第43話 雅の召喚術

「雅、よけろ!」


 わかってると返事する声がかすれてきていた。

 滝の水を全身に浴びて、その雫が髪をつたい流れ落ちる。

 瞼を閉じることができないほどに速い相手の動き。視界を水で奪われてはならない。水をぬぐうようにして、手ではらう。指先にざらりとした感覚がして、濡れた髪が部分的に凍り始めていることに気が付いた。

 吐く息は白く、四肢からは数分前より数段湯気が立ち上ってきている。

 さすがに3月の夜はなめちゃいけない。それにここは山奥、しかも水場だ。

 昨夜までの豪雨は滝の流れを後押ししている。流れ落ちる水音は轟音となり、珠樹の声を簡単にかき消す。

 珠樹と入れ替わって攻撃にでた巽と湊の動きを目で追いながら、隙を狙うが、笑えるほどに隙がない。

 モズの動きが全く読めない。それに、一向に体力の消耗がないのはどうしてだ。

 これだけの人数で追い込んでいるのに、どうして逆に追い込まれている感覚が残るのだろう。

「君たちはほえたわりに、面白いくらい弱いな」

 彼女はくすくすと笑うと己の腕をそのとがった爪の先で傷つける。

 何をしだすんだと俺達の動きが同時に止まった。

 モズの血液がしたたり落ちていく。すべりおちていった血液が水に触れるか触れないかの所で煙に変わる。

 風に毒を混ぜ込むのかと身構えたが、そんな俺の思考を軽く跳躍し、あざ笑うような現実が目の前に現れた。

 モズが分離したのだ。一人でも手に負えないのに、二人いる。

 とっさに攻撃をやめ、後ろに退いた。

「これは反則だ」

 冷や汗が首筋を流れ落ちて行った。目の前で起きていることを受け入れたくない。

 岩場は足元が悪い。しかも、苔むした岩は最悪だ。

 着地が悪ければバランスを崩すのは一瞬だ。

 珠樹の表情にも絶望がこびりついている。

「雅!」

 珠樹の絶叫が耳に届き、俺は自分が背後から貫かれたことにようやく気が付いた。

 切っ先は確実に心臓を狙ったのだろうが、わずかにそれた。

 湊が俺の背後に立った3人目のモズの身体に体当たりをくらわしてくれたからだ。

 剣を抜き取られた直後に、胃をしめつけられる感覚がして、一気に嘔気がした。そして、口腔内にあふれたものを吐き出した。岩場にべったりと俺が吐き出した血液がはっきりくっきりみえた。それは黒々とした血が塊だった。

「くそったれ……」

 3人目がいたとは、間抜けだった。背後に立った気配など全くわからなかった。

 傷の痛みはそれほどでもない。だけど、確実に血を失っている。眩暈がして片膝をついた。

 じわじわと温かいものが羽織の胸元にひろがっていき、咽頭に液体がたまって、激しく咳き込んだ。呼吸が苦しくなってくる。ぐらりと傾きそうになる身体をこらえようとしたがうまくいかない。前のめりに倒れた先は浅瀬の川。冷たい水が頬をぬらした。

 俺は死ぬのか。

 武甕槌大神との絆をかりて、闘っているのにどうしてこんなに力量に差がでる。

 隠し舞いを使ったのに、焼き切った矢先、すぐに再生していくモズ。

 確実に2度はくらわせたし、珠樹だって何度も決定打を放ち、確実に当てた。

 それなのに、今やモズは3体に分かれ、こんなに追い詰められている。

 手足に力が入らず、身体を持ち上げることが叶わない。

 氷より冷たい水に抱かれたままで、俺が吐き出した血液が流れを赤黒く染めていく。血液は思うよりも黒い。どうしてこんな色になっているんだと思考しようとしても、息苦しさに屈してしまう。

