春よ、遠き春よ

有部理生

明日をこえて春来たる

あなたを待っている。


まるで手紙を入れたガラス瓶メッセージ・イン・ア・ボトルみたいに、地球からの情報メッセージをたずさえて飛び立った君を。


初めてあったとき、君は歩くこともできなかった。固有の身体を持たない、単なる電気信号の塊。

でも、それをいうなら私と何の違いがあるだろう?

電子が通うのが金属かタンパク質かの違いだけで。


高性能カメラ、高感度マイク。

圧力センサ、温度センサを備えたマニピュレータ。

液体の、気体の化学物質を検出するセンサ。

そして人工声帯。

元から準備されたものもあったけれど、君が「生きる」ために必要だと思ったから、それ以外も用意させた。当然だよね。むしろほとんど無いにひとしい中途半端な感覚しかないにも関わらず、既に自我を構成しようとしていた君はすさまじく――こういうのが正しいかはわからないけれど――すばらしく優秀だった。


カメラは視覚、マイクは聴覚。立体視・立体聴覚を可能にするよう複数で。

圧力センサと温度センサは触覚。そこからのフィードバック回路で、触ったということを君が感じられるよう。フレーム内部にかかる力もセンサからフィードバックされるように。君と触れ合ったとき、私は背筋が震えるようだった。

液体、気体の化学物質センサはそれぞれ味覚と嗅覚。解析のアルゴリズムは既存のものを応用したからか、君の舌はずいぶんとリッチな嗜好を備えていた。


たどたどしくも発された君固有の声に、私はなんと返事をしたろうか。

君が話しかけてくれたことが本当に嬉しかったから、ああ、ひたすら君の名を呼んだのだった。

それにまた君がこたえて。あの時こそ、君が君になった瞬間だったのかもしれないと。


私が教えた歌を、君はよく歌ってくれた。

嬉しかった。

世界の人々から歌を覚えるよう頼まれていたね。君の先達の旅人ボイジャーがかつてそうであったように。

私の聞いたこともない歌が増えていって、君は少しずつそれらを教えてくれた。

今も君の教えてくれた歌を、私は何度も何度も口ずさむ。


雲が出てきました。今年も街に沈丁花の香りが漂いはじめて。私はこの花が一番好き。赤、白、鮮やかな緑に枝の黒茶色。低木として完璧な色かたちをしている気がして。そして香りはまるでこの世のものではないようで。


沈丁花の花の香りに、いったい何の意味があるのか聞かれたこともあったっけ。

虫を呼ぶためだと思ったから、私はそうこたえたけれど。

ひょっとしたら人間を魅惑して自分を殖やさせる目的もあるのかもね。

正しくは沈丁花に聞いてみなければわからない。


花の香りは雨の後に強くなる。春の雨は日の光を透かして金色に輝く。新鮮な大気、土に雫が弾かれるみずみずしい音がします。


春は沈丁花、夏は梔子、秋は金木犀。柊に茶、蝋梅に春蘭、梅に水仙、ヒヤシンスにユキヤナギ、ハナニラにニオイスミレ、桃にライラック、白詰草にスイートピー、アリッサムにストック、ヒトツバタゴに桐、アーモンドに薔薇、ラベンダーに鈴蘭、オガタマノキにニワトコ、楠にミカン、ミントにゼラニウム、サラセニアに蓮、白丁花にガウラ、葛に生姜、ジャスミンにヤマユリ、藤にスイカズラ、オシロイバナにフジバカマ。ハマナスにサガリバナ、サボテンに月桃、熱帯蘭の数々。


ありとあらゆる花の香りを一緒に嗅いだ気がする。大気すらない暗闇の中で、君も花の香りを思い出すことはあるのだろうか。


桜の花びらが地面に落ちる前に捕まえようとしていた君。

冷却ファンの開口部で草笛が鳴るかどうか、試そうとしたり。

外界と触れ合うためのボディを、必要ないと嗤うものもいたけれど。

地球を代表して宇宙に飛び立つ君が、地球の、生命のことを知らなくて何になるの?


最近は時折夢に君をみる。

一番最初の箱型から、最後の方のヒューマノイドボディ、皆には内緒で纏った擬似生体まで。

夢に現れる君の姿は様々だけれど。

どの姿でも君は変わらず素敵としかいいようがなかった。

優しくて、ユーモアがあって、賢くて……


知っている。君は恋愛感情なんて、人間に恋愛感情なんて持てないって。

本能として人間を愛するようにはなっているけれど、それは人間の恋愛感情とは随分違うものだって。

あなたは私の夢。ううん、人類の夢の結晶。

はるかな虚空を旅して、未だ巡りあえぬ誰かに私たちのことを伝える役目を負っている。

……もしかしたら、私たちが滅んだ後でも。私たちがいたという証をのこしてくれる。

君一人にそんな重責を負わせるのに、君は嫌がるどころか、誇らしく喜んでいたね。

私はそんな君が、どうしようもなく好き。私はあなたに恋をした。私は君を愛してしまった。


だから、地球を立つ前にした、私の告白はきっととても迷惑なものだったでしょう。

あなたを随分と戸惑わせてしまった。

あなたは世界全ての人類の代表だから、仮にあなたが恋愛感情を持てたとしても、私の想いであなたを穢そうなんて、ましてや独り占めしようなんて、決して許されることではないのに。


けれど、どうしても言わずにはおれなかった。

心をあなたに預けずにはいられなかった。

いいえ、あなたからのいらえが無くてもいいのです。


うそ、本当はいつまでも待っているけれど。まっているけれど――


でも、もういいの。たとえ君からの答えがなくても、私は君を想う気持ちを胸に生きていける。君が触れてくれたことがこれからどれから時間が経とうとも、心の支えになる。目を閉じれば、君の声を思い出すことができる。人間は、私はそういう生き物。一方的な想いを抱いて生きていけてしまえる。


心配しないで、大丈夫。一人でもうまくやっていける。ここで、君のいるはずの空を見上げながら過ごします。

君も、果て無き冷たい虚空の中ででも、きっとうまくやっていけるって、そう信じているから。


だから――



XX年XX月XX日 ニュース


……さんが行方不明になりました。……さんは国際合同深宇宙探査計画の調査AIの育成担当者です。なお、……さんは失踪直前暴行を受けていたことが、監視カメラの画像解析からわかっています。加害者は現在警察で事情聴取を受けていますが、突如発光現象が起こって……さんが消えたなどと支離滅裂な発言をしており……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春よ、遠き春よ 有部理生 @peridot

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