第44話 血の同胞

 外の 陽はまだ高い。夜はまだまだ遠いのに、ここは常に夜だ。

 夜目に慣れないと、足元すらあやしいほどの暗闇。視界を墨汁で塗りつぶしてしまったような暗闇。きっとこれが深淵の色なのだろうと思う。


「貴一、大丈夫?」


 すぐ隣で静音の声がして、僕はひとつうなずいた。

 閉鎖された空間と手つかずの自然が残る空気は独特の湿気をはらんでおり、数分で全身の皮膚がしっとりと濡れてくる。体温はものの見事なまでに一瞬で奪われる。

 凍り付いた地面からタケノコの形の氷がポコポコと顔を出し、天井からぼたぼたと水滴を落ちる。そこを見上げると、氷柱が頭の上で並んでいる。


「静音、ここ滑るから気を付けて」


 そっと手を差し出すと、静音が僕の手を握り返した。

 天然の洞窟をすすみ、突き当るとそこには地下へと誘う石段が現れる。

 整った石段というよりはごつごつとしたむき出しの岩をただ階段然に並べただけで、表面は苔が広がり、縦横無尽に蔦が絡んでいる。

 バランスを少しでも崩すと滑り落ちるのはわりと簡単だと思う。

 思わず壁に手を這わせると太い樹の根、所々指先を傷つけてしまうような棘も潜んでいる。

 こんな拠点を複数もっている我が組織であるのに存在が稀有すぎて、役割どころか、存在すら認知されていない。

 祈祷師や陰陽師、死神の方がスター感があって良いなぁと何となく思ってしまうほどに本当に認知度が低い。悪霊はきっと御魂の域だから、祈祷師や陰陽師の領分でも良いと見逃すことは多いと思うが、それが悪鬼になると完全にこちらの領分だ。


「悪鬼を狩ってるだけで良いなら楽なのになぁ」


 黄泉津大神より悪鬼を狩るという才を与えられた魂を持つ者を黄泉使いという。

 黄泉使いは黄泉津大神の縁の者達だから生きた者の道に触れてはならない。

 生死の大いなる線引きの従って、人の生死、生物の生死にはかかわらないが、死した後には関与する。このルールを遵守しているからこそ、死後の闇の象徴である悪鬼を退ける能力が与えられているともいえる。

 対象は悪鬼、もしくは死人。死神と呼ばれる人たちがそれのどれに該当しているのか、しないのかもわからない。もしかしたら、僕たちは完璧に理に触れているのかもしれない。

 闇をもって闇を祓う。穢れをもって穢れを祓う。滅殺ではなく、赦しをもって輪廻へ戻す。輪廻へ戻れぬほどの穢れ深い者は永の別れとして魂を砕き、無に帰す。

 これ以外の仕事は本来は黄泉使いの存在目的にはない。

 それなのに、只今、この時、僕たちは悪鬼と向き合う仕事を放棄して、自らの存在意義をかけて死神とやりあっている。


「宿命を従えてやる」


 僕のこの言葉に、すぐそばにいた静音が首を傾げた。

 わからなくて良いんだと僕は彼女の肩に手を置いた。

 そう、今はまだわからなくて良い。

 宗像壱貴から耳に押し付けられたピアス。このピアスはデータバンクそのものだった。両目がそろったことで、簡単にそこへリンクし、データを引き出してくることができる。

 そこからわかったことは僕の未来は呪われているということ。このままいけば確実に僕は自分が思い描いた未来を手にすることなどできない。そんなくそおもしろくもない人生が待っている。それがわかったから、是が非でも『そんな未来』は受け入れないと決めた。

