第34話 戦端は蓮台野に開かれる

 京都には三大風葬地がある。

 その風葬の地として有名だったのが嵐山の北にある化野、東山の鳥部野、船岡山の北西一帯の蓮台野という地区だ。

 平安時代の京都では亡くなった人間は洛外へ運び野ざらしにし風葬する習わしだった。今では考えられないが、遺体を埋葬せずに風にさらし風化を待つのだ。 

 平安時代は仏教の影響で、身分の高い人物は火葬を行っていたが火葬には木材が必要であり庶民は最も経済的で楽な風葬が一般的だったというわけだ。

 お土地柄、悪鬼と黄泉というワードに最も近い京都北の蓮台野。

 京都市北区にある船岡山公園。大徳寺の南に横たわる高さ112メートル余の小丘にある公園、かつての風葬地に僕はいる。

 僕がここを選んだ理由は一つだ。

 多くの寺社仏閣や結界で護られているから日中であればこの場所は何ともない場所であるが、夜ともなればその顔色は大きくかわり、黄泉、いや、冥界に近く、悪鬼の流入が最も激しい場所となる。

 ゆえに、僕があえて的になるにはもってこいの場所というわけだ。

「貴一、本当にここで良いの?」 

 奏太がほうと息を吐きながら、僕を見下ろした。

 僕は静かにうんと頷いた。

 出雲道反へもすぐにでも飛んでいきたいが、静音と美蘭は厳島、雅と珠樹は熊野と人員を割いた以上、京都に悠貴を単独で残すわけにはいかない。

「紫野からなら、本邸はあっという間だしね」

 近すぎても遠すぎても困る。

 そして、可能な限り、答え探しをしている御魂を巻き込みたくもない。

 黄泉に近い場であれば悪鬼は蹴散らしやすいし、春夏秋冬の奴らと対峙した場合にも僕にも利がある。

 黄泉の王代行である以上、僕にとって黄泉の空気は追い風になる。

 現世のあたりまえの風よりも、黄泉から漏れいずる風に頬をなでられると心地よい。僕の身体はどうにもそういう体質らしい。

 リミッターはとうに外している。

 まっすぐに伸びた黒髪はさっき奏太がきれいに結い上げてくれた。

 眼帯を奏太が差し出してくれたけれど、僕はそれに首を振った。

 僕の瞳の色はもう片方だけ違うということはない。春の雪の彼が僕に押し付けてきたものとなっている。いつもあった違和感はもうない。意識ひとつで見たいものを瞬時に的確にピックアップしてみせてくれる。そのことをどうしてか僕は奏太には話さなかった。

「面もつけないつもり?」

 奏太が仮面を差し出してくるが僕は首を横に振った。

「僕が宗像貴一であるとわからなくちゃ意味がない」

 手には道反大神が与えてくれた千鳥十字槍が収まっている。

 はじめての形の槍だった。

 奏太はその槍は布津御霊だと言っていたけれど、僕はどこか不思議と落ち着かない感じがしている。どうにも借り物感がぬぐえないのだ。

「ねぇ、布津御霊ってそんなに強烈なの? 前に望にだしてもらった布津御霊と同じなの?」

「同じだよ。 小物はその槍の光一つで消滅する」

「一振りで本当はどの程度祓えるの?」

「その気になれば1000はいける」

 奏太の答えに僕は驚いた。

 この軽くて細い槍にそれだけの力があると言うのか。

 僕の心を読んだ奏太が槍を指さし、苦笑いしてこう言った。

「普通の黄泉使いなら、その槍は重すぎて握り続けることも、振るうこともできない。 以前よりそれが軽く思えるのは貴一が扱えるレベルがあがったという証拠」

 プラスチックでできた槍の如く軽く感じている千鳥十字槍の正当な評価をきいて今度は僕が苦笑いだ。

 確かに、道反でコルリとやりあっていた時はもっと槍の重さがあった気がする。 

 何が違うって、間違いない。この目だ。春の雪が僕にくれたこの目。

 乾いた笑いが出てくる。本当の意味で僕がこの目のリミッターを無意識にはずしてしまったのなら、僕は僕自身で制御できるのだろうか。うっすらと額に汗がにじむ。


『貴一、静音を離すんではないよ。 静音は君のアンカーだ』


 祖父の声が蘇る。

 はははとさらに乾いた笑いだ。僕は静音を離してしまった。

 仕方がないことだったのだけれど、かなりまずいことは百も承知だ。


「諸行無常」


 ふいに徒然草の一説が脳裏によみがえった。



 あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。

 世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。

 かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。

 つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。

 飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。

 住み果てぬ世に、醜き姿を待ちえて、何かはせん。

 命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交じらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。



