第33話 冬の悪魔

「津島雅くん、無事かな?」

 

 身体にまとわりつくような不思議な感触の風。

 まるで上質なシルクで頬を撫でられているような気味の悪さ。

 それが風ではないと認識できるより早く傷が増えていく。

 痛みを感じる間もなく、皮膚が裂けて、生ぬるいものがしたたり落ちてくる。

 右目の上をえぐられ、視界の半分が一気に奪われる。

 数分しか経っていないのに、肺が締め付けられ、息が上がる。

 自信過剰なつもりはないけれど、幼馴染5人の中で俺が一番体力はあるし、おそらく実戦に一番むいているはずだ。それに、自分自身の黄泉使いとしてのリミッターはとうに外しているし、神との絆もしっかりと発動させている。

 それなのにと、足もとに目を落とす。

 同じ場所から先刻から全く動けていない。

 せいぜい2メートル四方の範囲で俺はひたすらに刃を受け流しているだけ。

 防戦一方というよりも、攻めていけるだけの隙がない。

 春夏秋冬にあって、冬は一番下のはずだ。

 冬でこれなら、春、夏、秋の組のレベルはもう想像したくない。


「私は別に君が大嫌いというわけじゃないんだよ?」


 耳元でモズの声がした。

 ありえない距離からの声だ。とっさに身をよじるが、モズの指先が俺の肩に触れている。これが指でなく、刃であったのなら俺は死んでいる。

「冬だと侮っただろう?」

 知るかよとモズの腕を振り払うように、身を引く。

 くすくすとまた逆方向から声がする。

 ダメだ、格が違いすぎる。

 公介さんや親父クラス、いや、コイツはその上かもしれない。

 集中しきっているのに、出し惜しみすることなくすべてをフル稼働しているのに、俺はモズを相手にすると自分の間合いすら守り切れていない。

「金糸の髪に美しい紫の宝石のような瞳なんて、お人形みたいだね」

 趣味なんだとニヤリと笑んでくるモズ。

 何度も言うが、俺は決して、油断をしているわけじゃない。

 こうも簡単に間合いに入られることなど本当にありえないことだ。

 残りの二名の攻撃をかわしながら、最大の悪夢でしかないこのモズとの正確な距離をはかる。

 顎の先からしたたり落ちるのが汗なのか血液なのかわからない。その確認をする隙すらない。

 隠し舞いを行おうとするが、その動きを繰り出す前に確実にスリーマンセルで封じこめられる。

「二世組の中にあって、実戦では君が一番強いことは知っている」

 だから、自分が狩に来たとモズは笑っている。

「君はあの面倒な親世代の一角にあってもそう見劣りはしないクラス。 だから、宗像の後継は君を失ったら丸裸のようなものだ」

「かいかぶりすぎだ」

 くりだされてくる掌底突きから身をよじる。

 一度これをくらって、嫌というほどにモズの強さを体感したばかりだ。

 本来、掌底突きは正拳突きやパンチ攻撃などと比べて打撃対象の内部に浸透する重いダメージを与える技である。

 打撃だけなら可愛いレベルかもしれないが、モズのそれは当たればその部分から猛毒が体内にひろがっていくというオプション付きだ。

 毒慣れは普段からできていたが、モズの毒に触れた瞬間のあまりの違和感に、当たった部分の皮膚を裂き、自ら血抜きをしたばかりだ。未だしびれが残っている。

 これまで相手にしたことのないレベルの脅威でしかない。

 その上、モズの攻撃には一貫性がない。

 弓術でくるかと思えば、大刀、はたまた、体術。

 勝ち方を思考するより先に俺のこの乱されたままの脳みその中身を立て直さねばならない。

 今のこの状況のままでは夜明けまでの乗り切り方すらイメージができない。

 モズ以外の2名アオジとツグミだけならばどうにかなる。

 現に、ツグミには俺の攻撃が効いている。アオジにもそこそこに当たっている。

 だが、モズは違う。コイツだけは格が違いすぎる。かすりもしない。

 援護が欲しい。

 もう一人、ここに来てくれるとかなり形勢を変えられる気はしている。

 だが、モズの強さは経験したことがないというより、常軌を逸している。

 ただ頭数が居れば良いというわけではない。

 全体の生き残りを考えたら、悠貴は出せない。

 この戦いには真剣に斬りあいができ、なおかつ、残酷になれる珠樹か、爆発力のある静音が良い。

 貴一が大きなことをしでかすためには静音を彼から外すわけにはいかない。

 結局は一択で穂積珠樹、彼女が来てくれることが最善だ。

 俺と珠樹はほぼ同系。

 単純に考えて倍の戦力。だが、思考は別。戦闘の選択肢が広がれば、歴然としたこの戦力差を或いはひっくり返せるかもしれない。

 思考を巡らせてみても、今すぐに珠樹が来てくれるはずはない。

