水溜まりに落ちた少女

佐藤深槻

水溜まりに落ちた少女

 雨が降っていた。

 長く細い糸が無数に天から降りて、少女を優しく濡らしている。

 テラテラと黒光りするアスファルトを少女は踏みしめ、まぁるい水溜まりの前に立ってそれを見下ろしていた。

 傘を持たない少女は、一体どれくらいの間を、そうして立ち尽くしているのだろうか? 身に纏うセーラー服はうっすら透けて少女の白い肌に張り付いており、水をすっかり含んでしまった少女の肩程の長さの黒髪は、しとりしとりと毛の先から水滴を落としている。

 けれど少女は雨の不快など気に留めることなく、ただひたすらに、じぃっと水溜まりを見下ろしているのだった。


 暫くそうしていた少女だったが、ある瞬間に 息を止めたかと思うと、僅かに膝を折り曲げ、ピョイっと飛び上がった。そして、その身を水溜まりに投げ出したのだ。


 ビチャンと水が跳ねる。


 その水溜まりは、ただそれだけで終わってしまうような、どこにでもある普通のそれのハズだった。しかし――。


 ビチャンと水が跳ねたかと思えば、少女の身体は、ストンと何処かに落ちてしまった。


 少女は落ちる。真暗な場所を際限なく落ちていき、浮遊感が彼女の胸をいっぱいに満たした。


「ふふふ……あっ、ははは!」


 暗さに目が慣れてみると、水溜まりの中の真暗い場所は、小さな小さな光が遠くの方で無数に瞬くようななんとも幻想的な場所であった。そんな空間で、少女は一人で愉快そうに笑い始める。

 いつの間にやら落下が止まると、少女は海のクラゲや魚のように、真黒い――けれども僅かに煌めく――空間を、ふわりふわりと漂ってみたり、スイーと進んで、くるんと回転してみたりと、楽しげに泳ぎはじめた。それはまるで初めて自由を掴んで喜んでいる鳥籠の鳥のように、歓喜に満ち溢れた姿であった。


 スイー……スイー……っと少女は泳ぐ。


 と、そこへ、巨大な紡錘形に羽が生えたような形のが現れた。そのには、丸い窓のような部分もあり、


「あの中には何があるのだろう?」好奇心に駆られた少女は、の外面にペタッとくっつくと、ゆっくりゆっくり窓を覗いた。すると――。


 その紡錘形のの中には、何やら精密機械がビッシリ整頓して置かれており、整列した機械の間を、緑色の何かがウゴウゴと動いて、それらを操作しているようであった。


「これは宇宙人の、船にきっと違いない!」


 少女は急に恐ろしくなって、顔を引っ込めた。

 けれども、彼女の内なる好奇心はモゾモゾとすぐにまた活動をはじめる。少女は一回息を吸って吐くと、にんまり笑った。


「バレなきゃ平気」


 よし今度は別の丸窓を覗いてみようと、ぺたりぺたりと船の外面を十メートルほど移動していき、先程の隣の窓を、またもやゆっくりと覗きこんだ。すると、少女は目の前の光景に目を疑った。

 船体の中には、今度は広く開けたスペースがあって、そこには緑色の蠢く物体が三体ほどと、あとは巨大なモニターがあったのだが、そのモニターに映るものに、少女は愕然としてしまったのだ。

 何故なら、そこには時たまニュースで見たことがあるような、東京の上空映像が映っていたのだから。


 少女は慌てて紡錘形の船体から離れて、辺りを見回すが、周囲はただただ真黒いだけで、やはり地球も無ければ何もない。


 理解を越えた出来事が、彼女を恐怖で蝕みはじめる。だんだんと少女を支配する好奇心は身を潜め、代わりに恐ろしさが指揮を取りはじめ、途端に少女は、元いた場所へ帰りたくなってしまった。


「元の世界に帰る出口はどこなのだろうか?」


 出口を探して辺りを見回してみるも、しかしここは、上も下も関係のないようなただの空間で、少女はもう、どの方向から自分が落ちて来たのかさえ分からなくなってしまっていた。


「もしかしたら、遠くに瞬く無数の光が出口なのかも」


 小さな希望が頭をもたげる。


 少女は、スイースイーと適当な光を目指して泳ぎはじめた。


スイー……スイー……。


 しかし光はちっとも近くはならない。いや寧ろ、どんどん遠くなっていくような気持ちにさえなっていく。


「そういえば聞いたことがあるかも。宇宙はどんどん広がっていってて、互いの星はどんどん遠くになっていってるって……」


 きっと自分じゃどの光にも追い付けない、と少女は悟って絶望した。


 そこへ再び、先程の宇宙船が少女の目の前へ現れた。そしてそれは何かのアームを繰り出し少女の身体を掴み上げると、少女を紡錘形の船体に取り込んでしまった。


 そして……。


 少女は気がつくと、東京の、先程の道端に立ち尽くしていた。


 目の前には黒い水溜まりがある。


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水溜まりに落ちた少女 佐藤深槻 @satomi333

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