第19話 コミと裕美子の共生
―くそぉ、コウのヤツ、私のこと犯罪者呼ばわりしやがって。天界に還ったら覚えてろよ。
―コミさん、体を借りている間は行動を慎んでください。裕美子様の沽券に関わることなんですから。
悪態を吐くコミにホキが何度目かの説教をするが、裕美子はあまり気にしていない様子で、
「さくらちゃん可愛かったですね。お母さんに怒られてないといいけど…。」
と言いながら買った物を机に出し、二人もそれを手伝った。
「カップ麺はそこの戸棚で…。あ、コミ様、『月刊きゅんきゅん』どうぞ。体使いますか?」
―わぁ、ありがとー!実体化して読むから大丈夫~。
コミは自分の背丈ほどもある雑誌を嬉しそうに受け取ってくるんと宙返りをし、裕美子はそれを見て「可愛いなぁ」と微笑み、ホキは「飼い慣らされたな」と苦笑した。
「天界にこっちの世界の本があるなんてすごいですね。」
―一般霊は読めないけどね。天界で働く者の特権よ。
―研究資料になりうる下界の書物は複製の申請ができるんですよ。コミさんのは複製権と閲覧権の乱用かと。
「へぇ~」と裕美子がガスコンロの火をつけると、コミは悲鳴をあげて持っていた雑誌をドンと落とした。
―ひっ…ひっ、火っっっ!!!!
「どうしましたっ?」
―ち…ちょ、ちょっと、向こう行ってるからっ!
と落としたままにしてカーテンの中に隠れてしまった。
その様子にホキが「ああ、」と納得したように頷いた。
―火が怖いんですよ。コミは昔人間に転生していた時、火刑で強制帰還したんです。もう500年ほど前になりますけど。ジャンヌ・ダルクってご存知ですか?
「ジャンヌ・ダルクですか…、まあ…。それは…。辛かったですね…。」
―全く、こんな状態でどうやって山火事に対処するつもりだったのやら。
裕美子はコンロの火を止めた。
そして少し考えてから部屋を出て、階段横の倉を開けた。
冬物のコートや工具、裁縫道具、新聞紙の束、備蓄用の水などが置いてある。
「コミ様~!今は火を使ってませんよ。こちらに来てくださいな。」
ふよふよと飛んできたコミに二つの段ボール箱をみせた。
「料理している間はここ開けときますからね。これ自由に読んでいていいですよ。」
段ボールの中には少女漫画の単行本がぎっしりと入れてあり、裕美子はコミが取り出しやすいように整理した。
―きゃ~!いっぱいある~!これ仕舞いっぱなし?読まないの?
「娘の興味がファッションとかインテリアに移行したんですよ。古本屋に持っていこうかと纏めてたんですけど、コミ様がお読みになるなら…」
―読む読む~!
コミは倉の中を飛び回った。
―はっ!!セーラー服があるじゃない…!裕美子さんの服地味だから余計に不審者っぽく思われるのよ。今度これ来て外出しましょ!
「それはあからさまに不審者ですよ~。」
―え~。可愛いのにぃ。
口を尖らせて制服のスカートの襞をひらひらと揺らすコミを見て、裕美子はコミが元気になったようでよかったと安心し、ホキは気を遣わせて申し訳ないと謝った。
「ホキ様は何か好きなことありませんか?用意しますよ。」
―いえいえ、お構い無く。遊びに来たわけではないのでね。
ホキは小さなナイフで器用にじゃがいもの芽を取り除いた。
西日で部屋がオレンジ色に染まる。
裕美子はカーテンをそっと引いてそれを遮った。
しばらくしてホキがコミに声を掛けた。
―コミさん。もう火を使う工程は終わったそうですよ。
―そう、ありがとう。いやぁ面白かった~。天才少女漫画家がたくさんいて日本は安泰ね。あ、いい匂い。
「今日は肉じゃがですよ~。ご存知ですか?肉じゃが。」
―ああ、知ってる!得意料理として言うと家庭的な好印象を与える煮込み料理ね。
それは少女漫画由来の知識だろうか、と思いながら裕美子は器に肉じゃがをついだ。
「体替わって召し上がられませんか?お口に合うかわかりませんけど…。」
ホキ様もどうぞ、と小さな椀に小さめに切った具を入れて爪楊枝を添えた。
コミは裕美子の体に入り込むと、「初肉じゃがだわ」と箸先を整えじゃがいもを摘まんで口に入れた。
「美味しーい!裕美子さん料理上手ねぇ!」
―うんうん。大変美味です。
―よかった!
