魔女は呪いをかけました

いももち

魔女は呪いをかけました

まず人が入って来れないような、凶暴な肉食獣や恐ろしい魔物が跋扈する森の奥深くで、リディアスはソレを見つけた。



「何でこんな所に人の子が……?」



 首を傾げつつ、リディアスは目の前で今にも生き絶えそうな程に衰弱しきった五、六歳くらいの子どもをしげしげと見つめた。

 その子どもは骨が浮き出るほどに痩せており、まとっている服はあちこちが破れていて、体中傷だらけだった。



 このまま放っておけば、獣や魔物に食われて死ぬだろう。いや、それよりも前に傷のせいで死んでしまうかもしれないが。



「まあいっか。放っておこう」



 目の前の子どもが死んだところで、リディアスは痛くも痒くもない。



 なので、子どもに背を向けて見捨てて行こうとしたのだが。



「ぃ……な……で……」



 今にも消えそうな小さな声を聞き、後ろを振り返った。



 ばちり、と宝石のような紫色の目と目が合う。



「……お前、綺麗な目をしてるね」



 その目に惹かれて子どもの側へと行き、地面に膝をつく。



「いいよ、気に入った。助けてあげる」



 まるで恋人に向けるような甘く、優しい声で言葉を紡ぐ。



「けれど、飽きたら捨てちゃうからそのつもりでね」



 そう言って、ゆるりと緑の瞳を細めた。



 *



 リディアスは魔女である。

 それも数百年の時を生きてきた、それなりに力のある魔女だ。



 魔法という只人では扱えぬ超常の力を操り、様々な奇跡を起こす。

 そして魔法を操る者を人々は、男を魔法使いと呼び、女は魔女と呼ぶ。



 魔法はとても強い力だ。

 巨大な建物を僅かな時間で作り出せたり、何も無い場所から水や火を生み出せ、傷や病に苦しむ者をたちまちに癒すことができる。



 それ故に魔法使いや魔女たちは人々から時に敬われ、時に畏怖され、時に恐怖され、時に排斥される。



 リディアスは、時の流れによって人々から排斥された魔女の一人だった。



 だからリディアスは、人の寄り付かない森にひっそりと家を建て、時折魔女ということを隠して森の近くにある町や村で生活雑貨などを手に入れながら、静かに一人で暮らしていた。



 けれど半年前から、リディアスの家にはもう一人の住居者が増えた。



「ねえ、ディオ。買い物に行くから付き合って」

「はい、リア様!」



 リディアスが声をかければ、元気よく応えながら駆け寄って来たのは、森で死にかけていたところを助けてやった子ども――ディオだった。



 助けた当初、骨が浮き出るほどに痩せていたが今はふっくらと年相応の肉が付いていて、ボロボロだった服は綺麗な白いシャツと黒いズボンへと変わり、傷だらけだった体は魔法によって傷痕一つ残っていない。



 そんな彼は、自分を助けてくれたリディアスにとてもよく懐いた。

 犬の耳と尻尾の幻覚が見えるくらいに懐いた。

 今ではすっかりリア様呼びが定着している。



「きょうは何を買いに行くのですかリア様」

「そうねー、ディオの新しい服かな」

「?ちょっと前にも買ってもらいましたよ?」

「……人間の子どもって、成長がかなり早いらしいから」



 純真無垢な眼差しを向けてくるディオを見て、リディアスはつい遠い目になった。



 半年前、ディオは本当に小さかった。その見た目から五、六歳程度だろうと思っていたのだが、魔法でしっかりと怪我を治し、肉と栄養の足りていない体が哀れで特製の栄養剤を与えてみたところ、たった半年で身長が伸び、十歳前後に見えるくらいには体が成長した。



 そこでリディアスは気がついたのだ。栄養が足りなかったせいで実年齢よりもずっとディオは幼く見えていたのであろう、と。



 そんな予想を裏付けるように、未だに彼はぐんぐんとその身長を伸ばしている。

 栄養が豊富に与えられているのと、実年齢が見た目とそぐわないからだろう。

 話す言葉も、少々幼稚だがだいぶしっかりしたものであったし。



(この子、本当に実年齢いくつなんだろう? 本人に聞いても分からないらしいし、実は十代前半だったりして……)



