第47話 最も強い男
まるでそれは花火のようだと思った。無数に伸びる淡いピンク色の雄しべ。
綺麗に伸びる雄しべはまさに幻想的。
水面には無数の花。
激しさのある花火ではなく、線香花火のようなちょっと寂しさのある儚さ。
『このお花は一夜だけ咲くことができる。 サガリバナというお花だよ』
脳裏に響く優しい声を思い出した。
「サガリバナ?」
そうか、サガリバナだ。
誰かと一緒にこれを見たことがある。
また瞼がおりていくのがわかったが、どうしても見たいと思った。
僕はもう一度だけ瞼を持ち上げる。
棚田一面に無数のサガリバナが落ちている。
本当に綺麗な花だな、こんなにたくさん最初からあっただろうか。
ここはこれほどまでに静かだっただろうか。
滝の音も静音の声も、誰の声も聞こえない。
棚田の冷たい水に浸かったままの指先から、皆から吸い上げていた能力が流れ出していくのがわかる。せっかく、これで僕らに理不尽な戦をしかけてきた者達を殲滅できると思ったのに。
悠貴は大丈夫だろうかとぼんやりと思う。
朔が目覚めることができたのは、きっと王樹が動き出したからだ。王樹を動かしてくれているのは悠貴であり、あの場に集まってくれた皆だ。
女王への道がわずかに開けた。でも、僕はここで立ち止まってしまっているから女王奪還へかけつけることはできない。
「ごめんね。 本当にごめん。 でも、もう、僕なしでもできるはずだ」
僕は月讀様と同等の目を持っている。
君たちはその僕の血をわずかでも受けた。
僕の血は『夜』を生きるための能力を君たちに与えたはずだ。今の僕が与えるものだから不完全かもしれない。でも、女王奪還までのわずかな時間であれば確実に行使できるはずだ。
朔ともう一人の僕が『蒼の王』という名を口にして顔色を変えていたが、僕が与えた力は短時間であれば敵がだれであれ黙らせることができるはずなんだ。それはこの両目がそろってからすぐに知った事実だ。
僕という存在は黄泉をはじめ死んだ側の世界においては万能。
僕が僕自身の分身として幼馴染全員を一時的に血で縛った。これが僕の保険だった。縛った側の僕に不測の事態が起きたとしても、彼らが動ける。
僕の命が尽き、魂が滅び去ることになろうとも、彼らに与えたものは生きる。
与えた力は一定量でしかない。それを行使すればするほどに尽きるのは早いだろうが、僕の生死にかかわらず、時と場所さえ選べば効果は得られるはずだ。
僕が万が一生き残ったのならば、彼らに半永久的に供給していける。だから、僕はどうせ死ぬとしても今起きている事態を上向きにできるまでの時を稼ぐ必要がある。
「どうか、僕に代わって女王を取り戻して……」
でも、と僕は唇をかんだ。
僕を殺そうと画策したのは未来の僕という現実が重くのしかかってくる。
僕がこの場で眠ることで正道に戻せると彼は言った。
自分自身を消すことは破格に勇気のいる決断だ。それでも彼はそうすべきだと禁じ手を使ってまで過去へ来た。
あれほどに怨嗟にまみれ、目を狙ったかのような大きな傷跡までつくり、やせ細っていたあの未来の僕が、『止められないなら、いっそ殺してくれ』と叫ぶほどに。
「間違いの地点を正すために来たんだよな……」
これまでの努力が全くの無駄であったのだと言われたようなものだ、僕は一体何のために闘ったのだろう。本当に笑えてくる。馬鹿みたいだ。情けないやら、何やらで感情が破綻しそうだ。
僕の何もかもが間違いだと、痛みを知ってから死ねと言われるほどに憎まれた今の僕。
だったら、僕にどんな選択肢があったというのだろうか。やはり死んで詫びることしかやりようがないのかな。
「じゃあ、どんな罪だよ……」
死んで詫びねばならないほどの罪を僕が犯すというのなら、せめて、それが何であったのかを教えてほしかった。
未来の僕が顔に大きな刀傷をつけられるほどの原因を作ったのが今の僕だと言うのなら、教えてくれ。
「今、ここで僕が死ねば何とかなるのか? 本当に?」
僕が死ぬことで生じるデメリットを模索するけれど、メリットしか思いつかない。
僕が死んで、桜の主に返り咲けるのなら、宗像壱貴の魂の崩壊はおそらく止まる。