 徒然草『あだし野の露消ゆるときなく』だ。

 僕は息を吐いた。

 出雲で祖父からこれを教えてもらった。


「化野や鳥部野を見る通りこの世は無常である、時は流れるし、この先何があるかわからない。 だからこそ世の中は美しい。 すべては諸行無常」


 静音の父である時生さんが、中学生に教えるものではないだろうと祖父に突っ込みながら苦笑いしていたことも思い出した。

 

「桜は散るから美しく、雪は融けるからはかなく、生きているものはいつか死ぬからこそ、生きている時間が大切で愛おしい」


 永遠など、不死などこの魂には必要のないものだ。

 命の終わり、魂の回帰の場に僕たちは少なからず携わる。魂には触れないけれど、それをつけ狙う悪鬼と対峙する役割がある以上、間接的には触れていることになる。

 だから、祖父は諸行無常のこんな思想に触れさせようとした。

 黄泉使いは永遠を得ようと思えばそれを得ることができてしまう。

 望むな、わかっているな、枠からはみ出した願いは泥沼でしかない闘いを生む。


『宗像の血は魔物を生む引き金になりかねない。 だからこそ、死守する。 この狭い国の守護で十分。 外を望むな。 さらに大きな望みを身に宿すな』


 祖父はそう僕に言った。 

 さらに大きな望みを身に宿すなと言われても、この目はおそらく祖父の言っていた望んではいけないという制止を軽々と飛び越えてしまうかもしれない。


「勝利が絶対条件であるなら、何でもありだと思ってしまうよ」


 今の僕らには何もない。

 僕らが敗退した段階で、滅亡がまっているし、親世代を取り戻すことも叶わない。

 指で二、四のサインを作ってみる。


『第24番目の里は現世にはない。 そこをこじ開けるまでが僕の仕事』


 だから、僕はここへすべてを呼び寄せてでも闘い抜く。

 人差し指の先を歯で傷つけた。

 にじんでくる血液を唇に押し付けた。


『悠貴、頼むよ』


 嫌なにおいがする。

 悪鬼が現れ、わずかに肩を落とす。

 さすがに小物とはいかないみたいだ。

 人型を保てるということはそういうことだ。知能がある悪鬼、つまりは黄泉使いが転化した一発Sクラス。それが複数。両手の指だけでは数えきれない。

 春夏秋冬の仕掛けた襲撃で命を落とし、どこの組の悪さで転化させられたかはわからないが、僕らの初動の遅れで遺体を焼いてやれなかった同胞達だ。

 悪趣味すぎる初戦。

 彼らの羽織の家紋をみれば僕は絶対に躊躇してしまう。

 その顔を見ればさらに躊躇してしまう。

 だから、数十メートル離れた距離でもう仕掛けることにした。

 彼らが僕を一斉に視認した。

 そうだ、こっちへ来い。

 今度こそ、救ってやるからと手を差し伸べる。

 同胞だった彼らの口角がにいっとつりあがり、長く伸びた牙が目に入る。

 知能は高いが、もう彼らに連携するという意思はない。

 僕の術領域は半径15-20メートルだと道反大神が教えてくれた。

 飛び掛かってくるのをよけながら彼らを寄せ集めていく。

 さすがに小物の悪鬼のように容易くはない。

 かつての猛者達なのだから、当然、獲物も持っているし、それを槍で受け流していく。道反大神と呼びかけると、いこうかと彼が返してくれた。


「絆を行使する」


 実戦では初だ。

 どれくらいの爆発力があるのか僕はまだわかっていない。


「いざよふ月にさそわれいでてなむぞ思ひなりぬる」


 道反大神との絆の隠し舞い。

 軌道はもう何も考えることなく体が覚えている。


「桜の舞、十六夜!」


 千鳥十字槍の切っ先を地に打ち付けた。

 舞い上がったのは砂埃ではない。

 桜吹雪が目の前を覆いつくす。

 小さな炎が今度はとぐろを巻く蛇、いや、大きな龍のようにうねりをつくり、地上から空へと向かって噴き上げる。

 槍を振り上げ、その炎の渦を夜空に舞わせる。

 そして、一気に地上へむけてたたきつける。

 すると、炎はまるで地上をすべるように方々へ散る。


「汝ら永訣の鳥となれ」


 指をパチンとならすと、数秒だけ無音。

 轟音と爆風に僕は身体をもっていかれそうで、片膝をついてこらえた。

 あまりの風圧に思わず目を閉じる。

