第31話 第23番目の隠し里

 弥山山頂の磐座の上から小瓶をとり、又、胸元へ隠した。

 これを奪われたり、破壊されたりすればGAME OVERだ。

 今はこの小瓶が全てをひっくり返せる可能性の鍵。

 幼馴染達の顔が脳裏に浮かぶ。

 誰一人失ってはいけない。

 海風が頬を幾度もたたいては、奮い立てと叱咤してくる。

 生身でいることの弱さを嫌というほど味わった。

 黄泉使いとしてなら秒で片付くことも、生身ではこうもうまくいかないものかと痛感した。

 それでもやる必要があったから、生身で耐えてきた。

 ある意味、『人間、白川静音』としてここに立ってみて気づいたことがある。

 幼馴染達もいずれ気が付くかもしれないが、私たちはこれまで一度もリミッターをはずした状態で師匠世代から稽古を受けたことがない。

 稽古は常に生身。傷を作ろうが骨を折ろうが、内臓が傷つき数か月動けなくなろうとも、師匠世代はえぐいほどに生身にこだわった。それが当たり前だったから一度も不思議には思わなかった。

「生身でイーブン、もしくは勝てるのなら……リミッターをはずせば圧勝しかない」

 不測の事態を師匠世代は常に見据えていたのかもしれない。

 辛酸をなめた世代は怖すぎる。

 そして、自然に多くの知識を武器として刷り込んでおいて、サバイバルできるだけの本能を与えてくれていた。

「反撃開始だ」

 呼吸を整える。

 耳に幾度も届く金属音。

 振り返ると、美蘭がイスカとヤマガラとやりあっている。

 1対2をであるのに、彼女は防戦一方ではない。

 彼女は強いし、美しい。

 鴈美蘭、彼女の闘い方は完全に身内のものだ。

 本人の自覚があるかどうかはこの際はもうどうでも良い。

「リミッターをはずした宗像が二人いるなら、やりきれる」

 一人ではあんなに心細かったのに、今はどうだ。

 あんなに腹が立ったはずの鴈美蘭が今や私の背中を護ってくれている。頼れる仲間で居てくれる。

「世界はいつだって変わる」

 美蘭の名前を呼び、退避準備だとアイコンタクトする。

「十種神宝」

 私はようやくリミッターを外す。

 この小瓶だけは唯人の状態で準備しなければならなかったから仕方なく我慢していた。

「瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼」

 私には宗像の血が流れている。

 血が本来の姿へ導いてくれる。身が軽い。

「一二三四五六七八九十! 布留部、由良由良止布留部!」

 ゆっくりと仮面の下で指先を歯できずつけた。その血のにじむ指先に息を吹きかけ、ポンと左手背をつかむ。左手背を中心に白色の光を発する文字が自分の体を這うように広がっていく。

