第32話 白川に与えられた権利

 暗闇しかない空間に、波音しか響かない。

 階段はところどころにツタが絡まり、苔むしている。

 人が通っている形跡はなし。

 この通路は超緊急事態にのみ開かれるべきもので、当然と言えば当然なのだけれど、構造がおそろしく不親切。

 横穴や5つの分岐、出口と見紛う月明りの差し込んでいる脇道などトラップだらけで、正解をしらない追跡者は確実に迷い込む。 

 父からは『道は一つしかない。 横に目をそらすな。 まっすぐしかない』と教えられた。

 だから迷いはしないがまるで、王樹へ向かう階段のようだ。

 きっと術がかけられてあり、思うよりも深く、思うよりも違うどこかへつながっているのだろう。

 数十分かけて、ようやく階段は終了した。最終はもう階段という体裁を保てないほどの石段でしかなかった。

 暗闇の先にある光を目指して歩き、長いトンネルを抜けたと思った瞬間、私は喉元に刃を突き付けられた。


「大歓迎ってこと?」


 刃を突き付けている男を見上げる。年齢は20代前半といったところだろうか。

 若いのに、この役割を与えられているだけあって、隙がない。

 暗器を仕込もうと指先を動かそうとした瞬間に、彼にあっさりとその指を押さえつけられた。

 身にまとっている衣服は私達と同じもの。だが、仮面をつけていない。

 やや困ったように眉根を寄せて、彼は確認が終わるまでおとなしくして欲しいと言った。

 日本人かとつぶやいた私に彼はわずかに肩を落とした。

「どことつながっているとでも?」

「ホッとしてるんだよ、これでも」

 本音だった。

 彼には敵意がない。

 彼の飼い主が話のできない人間ではないと言うことの証明だ。

 しばらくしてから、彼が案内すると喉元に突き付けられた刃を引き、先導をはじめた。

 ややごつい印象のある体躯。

 宗像でこういう体系をしているのはボス公介くらいのものだから、わかりやすく武闘派だとわかった。

「私に背を堂々と晒しても良いの?」

 彼はくるりと振り返り、馬鹿にしたように笑った。

 強いのはわかるが、こうも馬鹿にされると腹が立って、足元の玉砂利の一つをけとばしてみた。

 すると、彼はその玉砂利があたる寸前に指先一つで風を起こし吹き飛ばした。

 風を使うのかと、私はうなる。

 風を使う人間はあまり得意ではない。

 私の中で、風使いは鬼。その筆頭が父だからだ。

 敵にしたくはないなと漠然と思ってしまった。

「くれぐれも失礼なことをしないように」

 彼はどうぞというように、私に先を譲った。

 パチンと彼が指を鳴らすと、場と空気が一気に変わる。

 波の音がする。それもかなり近い。

 海風が遮るものがないのか、一気に吹き付けてくる。

 右に視線を移すと、大海原。

 すぐに目の前には狭い朱色の太鼓橋。橋の左脇から橋下をくぐって、はっきりと海を眺めることができる。

 玉橋の上に足を運ぶと、さらにはっきりと断崖と海食洞が見えた。

 海蝕がすさまじい砂岩の乱立。

 打ち寄せる波は白いしぶきを激しく立てており、その風の強さはしっかりとふんばっておかねばよろめいてしまうほどだ。

 崖にそって作られた急な下り石段の両脇にある朱色の欄干。

 まだまだ下へ、海へと向かってこいということだ。

「下り宮だ」

 降りきると、そこは確実に見たことのある風景だった。

 右手に海と巨岩、左手には朱塗りの鳥居と社殿。

 社殿は、本殿と幣殿と拝殿が1体となった権現造。

 波浪によって岸壁が浸食されてできた洞窟に、すっぽり納まるように建てられている。洞窟の高さぎりぎりに社の屋根がある。よくもまあこんな所に、これほどまでに立派な社殿を作ったなと感心するほどの美しさ。