 宗像の血を引く自分自身の血液を何とか飲み込んで体内に取り込んでも、傷の治癒に時間がかかっている。それにじわりじわりとしびれが全身に広がってきている。

 モズは刃に何かぬっていたか、もしくは、俺達の何かを無効にする呪をかけているのかもしれない。

 何とか呼吸だけでも整えて、頭を持ち上げようとした。だが、誰かにもう一度、頭を押さえつけられた。

 激しく金属がぶつかる音がして、頭上で火花が散る。

 珠樹が俺の身体の上にまたがるようにして、刃を槍で受け止めていた。そのまま珠樹はモズの身体にけりを入れ込んで、距離をとってくれる。

 珠樹が俺の肩口をつかみ、上半身をひきあげてくれた。

「足に力入るか?」

 珠樹に肩をかりて俺はようやく立ち上がった。

「このままきけよ、雅。 津島は何を隠してる?」

 彼女に問とわれて、俺は首を傾げた。

 隠し事などない。思い当たることが何一つない。

「質問を変える。 津島の口伝とは何だ?」

 口伝と言われても、宗像のそれとは比べ物にならないくらい並のはずだ。それほどの問題があるとは思えない。

「雅、お前にとっては当然のことかもしれんが、他の家の私達には普通じゃないことがある。 さっき召喚した八雷は根の国の神だな?」

「そうだ。 根の国の神に力を借りただけだ。 宗像ならきっと皆できることだと思うぞ?」

「根の国の神に力を借りれるのは黄泉津大神の守護を受けた人間だけだ。 私のつたない知識でしかうまく言えないが、お前以外できないだろう。 私の父親や悠貴の両親ですら難しい。 何故なら、正式な術を発動できるのは女王一人のはずだからだ」

「そんな! 親父は短時間でも使えたぞ……」

「そもそも王でもないお前やお前の父親がそれを使えること自体が普通じゃない」

 珠樹が眉をひそめて言った。

「根の国の神に力を借りれるのはお前とお前の父親だけか?」

 俺は静かにうなずいた。他には誰もいない。

「あ、違う。 親父は俺が使えるようになってからは全くできなくなったから、今は俺だけだ」

 はっとして俺は珠樹の顔を見た。

 失念していた。俺は俺自身が十分に狙われるに値する爆弾をもっている。

 甦りができる黄泉使いは一人きりだと親父から言われていたじゃないか。

 かなり昔のことすぎて、忘れていた。

 根の国の神の最大の力をかりるのは理不尽に王の魂を奪われたと判断し、そこに大儀を以て己の魂を砕いてでも取り戻すと覚悟した時のみ。だから、御魂返しは王もできないことだと親父は言っていた。

 絶対に使うことのない技の事だから忘れていてくれて構わないと言った親父のせいで、すっかりくっきりと忘却の彼方だった。


「順に流るる魂を反に転じるは根の国の主の声を聴け、だろう?」

 

 珠樹に言われ、俺は静かにうなずいた。

 どうして珠樹が知っているのかとかは聞かなかった。何でもありの公介さんの娘だ。それに津島はこれを宗像に隠していたとは思いにくい。

 津島口伝の最終奥義は御魂返し、別の言い方をすると反魂、つまりは甦りだ。

 だが、それは己との引き換えになる。だから、最終奥義であっても生涯使うことのないまま終わるのが当たり前のもの。故に、父は奥義とは言えないと口にしていたことも思い出した。


「親父がな、200~300年、下手したら500年に1人しか当選しないはずの爆弾が俺に来たと話してたのを思い出したわ。 その中でも俺はピカイチらしいから、あんたは黙っていられなくなったわけか」