 2秒後、パチパチと薪がはじける音が耳に届き、瞼を持ち上げると、視界にあった景色は一気に様変わりした。

 まるで爆心地だ。

 見渡す限り100メートル四方はくりぬいた。

 自分がやったこととはいえ、冷や汗がでるレベルだ。

 どこが半径15-20メートルだよと突っ込んだ。


『お見事』


 道反大神が乾いた笑いを含んだ声で僕の独り言に返事してくれた。

 これで自覚した。

 僕がこれをする時は味方を簡単に巻き込みかねない。

 誰かをそばにおいてすべきことじゃない。

 だけどと、僕はにやりと笑んだ。


「僕だけならやりたい放題ってことだよね?」

 

 奏太のため息が頭上から降ってくる。

 木の上へ緊急避難していたらしい奏太がこちらをみている。

「体への跳ね返りはないの?」

 大きな術にはそれだけの弊害がある。

 確かにと僕は自分の身体を見直すが、どこも何ともない。

 僕のこの様子に、奏太はさらにため息を漏らした。


「底なし、天井なし。 狙われるだけの価値は十分」


 Sクラスを数十体以上まとめて片づけることができる爆発力が僕にはある。

 それをしても、僕の体力には左程の影響もない。

 リミッターがない。

 こういうことなのかと僕は唐突に理解した。

 

「化け物ってこういうことなんだろうな」


 世界は必ず帳尻を合わせてくる。

 僕はそれがどんな形で来るのかがわからない。

 でも、只今はモンスター扱いでも構わないと思いきることができた。


「護れるのなら、何でもありだな」


 夜はまだ始まったばかり。

 一番に同胞の悪鬼をあててきた奴はこれをどこかで見ている。


「いるんだろう? コルリ!」


 前方できらりと何かが光る。

 それが月の光に照らされた彼の金糸のような髪だとわかった瞬間に、背後に殺気がした。あいかわらずの俊足。だけど、僕はその影を踏んだ。

「縛!」

 コルリが身をよじって、地から足を離す。

 距離はわずかに1メートル。

 互いの顔がきっちりと目視できる距離で、コルリはわずかに眉をひそめた。

 地に足がついていなくたって、構わない。

 そのことに気が付いたのだろうが遅いよ。

 影から伸びた触手によって足をつかまれたコルリが地にたたきつけられる。

 だが、直前で彼は受け身をとりながら触手を切り離した。


「少しはやるようになったじゃない?」


 コルリの口の端がきれて、血がにじんでいる。

 春の雪はもう戦えないのだからこいつ以上に強い死神は現時点で存在しない。

 こいつをここにとどめることができれば、最も危惧していた状況は逃れられる。

 悠貴のところへ行かせなければそれで良い。

 悠貴を失えば、宗像は転覆する。

 気づくなよ、コルリ。


「今の僕は一人だから、何をしたって平気なんだよ。 それとも、ハンディが必要? 春の組もどうせならまとめて相手するよ」


 コルリがにやりと笑う。

 夏の組、春の組は僕がとどめる。

 気配が増えているのは先刻からわかっていたことだ。

 夏の組の3人、そして、まだ相まみえたことのない気配が二つ。


「春の二人がいることもわかってんの? やるじゃん、宗像貴一」

 

 コルリは配下四人を連れてきたことになる。

 いよいよ、本気で戦争する気だな。 

 悠貴、急いでくれよと僕は深く息を吸った。

 どこまで粘れるかが勝負だ。

 奏太が白銀の狐に転じた。


「望、僕の盾となれ」


 望となった奏太はひとつうなずくと、僕の背からゆっくりと中へと入り込んでくる。

 これは本能だ。

 神の狐を僕は纏うことができると知っていた。


「宗像貴一、参る!」


 真っ向勝負しかない。

 五つの気配がそれぞれに動く。

 1対5はなかなかにいじめでしかないが、この戦闘は僕にしかできないものだ。

 隠し舞いをみていたのなら、彼らは僕の術が発動する領域へは安易に近寄れない。

 接近戦が得意なコルリが一番それを迷惑に思っていることだろう。

 

「さて、どうくる?」


 コルリなら、配下4名をどう使う。

 まずはお手並み拝見だ。



 

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