 ここは間違いなく鵜戸だ。

 父と二度ほど来たことがある鵜戸神宮。

 社殿を背にすると視界を埋め尽くす大海原は日向灘。

 今立っている場所から海へと約10mの距離に小さな注連縄が張られている巨岩がある。わずかに視線をさげるとそこに人影があった。 


「どういうつもりだ? 白川の子」


 夜明け前のマジックアワー。

 うっすらと夜が明けていくその淡い光で照らされたその人は、胸の前で両腕を組んで、こちらを見上げている。

 手足の長いすらりとした女性の髪は濃紺。瞳は琥珀色をしている。

 宗像にあって琥珀色の瞳は最上位の色。

 見た目の年齢はあてにならないが、30前と言ったところだろうか。


「女王はまだ死んでいないはずだ。 それにその後継も存在している。 そんな状況で何故、来た?」


 人生最大の勝負の気がした。

 私はその女性の前に片膝を折った。

 彼女をどうあってもこちらの味方につけなければ、貴一を護りきることはできないだろう。

「このままでは皆、死んでしまいます!」

 手が震える。うまくいかなかったのなら、私のこの数日に価値はない。

 そして、大怪我をしている美蘭を救うことも叶わない。

「だから、助けよと言うのか?」

 彼女は岩上にあぐらをかくと、面倒だなというように頬杖をついた。

 そのすぐそばにあるしめ縄が一周している枡形のくぼみへ彼女はため息まじりに指先を浸した。何かをつかみ上げるとこちらへむけて投げてきた。

 それを必死に受け止め、手のひらを広げると『運』と書いてある素焼きの石だった。

「右手で投げてみろ! ここへ入れば話をきいてやる」

 注連縄のはられたわずかな窪みを彼女は指さしている。

「通常は5回チャンスがあるのでは?」

 私はたちあがって、もう一度、しっかりと彼女をみつめた。

「唯人ならば5回。 唯人ではないお前は1回だ」 

 彼女はにやりと笑んでいる。

 運があるのか、ないのかと彼女はそれだけを見ている。そんな気がした。

「やってやりますよ!」

 貴一から笑われるほどのノーコントロール具合だけれど、気にするのはやめた。

 運があるのなら入る。

 上手い、下手は関係ない。

「あなたは私の味方になる!」

 目をつむったままで投げた。

 ぽちょんと小さな音がして、私はゆっくりと目をあけた。

 彼女はあぐらをかいたままでそれを見て、一つ息を吐いた。 


「運はあるようだ。 それに、おまけまで持ち込んでくるとは良い度胸をしている」


 彼女はよいしょっと立ち上がると、私のすぐ後ろで大鷲が抱きかかえたままの美蘭を指さした。

「その子の名は?」

「鴈美蘭」

 彼女の顔色ががらりとかわった。指を鳴らしたかと思うと、気づけばもう目の前にいる。意識のない美蘭の顔を凝視して、その腹部の傷を見た。

「これを今すぐに助けよ!」

 周囲からわずかに迷いの声があがったが、彼女の命令は絶対らしく、どこから湧いたのかわからないほどの人員が現れ、美蘭を奥へ連れて行ってくれた。  

 大鷲が驚いたように私の目を見てきたので、私は大丈夫だとうなずいた。

「私があれをどうして助けると思った?」

 彼女が私の顔を覗き込むように見た。

「彼女は血が近いと悟りました」

「良い読みだ。 だが、この度のここへの来訪は前代未聞の問題行動でしかない」

 さてどうしてくれようかというように、彼女は私の周囲をぐるりとまわり、ため息を漏らした。


「吾らは決して表にはでてはならない。 表の王が廃された時に立つためにいることは承知しているな?」


 私は片膝を折り、もう一度、頭を下げる。

「承知しています、わが君」

 白川の人員を他の三つの家のように動かしてはならない理由はこの人が居るからだ。白川は何があっても人員をきらしてはならない。

「存在が知られてはならないのは承知していながら、やってくれるじゃないか」