 そこまで考えて、リディアスはニコニコと笑いながら自分の隣を歩くディオを見て、改めて誓った。



 ちゃんとしっかり肉と栄養があるものを食べさせてあげよう、と。



 ――たった半年ですっかり絆されてしまったなぁと、苦笑を浮かべながら。



 *



 人の成長というのは本当に早い。



 自分の頭二つ分は上にある顔を見上げつつ、リディアスは乾いた笑みを浮かべた。



「ディオってば大きくなりすぎじゃない?」

「そうですか? リア様が少し小さいだけでは」

「私、これでも人の女の平均とそう変わらない大きさよ」

「えー」



 台所に二人並んで立ちながら、そんなことを話す。



 あれからさらに六年の月日が経った。

 ディオの身長はぐんぐんと伸び、今では立っていると見上げて話さねばならないので少々首が痛い。



(それにしても、随分な色男に育ったわよね〜)



 ぐつぐつと煮立つ鍋を時折おたまでかき混ぜつつ、隣で肉や野菜を切っているディオを盗み見る。



 細く指通りの良い鎖骨まである銀の髪、少し垂れ気味の目は宝石のような紫色の瞳。

 まるで精緻に作られたような人形のごとき美貌には、絶妙なバランスで各パーツが配置されている。

 一見細身に見える体には、程よく筋肉がついていて男らしい体つきだ。



 そんな彼は、森の近くにある町や村に行く度に年若い娘たちからキャーキャー言われていて、凄まじい秋波を送られている。

 うっかり告白の現場に居合わせてしまった回数は、両手の指では足りない。

 大人気過ぎて時折渡されるプレゼントの中には、ちょっとあんまりよくないお呪い――心を操るものや、命に関わるようなものなど――がかけられたものがあるほどだ。



 そんな女性たちから大人気な色男ディオの隣を歩くリディアスは、いつも殺意の高い視線を向けられている。

 実害が無い限り放置しているが。



「リア様、材料切り終わりましたよ」

「ありがとう。されじゃあ、ちゃっちゃった魔法で軽く火を通してお鍋の中にぽーん!」

「いつも思うんですけど、そんな勢いよく具材入れてなんで鍋の中身溢れないんです?」

「私を誰だと思っているの。魔女のリディアスよ。お鍋の中身が溢れたり、焦げたり、腐ったりしないように魔法をかけているに決まってるじゃない」

「本当に便利ですよね魔法って。なんでもできちゃうんですから」



 ディオの言葉に、鍋を混ぜていた手を止める。

 じくり、と胸の辺りが鈍く痛んだ。



「……なんでもは、できないわ」

「はい? なにか言いましたか?」

「いいえ、なにも言ってないわよ」



 首を傾げるディオに、リディアスはいつも通りに笑ってみせた。



(なんでもは、できないの。できないのよ、ディオ)



 そうたとえば――人間である貴方の寿命を伸ばすとか。



 じくり、じくりと、胸の辺りが鈍く痛む。



 ディオの成長した姿を見る度に、笑いかけられる度に、共に過ごす穏やかな時間を思い返す度に。

 いつまで彼がこうして自分の隣にいてくれるのだろうかと、考えてしまう。



 ディオはもう立派な青年だ。

 正確な歳は分からないけれど、見た目からおそらく十代後半。

 まだまだ若いと、彼の姿を見て多くの者は言うだろう。しかし、リディアスは違う。



 リディアスは、魔女だ。見た目は二十歳前後の娘だが、人間よりもずっとずっと長い時間を生きている。

 その長い生の中で、幾度も親しい人間を見送った。そして今度は、今隣で無邪気に笑う彼を見送ることになるのだ。



 無力だ、と思う。



 魔法は確かに奇跡の力だ。

 けれどしかし、決して万能ではない。死者を蘇らせることも、定められた命の期限を変えることもできはしない。



(そろそろ潮時なのかなぁ……)



 鍋の中身を皿へと移しながら、小さく溜息を吐いた。



 美味しいですねと笑う彼の姿に頬を緩めながら、本当に随分と絆されてしまったなと自嘲して。



 *



 その日はよく晴れた、気持ちの良い日だった。



 せっかくだからと、サンドウィッチを作り庭で朝食を食べて暫く食休みをした後、リディアスは隣で満足そうに腹をさするディオに、まるで明日の天気を話すように何気ない口調で言った。



