第41話 大禍の反撃
「津島雅、君たちは大禍だよ。 天がそう創ったのだから仕方ないよね」
月明りがわずかに足元を照らしている。
瀑布はその流れの強さをゆるめることはなく、水しぶきをあげたままだ。
草木の香りに、死臭がまじる。
深く息をすいこみたいが、悪鬼の死臭に胸を悪くしそうだ。
肺を新鮮な空気で満たせないまま、敵の意図をさぐる。
「千年に一度の大禍ってどういう意味だよ」
俺の問いに、モズが品のない笑みを浮かべて、こちらへ向き直った。
珠樹も俺の横に立ち、じっと奴の出方を待っている。
大禍とは大きな災いを指す言葉でしかない。
「八十禍津日神と大禍津日神。 これなら、わかるか? 君たちは禍津神の魂を持っている」
八十禍津日神と大禍津日神は、黄泉から帰った伊弉諾様が禊を行って、その身の穢れを祓ったときに生まれた神を指す。
禍々しいという言葉を名の頭に被る神だけあり、災いをもたらす、または災いの源であるとされている。その禍津神の魂を俺達がもっているという。
愉快だろうとモズは笑っている。
「黄泉使いは穢れだ。 災いを呼ぶだけ。 その最たるものが大禍と呼ばれる魂。 ゴールデンエイジとは物は言いようだと思うがねぇ。 何にとってのゴールデンエイジなのか、そうは思ったことはないかい?」
悪鬼が滝から流れてくる清流に足を踏み入れた音が後方で聞こえた。
いたちごっこだ。減らせども、減らせども投入されてくる。
ふうと息を吐きながら、視線をはずさない。
モズから視線をはずした瞬間に、間髪入れずにやられるという危機感があった。
濡れた前髪からしずくが伝い、輪郭をなぞっていく。
まつ毛でふせぎきれなかった水の流れが目の中へ流れ込んできても、閉じることができない。
イスカやヤマガラ、アオジ。彼らも強かった。だが、モズは違う。
「八十禍津日神と大禍津日神ってのはな災い、凶事を司る神ってだけじゃないんだぞ。 お前、知らないのか?」
単なる厄疫神ではなく、祝詞などの呪の言葉と関係する神であり、神祭りの時に神に対して間違った言葉を奉じると災厄をもたらすという一種の言霊的な神霊だ。逆にいえば、正しく祀れば凶事の災厄から人々を守護する力を発揮するというわけだ。
八十禍津日神と大禍津日神は邪を克服させる強力な存在ということだ。
「災い転じて何とやらって知ってるか?」
黄泉使いは穢れだというのなら、それはそうだろうと言い返してやろう。
黄泉使いは、悪鬼に触れて生きているのだから穢れ上等、仕方がないだろうがと言ってやろうか。
「ゾンビ映画よりひどい醜悪な奴らと触れ合って生きていくのに、美意識を携えたことは残念ながらないしな」
凶悪だとか、不浄だとか、穢れだとか、そんな物で心は傷つかない。
そもそも綺麗で、高尚な仕事をしているとは思えないしと珠樹がふっと笑った。
「私達、もとからそんなに品行方正な方でもないんだ」
宗像は気分を害した者は何でもかんでも狩ると冥府の奴らはそう言うらしいときいたことがある。間違いない、正解だ。
「なぁ、珠樹。 売られた喧嘩はもれなく買えってのが女王様の教えだから、確かに俺達、大禍なのかもしれないな」
「人に対しての大禍ではなくて、あんたらにとっての大禍にあたるのなら、女王様に褒めてもらえそうだ」
珠樹が俺の肩に手を置いて、笑った。
冷静に行こうという気持ちがうれしかった。
「こちら側に来たら良いのに、残念だねぇ」
モズがわざとらしく手を広げている。
神経をいちいち刺激してくるモズの目をぐっとみた。
「俺達、千年に一度の大禍なんだろ? 簡単に取り込めると思ってんの?」
モズの背後にゆっくりと人影が見える。
巽だ。
巽は大きく左腕を傷つけられたようだったが、まだいけるとこちらを見た。
「あぁ、動くんじゃないよ、影の者。 話しは最後までちゃんと聞くもんだよ?」