 『お前の人生はこうだ』と突き付けられた宿命とやらを足蹴にして、逆に支配する以外に手がない。

 心配そうにこちらをみる静音の頬にそっと手を伸ばした。彼女がもう運命共同体となってしまったというのなら、僕は僕に絶対に勝たねばならない。


「行こう」


 母なる黄泉津大神の守護の深い王樹。僕たちの心臓部そのもの。

 僕が命じれば王樹への最短距離が開く。

 最短距離と言っても僕は王代行だから、半刻は有する。

 王樹の泉へ春の雪とコルリを招き入れるには正直抵抗があった。

 でも、壱貴が担保すると言うから無理矢理に飲み込んだ。

 水の香りがして、僕はすぐ後ろにいた静音を軽く振り返った。彼女は小さくうなずいて、目にも止まらに早さでコルリの腕を後ろ手に縛った。

 奏太と壱貴が大丈夫だと声をそろえて言っていたが、僕は首を横に振った。

 コルリが一瞬僕の方をにらみつけてきたが、彼は抵抗しなかった。それどころか、仕方ないとなされるがままで居てくれる。

 壱貴がコルリのそばにかけより、静音の腕をつかもうとしたが、僕の言葉にその動きは完全に静止した。


「ここでの意思決定の上位は僕だ」


 壱貴がこちらをゆっくりと振り返る。彼は腕一つ自由に動かすことができないからだ。

 呪縛を解けという彼の怒りの表情を僕ははじめてみたが、首を横に振った。僕の意志に反するものはすべて動きを封じる。ここは僕らの心臓部。勝手はさせない。

 これから彼らが目にする景色はさらに殺気をあおるには十分となるはず。だから、僕は絶対に解かないという意思表示をした。

 壱貴が不服顔のままであったが嘆息し、僕の意志に逆らうことはやめたらしい。

「行こう」

 僕は前方へ手を伸ばすと、柔らかな水のヴェールに指先が触れた。


「王の帰還だ、寿げ」


 パンと空気がはじける音がして、視界が一気に広がる。

 大きなドーム型の洞窟。頭上からはあるはずのない月灯り。その直下には空高く手を伸ばすように大きな王樹。そして、王樹を抱くようにして広がっている泉。

 透き通るようなエメラルドグリーンの泉の水は真っ黒な物で覆われ尽くしている。そう、黒羽織でうめつくされているのだ。

 王樹の根元では悠貴が胡坐をかいたまま、目を閉じている。

 唇をきつく引き結んで胸の前で印を組んだまま動かない。

「悠貴に何をさせているんだ?」

 奏太が顔面蒼白で、僕の肩をつかんだ。額に脂汗を浮かべ、唇が震えている。

「僕を同行させ、ここから離した理由は悠貴にこれをさせるため!?」

「僕は奏太を信用できないからね」

「信用!? 裏切るわけがないだろう? どうしてそうなってしまった!?」

 奏太が僕の頬にゆっくりと手を伸ばしてくるが、その手を僕ははらった。

「誰が敵で、誰が味方かなんてのは、ここまで来たらもう正解がわからない。 だから、僕ら五人と美蘭以外は誰も信用しないことにしたんだ。 そもそも、望である君が残っているのに女王も朔も奪われる事態が打開されない理由は何なの? 君は僕という未来にかけるのではなく、女王を何が何でも死守すべきだったんだ。 そうやって未来へとつなぐためなら、犠牲やむなしと動いてきた君になら、僕がやろうとしていることは逆に理解しやすいはずではないの?」

 僕はゆっくりと奏太の顔を見上げた。

「犠牲!? どんなに御託を並べてもこれはやってはならないことだ!」 

 わかっているのかと叫びながら奏太が僕の両肩をつかんだ。

「自分たちは常にルール無用の場外乱闘上等でなされるがまま。 打倒と立ち上がれば理を遵守せよと重しをのせられる。 これのどこに理がある? 人が生まれ落ち、死ぬという営みが途絶えない限り悪鬼は生まれ続け、無にはならないよ。 真実、悪鬼は狩るべきかどうかもわからない。 悪鬼となりはて地獄を味わう必要がある魂、悪鬼に捕食され死ぬより辛い地獄を味わう必要がある魂を本当に救わねばならないのかと悩みはしないか? でも、黄泉使いは悪鬼を狩れと言われて生まれた血族。 ならばそれが理なんだろう。 今、その理やらが傷つけられている。 だから、取り戻すんだよ」