ならば彼は春の雪に戻れる。まともな春の雪がいるのならば春夏秋冬は宗像を襲わない。簡単に一つ問題は解決してしまうのだ。
「でも、春夏秋冬だけで女王を封じることができたのだろうか?」
朔一人であれだけ強いのに、女王と朔という巨頭を二人同時に足止めしただけでなく、状況を一発で覆しかねない美蘭の父王まで同じ憂き目にあわせている。そうまでして、春夏秋冬に絶好の機会を演出した輩が居る。
それがおそらく真の敵なのだろう。
そうまでして動いた理由はおそらく僕という存在を狩る、もしくは、僕から奪う、はたまた僕を何者かに変えたいのか。
「やっぱりどちらにせよ『僕』が迷惑の種か……」
目を奪われたのなら、それを悪用される。
目を失ったのなら、その目で護れたはずのものも護れなくなる。
僕の何かを作り替えられ、身に宿した能力を爆発させたのならすべての害になる。
つまり、『癌になる』とはそういうことか。
血族に、仲間に疎まれ、恐れられ、牢に縛られ、封じられる。
その未来の僕を動かした誰かがいる。過去の僕を殺すために彼を解き放ち、助けた誰かがいる。最低でも二人は過去の僕を殺すことに同意したというわけだ。
痛いな。身体も痛いが何よりも心が痛い。
泣いたら楽になるのか、それすらもわからない。
「そうか……モズが桁違いに強い理由はバックに誰かいるのか? でも何かが違っている気がする」
これまでモズの動きがわからなかったが、何となく、今のこの僕と何かがつながってきている気がした。
モズは何がしたいのかずっとわからなかったが、春夏秋冬にあって、『春の雪』の席を狙うだけであればもう願ったりかなったりの状況のはず。今の春の雪であれば下剋上するのは容易いはず。それなのに、モズは僕らを狙い続ける。
「待てよ、だとしたらどうして僕と静音だけ、モズに接触していない!? どうしていつも津島なんだ!?」
この一点に何かがある気がした。モズが狙うのは津島だ。どうして、津島なんだ。
気持ち悪い。頭の中がぐちゃぐちゃだ。何かがわかりそうなののに、そこまで答えが近づいているのにわからない。
「まだわからなくて良い、宗像貴一」
声の主を探そうと、僕はぼんやりと視線をあげる。
天狼洞にいたはずなのに、見たことのない洞窟にいるのだとようやく気が付いた。
ここはどこだ。皆と分断された状況にあることようやく把握した。
「お前はもう夜を統べると宣言したようなものなのだから、それらしく夜を纏うだけで良い」
夜を纏うって何のことだ。
それにあんたは誰だよ。
真っ白な髪、琥珀色の瞳の女性が立っている。
母である咲貴くらいの年齢だろうか、ほっそりした肢体はほんの少し病的に思えた。生命力が弱いのか、それとも命がないのかわからない不安定さ。その白い指先が額に触れようと伸びてきたが、僕は何となくそれが嫌で手ではじいた。
「今すぐに正しく夜を纏え」
つかまれた右腕が熱い。
腕から流れ込んできた熱い流れが体中をかけめぐる。熱さはやがて痛みにかわり、心臓に釘を何本も打ち込まれているような激痛を伴い始める。
嫌だ、離せと僕はそのつかまれた腕を渾身の力で振りほどいた。
「逃げようとも絶対に逃げられぬ。 夜を纏い、夜を統べる。 それがお前の役割であり、生れ落ちた理由」
もう一度、腕をつかまれそうになり、僕はありったけの力で身を起して、数歩後ずさりした。足元がおぼつかない。すぐそばにあった壁に倒れ掛かり、ずるずると座り込んでしまう。
「夜は動かない。 生も死もない。 深く眠りについた者達の王となるだけ。 眠りを妨げようとするものを排除し、時間を超えるだけ。 お前の時はいつ何時でも止められよう……。 傷など些末なものだ」
女に指さされ、僕は傷口に目をやった。
傷からどばどばと血液が流れだしていたのに、嘘みたいにぴたりと止まっている。
「何をした!?」
「私は封を解くだけ。 何もしていない」
白い髪がふわりと風に舞っている。彼女の瞳の色が僕をぞっとさせた。
瞳の色が深紅に変わっている。その恐ろしいほどのピジョンブラッドの瞳が僕を捉え、金縛りにあったように身動きが取れなくなる。
「逃げるな、もう受け入れろ」
