第42話 白い世界
私の名前は宗像志貴だ。気を抜くと名前を奪われてしまいそうになる。
「王樹、お前はメリットなのか、デメリットなのかわからんな……」
王樹、それは日本に居る黄泉使いの能力の源であり、魂の在りか。
宗像の王である私もまた、王樹なくばおそらく存在していくことが困難になるというほどの最重要拠点。
王樹の主としてコントロールする人間がいなくなれば、王樹は日本の黄泉使いを援護することはない。また、不遇の時代へと逆戻りすることになってしまう。
「私は宗像約定を復活させるわけにはいかない」
宗像約定とは宗像の当主が一人でこの王樹の代わりを果たすシステムをいう。
秘匿されたこの約定は口伝のみで、当主を継いだ人間にしか知りえないものだ。
王樹は日本にいる全黄泉使いの能力を維持し、供給している。これを失えば、この役割を宗像のたった一人が背負い、黄泉使いの能力を維持するためだけにその一人の魂が砕けるまで消費される。だから、宗像の当主は必然的に短命に終わってきた。この不毛なシステムはもう二度と運用すべきではない。
「王樹を取り戻したのだから逆戻りだけは避けないとな」
日本の黄泉使いの能力の底上げが一気に進み、始祖のレベルにまで後少しというところまで戻ってきている。この事実は冥府からすれば恐怖だろう。
かつての栄光と尊厳を取り戻せば、冥府に抑えつけられて、怯えて、へりくだっていた時代は終わる。
「黙っているわけがなかったな……」
王樹は日本にのみ存在している物ではない。世界に最低4本はある。日本の黄泉使い達の復興を目の当たりにした残り3本の主は当然後を追ってくるだろう。そうなれば、最低でも王樹の本数分の黄泉使いの組織が冥府に対して反旗を翻すこととなる。
「私たちにとって王樹は宝だが、癌でもあったということだな」
反旗を翻せばどうなるかという見せしめが必要となる。
まずは日本の私、そして、王樹の再建をついぞ成し遂げたばかりの東アジアの楼蘭。私と彼の関係性を知っているだろうし、おそらく同時にたたかれているだろう。
楼蘭が逃れることができているのなら、早々に私はここから出されているはずだ。
何の救援もないということは、私も楼蘭もそろって監獄入りしてしまっているということだ。まさに正真正銘の最悪の状況でしかない。
互いの半身である獣も同様に捕縛か何らかの形で封印されている可能性がある。
私はかろうじて朔を突き飛ばし、共に封印されることからは逃れたが、楼蘭はうまくやっただろうか。
私の袖口に付着している血液は朔のものだ。朔はわき腹に大きな傷を負っていた。
あふれ出てくる血液をとどめようとおさえたが、どうしようもないくらいの量だった。あの時、とっさに私の血液を朔に飲ませたから、傷は癒えたはずだと信じたい。
朔に血液を与えるために短刀で切り裂いた右腕の皮膚の傷を見た。まだ生々しい傷跡をさらしてはいるが、もう出血は止まっている。私が癒えているのならば、朔も大丈夫だと思いたい。
私の朔は易々とやられたりはしない。だけれど、眠らされてはさすがの朔も戦はできない。それでも、途切れ行く意識の中、私の朔はおそろしいまでの戦闘能力を発揮した。まばたきほどのコンマ数秒でトップランクの悪鬼を数千は薙ぎ払っただろう。
突き飛ばした私の意志を組みとり、朔はかろうじての意識を繋ぎ、根の泉へ姿を溶かし込んでいったのをこの目で確認した。だから、朔の身体がやつらに捕縛されたとは思えない。
「私たちがいつ冥府の者になりかわろうとした? 微塵の興味もないのにな」
冥府にとっての一番の危険因子は間違いなく私。その私の手足をそぐこと、もしくは私自身の命を絶つことに注力してくるかと思っていたのに、彼らは私も私の周囲を固めていた者達もすぐに殺さないという選択をした。