 奏太は何てことをしたんだとつぶやきながら、その場に膝を折った。

 壱貴は表情を崩すことなく、そのまままっすぐに泉を見つめて立ち尽くしていた。

 泉の底が見えないのはそこに人が沈められているからだ。 

 宗像、津島、穂積、白川の総勢約1500名。

 王樹に近い場所には現黄泉使いのトップの面々が白い手にからめとられるようにして半身のみ沈んでいる。

「全てを集めたのか?」

 壱貴がようやく僕の方へ視線を動かした。その表情にはわずかに僕への恐怖が見え隠れしていた。

「これが日本の黄泉使いの血族全てです。 冥府や僕らの本当の敵がここへたどり着けたのなら、今、この瞬間をたたけば僕らは壊滅する。 どうしますか? やってみますか?」

 僕は岸まで歩み寄る。

 静音が心配そうに僕のそばに立って、こちらを伺っている。

「大丈夫。 僕はおかしくなったわけじゃない」 

「悠貴も本当に大丈夫?」

「大丈夫。 僕の姉さんだ。 皆に制御をかけ、祈らせているだけだ。 これができるのは悠貴だけ。 だから、悠貴の術が完遂するまで何があっても印を解かせてはいけない。 これから僕らが死守するのは悠貴だ。 いいね?」

 静音が大きく頷いたかと思ったら次の瞬間にはもう僕の前にその姿はなく、王樹のたもとにいる悠貴の背後に立っている。静音はもう何でもあり状態。おまけに瞬間移動もできるのかと、僕は苦笑いだ。


「これが祈りだというのか?」


 壱貴が声を震わせていた。その声は低く、怒りをはらんだような響きが混じっている。彼が怒る必要などないと僕は小さく息を吐いた。


「あなたでは思いつかなかったでしょう? 僕らは0か100です。 後の世界のことなど、僕は知りません。 未来へとただ繋ぐだけが必要だと、今がないがしろにされるのなら、そんな世界は僕らには必要ない」


 壱貴の目に明らかに動揺が走った。あなたが抱いた感覚が正しいと思う。

 僕らは下手をしたら、春夏秋冬より、冥府より、日本の黄泉使いの血族にとってやばい奴らかもしれない。


「求められるのは常に線であり、点にはまるで興味がない。 毎度、毎度、繋ぐだけ。 そうまでして変わらないものが欲しいのならば、全てを保存してしまえば良い。 それが絶対にかわらないものだ」


 壱貴の手が伸びてきて、僕の襟首をつかんだ。


「意味があるから繋がっている。 意味があるから繋げているんだ!」

「まだわからないんですか? あなたのような思想こそがこの窮地を生んだことを自覚しろよ! 繋ぐことに執着した結果、多くの者がその弊害を被ってきた。 そうまでして繋ぐことが必要であるのなら、もう終わりにすべきだ」

 壱貴が驚いたように目を見開いた。

「僕らの女王が、僕らが何をした!? 世界の秩序や理など知るか! もううんざりだ! 犠牲となっても皆のためにと尽くせと? 馬鹿らしい! だったら、皆が一人のためにもありってことだ。 女王を奪い、力を削ぐと言うのなら、僕がその削がれたはずのもの携えて何もかもをぶっ壊す! そう言ってるんです!」 