 闘い方はもう決めた。モズは俺を殺せない。いや、半殺しまでしかできない。もうこれは高をくくっても良いだろう。命ギリギリでやりとりしても構わないという確証にかえた。

 俺達の代では津島が濃いのは俺だが、実は悠貴も貴一も津島の血が混じっている。

 こういう才は器を選ぶ。適格者を確実に選んであっさりと移行するだろう。

 俺が死ねば、これが確実に貴一へ移行することは予想しやすい流れだ。


「俺はまだ理性的にとどまる方だけど、アイツは衝動的だからやっちゃうよ」 


 おどけて言ってみるが、状況は最悪のままでかわりないことはわかっている。

 この場において強者は圧倒的にモズのままだ。

 モズの目的が甦りがらみだったとして、何をどうしたいのかもわからない。

 俺達の女王はまだ死んでいない。ゆえに、意味がない。

 モズにとって反魂されて困るのは女王じゃない。

 だけれど、御魂返しは王の魂を取り戻すためのものであり、発動条件も何もかもがややこしい。黄泉使いの王以外の者を甦らせることは不可能。

 なるほど、歴代の黄泉使いの王の中にモズにとってのドボンがいるというわけか。


「あんたにとって甦って欲しくない王がいるってことか?」


 あれだけ涼しかったモズの表情が憎悪に歪む。

 正解を言い当てたらしい。

 モズは冥府がらみの人間ではない、間違いなく元黄泉使い確定だ。

 モズの目的をはっきりさせることができるのは親世代だけだ。だから、どうあっても親世代をたたき起こすほかない。俺達ではきっと目的を明かすことはできない。

 ここは最悪でも引き分けにして策を練り直す必要がある。

 もうあれをやるしかない。

 俺が呼び出せずに倒れる方が早いかもしれない。

 同じ日に二度も使ったためしはないし、俺は今やボロボロの上、命は風前の灯火。


「最後までやりあおうぜ、鳥さん」


 俺は意外と運が良い。凶を引くのは貴一くらいのものだから、たぶん、俺はやれる。賭けには勝てるはずだ。

 珠樹を自分から離して一人で立った。


「いくぞ、俺」


 刺された傷が痛む。普通に痛い。笑えるほどに痛い。

 歯を食いしばり、軽く足を開き、息を吐く。

 全員に耳を塞いでいろとハンドサインをした。


「闇夜の帳、根の泉より来たれ、予母都志許売!」


 地鳴りは轟音となり、地と空気が揺れる。

 はじめて呼び出す。どうなるかなんかわかりやしない。

 うまくいかなかったのなら、俺は力負けして喰われて終わり。

 だが、それも運命と受け入れる。

 地割れしたその暗い狭間から頭をもたげた真っ黒な蛇がこちらをみた。

 強烈な頭痛にさらに歯を食いしばり、片側だけ羽織をぬいだ。血液ならちょうどある。モズにやられた刺し傷から流れ出てくる血を見せた。


「餌だ、くれてやる」


 蛇が俺の傷から流れ出てくる血液をなめとっていく。気持ち悪いが致し方なしとあきらめた。

 再度、予母都志許売とにらみ合う。抑え込め、コイツを抑え込む。

 電波に近い高音の叫び声をあげて、蛇がもう一度、俺の眼前に顔を寄せた。

 そんなんじゃ、俺はびびらない。


「闇は闇、穢は穢! 堕ちた魂を切り裂け!」


 黒蛇はくるりとモズを見て、再び、耳ではなかなか聞き取れないほどの高音を奏でながら咆哮する。

 音波に近い衝撃波で、分身はすべて粉砕した。

 俺は自分で呼び出したのにあまりの威力に怯えてしまっていた。

 モズの左肩もぽっかりと穴が開いている。しかも、再生に時間がかかっているのがありありとわかる。


「このままだ、おせ!」


 黒蛇が地中に潜り込んだかと思うと、モズの足の下に粘稠性の高い沼が現れる。

 沼からは複数のただれた腕が現れ、モズの足を拘束した。

 くそう、視界がかすんできた。

 これ以上はもう使えない。それを悟られてはならない。


「逃がすな!」


 俺の声に黒蛇が応じるように、モズの身体に巻き付こうとした。

 だが、モズはそれを敵ながらあっぱれなほどの身のこなしでよけ切った。

 そして、舌打ちをして、姿をくらました。


「追え!」


 予母都志許売が夜闇に身を溶かし込んで消えた。

 モズはここにはもういないということか。

 悔しいが、実はほんの少しだけホッとした。

 俺の限界はとっくに超えている。最後の命令など神の気まぐれできいてもらったに近い状況だったがモズに悟られずに済んだ。


「もう、無理だ」


 退けるので手いっぱい。術が解けた。解けてしまったなら、もう追跡はできない。

 勝たねばならんのに、弱音がこぼれおち、俺はその場に崩れこんだ。

 本気でもう身体に力が入らない。また、水の中に倒れこむしかないのか。


「雅!」


 近づいていく水面。だが、俺がそこに突っ込む寸前で、珠樹が受け止めてくれた。

 ありがとうと言おうとしたが、うまく息ができず、声がでない。

 遅れてやってきた慟哭がもうとんでもない規模で襲い掛かってくる。

 このままでモズがここへ戻ってきてしまったら、次の手がない。

 瞼がさがっていく。意識が遠のいていくのがわかる。

 珠樹に京都へ戻れと伝えてやらなくちゃならないのに、俺は必死に珠樹の腕をつかんだ。


「戻れ……」


 もう限界だった。 

 珠樹の声が遠くなっていく。ひどい耳鳴りまでする。

 珠樹が救いを求めている声がうっすらと聞こえた。


「貴一! 雅を助けて!」


 駄目だよ、珠樹。

 貴一はここへきちゃいけないんだ。

 貴一をチェス盤で動かしちゃいけない。

 珠樹だけでも何とか京都へ戻って、悠貴と静音と策を練り直すんだ。

 モズは俺達がまともに闘って何とかなるレベルじゃない。

 優先順位は明確だ。一に女王、二に女王、三に女王だ。


「たぶん、悠貴が正解だ……」


 そこで、俺の意識はぷつりと途切れた。

 

 

 

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