「何を狙っているかは知らんけど、この甘い選択はいずれあんたらの首をしめるぞ」
この時に主力を背負わざるをえなくなった宗像の子供たち。そんな彼らでも、簡単に従属するような性質にない。
「とことん可愛くないのがこの宗像志貴が率いる血族の特徴だからな」
くくくと喉がなるほどに笑いが零れ落ちた。
無傷とは言えない、えぐい闘いを強いられているのは手に取るようにわかる。
私が不在の間に奪われた命があったとして、それが運命だったと素直に受け入れられそうにない。私が戻ったのなら、あったこともないが閻魔大王に怒鳴り込んでいって、理不尽に奪われた命をもぎ取ってきてやる。そう言いたい。
「本当はもう命は戻らないんだけどな……」
甦りはそこに大儀がない。本当はそんなことは嫌というほどにわかっている。リアリティの欠けた思考であるというのもわかっている。
それでも、返せと怒鳴りつけるくらいはしても良いはずだ。
「一刻も早く戻らねばならない」
方法論を探り続けるが思いつきもしない自分に苛立ってばかりだ。
私の王樹ではない大木をにらみつける。
ここはまるで棺桶だ。私をこの張りぼての軸にするつもりか。
「王樹の似て非なる物の作り方が何となくわかった気はするが、おとなしく鎮まるつもりはない」
私の知る王樹はこんなに無機質で造り物のような匂いはしない。
「うちの王樹! お前、今こそ本気で助けろよ」
そっけない声が返ってきそうだが、あれでも高性能な王樹。
嫌みなアイツだが、ベストなタイミングで動いてくれると信じている。
日本にある王樹はその所在を固定はしない。
発見当時は場所は固定されており、封術で隠されているものと思っていたが、真実は違っていた。
うちの王樹は四六時中場所を変えており、王樹へと続く道は108の扉によって閉ざされており、私自身、気を抜くと本物の扉を見抜けなくなるという難儀な代物でもある。
仮に正解の扉を選べたとしても、王である私の命令がなくばその道はもはやなきも同じというほどに過酷なものとなる。
王だけが立ち入ることが許された禁域は何物の目にも触れることは許されず、いかに冥府の高官であろうとも関与どころか察知することもできない。
私の他に私と同じことが許されているのは朔のみのはずだった。
「そう、思っていたんだがなぁ……」
歯ぎしりするほどに口惜しい。
私も朔も決して気を抜いたわけではなかったし、冥府の無理難題にも腹が立つほどにこらえて、こらえて、こらえきって善処してきたはずだった。
「私の顔によくも泥を塗ってくれたな」
こぶしを握り締めると爪の先が食い込んで、皮膚を傷つけた感覚がした。
手のひらをゆっくりとひらくと血がにじんでいる。
この血は100%諦めの悪い成分でできている。
ぺろりとそれをなめてみると、じわじわと力が戻ってくる。
「まだいけるな」
この空間は私からすべてを取り上げることはできていないようだ。
だけれど、先刻から指先に痛みが走り始め、指の先が赤くただれてきている。
「私を吸収しようというのか?」
二つ名を持っている王である私と楼蘭はそう簡単には吸収されはしないだろうが、五体満足、無事でいられる時間はあとどれくらいあるのだろうか。
日本の黄泉使いにおいて史上最強と言われようがこの様ではどうにもならんではないか。自分が史上最強と言われる理由は私の朔にあると思っていたが、その朔も易々と眠らされた。評判とはまったくあてにならないものだと自嘲する他ないな。
「しかしながら、腑に落ちんな。 私たちが易々としてやられるか?」
そう、『易々と』が問題なのだ。
何度も言うが、私も朔も気を抜いていたわけでも、ぬかったわけでもない。