「女王はそんなことを望まないぞ!」

「それはこの先があった時、本人に直接ききますよ」 

「貴一!」

 壱貴が僕の目へと再度手を伸ばす。だが、その指先は僕の目には届かない。

「もう二度と邪魔をするな」

 僕は彼の腕を振り払い、一歩後方へ下がった。

「静音、やってくれ」

 僕が目配せすると、静音は胸元にしまっていた小瓶の蓋をはずした。

 そして、悠貴の唇を押し開き、小瓶の中の真っ赤な液体を飲ませる。液体は僕の血液だ。

 わずかに悠貴の眉間に深くしわが刻まれたが、彼女はそれを飲み干し、歯を食いしばっている。うめき声一つ漏らさず、彼女は印を結び続ける。

「姉さん、はじめても構わない?」

 僕の声に反応するように悠貴の指先がぴくりと動き、『ヨ』『イ』と唇が動いた。

 悠貴が印を崩さずに腕を膝の上へと移動させると同時に、スモークがたかれたように水面を覆い始める。

「姉さん、もうしばらく頑張っててよ」

 僕は短刀で腕を斬りつける。皮膚を裂かれる痛みに軽く唇をかんだ。

 傷口は深く、10㎝程度大きく切り裂いた。こうでもしないとうまくいきはしないだろうと覚悟はしていたけれど、想像以上に痛い。だけれど、この程度であればまだ痛みは我慢できる。したたり落ちる血をそのままに腕を泉へ差し込んだ。


「泉に還りしすべての御使いの魂達よ、応えよ。 王樹より授かりし貴き物を吾に還せ!」


 今、泉の水に触れているすべての黄泉使いの能力を僕が引き受ける。

 心臓が飛び出してしまいそうなほどの熱量は体中の血液を沸騰させてしまいそうだ。奥歯をしっかりとかみしめて、流れ込んでくる物を受け入れていく。

 奏太が僕の名前を叫んでいる。奏太、君は最後の最後で未来を選ぶ性質にある。

 僕は最後の最後に至っても現在にしか興味がない。だから、僕は君を信じられない。そして、時々見せる君の目の奥の光が僕を不安にさせる。


「すべてをよこせ!」


 無茶だと僕の腕に触れようとした壱貴がわずかに眉をよせた。

 僕の狙い、真意をどうやら悟ったらしかった。


「お前の選択が正しくあれと願う。 貴一、真に誰が表になり、誰が裏になるのか、これでわかるだろうが動揺するなよ。 俺の演技も作り話もこれが限界だ。 時間は稼ぐが長くはもたないぞ」