モズは巽の前に氷のつぶてを投げ捨てた。
巽がそれを寸手のところでかわした。
モズは嘲笑し、後ろ手に背から何かを引き抜いた。
それが矢だとわかった時に、俺はようやく気が付いた。
「お前、黄泉使いの幼い子供を殺したか?」
モズは捕えた獲物を、小枝などに串刺しにしたり引っ掛けたりして放置していくという習性がある鳥だ。
生きたまま串刺しにされた獲物は一部を食されただけで、すべて食べられることはほぼなく、干物状態になるまで放置される。
この習性を『モズのはやにえ』や『モズのはりつけ』と表現される。『はやにえ』とは端的に言って生贄のことだ。
「さぁてねぇ。 興味がほんの少しでも湧いていたとしたら、どこかに打ち付けて残しておいたかもしれないけれど?」
モズは唇をなでるように長く白い指を動かした。
わざとのように、狙う気もない速度でモズが矢を放ってきた。
俺の足元まで1メートルもないところでそれは落下し、浅い水底につきささる。
俺は矢を引き抜き、矢じりの形を見た。
椿を貫いた弓矢の矢じりを胸元からとりだした。
並べてみるまでもなく、同じものだ。
妹の椿を射抜いたのは間違いないモズ、こいつだ。
「雅君のお探しの矢じりだったかな?」
モズがくすくすと笑っている。
わかっていてやっていることなのだろう。はらわたが煮えくり返りそうだ。
「ねぇ、雅君、津島は誰一人逃げようとしなかったよ」
巽が黙れよと怒鳴っている。
湊と珠樹がのせられるなと俺の名前を呼んでくれた。
「負け試合だとわかっていても、誰も逃げないって馬鹿だよね」
ふざけるなよと、怒鳴りたい衝動を喉の奥でとどめた。
歯を食いしばりすぎて、血の味がする。
もうその手にはのらない。あくまでも冷静にいく。
「私はね、津島だけは徹底的に見逃すつもりはないんだよねぇ」
宗像が王族の血だ。その宗像ではなく、津島を狙う意図がわからない。
津島を壊滅させて、俺をたたいて、モズに何のメリットがあるんだ。
冷や汗が額から伝い落ちていく。
「雅君が生き残るための選択肢は一つだよ。 私の側へ来ること、これだけ」
俺が断ると短く答えると、モズはふっと笑った。
「死んでしまったら何もできないだろう? とりあえず、こちらへ来てみてから、私の寝首をかくスタイルで構わないんだよ? いつでも殺しに来てくれて構わないというとっておきの提案だよ、雅君。 私の所へおいでなさい」
モズがふいに動いて、俺の首筋に指で触れた。
全く動けなかった。
「大禍の中でも君は少しだけ毛色が違うんだ。 最凶という奴だよ。 雅君、私はねぇ、興味がある者は早贄にしておくのが趣味なんだ」
モズから繰り出されてくる腕をとっさに止めてくれたのは巽だった。
巽がモズの腕をひねり上げ、俺の身体を突き飛ばした。
直後、巽の身体から血しぶきがあがった。
巽がその場で片膝をつき、肩で息をしている。
その血の匂いに、一斉に悪鬼が集まり始めるのをモズは横目で確認して、すっと背後へ飛び退った。
湊が巽の身体を支えるようにして、離脱をはかろうとしているが、悪鬼の群れにはばまれた。その数が倍に膨れ上がっている。
俺と珠樹が彼らに近づく悪鬼を一斉に薙ぎ払って、半径4-5mのサークル状になけなしの安全地帯を確保した。
この状況で、どこから来るかわからないモズを迎え撃つしかない。
「あらあら、袋のネズミって感じ?」
木の枝の上に立っているモズがにやりと笑んだ。
「しばらく待っていてあげようねぇ。 何だか緊急事態みたいだし。 ほら、背後!」
モズが面白そうに笑って、枝に腰かけた。
「いつのまにこんなに距離を詰められた!?」
背後から刃物を振りあげられた感覚がした。
悪鬼で刃を振るう者がいるとしたら、考えたくもないが、SもSSも超える奴。