 ふっと逃げの思考に入る度に隙ありとばかりに、刃が飛んでくる。

 示し合わせたような同時の三方向はさすがによけきれないものがある。

 ツグミとアオジのものはよけ切れるが、モズはだめだ。

 肩に腕に足にと痛みが走る。

 なぶり殺しにされかねないが、こちらもただでは済ませない。

 俺の今のところの標的はツグミだ。

 二つは食らうが、一つは確実に食らわせる。

 この三名の動きを見て判断した。

 ツグミを先に潰す。これしか手がない。

 ツグミは3人の中で一番好戦的で、どちらかというと思考しない。

 戦闘経験がおそらく一番少ない。

 アオジは本能で俺の標的となるのをさけているそぶりがあるが、ツグミにそれはない。穴があるとすればツグミでしかない。

 躊躇するなと武甕槌大神の声が脳裏に響いた。

 そう言われても、躊躇するだろう。

 俺は奥歯をかみしめた。

 悪鬼以外を屠った経験がない。

 相手は死神だ。冥府の役人だぞと思う。

 武甕槌大神が怒声で再度躊躇するなと俺をたきつける。


『雅! 奴らは人ではない。 理の外だ!』


 理の外。

 理の梅の血を引く俺達が絶対に穢してはならないルール。

 自分であれ、他人であれ、人間の命を奪い、穢してはならない。

 歯を食いしばれ、負けないと約束したはずだ。

「負けはもうない」

 ふっと息を吐いた。

 覚悟は決まった。

 俺は剣術、槍術だけではない。俺の親父は基本的に体術使い。

 その親父に嫌というほどに稽古をつけられて生きてきた。

 腰の後ろに片腕をおき、指先で封呪を描く。

「もう降参なの?」

 ツグミはケタケタと笑う。

 馬鹿はお前だよ。お前は確実に格下だ。その判断ができていない段階でおしまい。

 わざとツグミを俺の間合いにしっかりと入れて、距離ゼロ。

 俺はツグミの動きを捕捉できていたので、思うままだ。

 腰までまっすぐに伸びた赤褐色の髪を思い切りつかんで引き寄せた。

 今更しまったという顔をしている少年。

 俺に迷いはなかった。

 見た目は10歳の少年を相手に、俺は拳の中に隠していた炎をその細い首の付け根あたりにめり込ませた。

 そして、間髪入れずに指を鳴らす。

 稲妻を閉じ込めておいた小さな炎は爆音とともにはじけ飛ぶ。

 ツグミの小さな体が宙に舞い、コンクリートに激しく打ち付けられる。

 こんなえぐい闘い方など習ったことはない。

 思いついた俺はなかなかに悪党だな。

「マジでかばわないんだな……」

 横たわっているツグミを目視するのみで、モズは動かない。

 アオジもまた同じだ。

 トップが闘えと指揮すればとりあえず動くが、どこか統制がとれきっていないスリーマンセルだとは思っていた。

 互いが補い合うことをせず、それぞれが個々の思うままに攻撃をしてくるだけ。

 連携しないという点が俺には違和感でしかなかった。

 だから、一番弱い者を俺がはめたとしても、おそらくその他2名は即座に反応することはないだろうと高をくくってみたが、まさかこんなにすんなりといくとはと、はめた方の俺が驚いている。

 途中で邪魔が入るかもしれないと身構えていたのに、恐ろしいほどに冷めた目で地に落ちた仲間を見下ろし、ため息ひとつもらしたのみ。

 ぞっとする光景でしかない。

 ツグミが本当に絶命したのかどうかと今更ながらに不安になってくる。

「汝、永訣の鳥となれ!」

 俺は下手にリカバリーされる前に、ツグミを紅蓮の炎で焼ききった。

 それでも、他の2名は動かない。

 罠でもなんでもないとして、こいつらは何を考えているのか、いよいよわからない。

 対象が一人減ったのはこちらとしては喜ばしいことだが、何かがおかしい。

 モズはまるで消耗品の一つが壊れたから捨てただけという印象。

「補充されるってのか?」

 俺が一番思い描きたくない絵は、それだ。

 モズは俺の言葉にニヤリと笑んだ。

「イスカ、ヤマガラ」

 モズがその名を呼ぶと、二匹の鳥が彼女の肩口に降り立った。

 嘘だろう、俺は唇をかむ他ない。

「津島雅君、私は只今より秋の雪にランクアップのようだ」

 モズがくすくすと笑う。

 ランクアップってどういうことだ。

「あら、喜ばないの? 君の幼馴染の白川静音の所へ行っていた秋の雪がやられたってことよ」

 手放しで喜べるわけがないだろう。

 静音の無事は安堵したが、俺の目の前には差し引きしても+1。

 秋の組にいた2匹がここへきてしまったのだから。

 海の向こうが白々と明けてきている。夜明けまであとわずかだがそれまでもちこたえることができるだろうか。

 