 壱貴が僕の耳元で短く言い放つと、後方へと飛び退った。

 直後にダイナマイトが爆発するような轟音と突風が吹き荒れた。聖域であるこの泉のある洞窟の岩盤に大きく穴をあけられた。

 視線をわずかに後方に向けると壱貴はそこに登場したらしい招かざる客とすでに素手でやりあい始めていた。コルリの縄も彼が切ったのか、コルリもまた攻撃に加勢している。

 僕はそれどころではない。タイミングが悪い。いや、まるでこれを読んでいたかのような登場だな。王樹も僕も丸裸。このままじゃ、やられたい放題だ。

「急げ、急げよ!」

 額から冷たいものが伝い、あごの先端から手の甲へ落ちてきた。

 身体中にしびれが走ったままで、四肢に鉛をつけられたように動けない。

 一刻も早く完了させ、僕はこれに僕自身を適応させなくてはならない。

「こんな時に要らんことばかり次々と……」

 腐臭が風に乗って鼻腔をかすめた。

 大きく破砕された壁の向こう側はおそらく黄泉の最下層。

 ここに悪鬼を招き入れるってことか。

「やってくれるじゃないか」

 とことん僕たちを追い詰めなければ気が済まないというわけか。


「貴一!」


 破砕された方ではない逆方向からした聞きなれた声の方へと目をやると珠樹が居る。羽織は無残に裂かれて、肩がのぞいて見える。

 あの涼しい美人の珠樹が髪を振り乱し、頬には大きなひっかき傷まで作っている。 

 ひどい怪我をしているが、まだやれるという目をしていた。

「貴一に従う!」

 珠樹は僕のしようとしていることに従うと瞬時に覚悟したらしい。

 僕はわかったとうなずいた。

 珠樹の背後には大小3三つの人影。その大きな人影の男が雅を背負っている。

「あなた方が静音が連れてきてくれた助っ人ってことだね?」

 一番年長者らしい青年がうなずいた。直後に、やや狐目の涼しい顔立ちをした偉丈夫は僕を凝視している。僕を推し量っている。そんな目だと思った。

「雅は死んでないね?」

 まだ息はあると青年は答えた。

 僕は雅をそばへ連れて来いと手をこまねいたが、彼は動かなかった。

 顔が強張ったままの青年に二の足を踏ませるほどに僕は悪魔に見えるのだろうか。

「今は悠長に理解を求める時間がない! 僕を信じろ!」

 僕の意図をくんでくれたのか、意を決した青年が雅を抱えたまま歩み寄ってきてくれた。

「お前、いくら何でもやられすぎだろ」

 目の前に横たわる幼馴染。こいつはこんなにぼこぼこにされる奴じゃない。

 雅の呼吸は弱く、血をかなり失っているのが見て取れる。

 瞼は閉じられたままで、唇の色が真っ蒼だ。

 僕は泉に浸している左腕をそのままに、右手で雅に触れる。

 その胸の傷に触れた瞬間、指先からおぞましいほど汚らわしい感覚がした。

 これほどまでに穢れた呪いの残滓を僕は知らない。

「こいつは僕の幼馴染だ。 僕の家族だぞ……」

 幼馴染の笑顔が脳裏をかすめる。雅は僕の幼馴染で親友だ。許せないという言葉だけでは語り尽くせないほどの激情が押し寄せてくる。

「雅を刺した奴は何者だ?」

 珠樹が駆け寄ってくるとモズだとつぶやいた。冬の組から秋の組の雪になりあがったと説明を受けたが、釈然としない。そのレベルがかけられる呪いではないことは明白だ。

 黒幕、いや、その手下か、はたまた別にまだ誰かがいる。そうだとしても、僕はもうそれらのどれが来てもぶっ潰すイメージしかわかない。

 僕のこの目には何もかもが見えてしまう。この先またどこぞのおバカさんに制御される危険性があるのならば、僕が雅を引き受ける。

 身体中にあったしびれはもう消えた。心臓がチクチクとしているのはまだ残っているが、動悸もおさまった。

「この穢れをもってじわじわと侵食して雅を飼いならすつもりだったのなら、惜しかったな」

 僕はゆっくりと泉から左腕を引き上げると、まだしたたり落ちる血液を雅の傷口にたらした。すると、数秒もたたないうちに苦悶の表情をしたままに雅がのたうちまわりはじめた。

「おさえろ!」

 珠樹と青年が雅の身体をおさえつける。雅の渾身の力は二人がかりでもなかなか完全におさえつけるのは難しい。それでもと、二人は全体重をかけて、おさえこんでくれた。

「珠樹さん、口をあけさせて」

 何をするんだとは聞いてこないのが珠樹の美点。   

 うなり続けている雅の顎を捉え、何とか口を開けさせた珠樹に静かに目で合図をした。すると、珠樹がわかったというようにうなずき、僕の腕から流れ落ちる血液を迷わず口にし、それを雅へと口移しして全量流し込んだ。ごくりと喉が鳴る音がした直後、雅がさらにのたうちまわった。