黄泉使いは孤独な魂の寄せ集めだと彼女はつぶやいた。
一人一人の歴史など問わない。すべての黄泉使いが闘いの刃に倒れて、時の中で忘れ去られても、構わないのだと彼女は続けた。
人でありたい者は人となり離れても良い。
黄泉使いとして夜に残る者のみを選抜せよ。
頭の中で彼女の言葉が響く。
「人は死から、夜から逃れることはできない。 だから、お前がその夜を纏い、死と向き合う者達のみを導け」
お前の瞳を強引に奪った者の末路はもう見たはずだ。
お前を護るためという口実など意味はない。
例え、お前を護るために預かっただけといえど、『お前』でない者がその目を身に宿すことらすなわち破滅を意味する。扱いきれる器でなければ魂は砕かれる。
天眼はすべての満ち欠けを知り、神々と通じることが許された証。
神々はお前を通じ、姿を現す。
お前を奉じる者はその恩恵を受け、神々との絆を得て、夜を統べていくお前の手足となるだろう。
だから、お前がその目で選択せよ。
黄泉の都を取り戻し、そこへ導ける者を選択せよ。
この宿命からは何をしようとも逃れられないことを知れ。
この先、お前の瞳を奪おうとする者達があふれることだろう。だが、誰一人、使いこなすことなどできはしない。
奪おうとする者は自ら滅び、お前を利用しようとした者はその炎に身を焼き尽くされる。お前を傷つける者は皆滅びる。それだけのことだ。
この彼女の言葉は僕の心を深く傷つける。僕はその言葉の意味が嫌というほどにわかってしまった。
未来の僕を害そうとした者達を僕のこの目が滅ぼしてしまったということだ。
害そうとしたわけでなくとも、この目を封印、もしくは剥奪しようとすれば同じことだ。僕を護ろうとして目に触れようとした優しい人たちをこの目が『敵』と認識したら、悲劇しかおこらない。
「夜と共にいよう。 夜を纏え、宗像貴一。 私では不完全であったが、お前は本物。 夜を纏え、一刻も早く! お前こそが夜を纏い、全てを抑え込むのだ」
動け、動けよと僕は動かない身体にいら立ちを大爆発させ、大声を上げることで彼女の支配を弾き飛ばした。
そして、僕は岩肌にもたれながら、両手で顔を覆った。
未来の僕は『僕』という人間を殺したかったのではなくて、正確には『眼』を葬る必要があったのだ。
「もう嫌だ!」
足を投げ出して座ると、足先にごろりと転がっている拳ほどの石が手にふれた。
僕はそれに迷わず手を伸ばし、つかみ上げる。
「目を失えば済む」
躊躇なく、僕は石で自分の右目を殴ろうとした。だが、寸手のところで、女に止められてしまった。
彼女はじっと僕を見ると首を横に振る。ダメだと彼女は眉間にしわを寄せて僕を見る。
「何者にも支配されぬ孤高の月となれ」
つかまれた手首から、再度、何かが流し込まれてくる。
僕は身をよじって、腕を振り払う。
嫌だ、これはダメなのだと僕は這う這うの体で壁伝いに彼女から距離をとる。
悲し気にこちらを見る彼女に、僕は嫌だと意思表示した。
一度は月の名を口にしたくせに、今更だが、ダメだと本能が叫んでいる。
じりじりと歩みをすすめてくる彼女から、僕は必死に距離をとるが、ずるずると身体の力が抜けていく。
その時だった。笛の響きがどこからともなく耳に届いた。
低い音から高い音の間を縦横無尽に駆け抜けるその音色は舞い立ち昇る龍の鳴き声と例えられる笛の音。鋭く、深い音色を自由自在に操り、龍笛で奏でられるこの曲を僕は知っていた。
「氷雨の……朔月?」
漆黒の闇の中にあっても、一筋の光となる音が僕の身体にまとわりつく。
これは『氷雨の朔月』と言って、ある特殊な龍笛でしか奏でることができない曲であり、その曲自体が祓いの効果を持っている。特殊な龍笛はこの世に2本しか存在しない。一本は女王、もう一本は時生おじさんが持っているはずだ。
目の前の彼女が後ずさりしているのがわかった。
そうか、僕はこの音に護られている。
「誰が……」
後頭部を鈍器で激しく殴られたような感覚がして、唇が震えだした。
誰がなんて、わかっているじゃないか。
僕はどうして今の今まで忘れていられたのだろう。
僕の目の痛みを和らげるためにこの曲を吹いてくれた人を思い出し、目を閉じると、涙が零れ落ちた。