 君の養子縁組が決まったよ、と。



「いま……なん、て……?」



 呆然としながら、こちらを見つめてくる紫色の瞳に宿る驚愕と深い悲しみの色に気づかないフリをして、笑みを浮かべた。



「君の養子縁組が決まったよ」



 もう一度、一字一句丁寧に言葉を紡ぐ。

 途端、ディオはその綺麗な瞳からはらはらと涙を溢した。



「僕はもう、いらないんですか」

「うん、いらない」



 ズキズキと痛む良心を抑え込み、はっきりと告げた。



「どうして……どうしてですか、リア様! 一体僕の何が気に入らなかったんですか!? 何がダメだったんですか!? 教えてください! 必ず治します、治しますからっ……!!」

「あの時、言ったでしょう? 飽きたら捨てるって」



 言い終わるや否や、ドンっという衝撃がリディアスの体を襲った。

 そして二本の腕が背中へと回り、まるで幼い子どものようにぎゅうっとリディアスを強く抱き締める。



「……いやだ。いやです。なんでもします。貴女の望むことなら、なんでもしてみせます。叶えてみせます。だから、だから――ぼくを、すてないでぇっ……」



 まるで幼子のように嫌々と首を横に振り、グリグリと顔を肩へと押しつけながら、涙で濡れた声で懇願し縋り付いてくる。



「すき、なんです。……あいして、いるんです。だから、だから、すてないで。ぼくを、あなたのそばにおいて」



 みっともなく声を震わせて、離さないとばかりにぎゅうぎゅうと強くリディアス抱き締めるディオの姿に、ぐらりと決意が揺れる。



 はくはくと、まるで魚のようにリディアスは口を動かしたが、言葉は出なかった。



 離れたくない。願わくば、最期の瞬間まで一緒にいたい。



 いつから、そんな風に思うようになったのか。



(こんなに絆されるなんて、馬鹿みたい)