黄泉使いでもハイレベルの奴の遺体を捕食したか、それ自体が堕ちたかのどちらかだ。まともに相まみえてはいけない。
指先で印を組み、一つ息を吐いた。
珠樹と巽、湊に目を手で覆えというハンドサインを送る。
「闇夜の帳、根の泉より来たれ、八雷が一つ、伏雷!」
轟音とともに、地と空気が揺れる。
足元の水が持ち上がり、ぐにゃりと姿を透明な蛇にかえる。
「餌だ」
俺はその蛇に自分の指先からあふれた血を吸わせた。
「闇は闇、穢は穢! お前の眼を見た者すべてを根の泉へ」
ぱしゃりと周囲へはじけとんだ水の雫一滴一滴に眼がついており、その雫はアメーバのようにうねり、その眼の部分をもちあげて、付着対象の目を探す。
固く閉じられた瞼ですら押し上げて入り込むほどの強度。
瞼を手で覆わない限り、伏雷の目をみてしまうことになる。
悪鬼と向き合えば、負ける可能性がある。だから、これを使うしかない。
モズの目の前で手の内を見せるのは得策とは言えないが、それでもこれしか思いつかなかった。
そして、ずるずるずると引きずり込むような音が方々で聞こえる。
「伏雷、礼を言う」
ガクンっと膝の力が抜けた。
ついた膝が水に浸かり、一気に体を冷やしていく。
頭痛と嘔気が一気に責め立ててきて、思わず、両手をついた。
親父ですら体調万全でないと呼び出せるかどうかもわからないと話していた相伝の召喚術。黄泉使いにあって八雷と契約できているのは津島だけだ。
宗像は神の獣がついているから他の神霊との契約はなかなかにハードルが高い。故に、これは津島の大きな武器でもある。
「もう見ても大丈夫だぞ」
三人に声をかけるまではよかったが、直後、激しくせき込んだ。
あまりにきつくて、へへへといっそ笑いがこぼれた。
現時点でここにいた悪鬼はこれでゼロだ。
「津島にはこれがあるから嫌なんだよね。 雅君、やっぱり君は大禍にあって一番はた迷惑な人間だ」
津島相伝の召喚術があることをどうしてモズが知っているのか、大きな疑問がわいたが、もういちいち考えていられない。
「ちょっと黙ってろよ、あんた」
俺はゆっくりと顔を上げて、モズの目をみた。
「良い目をしている。 雅君、もう一つおまけの提案をしようか? 君がこちらへ来るのならば、君の幼馴染を見逃してやっても良いよ」
モズはにやりと笑んでいる。
「断る! お前が見逃すわけがないし、俺たち全員を生かしておくはずがないだろうが!」
「もう少し返答に時間をかけて吟味してほしいねぇ。 でも、まぁ、そうだねぇ。 嘘はいけなかったねぇ」
俺の召喚術の発動具合を見ても、モズは退く気がないらしい。
まだ、余裕があるというのか。
モズはやれやれというように両手をあげてみせて、こちらをゆっくりとなめるように見た。
「穂積珠樹ちゃん、あなたは逃がしてあげる。 私を本気で殺したいなら、助けを呼んでおいで。 私をたたける器を、あなたが連れてこられるかな? 果たして雅君と影の2名がどれほどの時間もつかな? あぁ、怖くなったら、逃げてこのまま捨て置いてもらって良いのよ?」
モズがくすくすと笑う。
珠樹の眉に深くしわが刻まれている。
「私がまんまと助けを呼びに行くとでも? 自分の仲間を危険にさらすバカがどこにいる? 私と雅がここで死んだって構わないんだ。 親世代やられてから、そういう覚悟はもうできてるんだよ。 宗像一門、なめんなよ」
珠樹が俺に手を差し出してくれた。
俺はそれにつかまって立ち上がった。
「津島と穂積でどこまでできるか、みせてやるよ」
俺と珠樹は互いの神の名を口早に唱えた。
絆をもっている俺達を見くびってもらっては困る。
それに、貴一も静音も悠貴も必ず何とかしてくれる。
俺達はそれを信じて、今、ここでできることをする。
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