第19話 闇淤加美神の絆

「何でこうなった……」


 親世代から受け継いだもので何とかこらえきるつもりだった。

 私には弟を護る義務があった。

 弟をあんな姿にしないための私のはずだったのに。


「どうして、こんなことになる!?」


 弟が出雲へ行きたいと言い出した時、私が止めるべきだった。

 無理にでも閉じ込めてしまえばよかった。

 弟からの報告が途絶え、奏太が現れた瞬間に私は自分の失敗だと認識した。

 がむしゃらに駆け抜けて、横たわっている弟の姿をみて、自分のふがいなさに死にたくなった。


『それで? 死んでお詫びするのかい? 私には荷が重すぎたって泣くのかい?』


 耳障りな言葉だ。

 びしょ濡れにされ、暗闇に引きずり込まれただけでも不快なのに、さらに不快な言葉を浴びせられる。


『値打ちがないのだと、価値がないのだと、つまらないままで居るのかい?』


 うるさい。

 黙れよ、吐き気がする。

 

『逃げ癖だけは一丁前。 さて、この度はいかにして逃げまするか?』


 おちょくってるのか、この声は。

 ふうと息を吐く。

 冷静になれ、ここはどこだ。

 弟がやられたのなら、一刻も早く中央へ戻って次の攻撃に備えなければならない。


『なんと冷酷な思考。 宗像がつながれば良いのか?』


 本当に黙れよ。

 弟を抱いていたのは泉の神のはずだ。

 弟は絶対に死んでいない。王の泉が彼を見殺しにするはずがない。

 弟の目の周囲に浮かび上がっていた痣、そして力なくたれた腕にあった桜の模様。

 貴一は爆弾を使ってしまった。

 だから、回復に時間を要することは避けきれないだろうことは悟った。

 王に引き続いて、王代行の弟を奪われる時間を耐え忍ぶ事態が発生したのなら、それに対処するのが私の役割だってだけだ。

 冷酷な物か、これが宗像の本質だ。

 帰るべき家を護る。

 どこが冷酷だ。

 そうだ、冷静になれ。

 ゆっくりと呼吸を整える。

 すると、馴染みのある匂いだとわかった。

 良く知っている木々の緑、澄んだ川の水の匂いだ。

 町の喧騒は一切耳に届かない。

 そうだ、ここは知っている場所だ。

 暗闇の中、目が慣れてきた。

 ゆっくりと見上げるとそこには大きな鳥居。

 その背後の石段の両側には連続する春日灯篭。

 季節を問わず、朝夕は恐ろしいほどに冷える場所。

 ははっと声が漏れた。

 ここは貴船だ。間違いない。

 ここへ神隠しのように引き込める何かがいるとしたらそれはもう一人しかない。

「闇淤加美神」

『何だい?』

 悪びれもしないややハスキーな女性の声がする。

「ここへ連れてきて、私をどうしたい?」

『呼んだのはお前の方だけれどね』

「呼んだ? 私は呼んでいない!」

『思い出してごらんよ、お前は確かに私を呼んだよ』

「私は鈴の音を聞いただけ……」

 無意識に鈴の音を求めた自分に気が付いた。

 気持ちが昂ったり、全てを捨ててしまいたくなる時に私は鈴の音を耳にすることが多い。すると、自然と元に戻れるのだ。

 暗闇にぼんやりと浮かび上がる蒼白い煙がゆっくりと人型をとる。

 石段にこしかけるようにそれは座った。

『自覚はあるね?』

「ある」

 今度はまっすぐに前を向いて答えた。

 なるほど、私はかなり昔から闇淤加美神に救いを求めてばかりいたのだろう。

『仕事帰りによく来ていたのに、忘れておいでかい?』

 貴船は結界の一つ。

 黄泉使いは一人一人が特別な場所を定めて動くことが多い。

 私の場合はそれが貴船神社だ。

「忘れてはいない」

 神が目の前にいることをどう受け入れるべきか。

 この気配は恐ろしいほどに知っている。

 つまり、この冷やりとするほどの覇気をもっている水の神に護られていた、いいや、私が護ってくれと願っていたのかもしれない。

「何を奪いに来た?」

『もう奪っている。 ゆえに、与えに来た』

「与える? どういう」

 言いかけた私の唇が冷たく白い指で押さえられる。

 いつの間にと、また冷やりとする。

 わずか30㎝の距離にそれはいる。

 黒いしなやかな髪は石畳に零れ落ちるほどに長い。暗闇でもはっきりとわかるほどの銀をはじく黒。瞳はぞっとするほどに輝く金色。女ぶり見事なほっそりとした体躯、透き通るように白い肌は月の光をはじいて美しい。