 彼女の指が私の後頭部に当てられる。

 そして、さらに頭を下げさせられる。

「何のために、白川を表に出したと思っている?」

 後頭部を押さえつけていた指がのけられ、顔をあげろと命じられた。

 今、私の前に居るのは第三の宗像の主。

 女王と同格の筋でありながらも、絶対に表にはでず、ひたすらにスペアとして機能するためだけに生きている一族の長。

 王の血筋が倒れきったのなら、彼らが満を持して表に出る。

 これは1000年以上前の宗像の王が極秘裏に作ったシステムであり、白川家は緊急事態となったのなら、彼らに『王として立ってくれ』と伝えるために表に配された同族。


「もう一度言うぞ、王はまだ廃されていないのに何故来た?」


 彼女の言う通りだが、現状はもう廃されてもおかしくないほどに追い詰められている。

「王が廃されてからでは意味がない」

 ゆっくりと立ち上がった。

 白川は本来はこの目の前の王に使えるのが宿命。

 だけれど、私は貴一を、父を、皆を救いたい。

「最後の瞬間まで動いては行けない、存在を知られてもいけない。 それが吾らだ」

「あなた方だって宗像だ! 表が滅びるのを甘んじて見ているだけで本当に良いと思っていますか?」

「スペアはスペアでしかない。 吾らが表に出てしまえば、真実の危機が来た時、誰がそのつけを払ってくれると言うのだ?」

「いつ来るかわからない危機のために備えて、今目の前にある危機を見過ごす。 それで、あなた方の信念は傷つかないのですか?」

 まくしたてるように怒鳴った私の声に、わずかに彼女の顔に苦いものが浮かんだ。

「表が滅びきるのをじっと待って、滅んでしまったのをしっかりと見届けて、吾こそはと玉座につく。 それをよしとするような主など、仕え、護る価値はないと私は思っている! この白川の真実の主であるのなら、その意地を見せていただきたい!」

 どうあっても彼女を引きずり出さねばならない。だから、声をさらに荒げる。

 ふうっと息を吐いた彼女はしばらく岸壁から海をみおろしていた。

「事は簡単なことではない。 わずかでもここの存在が外へばれれば冥府は『宗像』という血族の系譜がどうして崩れないのかを知ることになる。 それがどれだけ危険なことかわかっているのか?」

「わかっています! それでも、あなた方の存在を知っている私が何もしないで良いわけがない!」 

「宗像時生は本当に嫌な奴だ。 死なばもろともというつもりか……。 己の娘すら不測の事態のトリガーに変えるとはな。 では、こうしよう。 白川の子、朔を返してやる」 

 耳を疑った。王の半身がここにいるとは全く予想していなかった。

 これはさすがに予想できていなかったようだなと笑うと彼女は欄干の上に飛び乗った。海風をものともしないバランスをとりながら、こちらを見た。

「女王が封じられれば朔は眠るほかない。 冥府の奴らの手に落ちる前に、朔を回収しておいただけだ。 女王が完全に廃されれば、いずれ今上の朔は私が受け継ぐものだからな」

「王が死ねば朔は死ぬのではないのですか!?」

「それは女王が死ぬまで王としての資格を有していればの話だ。 言っただろう? 王が廃されればと。 死ねばとは言っていない。 資格を失った後に王が命を落としても朔はともには死ねない。 私がその資格を有して立つからだ」

「眠っている朔をどうやって起こせと言うのですか?」

「後継が朔の目を覚ますことができれば、女王の封じられたままの力に光が戻る。 そうすれば、檻を破壊することが可能になる」

「檻と言いましたか?」

「敵はリミッターのない能力者に干渉したい。 女王がいればそれはかなわないから、邪魔な女王を封じることに注力したはずだ。 なにせ、お前たちの女王は紅の王。 黄泉使いにおいて最強の称号だ。 敵は狡猾。 女王を古の都に封じたはずだ。 それ以外の檻ではあの抜群に強い女王を封じられないからな」