「僕は……ここにいる」
空をつかむように手を伸ばすと、空間が大きくゆがんだ。
「助けて……」
激しく咳き込むたびに、血があたりに飛び散っていく。
もうまっすぐ座っていられない。一生懸命伸ばした手からも力が抜け落ちていく。
僕は今ここで夜の王になってはいけないんだ。どうにかして、逃げなくちゃ。でも、もう体が動かない。
僕の腕が落下を始めたその瞬間、歪んだ空間から力強い手が伸びてきて、手をしっかりとつかんでくれた。声は聞こえないが、絶対に離さないというほどの力は伝わってくる。僕は最後の力を振り絞って、その手を強く握り返した。
貴一と僕の名前を呼んでくれたその手に引っ張り出されるように天狼洞へと空間の裂けめから転がり落ちた。受け身を取ることもできない僕の身体を受け止めてくれている男の顔を見上げると、彼は泣きそうな顔をしていた。
「待たせた」
銀色の髪が乱れ、彼がいかに必死に僕をひきずりだしてくれたのかがわかった。
頬には無数の傷、美しい羽織も所々破れてしまっている。
どれだけの無茶をしてくれたのだろう。
思いきり抱きしめられて、僕はその安心感にすすり泣いてしまった。
はっきりとしなかった幼い日の記憶が一気に蘇ってくる。
幼かった日の僕は間違いなくこの人の腕の中にいた。
「……父さん」
僕を抱きしめながら、うんと頷いてくれる力強い腕に口元が緩んだ。
大好きだった父がここに居る。
これまで眠ったままだった記憶が一気に甦ってきて、その力強い腕にしっかりとつかまった。
「思い出した……」
僕は幼い日に一度だけ父が闘う姿を見たことがあった。
母は祖父によって退避させられたけれど、時生おじさんに抱かれたままで僕は一部始終を目撃した。
傷ついた黄泉使いに退避を命じ、あふれかえった悪鬼のど真ん中にひらりと舞い降りるや否や津島本家に襲い掛かった数百という最上級クラスの悪鬼をたった一人で殲滅した姿は圧巻すぎた。
美しい諸刃の日本刀を二本使用し、二刀流でなぎ倒しただけでなく、その二本の刀を一本の槍に変じさせていたことも思い出した。
女王の刃である父の闘う姿などめったにみられるものじゃないと、遅れて集まってきた上級の黄泉使い達ですら、屋根の上に降り立ったままで見とれていた。
劇的に強いはずの時生おじさんなどのっけから闘うつもりがなく、助太刀など野暮だと屋根の上にあぐらをかいて座り、膝の上で僕を抱いたまま傍観者になっていた。
『朔が出たのなら、もう何者も必要ない。 女王のそばでしか闘わない彼がこうして外へ出てきてくれているなどめったにないことだ。 こんな機会はもう二度とないかもしれない。 貴一、しっかりとみておきなさい。 君の父こそが宗像における絶対強者。 彼以上に強い黄泉使いは今後もでない』
時生おじさんは、僕を退避させるようにと口が酸っぱくなるほどに祖父から命じられていたのに、それを無視してまで僕に父の闘う姿を見せてくれた。
血しぶきをあびることもなく、鮮やかなまでに敵を殲滅した直後、父は屋根の上に僕の姿をみつけて、少し驚いたような顔をしたが、にっこりと笑んでくれた。
それがあまりにうれしくて父さんと叫んだ僕に、しっと口の前に指を立てて見せてから、すぐにそばに来てくれた。
時生おじさんの腕の中にいた僕へと手を伸ばしてくれて、僕は父が大好きだったから、うれしくてその腕の中へ飛び込んだ。
『貴一、時生おじちゃんとここで見ていたことはお爺ちゃんには内緒な。 父さんが怒られる。 約束な?』
悪戯っぽく笑った父に僕はうなずいた。
時生おじさんから、黒と紅の長い羽織を手渡されると父はそれを肩にかけて、僕を抱いたまま屋根をおりて、何事もなかったかのように出雲へ戻った。
誰よりも強い父のこの銀色の髪が綺麗で大好きだった。
僕にとって父はヒーローだったから、母と同じ黒い髪じゃなくて、父のような髪の色が良かっただなんて言って、母を困らせてしまった。
僕はこんなにもしっかりと覚えていた。
両親のことも、どうして僕が悠貴の弟として今の両親の元へ行かされたのかも。
「全部思い出したよ。 僕の父さんは朔だ」
そうだなと彼は力強く笑った。
「誰よりも強い僕の父さんだ」
