第29話 新歓本番③

 カコン。甲高く、品のある鹿威しの音が響き渡った。

 本来なら、ここから和風BGMが囁くように流れ出して内沢先輩が喋りはじめる、という段取りだ。

 握った撥を優しく、弦を撫でるように降ろせば控えめながらも上品な三味線の音が体育館に響き渡った。


「はじめまして百花院学園高等部の茶道部です」


 打ち合わせと違う音楽に内沢先輩はワンテンポ遅れたけれどすぐに原稿通りの言葉を口にした。

 和風っぽいメロディにはヨナ抜き音階さえ押さえておけばそれらしいものに仕上げることができる。音の四度と七度を抜くのでヨナ抜き音階、ドレミファソラシドのうちドレミソラドで構成するのがミソだ。

 それにこれはBGM変わりの音楽だから主張は激しくなくていい。美しい和の世界観を損なわないように、自分で撮影・編集をして何度も見返した動画を頭の中で再生しながら即興で音を合わせていく。

 二人が喋るところは控えめに、映像を見せたいところではメロディをつけて。前に出過ぎないように、音楽というよりは音として彩を添えることをイメージする。


「茶道と聞いただけでは楽しそう、面白そう、などの明るくポジティブイメージを抱く方はそう多くないと思います。けれど茶道には体験した人にしか伝わらない奥深い楽しさがあります」


 石山先輩の凛とした真っすぐな声がマイクを通して響き渡る。表情を見なくても、背筋はピンと伸びて前を見ている瞳が想像できた。


「美味しいお抹茶と茶菓子を用意して皆さんのお越しをお待ちしております」


 この言葉で内沢先輩と石山先輩が深く腰を折る。BGMを徐々にフェードアウトさせていって、最後は音の粒を揃えることを意識して撥を弾いた。

 静まり返る体育館。「茶道部のみなさん、ありがとうございました」と真先輩は芯のある声が響くとプロジェクターの光が落ちた。

 ぽつぽつと拍手が生まれて、それは体育館中に広がった。飛び跳ねるような熱気はないけれど、静かにけれど確かな熱量のある発表だった。

 石山先輩が次の部活の人にマイクを渡して反対側の舞台袖へ向かう。暗がりの中で見えた背筋は相変わらず真っすぐ伸びていた。

「なんかすごかったね、茶道部のやつ」「うん、こう言葉にするのが難しいけど完成されてた」「ザ真面目って感じを貫いてたけど」「悪くなかったよねぇ」

舞台裏で耳を澄ませばそんな声が聞こえてきてこれまでの苦労も飛ぶ思いだったけれど、すぐに次の部活発表がはじまる。マイクを切って、元の場所に戻して、私は再び三味線を抱えて茶室に向かうべく体育館をこっそり後にした。

今日の私の仕事は、誰も知らなくていい。


「じゃあ、説明してもらおうかな。俺が納得する理由で」


 金曜日の放課後、新入生歓迎会が終わった校舎はまだ熱に浮かされたように浮足立つ生徒がちらほらと見受けられる。ホームルームを終えてから一度体育館に戻り撤収作業をして、そのまま真先輩に生徒会室まで連行されてきたところだった。


「はい、一から十まで説明させていただきます」


 真先輩は会長椅子に座って机の上に脚を投げ出している。その机の前に正座で膝をつく。


「元々、茶道部の発表ではBGMにCDを使う予定でした。そのCDは新歓の書類を入れているファイルと一緒に持ち歩いていたのですが、本番直前にCDの破損に気づいて、急遽三味線でBGMの演奏をした次第です」

「生演奏なんてしなくてもよかったはずだ。どうしてそんな無茶をした?」

「映像とアナウンスに合う音楽を短時間で見つけることはほぼ不可能だと思ったからです」

「多少インパクトには欠けるかもしれないけれど、茶道部の発表はBGMなしでも成立するものだった。ぶっつけ本番の生演奏というリスクを背負ってまで挑戦することだったか?」


 真先輩の言う通りだった。そもそも、映像を作った段階では効果音のみだったからBGMなしでも成立する動画になっているのだ。けれど、私は。


「真先輩言ってましたよね『責任を持って担当しろ』『イイものを作ることができればその部活の命運を変えることもある』って」

「あぁ、言った。ちゃんと覚えている」


 その声は壇上に居る時とは違う、百花院学園高等部生徒会会長ではなく一個人としての真面目な声だった。


「イイものを作る、それは新入生に対してだとばかり思ってました。イイ発表が出来ればそこに興味を持った新入生が入部してより一層、活動が活発的になることを期待してイイものを作ることだと思ってたんです」