 だが、身にまとっている服は私達とそうかわらない。

『お前は音を聴く。 それですべて整う』

 鈴の音がする。

 鼓膜を震わせ、音が体の中へ飛び込んでくる。

 息苦しさに次いで、慟哭がする。

『二十六の夜にさそわれいでてなむぞ思ひなりぬる』  

 月の名を目の前にいる神が語る。

『有明の月は夜明けを託された者の舞』

 また、違う鈴の音がする。

 神の声は音になった。

 耳から入る音は鈴音なのに、意識には言葉として入り込んでくる。

『桜の舞、二十六夜』

 どんっと体に響くような衝撃。

 視界に飛び込んできたのは真っ黒の中の赤い点。

 その赤い点はとぐろを巻く。

 赤い炎のように思えるが、違う。

 これは赤じゃない、血液だ。

 闇淤加美神の長い光をはじくような黒髪の上に血液が流れを作る。

 ぽたりぽたりと闇に落ちているのは私の血液だ。

 いつ斬られたんだと焦燥感に首筋を抑えるが、もう止められない。

 かなり、深くえぐられた。

 しまったと思ってももう遅い。

 息ができない。

 手で押さえているのに、脈打つように血液が噴出してくる。

 神は祟る。

 ただの親切でそこにいてくれるわけではない。

 神に祈るならば、神に捧げ、敬い続ける。それでも足りないはずだと、わかっていたのに、どうして私は気を抜いた。

 どうする。

 私が倒れたら、貴一はどうなってしまう。

 私は師匠のように後を準備していない。

 今、ここで私が倒れたら、宗像は総崩れになる。

 私が倒れていいのは今じゃない。

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 立て、私!

 死んでたまるか。

「止まりやがれ、血液!」

 叫んだところでどうにもならないのに、叫ぶ。

 魂に言い聞かせる。

 ここで倒れては私が生まれてきた意味が無駄になる。

 瞼を閉じる。

 闇淤加美神、私はここで倒れて良い私じゃない。

 命のやり取りは今じゃない。

 覚悟を問うな、私はもう決めている。

 邪魔立てするのなら、私は神殺しもいとわない。

「私は宗像悠貴だ。 まだくれてやらん!」

 水が流れる音と鈴の音が混ざり合う。

 空を切るような鋭い音がして、場が奥の宮に変わった。

 大きい舟形石の上に美しい女神が頬杖をついて座っている。

『さて、悠貴。 私はお前に甘いところがある。 困ったことに、殺す気は毛頭ないときた。 お前に神殺しだ何だと言葉を吐かせるつもりはなかったのだけれど、いささか私の悪戯が過ぎたようだ』

 はっとして首を確かめる。

 斬られたはずの傷がない。

『二十六夜の舞は視覚的な踊りを必要としない。 身をもって知ったろう?』

「幻術?」

『いいや、幻術ではない。 私はお前に甘いから殺しはしない。 だが、殺す事もできたということだ。 鈴の音は魔を祓う。 故に、私の音は魔を断つこともできる』

 理解できないことが起きている。

 私は私の左手がつかんでいるものに目をやった。

 短刀がある。その切っ先には血がべったりとついている。

「自分で首を斬ったというのか!?」

『お前は舞に飲まれ、一度目の映しで自分を滅しかけた』

「舞に飲まれる?」

『二十六夜の舞に敵対した者はたいがい自滅する。 お前のように意志の強い者になら破れる術かもしれないがね。 気づかぬうちに自滅する。 それを逆手にとれば面白いことができるだろうね』