「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ!」

 髪が淡さの残る緋色にかわる。貴一のようにさらさらヘアーではないのが悔しいけれど、背まで伸び切った髪を結いあげる。

「宗像の解除は美しいな」 

「美蘭は仮面が不要じゃないか。 すごいことだ」

「腐っても王代行だからな」

 指でどちらがどちらにいくかを合図する。

 そして、同時に攻撃を開始する。

 私たちはどこか似ている。

 呪術と結界術を主として使用して、暗器をかませていく。

 髪の色も近い。

 互いに口にしないがひょっとしてという思いがあった。

 美蘭の母親は白川の血縁かもしれない。

 すれ違い様に集合場所を耳打ちした。

 一気に下山だ。

 夜明け前に厳島神社へたどりつく必要がある。

 私はイスカ、美蘭はヤマガラと向かい合う。

 退路をわけ、互いにかく乱しながら下山開始。

 リミッターをはずしているのなら、下山はいともたやすくできるはずだ。

 ミサゴの登場がいささか不安を残すが、今ならまだ確実に逃げ切れる。

 互いに顔を見合わせて、逆方向へ走り抜ける。

 そして、一気に原生林の中へ飛び込んだ。

 目指すは鏡の池。 

 厳島神社の東回廊を進むと干潮時のみ見ることが出来る池がある。

 それが鏡の池。

 厳島八景の一つで、丸い水たまりのように見えるこの場所は中心部から真水が湧き出ていると言われ、手鏡のような丸い様子とその水の美しさは見事だ。

 特に満月の夜に水に映し出される月は神秘的な美しさとして、和歌や俳句でも多く詠まれているほどの場所。

 干潮時間はあと1時間。

 だから、1時間以内に儀式を行う必要がある。

 攻撃をよけながら、獣道をかけおりていく。

 道案内は鹿達だ。

 とにかく海を目指して下りきればそこには厳島神社がある。

 駆け下りて15分。

 黄泉使いとしてのリミッターをはずした以上、簡単なことだ。

 紅葉谷公園を突っ切って、一気に街中へでる。

 街燈はすべて消せと命令をだしているから、さすがに暗い。

 だが、黄泉使いとは便利だ。夜目が効く。

 頭上でぱりんと街燈が割られた。

 近距離戦闘のイスカではこの攻撃はありえない。

「ミサゴか」

 こんなところで邪魔されてたまるか。

 降り注いでくる落下物をよけながらも足を止めない。

 どこから攻撃しているんだ。

 きらりと民家の屋根の上が光った。

 なるほど、相当な飛距離可能ということか。

「闇御津羽神」

『何をしてほしい』

「姿を隠したい」

『よかろう』

 水の匂いが鼻腔をかすめる。

 陸の上にいるのに水におぼれてしまいそうな感覚だ。

『下手くそ。 息をせい』

 闇御津羽神が呆れたような声を上げる。

『もっと早く呼べ、馬鹿垂れ』

「霊水を月水にかえるまでは唯人じゃないといけないしきたりだ」

『馬鹿正直め』

 闇御津羽神はミサゴから覆い隠せるのは10分だとつぶやいた。

 私の姿を目視できなくなったミサゴはおびただしいほどの光の矢を放ってくる。

 数打てば当たるという奴か。

 作戦は間違いない。数本は確実に私の頬と肩をかすめているのだから。

 走れ、走れ。

 近くにいるイスカは賢い。

 目視を諦めて、血の匂いと足音、足跡で確実に追ってくる。 

 姿は見えていないはずなのに、勘を働かせて大刀を突き出してくるイスカ。

 間一髪でよけるも、やはり、薄皮一枚は確実にもっていかれる。

 この水のヴェールの中にいる以上はこちらからは手出しはできない。

 まずい。

 とにかく急げ。

 厳島神社の裏手から海へと飛び降りる。

 干潮を良いことに砂浜を走り去る。

 こんな時の濡れた砂浜はむごい。確実に足跡を残す。

 イスカと向き合い、まともに戦闘すれば何かの拍子に小瓶が割られてしまう可能性がある。自分の身体がいかに傷つこうとも、この小瓶だけは死守する。

 イスカの大刀の切っ先が右肩をえぐった。

 ぼとぼとと盛大に血が砂浜を汚し、砂がそれを一気に吸い込んでいく。

 イスカは完全に私の所在を把握している。

 姿を隠すのはもう意味がない。

「闇御津羽神、もう良い!」

 両手の指で印を組み、口で暗器をくわえて構えた。

 水のヴェールが消えていく。

 