 リディアスは魔女だ。

 決して、人間と同じ時を生きてはいけない。

 ディオもただの人間であるから、リディアスと同じ時を生きてはいられない。



 最初から分かっていた。

 だからこそ、これ以上余計な感情を抱く前に手放すのだ。



 年老いて刻一刻と死へと向かっていく彼の姿を見ながら、歳をとらない自分の姿を鏡で見て、残酷な現実と向き合い続けるのは嫌だったから。



 そしてなにより、自分一人だけ老いていく辛さを彼に味合わせたくなかったから。



「私は貴方のことなんて、嫌いよ」



 涙に濡れた瞳が、絶望の色を宿しながらリディアスを映す。

 背中に回された腕から力が抜けたのを見て、するりとリディアスは彼から離れて、いつも通りに笑う。



「さあ、支度をしてちょうだい」



 いつものように、無邪気な返事は返ってこなかった。



 *



 その日の深夜。側に人の気配を感じて、リディアスは浅い眠りから目覚めた。



 気怠げに目を開けば、正気の無い顔をして寝台の横にディオが立っていた。

 その右手には、窓から入る月の光を反射してギラリと光る抜身の剣が握られていた。



 それは、リディアスが護身用にと用意した守護の魔法の力が込められたものだった。



 ディオは魔女であるリディアスと違い、ただの人間だ。

 凶暴な肉食獣や魔物が跋扈する森の中での生活で、いつ何時危険に晒されるか分からない。それに、危険は森の中だけではない。

 森の外でも、夜盗やら盗賊やらの危険がある。



 だからもしもの時に身を守れるようにと、作ったのだ。

 いつか自分の元から彼が離れた時、彼を守ってくれるようにと。



 それを彼が今、持っているということは――。



「私を殺しに来たのね。命の恩人に対して酷いじゃない」



 返事の代わりに、剣が腹へと突き刺された。



 身を焼くような激痛が全身を駆け巡る。

 ドクドクと心臓が脈打つのに合わせて、血が傷口から流れて行くのが分かる。

 喉の奥から何かが迫り上がってきて、堪らず咳き込めば口から鮮血が溢れた。



 このまま何もせずにいれば間違いなく、自分は殺されるだろう。

 だがしかし、リディアスは何もしなかった。反撃や傷口を治癒するために、魔法を使わなかった。……使おうと、思わなかった。



「どう、して……」

「魔法を使わないのか、かしら?」



 動揺したのか、腹から剣が抜かれる。

 口から血を吐きつつ、痛みを堪えながら寝台から起き上がった。



「なんで、かしらね?」



 呟いて、リディアスは思わず苦笑した。



 本当に、自分でも分からなかった。

 どうして魔法を使わないのか。使おうと、思えないのか。



 使わなければ、間違いなく自分は殺されるのに。助けてやった恩を仇で返される形で。



「不思議と、貴方になら殺されてもいいかもって……思っちゃったからかしら?」



 言葉にして、ああそうかと納得する。



 自分は彼に、ディオに殺されてもいいとそう心の底から思ってしまったのだ。

 彼の手によって、この長い人生に終止符を打たれるのも悪くはないと。

 誰かに殺されるのが怖くて、人の寄り付かない森に移り住んだというのになんて愚かなんだろうと、自分自身を嘲笑った。



 リディアスは、かつて人々から排斥された魔女の一人だった。



 その当時、魔宝石と呼ばれる魔力を宿した宝石を使った魔法道具が数多く生み出され、その中にはもちろん戦争などに使うための殺傷能力の高い強力な魔法道具もあった。

 そんな物が生み出され、普通の人間でも魔法が使えるようになった時、魔法使いや魔女たちを殺すために動いた国や人間が大勢いた。



 魔法使いや魔女たちは、人間たちにとってまさに異物。恐怖の対象だった。

 だからこそ、対抗し得る手段を手に入れた瞬間彼等は牙を向いた。

 そうして起こったのが、魔法使いや魔女たちと人間たちとの大規模な戦争。

 その戦争によって多くの命が失われた。リディアスと親しかった物たちも、その戦争によって半分以上亡くなってしまった。



 リディアスは、その時初めて死に対して強い恐怖を抱いた。

 あまりにも無惨な姿へと変わり果ててしまった、親しかった者たちの姿に、自分はあんな風になりたくないと強く思ったのだ。



 だから、戦争が魔宝石の著しい減少によって幕を下ろした後、人との交流を極力絶った。

 そうして自分が他者に殺される可能性を下げたのだ。

 死ぬのならば、かつての親しかった者たちのような無惨な死ではなく、穏やかな眠るような死を迎えたいと。そう、願って。



 それが今はどうだ。

 目の前の男に殺されてもいいだなんて、心の底から思っている。



(本当に馬鹿みたい。誰かの手で死にたくないから、ここまで逃げてきたのに)



 離れる時を見誤ったと、リディアスは苦笑した。



 まさかここまで、絆されていたなんてと。



「……いいえ、違うわね」

「りあ、さま?」



 困惑した表情を浮かべるディオに、リディアスが手を伸ばぜ、彼は困惑の表情はそのままに床に片膝をついた。

 変わらぬ忠犬振りにクスクスと笑いながら、彼の頬をするりと撫でた。



「すきよ」



 驚愕に見開かれた紫の瞳を真っ直ぐに見つめ、微笑んだ。



「すき、すきよ、ディオ」



 名前を呼び、固まったまま動かない彼を抱き締める。



 彼と過ごす穏やか時間が好きだった。

 彼の宝石のような紫の瞳が、キラキラと輝くのをみるのが好きだった。

 リア様、リア様と、名前を呼びながら無邪気に懐いてくる姿が好きだった。



 彼の全てが、好きだった。いつの間にか、どうしようもないくらいに愛していた。

 それをいつか後悔する日が来るのではないかと怯えて、心の奥底にしまい込んで蓋をしたけれど。

 一度取り出してしまえば、止まらない。止められない。


 だから、貴方に決して解けない呪いをかけましょう。

 好きだと、愛していると、言ってくれた貴方へ。



 自分以外の誰かへ、目移りしてしまわぬように。魂を縛り付ける。



「あいしてる、わ」



 そう言って、彼に口付けた。



 酷い結末だ。あまりにも。ハッピーエンドからは程遠い。



 けれど、リディアスは魔女なのだ。人々から排斥された嫌われ者の。

 だからこそ、物語のようなハッピーエンドなんて迎えられないと分かっている。世界はとても残酷だから。



 呪いをかけよう。決して解けない、呪いを。

 今度は、お互いただの人間同士で出会えるように。

 再び出会えた時に、一方的な別れに怯えぬように。



 ――愛してしまったのだから、その責任を取りなさい。



 その言葉を最期に、魔女は死んだ。

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