「相手を操作できるってこと?」

『良い感性だ。 相手を屠ることも、口を割らせることもできよう。 音は塞ぎ切れるものではないからねぇ。 攻撃だと気づけたとして、もう手遅れだ』

「こんな舞は知らない!」

『当たり前だ。 これは隠し舞い。 絆を与える者しか扱えないものだからね』

「どうしてそれを私に?」

『必要だとお前が願ったからだ。 いいかい? 悠貴、水は何にでもなれる。 その意志、その氣一つだ。 死にたくば勝手に死ね。 生きるのならば生きろ。 勝ちたくば勝て。 護りたくば護れ。 強くなりたければ強くあれ。 他人の常識など知るかと、お前の中にある真実に従え。 それが絆を宿す者の心意気だよ。 これを得て、お前はどうするんだい?』

「動くだけだ」

『それでこそ、私の子。 もう意味を問うな。 生れ落ちた時からこれは決まっていたことで、お前は私の絆の者だったというだけのことだ』

「どうしてか、小さい頃から私は貴船が好きだったんだ。 どうしようもなく、好きだった。 いつも、傷が治るように心地が良いから」

『私がここにいるのだから仕方のないことだ』

「皆に言われたよ。 氷の如く研ぎ澄まされ、熾烈なまでの神氣があふれすぎる場所を己の結界に選ぶなんて変わってるって」

『黄泉使いの子で、ご機嫌に私のところへ逢いに来るのはお前くらいのものだ。 この暗闇もお前には深淵には見えないのだろうしな。 常人ではこの深淵は耐えられまいよ』

「もう行くよ。 闇淤加美神、私はあなたの凛とした氣がやっぱり好きだ!」

『もう嫌というほど聞き飽きた。 さぁ、行け』

 女神がほほ笑む。

 言葉は辛辣、放ってくる気配もおそろしく怖いのに、いつもそこには真実がある。

 猛々しい女神。

 決して優しくはない。

 だけれど、この女神は絶対に手を離さないでいてくれる。


『いつでも呼べ、悠貴。 私はそばにいる』


 また強烈な突風と水だ。

 穏やかにとはいかないのか。

 鳴門の渦潮にも負けんだろう渦に飲み込まれ、私はもとの場所へ戻され、遠慮なしに癒しの泉の岸に投げ捨てられた。笑えるほどに体中が痛い。

 そして、人生最大級に傷だらけだ。

 長時間にわたって稽古をつけられたような傷だと思った瞬間にぞっとした。

 目に見えるだけが舞じゃないと闇淤加美神は言った。

 舞をせずに、じっとしているだけで良いとは言わなかった。

「なるほど、やってくれる……」

 自分が認識できないほどの舞の振りがあったというわけだ。

 私の体中の筋肉がきしんでいる。

 どう動いて、禁術を発動させたのかがわからない。

「音でだますのは自分自身もか……」

 笑えてくる。

 呼べというのなら、呼ぶ。

 絆とはそういうことなのだろう。

 ギリギリに追い詰められるまで試されて、譲り受けた。

 

「宗像の選択は一択しかない」

 

 這う這うの体で立ち上がる。

 唇の端すら切れている。何をしたらこうなるのか。

 もう笑うしかない。

 

「いくぞ、私」


 夜明け前の月というのなら、やってやる。

 まずは、次の攻撃をどう受け止めるかを考える。

 貴一を使えないことが敵にだけはばれてはいけない。

 考えろ、考えろ!

 私ははったりがうまいはずだ。

 心に静かに水の流れを宿す。

 地下の階段を一歩一歩のぼる。

「悠貴! なんて傷!」

 珠樹が駆け下りてくる。

 相変わらずの心配性の声は悲鳴に近い。

 大丈夫だよと珠樹と名を呼び、手を伸ばした瞬間、彼女の姿が視界から消えた。

 同時に突風が吹き荒れる。


「珠樹もか……」


 勝ち取ってきてよ。

 ダメだ、眠い。

 やばい、体が前のめりになる。

 ぷつりと糸が切れる。

 誰かに抱き留められた感覚がした。

 あたたかい。

 あたたかすぎる。

 私の意識は暗転した。 

 

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