第30話 嵐の後の…

「忙しい所呼び出しちゃってごめんね」


 内沢先輩も石山先輩もまだ発表用に着ていた着物姿のままだった。


「いえいえ、大丈夫ですよ」


 茶室へ上がると内沢先輩は茶の間に通された。石山先輩がお茶を用意しようとしてくれたけど、今日は活動日でもないのでやんわりと断った。

 CDのこと、どう話すべきか。まさか割られたなんて馬鹿正直に話すことはできない。内沢先輩や石山先輩をはじめとした茶道部の人たちを怖がらせてしまうかもしれない。それに、割られたという確固たる証拠があるわけでもないし犯人の目星もついていないのだ。


「律葉ちゃん、本当にありがとう」

「へ?」


 てっきりBGMについて説明を求められると思っていたから、突然の感謝に素っ頓狂な声を上げてしまった。


「桜子から聞いているよ。再生機として使う予定のコンポが本番中に急に壊れてしまったって」


 ちらりと横顔を見上げれば隣に座る桜子先輩は何食わぬ顔で「そうなのよ」と言った。


「備品のチェックが甘かった。その責任は新歓運営を担当している生徒会にあるわ。律葉はね、誰よりも早くそのことに気が付いて、茶道部のBGMをどうにかしようと一人で対処にあたってくれたの」


 膝のあたりをぽんぽんと優しく叩かれた。話を合わせろ、ということだろう。


「直前にお二人に伝えれば驚かしてしまうと思って。なんの相談もなく生演奏で合わせるなんてことをしてすみませんでした」

「顔を上げて律葉ちゃん、感謝こそすれど謝罪なんて求めてないんだから。茶室の鍵を貸して欲しいと言われた時はそりゃ驚いたけど、三味線の腕が確かなことは一度見せてもらっているし」


 優しい内沢先輩と真っすぐな石山先輩に嘘をつくことに胸のあたりがきゅっと苦しくなったけど、事実を伝えて不安がらせるよりはよっぽどマシだと言い聞かせる。

 開こうとした口は石山先輩の声に遮られた。


「BGMをつけないって手もあったのにあそこまでしてくれた。私の案を採用してくれた、ということが嬉しかったです」


 ぽつりと、けれどしみじみと石山先輩は呟いた。


「東雲さんが茶道部の担当でよかった。本当にありがとうね」


 その後、新歓のアンケートを持って来る話をしてから、内沢先輩と石山先輩に見送られて茶室を出た。


「コンポが壊れた話って」

 生徒会室へ戻る道すがら、聞き耳を立てるような人がいないのを確認してからなんてことないように切り出した。


「真がそう言っておけって。律葉が生徒会の誰にも言わずに強行突破で生演奏をせざる得ない状況にあるなら、誰も悪くないような適当な理由をでっちあげておいた方がいいって言うからそういうことにしておいたの」