しばらく美味しい美味しいと食べ進めていたコミの箸がぴたりと止まり、静かに考え込む。
裕美子は「糸こんにゃくが好きじゃなかったかしら」と心配した。
「…。裕美子さん、火炙りなったことあるの?」
―え?な、ないですけど…。
「そうよね…。いや、すごくリアルに…。これ、私じゃなくて裕美子さんが考えてるのよね?」
―あっ!考えてること伝わっちゃうんですか?
―リングの仕様で思考などのプライバシーは守られるはずですけど。感情が深いと伝わってしまうんですかね。
―すみません~!辛いことを思い出させるようなこと…。
「あ、ううん、大丈夫よ。」
まるでその時を再現しているような焦燥や恐怖や苦痛。
その周りを深い悲しみと慈愛の波が包んで染みてくる。
経験にないことをこんなにも自分のことのように考えられるのか、とコミは驚いた。
哀れがられるのはあまり好きではないが、こんなふうに思われるのは悪くないものだ。
ピンポン。玄関のチャイムが鳴った。
「あら、誰か来たわ。娘さん帰ってきた?」
―宅配かな?替わります。
裕美子が花粉対策のマスクを装着して玄関に出ると、そこにはにこやかな中年の女性が立っていた。
「奥様、毎日の家事お疲れ様です。」
「はい、どうも…。あの…?」
「主婦業って大変ですよね。やって当たり前だと思われて感謝もされないし、対価ももらえないし。」
女性は同意を求めるように話し出す。
「それを毎日きちんとこなして、奥様、本当に偉いです。」
「どうもありがとうございます。」
裕美子は素直に礼を言ったが、心の中では花粉が家に入り込むことが気になっていた。
―何これ?何の用?主婦を労い歩いてるの?
毎日家で一人家事をこなすだけの生活に孤独を感じて不幸だったと悲壮感たっぷりに話すその女性に、裕美子は心から同情し労った。
「でも別の方からこうやってお誘いを受けて、同じような方たちの集まりに行くようになって、心身ともに豊かになったんです。ただお金を預けるだけでお友達も出来て、配当金も頂けるんですよ。一度セミナーに来てみませんか?」
―あらあら。胡散臭い話を持ってきたわね。
―純粋にいい誘いだと思い込んでそうなのが余計に怖いですね。
ホキが腹を透視して言う。
―裕美子さんからめっちゃ焦りの感情が伝わってくる~。
―どうしましょう、開けっ放しで花粉が…。もう部屋に上がってもらってお話を伺いましょうか。
―そっちの焦りですか。それは悪手です。不幸の始まりの臭いがします。即お断りが吉です。
―よし。裕美子さん体貸して。
裕美子がコミと体の権利を交代すると、コミはキリッと強気で冷静な笑顔で女性を見た。
「お断りしますうちは皆十分幸せですあいにくそういうお話には全く興味ありませんごめんなさいお引き取りください」
コミは早口で捲し立て、相手が呆気にとられる様子を見る間もなくドアを閉めて体を返した。
「ありがとうございます~。もう花粉が気になって気になって。少し気の毒でしたけど…。」
―任せなさい。伊達に戦乙女やってたんじゃないわよ。
―戦関係ないでしょ。
裕美子が食器洗いをしようと腕捲りをするとホキが遮った。
―片付けは我々がやりますよ。
―裕美子さんはゆっくりしてて。やり方が違ったら教えてね。
じゃあお言葉に甘えて…と裕美子はいすに座ると目を閉じて、「さっきの女性の孤独が消えて本当に幸せになりますように」と祈った。
優しい祈りの波を受けて、コミとホキは撫でられている猫のようにうっとりと浮かび上がる。
―癒しですね~。
―裕美子さんの性質、本当に興味深いわね。ストレスの多い現代人の変異に使えるんじゃないかしら。先天性か後天性か調べたいわ。あなたの出立(死)後、魂の調査に協力いただいても?
コミが裕美子に聞きながらホキに予約票を催促すると、ホキは「昆虫変異課にその権限はありません」とつっぱね、そして、もう少し周りに気を配るようにと注意した。
差し出された手に握られていたナイフがホキを貫通していたからだ。
桜のような人生を君と ほっぺむ @hoppem
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