 苦しさのあまり、大絶叫している雅を見下ろして、僕はほんの少しだけ躊躇した。

 その時、雅の目が僕の姿を捉えた。そして、彼は小さく『頼む』とつぶやいた。

 迷うな、僕が迷えば皆を失う。歯を食いしばれ、僕がやる。決めただろうと僕は拳で膝を殴りつけた。


「津島雅、吾の眷属とする。 ゆえに、汝の穢れは夜に消え、この穢れは根の国深く沈める」


 額に指をあて、言霊を唱え終わると雅はホッとしたように息を吐いて、静かに眠りに落ちた。

「珠樹さん、行こうか?」

 僕の言葉に珠樹がこちらを見て、ゆっくりとうなずいた。

 彼女もまた僕の血を少なからず口にした覚悟ができていたらしい。

「穂積珠樹、吾の眷属とする」

 今度は珠樹がその場に倒れこんだ。そして、雅同様にのたうちまわり、苦しみもがく珠樹の額にゆっくりと指をあてると、彼女もまた眠りに落ちた。

「そちらの方々、悠貴と雅、珠樹を護っていてくれますか? こちらへの加勢はいらない。 彼らだけを徹底的に死守してほしいんだ」

 僕のことがまだ怖いらしい三人だったが、しっかりとうなずいてくれた。

 今はそれで良い。


「奏太、君の居場所はここじゃない」


 奏太はこちらへはなかなか近づけないまま、ほんの少し寂しそうな表情をしたが、僕は行けと目で促した。わかったと奏太は壱貴の方へ足をむける。その背中をみているだけで涙が出そうだ。彼のこの行動が、僕との間にはっきりある溝を示していた。

 彼は僕に従っていたわけではない。彼は母に従っていただけで、本来の主はその母でもない壱貴という男だ。

 奏太の背中をみつめながら思った。

 奏太は誰を護るために、どのように動いたのか。

 考えれば考えるほどにわからない。目的がわからない。このどことなく心地の悪い感覚は何なのだろう。

 駄目だ、今は集中しよう、無駄な思考はもうしない。ふうと一つだけ息を吐いた。


「静音! いけるか?」


 泉の中央にいる悠貴へと視線を向けると、静音がその傍で一つうなずいた。


「十種神宝」


 僕と静音は同時に声に出していく。


「瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼」


 僕たちには宗像の血が流れている。

 血が僕たちを本来の姿へ導いてくれる。だから、もう迷うことなどない。


「一二三四五六七八九十! 布留部、由良由良止布留部!」


 白銀の光が渦を巻きながら僕らの身体をはっていく。


「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ!」


 僕の瞳の色も静音の瞳の色も同じ、琥珀色。

 彼女の綺麗な赤毛はローズゴールドのような光をはじくほどに美しい色へと変わっていた。


「母なる黄泉津大神! 吾は月讀の名を持つ者! あなたの赦しを希う! いかなる邪な檻もこの目をもって無に帰す。 その力を行使することを赦したまえ……」


 指先をパチンと鳴らし、右の手のひらにずっしりとした感覚が届くのを待つ。

 数秒もかからず、手に槍がおさまった。


「月讀の血の同胞達よ、目を覚ませ……」


 目を閉じたままの悠貴の髪の色が銀をはじいた黒色に変わった。

 その瞬間、泉の水が一気に凍りつき、泉の中の人間達をすべて氷の中へ閉じ込めてしまった。

 静音が王樹をかばうように透明な結界をほぼ同時にはっているのはもうわかっていた。すっと目を後方へむけると、眠る雅の髪は金色、珠樹は光沢のある瑠璃色となっていた。

 僕は彼らを率いていく。だから、正道を歩む。ただし、汚い策を講じてくる奴らには容赦はしない。


「王樹! あんたの誇りはこんだけやられたままで平気なの? 僕はごめんだね!」


 人々の祈りが神に力を与える。

 全黄泉使いの祈りを見て見ぬふりをするのなら、この吸い上げた僕の力でお前を焼きはらったって構わないんだと王樹をきつくにらみつけた。

 女王が殺されて、でも、その先が繋がっているのならそれで良いじゃないかという感覚は気に食わない。

 一度でも虐げられることをよしとして受け入れた人間は痛みに鈍感になり、自分の痛みにうとくなるだけでなく、誰かの不幸や苦しみにもうとくなる。

 今のために今を生きた結果が未来なのだから、未来のために今生きるというのはお門違いだ。

 いつの間にそばに戻っていたのかわからない静音が僕以上に凶悪そうな笑みを浮かべている。

 暴れても良いかという彼女の質問に、僕はもちろんだと答えた。

 パワーモンスターは僕ら二人なんだから、それを使わない手はない。


「こっからは僕と静音でけりをつける」


 

  

 

 

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