うんと言って僕はもう一度しっかりと父に抱きしめられた。
「氷輪の音もちゃんと覚えていたよ」
そうかと父が笑った。二本しかない特殊な龍笛の内、女王が所持している笛の名を氷輪という。氷輪を保管するのは朔であり、彼もまた氷輪を使える。
「あいつの方がもっと美しく吹ける。 あいつじゃないから時間がかかったな……」
父のその懐かしい匂いに僕の涙腺が崩壊した。
どうしようもないほどに安心できる世界にいると実感した。いつもどこか孤独だった僕の世界の季節がかわった気がした。
「あいつであれば、お前が夜となったとしてもどうとでもできる。 もう大丈夫や」
僕はうんとうなずいた。父の体温はひどく安心できる。
「ごめんな、貴一。 俺達が間違ってた。 何がどうあっても、やっぱりお前を手放すべきやなかった……」
女王の一人息子となればそれだけで不必要な責任と期待を負わされて生きることになるから、事実を隠していたのにと父の腕が震えていた。
女王の息子と特別扱いされると、僕が自由にできない。自由に学んで、自由に稽古して、自由に生きて良いのだからと、悠貴という姉がいる宗像本家の第二子として僕を叔母夫婦に託してくれた。
「この宗像一心の愛息子をやすやすと殺されてたまるか!」
「宗像……一心?」
「お前、親父の名前も忘れたんか?」
僕は思わずあんぐりと口をあけて、父を見上げた。
宗像一心という名前は黄泉使い最強の男のものだ。
僕が逢ってみたかった人が父だったと言うのか。
ははっと声が漏れた。
そうか、時生おじさんは親子であると知っていたから、あんなことを僕に言っていたのか。
僕に両親との記憶がなくとも、父の名を忘れないようにと教えてくれていた。
「俺は最強なんじゃない、最凶の方な。 凶悪さにかけては世界一の自信がある。 返礼品はご丁寧にお届けせんと気持ちが落ち着かん。 敵が何であれ今を害した阿呆どもにはえげつないお灸をすえてやる」
逆襲するぞと、父が胸がすくほどに豪快に笑った。
僕は苦笑いした。この父は僕とはまったく違う生き物だ。僕では到底追い付けそうにない傑物というか、何というか、『阿呆』だ。
はっとして周囲を見渡すと、そこにもう一人の僕は居なかった。
「わかったろ? この瞬間にも未来は変わる」
僕はもう一度ゆっくりと父を見上げた。
「未来はいつでも変えられるが過去だけは絶対に変えてはならん。 それができてしまうからこそ言うぞ。 過去にはそうなっただけの意味がある。 過去を変えたところで、未来が良くなるとは限らんからな。 俺とあいつが不在の間に奪われた命はもう取り返しがつかんやろうが、その命が辱められることなく輪廻へ戻れるよう何とかする。 本音は命を取り戻してやりたいが、それは魂への冒涜となる。 腸が煮えくり返るほどの激情があったとしてもこらえろ。 だから、これ以上、理不尽な死を誰もが賜らんよう徹底的に今ここで闘う。 そういうのは、お前は嫌か?」
「嫌じゃない」
そうかと父は綺麗にほほ笑むと、行こうかと僕をゆっくりと立たせてくれた。
静音が良かったと泣きじゃくっているのがようやく目に入った。
四つん這いでおいおいと泣いている姿に僕はふきだしてしまった。
「泣きすぎだろ、それ……」
僕は自分のこぶしを握り締めてみた。
流れ出したはずのものがまだしっかりと身体に残っているのを感じた。
よかった、まだ行けると思った瞬間に、膝の力がガクンとぬけおちた。
吐き気がして、また嘔吐してしまった。多量の血液がぼたぼたとこぼれおち、瞠目する。
次いで、急激に襲ってきた胸の痛みにその場に四つん這いになってしまった。
冷や汗が一気に額に浮かび上がった。
僕はどうしてしまったんだろう。
この身体にはありあまるほどの力があるのに、どうしてそれを起動させようとするとこうなってしまうのか。激しい動悸がして、呼吸が苦しくなってくる。
「やっぱりお前もそうなるんか」
父がすぐに僕のそばに膝を折り、額にぴたりと指をあててきた。
その瞬間、僕の意識はブラックアウトした。
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