 もちろん、それが一番の狙いだろう。だけど茶道部の内沢先輩、そして石山先輩と一緒にあれこれ考えているうちに別のことに気づいたのだ。


「イイものを作るということは必然的に作り手の能力が高くなくてはいけません。担当する生徒会メンバーはもちろん、発表者や内容を一緒に考えてくれる在校生の協力は必須で私は茶道部の発表動画を作る過程で、在校生のポテンシャルを伸ばすことでその部活の命運を変えられるんじゃないかとも思ったんです」


 背筋が綺麗で、真っすぐな性格だけど引っ込み思案で自信がない石山先輩。


「茶道部の発表代表は2年生の石山花梨先輩です。引っ込み思案で自分から進んでなにかをするタイプの人じゃありません。年下の私と話す時でも敬語ですし、発表の打ち合わせでも意見を出すことは殆どありませんでした。その石山先輩が唯一提案して、自分で音源探して持ってきてくれたのがBGMの一件だったんです。それを無駄にしたくはありませんでした」


 CDは割ってしまったけれど。だからと言ってBGMをつけないという石山先輩の案を根から潰すようなことはしたくなかった。


「なるほど」


 たっぷり間を置いてから真先輩はそう答えた。


「手元のパソコンに音源を移しておいて一括管理をしなかった俺にも責任はある」

「そんな、そもそも私が警戒してればCDが割られるなんてことには」


 真先輩が眉を顰めた。あ、と気づいた時にはもう遅かった。


「割られた?割れた、割ったではなく?」

「あの、このことは誰にも」


 誰にも心配を掛けたくない。大事にしたくなかった。


「誰にやられた」

「わかりません。気づいた時には割れていて」


 鞄からCDを取り出して渡す。CDの行方は適当にはぐらかしておくつもりだったのに。


「パッケージは無事で中身は真っ二つ。割られたとみるのが妥当だ。このことは他に誰が知ってる?」

「まだ誰にも言ってません。その状態のCDも見られていません」


 そこで控えめな4回ノックの後に「桜子だけど、今平気かしら?」と桜子先輩の声が聞こえてきた。真は素早い動作でCDを引き出しにしまってから「いいぞ」と返事をした。


「何も正座させることないじゃない。失敗したり悪いことしたわけじゃないんだから」


 部屋に入るなり桜子先輩は目を丸くした。それもそうだろう、机の上に脚を投げ出している男子とその前で正座する女子がいたら普通は驚く。


「律葉が自分から正座したんだ。それに俺は失敗したとしても場合によっては褒めるタイプだよ」

「はいはい。茶道部部長の鈴が律葉ちゃんに会いたいって言ってるわ。連れて行ってもいい?」

「あぁ、話は終わったからいいよ」


 CDを返してほしかったけれど桜子先輩がいる手前、言い出すことはできなかった。大人しく生徒会室を後にする。


「すみません、真先輩のこと怒らせちゃったかもしれません」


 隣を歩く桜子先輩は不思議そうに首を傾げた。


「真のあれは怒ってないと思うけど」

「え?でも」


 校舎を出て、今度はちゃんと外履きに履き替えてから茶室へ向かう。


「きっとそういう体でいただけよ。会長だからね。内心ではもっと派手に、それこそ舞台袖なんかじゃなくて律葉ちゃんも登壇して実際に生演奏を見せながら茶道部の発表をしてもいいとかそんなこと考えてたと思うわ」

「大人しそうな顔して破天荒だからね」

「それ、桜子先輩には言われたくないと思いますけど」

「あら?今何か言ったかしら?」

「いえ、なんでもありません」


 あんこなんて一文字変えたら〇んこじゃない!とか真先輩の小二男子の言い合いしてたの忘れてないですけどね?


「それに真の質問にちゃんと納得させられるだけの理由があったじゃない。例え後付けの理由だったとしてもあの質問攻めに毅然として回答できたのなら十分よ」

「え!聞き耳立ててたんですか!?」

「百花院の壁は聞き耳立てて部屋の中の会話が聞こえるほど安いつくりじゃないわよ」


 したり顔を向けられる。やられた、鎌掛けられたッ。三味線で事なきを得た、わけじゃないけど難局を乗り切れたからかついつい要らないことを喋ってしまう。いけない、気を引き締めなきゃ。さっきもそれで口を滑らせたんだ。

 桜子先輩も真先輩と同じくらいに油断ならない相手だ。やっぱり百花院学園高等部の生徒会はそろいも揃って曲者揃いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る