思うことはなかったし、他人と関わるようなこともあまりなかったので、名前がなくとも別に困りはしなかった。



 名前を呼んでくれる人もできると思わなかったから。

 けれど……。



「そういえばお前、名前は?」

「…………え?」



 四日前に死にかけていた自分を助けてくれた人――リディアスがふと思い出したかのように、今日捕ってきたばかりの川魚を台所で捌いている最中にそう問いかけてきた。



 まさか名前を聞かれるとは思わず、暫し固まっていれば。



「あ、もしかして無いの?」



 こちらの反応に首を傾げながら尋ねられたので、首を縦に振る。

 すると少し困ったような顔になって、「そっかー」と呟く。



「べつに、なまえがなくても……」

「でも、町に連れて行った時に名前が無いと不便だし」

「じゃあ、リアさまに……」



 付けてもらいたいです、と言い切りる前に無理と断られた。ネーミングセンスが無いからと言って。



「お前は希望とか無いの? こんな名前がいいとか」



 そう聞かれて考えてみるが、パッと思いつくものはなかった。

 元々名前が無くても困らなかったし、欲しいとも思わなかったから、すぐにこれと思いつくものが無かったのだ。



「まあ、なにか適当に決めたら言ってちょうだい」



 そう言って、リディアスは魚を捌き終わるとふらっとどこかへ行ってしまった。

 自分も台所から出てリビングへと行き、ソファに腰かける。



「なまえどうしよう……?」



 じっと床を眺めながら考える。



 名前を付けるなら、短くて言いやすいものがいいだろう。

 あまり長い名前だと忘れてしまいそうだ。



 うんうんと唸りながら暫し考えていたら、ふとリディアスの顔が思い浮かんだ。

 彼女のフルネームは、リディアス・オルセット。そこから少し名前を貰って。



「そうだ、でぃおにしよう」



 短くて言いやすく、尚且つ自分も覚えやすい。



 これがいいと、一人よしよしと満足していたら「ただいま」と言ってリア様が帰ってくる。



「おかえりなさい、りあさま! それからなまえ、でぃおにきめました!」

「ただいま。ディオね。覚えやすくていい名前ね」

「ありがとうございますっ」



 この日から自分は、ディオになった。



 そうしてリディアスに助けられてから、半年もの月日が経った。

 この半年の間に、彼女がどういう存在なのかを教えられた。



 魔女。魔法という奇跡の力を使い、人間よりもずっと長い時間を生きる。

 それ故に人間たちからは時に敬われ、時に畏怖され、時に恐怖され、時に排斥の対象となるのだと。



 教えてもらった時、なんて人間は愚かなのだろうと思った。



 確かに魔法という奇跡の力は凄いだろう。

 その力のおかげでディオは生き延びられ、栄養不足で小さかった体は今までの遅れを取り戻すかのように成長している。



 リディアスがいたからこそ、今怪我の後遺症も無く元気に動き回れているのだ。

 だから感謝し敬うことはあっても、決して怯えることはしない。



 確かに常人では理解できない力を使う魔女は怖いのかもしれない。恐ろしいのかもしれない。

 だけれど、魔法という奇跡の力を使える存在であろうと心はある。

 他者に対して淡白な部分は確かにあるけれど、理不尽に力を払うことはない。

 個人差はあるかもしれないが、リディアスから聞く他の魔女たちの様子からして、弱者を甚振って楽しむ趣味を持つ者はいないのだ。



 なのに一体どうして人は魔女たちを恐怖し、排斥しようとするのか。



 付き合い方さえ間違えなければ、きっと誰よりも心強い味方となるだろうに。



「ねえ、ディオ。買い物に行くから付き合って」

「はい、リア様!」



 彼女に名前を呼ばれ、ディオはいつものように元気よく応えた。



 *



 ここ最近、リディアスはディオの姿を見る度に「人の成長って早いわよねぇ」と、少し遠い目になりながら呟いている。