「第1結界」


 爆風で浜の砂を舞い上がらせた。

 そして、空間の静止。

 父や美蘭なら数分は可能だろうが、私の場合は10秒がせいぜい。

 目の前には東回廊がある。

 全速力で駆け抜ける。

 そして、鏡の池に小瓶を投げ入れた。

 小瓶が水の中へゆるゆるとのみこまれていく。

「約束を果たせ!」

 だが、水面は全く反応してくれない。


「吾は白川の主! 市寸島比売命の庇護を受ける者! 応じよ!」


 無音。無反応。

 自分の歯ぎしりの音しかしない。


「何を狙っているのかはよくわかりませんが、結局のところ、交渉は決裂です。 静音ちゃん、逃げ回るのはもう終わりにしませんか?」


 回廊の上にはイスカとミサゴの姿がある。

 ミサゴの頬の傷は完治しており、殺気が全身に漂っている。

 イスカはその横で、大刀の先についたわずかばかりの私の血液をなめながら、獲物をみるようにこちらを見ている。


「闇御津羽神! 絆を」


 闇御津羽神の声が聞こえない。

 何でだ。

 何が起きてるんだ。

 やばい、これでは丸腰だ。

「動くな、静音!」

 頭上から、美蘭が飛び込んでくる。

 ミサゴとイスカは虚を突いて現れた美蘭に気を取られ、視線を私からはずした。

 波の音と風の音しかしなかった世界に、不思議な音が混じり始めた。

 まさかと振り返ると、ぼこ、ぼこぼこと水面から水泡が沸き上がってきている。


「応じろ、くっそたれ!!」


 水鏡の池の中央から水が吹き上げる。

 その水しぶきは刃となり、秋の組の三名へむかって飛んでいく。

 直後、美蘭がわずかに膝を折った。

 ミサゴだ。

 ミサゴが暗器で美蘭の腹部をえぐっていた。

 美蘭がとっさに私をかばってくれたのだ。 

 ヤマガラを水の刃の盾にしてミサゴが動いたのだ。

「成立するまで、何があってもそこを動くな! 静音が動いたら解ける!」

 美蘭の静止の言葉にようやく気が付いた。

 私の足元には術式を描いた後の八卦があった。

 回廊の上から来た美蘭にはそれが見えていたということだ。

 そして、闇御津羽神は私を動かさないために絆を与えなかった。

「チェックメイト!」

 美蘭が不敵に笑った。

 口の端から血が零れ落ちてきているのに、美蘭は笑っている。

「なぁ、第五結界って知ってるか?」

 美蘭が口にした言葉に私は絶句だ。第五結界なんかリアルにみたことがない。何故ならそれは女王クラスの業だからだ。

「宗像は弱いって、どの口が言った?」

 美蘭はミサゴの首をつかみ返した。

 ミサゴは思いもよらないほどの速さで動いた美蘭に瞠目している。

 イスカとヤマガラは回廊に水の刃で打ち付けられて動けないままで、ミサゴの援護には動けない。

「リサーチ大好きのお前のことだ。 私にこれがあるのを知っていたから、近接戦さけていたのだろう?」

 ミサゴの首に美蘭の指が食い込みはじめる。

 残念だったなと美蘭はさらににやりと笑んだ。

「近接戦から逃げ腰のお前を捉えることができるなら、私はわき腹ぐらい喜んでくれてやる」

 美蘭はくくくと笑った。 

 美蘭のその指が皮膚の抵抗を無視するようにさらに食い込んでいく。

 まるで皮膚が豆腐か何かのように思えるほど、簡単に指が腕が食い込んでいく。

「第五結界、発動」

 美蘭はミサゴの首の骨を砕き、小さな玉を取り出した。

「お前のその知識、いただくぞ」

 美蘭はそれを口に含んだ。

 その瞬間、ミサゴの目から光が消えていく。

 

「汝ら永訣の鳥となれ」

 

 美蘭がミサゴの耳元でくすりとつぶやいた。

 ミサゴの全身に紅蓮の炎が巻き付く。

 一瞬だ。ほんの一瞬でもうそこには黒い影しか残らない。

 さてと、美蘭はイスカとヤマガラを見た。

 イスカは分の悪さを正確に把握し、その姿を鳥に変えてヤマガラをくわえて逃げ出した。それを見届けた美蘭の身体がぐらりと傾いた。

「闇御津羽神!」

 白い手が意識を失った美蘭の身体を受け止めてくれた。

 そして、闇から慌てて飛び出してきた大鷲に美蘭を託してくれる。


「良い加減、応じろ!!」


 私の苛立った声に、ようやく泉の中央に大きな階段が現れる。

 下って来いと言うことだろう。

『美蘭は間違いなく招かざる客だよね?』

 大鷲がどこか不安げに私の目を見た。

「いいや、連れていく!」

『静音、これは迷惑をかけるだけでは?』

「私を護ってくれた美蘭を見捨てるわけにはいかない。 それに、今から宗像本邸へ戻したとして、本邸にだって奴らは来ているだろう? そんな中で、どうやって美蘭を助けてくれる環境があると思える?」

 どこも手がいっぱいなんだ。

 手があるとしたら、ここしかないはずなんだ。

「ただ約束してほしいことがある。 何があってもこれから知ることは墓場まで持って行ってくれ」

 大鷲はゆっくりとうなずいた。

「もしこれが約束に反していると言われたとしても、その罰則は私が受ける」

『それでは、貴一に申し訳が立たない!』

「私は自分の血族を信じているからきっと大丈夫。 万が一、腐った奴らだったのなら、私がその場で滅ぼしてやる」 

 行こう、もうそこまで潮が満ち始めている。

 潮が満ちればここは消え去ってしまう。

 潮の香りの満ちた階段を下りていく。

 私たちを飲み込むと背後が封じられた感じがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る