「一気になぶり殺してしまうのはつまらない。 時間をかけて遊んであげるよ、津島雅君」


 夜明けが来れば仕切り直しができる。

 ガクっと足元が崩れ、俺の立っている砂場がふいにぐにゃぐにゃと音を立て始める。


「夜明けの来るここではない場所で遊ぼう」


 やばい、黄泉に引きずり込む気か。

 俺はその場を離れようとしたが、囲まれた。

 砂が沼のように化け、俺の身体を飲み込んでいく。

 もがけばもがくほどに体が沈み込んでいく。

 

「雅、つかまれ!」


 声がした。

 珠樹がどこからふってわいたかわからないが、頭上から俺に手を差し伸べている。

 手を伸ばし、珠樹の手を取った。

 何とか引きずり上げてもらった俺に、耳をふさげと珠樹が小さくつぶやいた。

 一も二もなく俺は両手で耳をふさいだ。


「桜の舞、三日月!」

 

 あたり一面に閃光が走った。

 見たこともない規模の白光、遅れて紫色の閃光。

 爆音と爆風。

 雷をはらんだ風が一気に放たれる。

 手で耳をふさいでいても、鼓膜が震えた。

 

「立て直すぞ!」


 珠樹は俺の襟首をつかみ、強引に立ち上がらせた。

 はっとしてあたりを見渡すも、どこにもあのモズがいない。

「逃げたのか?」

「いや、朝だからだろ……太陽に感謝するしかないな」

 珠樹は太陽を指さした。その言葉に確かにとうなずき、俺は口の中に広がった錆の味をしたものを吐き捨てた。

「朝陽がこたえる……」

 まぶしさと一気に押し寄せてきた疲労に頭痛がする。

 珠樹が俺に肩を貸してくれた。

「抜群のタイミングだよ」

 俺はようやく体の力を抜いた。

 ボロボロだなと珠樹が笑った。

 笑うなよとにらみつけるが、珠樹は平気な顔をしている。 


「夜が来る前に組み立てなおそう。 早く片付けて戻りたい。 雅と組んで来いって悠貴が言うから仕方なく来てやったんだから」


 珠樹の本音は悠貴のそばを離れたくなかったということだ。

 本当に辛辣の極みのお姉さまだ。


「流石、悠貴だな……」


 俺とのバランスをとるのならば珠樹だと判断して送り出していてくれた。

 当たり前だろうと珠樹が俺をにらみつけた。

 そして、俺は珠樹から羽織を渡された。


「皆で桜を背負うぞ」


 珠樹がにっこりと綺麗に笑った。

 絶対強者の公介の顔を彷彿させるだけあり、ぞっとした。さすがに娘だ。

「お前は一人じゃない。 二人でやれば道がある」

 珠樹の言葉に心底ホッとした。

 仲間って本来、こういうもののはずだ。互いを補いあい、立つ。

 モズ達のそれは絶対に違う。

「静音が勝ったみたいだぞ。 ようやく1勝め」

「そうか、それはもうけもんだったな。 まぁ、貴一が鴈美蘭を送り込んだらしいからな、考えられないことではないだろう?」

「鴈美蘭だと!? なるほど、それはそれは強烈な援護だこと。 よく、悠貴が許したな」

「許すわけがないだろう? 貴一の独断に決まっている」

「貴一、あとでボコられるな」

 当たり前だと珠樹は眉根を寄せた。

「だけど、悠貴はそれを見て見ぬふりをしたわけだよな?」

「王代行は貴一だからな。 決断の前には従うしかないのだろうよ」

「それじゃ、たった今は貴一と悠貴には奏太だけってことか?」

「そういうことだ。 でも、貴一と悠貴は奏太に極秘ですすめたいことがあると言っていた。 奏太を蚊帳の外に置くことにしたらしい。 まぁ、悠貴が決めたのなら私は問題ないと思っている。 それに、夏の動きも読めないし、こだまっている春の動きも恐ろしい。 だから、急ぐぞと言っている」

 珠樹は人型の用紙を取り出した。

 熊野への援護は不要と語り掛け、それを鳥にして空へはなった。

「強気すぎないか?」

「静音に届けば、十分だろう?」 

 静音がこれを聞けば、彼女たちの戦力が貴一と悠貴のもとへいく。

 珠樹はまずは血を拭けとタオルを差し出してきた。

 俺はそれを受け取り、とりあえずおさえてみる。

 悲鳴を上げたいほどの痛みがようやく襲ってきた。


「雅、今夜で決着だ」


 珠樹の声に俺はうんと一つうなずいた。

 白々とあけていく周囲の風景をぼんやりと眺めた。

 手に残る感触を忘れてはいけないと思った。


「雅、お前は穢れていない。 私たちは誰一人間違いは犯していない。 暗いものに飲まれるなよ」


 珠樹が俺の腰あたりをパンとたたいた。

 俺はうんと頷いた。

 ありがとうという言葉がうまく出てこなかった。

 珠樹は俺の頬を伝わっていくものをみないふりをしてくれた。

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