 それを聞く度、ディオはいつも首を傾げる。



 確かに昔よりも肉が付き、背も伸びた。今ではリディアスよりも頭二つ分は高い。

 けれど、ここまで育つのには六年もの歳月がかかったのだ。



 だからディオは、これが普通ではないかと思う。

 しかしそれをリディアスはとても早いと思っている。

 やはりリディアスは魔女なだけあって、人間であるディオと時間の感覚が違うらしい。

 これ以外でも、ちょっとした会話の中でそういうことを強く感じることが多々あった。



 その度に、何故かディオの胸は鈍く痛む。



 病気というわけではない。健康管理はリディアスがしっかりと行っていてくれているし、病気の予兆があれば魔法で治癒してくれるからだ。

 持病や昔に負った怪我の後遺症なども、綺麗に治してくれている。



 病気でも怪我でもなければ、この痛みは一体何なのか。



 疑問に思えども、その答えを知りたくないと思う自分もいる。

 リディアスの隣に立ち、出会った時と全く変わることのない彼女の姿を見る度に、その気持ちは強くなる。



「ディオってば大きくなりすぎじゃない?」

「そうですか? リア様が少し小さいだけでは」

「私、これでも人の女の平均とそう変わらない大きさよ」

「えー」



 台所で二人並び立ち、そんな些細な会話をしていればずきりと胸が鈍く痛む。



 赤い髪の艶やかさも、緑の美しい瞳も、シワ一つ無い整った顔も。

 緩やかに少しずつ変わっていくディオと違って、決して変わりはしない。



(僕はこの人をいつか置いていくんだろうなぁ)



 奇跡の力さえ覆すことの不可能な定めが、彼女とずっと共にいることを許してはくれない。



「リア様、材料切り終わりましたよ」

「ありがとう。それじゃあ、ちゃちゃっと魔法で軽く火を通してお鍋の中にぽーん!」

「いつも思うんですけど、そんな勢いよく具材入れてなんで鍋の中身溢れないんです?」

「私を誰だと思っているの。魔女のリディアスよ。お鍋の中身が溢れたり、焦げたり、腐ったりしないように魔法をかけているに決まってるじゃない」

「本当に便利ですよね魔法って。なんでもできちゃうんですから」



 それをよく分かっていながら、縋ろうとする自分がいる。

 隣に立つ彼女は、そんなディオの内心に気がついているのかいないのか。

 なんでもできると茶化すように笑えば、いつも決まってとても傷ついた顔をする。



「……なんでもは、できないわ」

「はい? なにか言いましたか?」

「いいえ、なにも言ってないわよ」



 その後の消え入りそうな小さな呟きもいつもと同じ。

 それを聞こえなかった振りをする自分もいつもと同じ。



 ずきり、ずきり、と胸が鈍く痛む。

 どうしようもないくらいに、泣きたくて堪らなくなる。



 それらをグッと耐えて笑う。

 隣に立つ彼女に、心配をかけてしまわぬように。



(僕はいつまで……)



 ――愛した人の隣にいられるのだろうか。



 ふとした瞬間湧き出た不安は、心の奥底に追いやった。



 *



 その日はよく晴れた、気持ちの良い日だった。

 朝の空気は清々しく、朝露が日の光に当たってキラキラと輝く。



 せっかくだから朝食は庭で食べようと、サンドウィッチを作り、布を敷いてそこに座って食べる。

 食べ終わった後暫くのんびりしていたら、まるで明日の天気を話すような気軽さでリディアスがディオに言った。



「君の養子縁組が決まったよ」



 一瞬、何を言われたのか分からなかった。理解したくなかった。



「いま……なん、て……?」



 言われた言葉の意味をようやく飲み込んで、けれどそれを受け入れたくなくて、否定ほしくて問いかけた。

 しかし、そんな希望はあっさりと潰された。



「君の養子縁組が決まったよ」



 リディアスは笑みを浮かべ、もう一度先程と同じ言葉を一字一句丁寧に繰り返す。



(ど、して……)