私たちをこうも易々とはめることができた奴が居たということだ。しかも、内情に恐ろしく通じている奴がいたということだ。
「真実、何を狙っている?」
目的がまだはっきりしない。標的は間違いなく子供たちだ。子供たちに何かあるのか、いや、何をさせたいのかが目的なのかもしれないな。
『紅の王世代をもれなく眠らせろ』
あの時、聞いた声は女の声だった。縛り付けられていたから、顔はよくは見えなかったが、間違いなく女だった。
命令は殺せではなく、眠らせろ。
あの時も違和感でしかなかったが、見せしめにして、脅威を取り除くのならば、私たちは抹殺しておくべきなのに、眠らせろとはどういう意味だ。
そして、女王となって以降、ほぼ壊滅状態にしたはずのS、SSクラスの悪鬼の数が倍増しているのを目にした。何がどうなっているのかからくりが読めない。
「鈴の音!?」
無音の世界にわずかに鈴の音がした気がする。
周囲を見回すと、相も変わらずのおそろしいまでに真っ白な壁しかない。
真っ白い箱の真ん中に王樹に似た木があるだけの世界。
わずかに髪が何かに巻き上げられ、頬を叩いた。
無風だった世界に風が吹き込んできている。
私に届こうと手を伸ばしている連中がいるのかもしれない。
面白い。
ここにきて、流れが大きくかわりはじめている。
私は大木の前に座り、あぐらをかいた。そして、ゆっくりと目を閉じた。
「ここにいる」
私の気配をつかめ、そして、この壁をぶっ壊せ。
「一心、良い加減、目を覚ませ!」
何よりもまずはお前だ。
お前が目を覚ませば半分以上の問題は片が付く。
敵もそれは百も承知だろう。朔を封じられれば、私が何もできないという評価はあながち間違いではない。だが、侮るなよ。王はこの私だ。何もできないと思われては心外だ。
外界と隔絶されていた空間に微小な綻びがあるとわかれば、できることがある。
「職業女王、なめんなよ」
宗像の王である私とて一人の黄泉使いであり、私の得意分野は召喚。
印を組み、ゆっくりと息を吐く。針の先ほどの穴かもしれない。だが、それでも穴は穴だ。強烈な助っ人をあちらへ送り込んでやる。
「闇夜の帳、根の泉より目を覚ませ、予母都志許売、八雷」
あわせた指の先にぽうっと小さな炎が浮かぶ。
「闇は闇、穢は穢。 黄泉津大神の名をもって命じる。 予母都志許売、八雷よ。 吾血族の声に応じて盾となれ。 吾の帰還までこの命令を反故にすることは断じて許さん」
シュッと音を立て、すぐに炎が吹き消された。だが、もう遅い。この数秒を私に与えたのが間違いだったな。もう、この言霊は発動しているし、あちら側へ渡った。
子供たちの中には史上稀にみる召喚の才に恵まれた者がいる。その子供は確実にこれを使い切るだろう。これを盾として使い、何としても皆を護れ。
そして、封印術を解くことのできる目を持つ者もいる。その子供が封印を解けば、私が戻る。私が戻れば、眠らされている全員をたたきおこして、総攻撃してやる。
「頼むぞ、子供たち。 お前たちは強い!」
お前たちの才能をあますことなく使い切ってみろ、後に盛大に誉めてやろう。
身体が沈むような感覚がした。
眠い。なるほど、ここで術を行使すればその跳ね返りは大きいというわけか。
ずるりと身体が倒れこんだ。
くそう、この私がこうもやられるとはと唇をかんだ。
瞼がおりていく。眠りたくなどないのに、引きずられる。
手を伸ばす。
いつもそこにあった手を探す。安心できるあの体温を求めて手を伸ばして空をつかむ。届かないとわかって涙が零れ落ちる。
悔しい。悔しいんだ。
「一心、目を覚ましてくれ……。 頼む、私を殺すな」
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