 口ぶりからして桜子先輩もなぜ私が本番直前に姿を消して、ぶっつけ本番の三味線生演奏をしたのか本当の原因は知らないようだった。

それに真先輩に話したのはついさっきのことだから、内沢先輩が「桜子から聞いてるよ」というのはありえない。


「まだ詳しいことは何も聞いてないわよ。でも、真がそう誤魔化しておけって言うならなんらかの事情があるんでしょう?」

「はい」


 確定的なことが言えない現状だ。下手に話して不安がらせたくない。真先輩の前でやらかしたように口を滑らせることはできない。


「無理に聞き出す気はないから安心して」

「気にならないんですか?」


 長年付き合いのある集団で、ぽっと入ってきた新人が一丁前に隠し事をしていたら突き止めたくなるものだろう。


「そりゃ気になるわよ。誰だってそうでしょ」


 そう言いながらも桜子先輩の足取りは変わらない。


「でもね、真のことを信頼している。その真が引っ張ってきた子なら信頼するに値するわ。少なくとも私たちの不利益になるような失態はしでかさないってね」


 気持ちがいいくらいの勢いでそう言いきった。

 そんなに信頼されていては裏切ろうにも裏切りにくいというものだ。実際に裏切ってやろうとか、生徒会メンバーの二面性を暴露してやろうとか微塵も思っていないけど。

 それにしても、真先輩が私を生徒会に引っ張ってきた本当の意味ってなんなんだろう。

 四月ももうすぐ終わる。桜の花びらは日を追うごとにその花を散らして、もう春が終わろうとしている。






 同時刻、百花院学園高等部、特別教室棟三階生徒会室。


「入るぞ」


 返事も待たずにノックをした人物は生徒会室に入ってきた。真は机に乗せた脚を降ろしかけて、やめた。この男なら猫を被る必要がないからだ。


「あ、おさぼり顧問だ」

「サボってんじゃねぇよ、四月からドタバタと忙しいんだよ」

「一年担任だもんね、お疲れ様」

「机の上に脚乗せといてお疲れ様も何もないだろ。そうだ、新歓のアンケート実施したから」

「ありがと。来週末には集計だせると思う」。ところでイオちゃん、これどう思う?」

「お前、呼び方。なんだそれ、CD?DVD?」

「CD。これを入れているパッケージは無傷で中身のこれだけ割れてんの。落としたとかじゃこんな風にはなんないよな」

「なるわけねぇだろ。意図的に割られてるだろ」


 イオちゃんと呼ばれた男は真の差し出したCDを手に取って、眼鏡越しにまじまじと見つめる。


「それ、今日の新歓で使う予定だったCD。律葉は肌身離さず持ってたみたいなんだけど隙見てやられたっぽくて」

「あ~、だから三味線の生演奏ね。舞台裏から見てた時は何はじめんのかわかんなくて駆けつけるか迷ったけどお前がストップだすからさ」

「なんとかなったんだからいいじゃん」


 真はいたずらっ子のケラケラとした笑い声をあげた。


「で、目星はついてるのか?」

「ん~、概ねは。律葉は大事にしたくないみたいだから大々的に探すこともできないけど」

「生徒会メンバーに知らせないつもりか?」

「まさか。個人で伝えとくよ。律葉を狙っての犯行じゃなくて生徒会を狙ってのものなら全員に警戒しておくよう伝えておいた方がいい」


 現状ではCDを割われた、というだけではその目的が律葉をターゲットにしたものなのか、それとも生徒会を狙っていて偶々律葉個人をターゲットにしているのか判別がつかない。


「イオちゃんも気を付けてね、生徒会狙いなら顧問のイオちゃんも狙われたっておかしくないんだから」

「俺がターゲットにされることはほぼないと思うけど。まぁ注意深く見守っとくよ、立場的にも俺が一番の適任だろうし」

「えっ、イオちゃんまさか」


 真はありえないという軽蔑の表情を浮かべてじろりと視線を投げる。


「律葉も射程圏内とか言わないよね?確かに小さくて可愛い女の子だけど」

「バッカ!お前ふっざけんな、誰が教え子をそういう目で見るかよ」

「だってイオちゃんロリコンじゃん」

「俺はロリコンじゃない。しかも三次元には興味ない」


 そう言い切るとその男は眼鏡の位置を正した。


「と、この後会議があるんだった。もう行く」

「はい。お疲れ様です、先生」


 にっこりとした笑みと作った品の良い声でそう言った真に男は露骨に顔を顰めた。


「お前のその切り替えは何度みても気持ち悪いな」

「そのセリフそっくりそのまま返すよ。そっちだってこの部屋から一足出れば生徒からも親からも好かれる人好きするいつもの先生に戻るクセにさ」

「まぁな。そうやって表と裏を使い分けれるようになって人は大人になっていくんだよ」


 ドアノブに手を掛けたまま男は振り返った。


「ちょっとは休めよ、真。あんまり根をつめすぎるのもよくないぞ」


 男はそれだけ言うと生徒会室を後にした。

一人きりになった生徒室で真は長い溜息をついた。わしわしと雑に頭を掻いてはもう片方の手でスマホのスケジュール帳を開く。

 スケジュール管理はもっぱらスマホ派だ。手帳を持ち歩く手間がなくていいし、何より他人に見られる危険性が低い。

 明日、明後日と天城グループの予定が入っていてまた溜息をついた。うんざりした気持ちで五月のページを捲る。


 第二週火曜日、生徒会選挙申し込み開始日と書かれた文字をなぞった。

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能ある猫は爪を隠す 真白涙 @rui_masiro

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