 ギュッと胸の辺りが締め付けられたように痛む。

 目がじんと熱くなり、じわりと視界が滲む。

 自分は捨てられるのだと理解した時、両目から透明な滴が零れ落ちる。



「僕はもう、いらないんですか」

「うん、いらない」



 さらりとなんでもないような顔をしながら、リディアスが答える。

 その迷いの無い答えに、ドロドロとした感情が胸の奥底から溢れ出す。



「どうして……どうしてですか、リア様! 一体僕の何が気に入らなかったんですか!? 何がダメだったんですか!? 教えてください! 必ず治します、治しますからっ……!!」

「あの時、言ったでしょう? 飽きたら捨てるって」



 言い終わるや否や、彼女に抱きつく。

 腕を背中に回して、ぎゅうぎゅうと強く抱き締めた。



「……いやだ。いやです。なんでもします。貴女の望むことなら、なんでもしてみせます。叶えてみせます。だから、だから――ぼくを、すてないでぇっ……」



 みっともなく泣きながら懇願し、肩に顔を押し付ける。



「すき、なんです。……あいして、いるんです。だから、だから、すてないで。ぼくを、あなたのそばにおいて」



 きっと今の自分はもうしようもなく情け無いだろう。

 恥をかなぐり捨てて、ただただ捨てないでほしいとしがみつく。



 馬鹿なことをしているとは分かっている。

 こんな風に泣き喚いて縋って、恩人を困らせるなんてしてはいけないことだと。



 けれど、好きになってしまった。

 女々しく懇願するくらいに、愛してしまった。



 彼女の隣にいるだけで幸せだった。

 それ以外に欲しいものなんてなかった。

 いつかこの先、別れる日が来るとしても最期までそばにいたかった。



 けれど……。



「私は貴方のことなんて、嫌いよ」



 愛した人に拒絶された。

 お前などいらないと、伸ばした手は簡単に振り払われた。



 絶望が心を満たす。

 涙で歪んだ視界に、するりと自分の腕から抜け出たリディアスのいつも通りの笑みが見える。



「さあ、支度をしてちょうだい」



 その言葉に、変わらぬ笑みに、絶望とそれ以外の強い感情がディオの思考を支配する。



(そばに置いてくれないと言うのならいっそ……)



 ――この手で、彼女を殺してしまおうか。



 *



 その日の深夜、ディオはリディアスから貰った剣を鞘から抜いて、月明かりによって曇り一つない刀身が銀色に光る。

 飾り気一つない無骨な見た目ではあるけれど、とても頑丈で切れ味が良く、一度たりとも刃こぼれしたことがない。

 それに加えて守護の魔法の力が込められている。



 魔法の力が込められた道具や武器防具は貴重だ。

 ほんの些細な魔法の力が込められたものでも、数十年は遊んで暮らせるような値が付く。



『外は危険だから、これで身を守りなさい』



 しかしリディアスは、そんな貴重なものを躊躇うことなくディオに与えてくれた。

 売ればきっと城の一つくらいは買えるだろう代物を、「ディオのために作ったから」と言って。



 彼女は知らないだろう。こちらの身を案じて態々剣を作って与えてくれたリディアスに、ディオがどれほど喜びに打ち震えたのかを。



 ディオは孤児だ。物心ついた時には、既に一人でいて親兄弟はおらず、友達や仲間と呼べる相手だっていなかった。

 だから身を案じてくれる人は誰もいなかったし、無償で何かを与えてくれる人もいなかった。



 しかしリディアスだけが、ディオの身を案じてくれた。無償で、対価無しに様々なものを与えてくれた。



 それだけのことがどれほも嬉しかったか。

 たったその程度のことが、どれほど胸を震わせたか。



 ずっと彼女の隣にいたいと思った。

 彼女の隣に立つのに、相応しい男になりたいと思った。



 好きだった。

 もうどうしようもないくらい、好きになって、愛してしまった。



 けれど、拒絶された。

 もういらないと、嫌いなのだと、そう言われて。

 その時初めて、身を焦がすほどの憎悪をリディアスに抱いた。



(そばにいていいと言ってくれないくらいなら、殺す。殺してやる)