「リミッターのない能力者と言いましたか?」

「お前たちのいずれかの中に、生まれながらにしてリミッターのない能力者がいるはずだ。 瞳の色が生まれながらにして琥珀色の者がいるのだろう? 女王にとっては弁慶の泣き所だ」

 貴一だ。貴一でしかない。

「それがどうして弱点だというのですか? 彼は弱くない!」

「それが問題なんだと言っている。 強者が二人も同時に居られては困る連中は多いんだよ。 だから、片目のみにとどめて、女王はもう片方の目を取り上げ、使えぬようにするために冥府にあって最も強い男に保管させた。 女王ですら封を解除してこその瞳の色。 それを生身の人間の状態で持っていることの異質性。 冥府が見逃すわけがない」

 もうだめだ。

 この先はきいてはいけない。

 わかっているのに、確かめなければと言葉が零れ落ちる。

「女王にとって、貴一は何なんですか?」

 彼女は静かに目を伏せる。

 海風が彼女の紺色の髪を吹き上げる。

「宗像貴一は女王の絆の子だ。 女王が廃される以外に、朔の目を覚ませる可能性があるとしたら、それはもう宗像貴一しかいない」 

「どうして、教えてくださったのですか?」

「お前がとても勘が良いからだ。 その勘の良さのおかげで私は私の絆の子に逢えたからな。 だから、この度の問題行動は不問にふす」

 この女性を一目見た時にわかっていた気がする。

 鴈美蘭は間違いなくこの女性の娘だ。

 女性は強気な笑顔をのぞかせて、こう言ってくれた。


「表立って私が出ることはできん。 だが、こちらの上位3名を貸そう。 いずれも鬼衆にひけはとらん。 これ以上、白川の若輩に侮られてばかりでは吾らとて我慢ならんからな」


 事が収まったのなら、鴈美蘭を迎えに来いと彼女は笑った。


「伊織、巽、湊」

 彼女が名前を呼ぶと崖下に3つの人影が見える。

 私をここへ連れてきてくれた男もそこに立っていた。

「伊織、お前に一切の采配を許す」

 あの彼が片膝を折って、彼女に深く頭を下げた。

 彼の名前が伊織というわけか。

「伊織、私は女王になって苦労するつもりはない。 表の者を誰一人殺すな」

 伊織がゆっくりと顔をあげ、もちろんだというように笑んだ。

 巽は伊織同様の年齢の女性、湊は私達とかわらぬ年齢くらいの少年だった。

 彼らは言葉を発しない。

 ひたすらに伊織の背後で頭を下げたままだ。

「巽、湊、お前たちはほどほどにな」

 二人が彼女の言葉にびくりと肩を震わせた。

 御意と言うと、二人は瞬時に姿を消した。

「伊織、朔へ近づく許可を与える。 ただし、朔の在所への接触は宗像貴一のみだ。 いいな?」

 伊織は一つうなずいた。

「白川の子、これで文句はないな?」 

 彼女は私に会心の笑みを見せた。

「あぁ、そうだった。 白川静音、お前が来てくれなければ吾らは指をくわえて見ている他なかった。 よくやったと言っておく」

 彼女は最初からこの人員を貸してくれるつもりで待っていてくれたのだ。

 胸が熱くなり、涙がこぼれた。

 彼女の名前は宗像巳貴という。

 第三の宗像を率いる女王の器のその人だ。

 1000年以上前に出奔してしまった王、宗像壱貴の血族。

 家紋は二重朔月に桜。

 白川はその血族であり、表とのつなぎを取る者。

 彼女に背を押されて、私は元来た道を戻ることになった。


「貴一のもとへ戻る!」


 すぐそばで、伊織がわかったと大きくうなずいた。



 

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