 気配を殺してリディアスの眠る部屋へと入る。



 すやすやと穏やかな表情で眠っていたリディアスは、ディオの気配に反応してか、気怠げに閉じていた目を開ける。

 緑の目がディオの姿を映す。それから右手に持つ剣へと視線が映り、その顔をゆるりと笑みの形に変えた。



「私を殺しに来たのね。命の恩人に対して酷いじゃない」



 あっけらかんと言い放った彼女の腹に、深く剣を突き立てる。



 いつも余裕の表情を浮かべている顔が、苦痛に歪む。

 傷口から血が溢れ、リディアスが咳き込むとその口から真っ赤な鮮血が零れ落ちる。



 そんな彼女の姿にひどく満たされる。

 もっと苦しめばいいと思った。



 リディアスは魔女だ。

 だから、今ディオがつけた傷程度では簡単に魔法で治せてしまうし、魔法による反撃だって行うだろう。



 しかし、ディオは拾われてから六年間リディアスと共にいて、ずっと彼女の魔法を見てきた。

 故に彼女が攻撃系の魔法を得意としていないことや、回復系の魔法を得意としていることをよく知っている。

 魔法が使われる時の独特な気配も、しっかりと記憶している。



 だから対処は可能だと思っていた。

 たとえ魔法で反撃されたとしても、問題は無いと。



 けれど、一向に魔法が使われる様子がないことを訝しげに思いリディアスの方を見れば、どうしてかとても穏やかな笑みを浮かべていた。

 まるで自身の死を受け入れ、待ち望んでいるような、そんな笑み。



「どう、して……」

「魔法を使わないのか、かしら?」



 問いかければ、リディアスは苦痛に顔を歪めながら起き上がる。



「なんで、かしらね?」



 困ったように苦笑して、呟く。

 その声音は、殺されかけているとは思えないほどに穏やかで、とても優しかった。



「不思議と、貴方になら殺されてもいいかもって……思っちゃったからかしら?」



 ひゅっ、と喉が鳴った。



(殺されてもいいかもなんて、それってまるで……)



 どくどくと心臓が早鐘を打つ。

 喉が酷く乾いて、ごくりと唾を飲み込む。



「……いいえ、違うわね」

「りあ、さま?」



 期待した言葉は紡がれず落胆した時、リディアスがディオに向かってその白く細い手を伸ばしてくる。

 それに困惑しながらもつい条件反射で床に膝をつけば、クスクスと笑いながらリディアスはディオの頬をするりと撫でた。



「すきよ」



 発せられた言葉に一瞬呼吸を忘れた。



「すき、すきよ、ディオ」



 愛おしげに名を呼ばれ、抱き締められる。



「あいしてる、わ」



 彼女はディオに口付け、言った。



 ――愛してしまったのだから、その責任を取りなさい。



 その言葉を最期に、リディアスは事切れた。



「ばか、だなぁ……」



 力が抜け、ずしりと重くなったリディアスだったものを強く強く抱き締める。



「ほんとうに、ばかだなぁ……」



 なんで酷い人だろうと、心の中で罵る。

 拒絶しておきながら、最期に愛していると伝えるなんて。



「僕も貴女が好きでした。愛して、いました」



 もう聞こえないとは分かっていながら、耳元で囁いた。



 そして、足元に落ちている剣を拾って胸に突き立てる。

 願わくば、『次』があれば今度こそ共にあれるように。



 ――こうして魔女に呪われた男は、自ら命を絶ち愛した魔女の後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女は呪いをかけました いももち @pokemonn1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