第20話 筆頭の娘

 どこから襲ってきたのかわからない突風に思わず瞼を閉じた。

 砂塵独特の香りが鼻腔をかすめ、じゃりじゃりとした砂をはんだことを自覚した。

 ぬかった、失笑だ。

 気を抜いたわけではなかったが、これにはさすがにどうしようもない。

 これが冥府の仕業であったとしたら、私は捕縛されてしまったことになるだろう。

 だが、と風がやむのを待ってゆっくりと瞼を持ち上げた。

 見渡す限りの岩山。草木一つ生えていない殺風景。

 瑠璃色のやけに硬質な長い髪が視界にはいった。

 気づかなかった、と身をよじったが、喉元を一気に手でつかまれた。

 それはすぐ真横に気配なく立っており、意図もたやすく私の動きを封じた。


『つまらねぇ。 お前、こんなに弱かったか?』


 落胆の声が頭上から降ってくる。

 苦しさに歯を食いしばりながら、見上げる。

 一瞬、父かと目を見張ったがすぐに違うとわかった。

 頬に大きな十字の傷。首にも傷口は続いている。

 山吹色の猫の様な瞳が、こちらを凝視した。


『珠樹、俺はつまらねぇぞ』


 名前を知られている。

 首をしめあげられているこの状況を脱しようともがくが、男の力は一向に緩まない。視界が暗くなってくる。酸欠だ。意識を落される。

 このままでは私は意味もなく終わってしまう。

 貴一も静音も、悠貴も雅も皆、役割を果たしているのに、私だけが終わるのか。

 ぎりりと奥歯をかみしめた。

 指先に意識を集中した。

 できる。

 今なら絶対にできる。

 指を渾身の力で動かし、宙に描く召喚文字。

 来い、この手に来い。

 右の手のひらが熱くなる。そして、ずしりとした硬質の感覚が届く。

 しっかりとそれを握ったと同時に振り上げ、目の前の男の腹に突き立てる。

『痛いじゃねぇか、珠樹』

 にいっと笑った男は私の首をつかんでいた手をわざとらしく離して見せると、突き刺さったままの槍をしっかりとつかんだ。

『未熟』

 殺気を感じ、槍から手を離したが遅かった。

 静電気などと言えるレベルではないびりびりとした衝撃が手に伝わり、体が弾き飛ばされる。

 岩に背を打ち付けられる寸前で、何とか受け身を取った。

 だが、感電したような跡の残る右手がだらりとして動かない。

『もう終わりか? 立て、来いよ。 お前はそんなもんじゃねぇだろう?』

 嫌みなほど父に似通った笑顔だ。意地の悪い表情までも似ている。

 父との稽古でこんな表情をされたことはない。

 立てと声を出して、何度も何度も繰り返し稽古つけるのは悠貴に対してだけで、私にはただただ優しい父だった。

 お前はそれで良いのだと、そこまでしないで良いのだと言われている気がした。

 見放されているような疎外感すらあった。

 父の娘なのに『貴』の文字を受け継げなかったことを穂積家出身の母はきっと悔しがったのではないだろうか。直系血筋の子なのに『貴』がつかない名をどう思っていたのだろう。

 父は誰よりも優しい、抱きしめられるとすごく安心した。

 屈託のない笑顔で膝にのせてくれた。

 母譲りで体が弱かったせいもあるだろうが、父は武道だけが道だと思うなというように厳しい稽古から私を遠ざけた。

 でも、弓道でインターハイにでて日本一となった時、忙しいのに応援席にかけつけて、大騒ぎしてくれていた父。それでも、黄泉使いの稼業となると、私には何も教えてくれなかった。

 そんなだから、幼い頃より、穂積家の現当主である伯父の冬馬に教えを請うた。

 伯父はとても困った顔をして、父には考えがあるのだと思うと言葉を濁したが、根負けして槍術、柔術、穂積家の伝統の封術を教えてくれるようになった。

 黄泉使いとして初めて実践に出る時、各家ごとに必ず『当主語り』という訓示をいただくような場が用意される。それは私も例外ではなかった。

 私は宗像家の黄泉使いとしてではなく、穂積家の黄泉使いのルーキーとして実践にでる当日、穂積家には罪があると伯父の冬馬は静かに語った。

『穂積は二度と過ちを犯してはならない。 宗像の頂点に立つ者の剣であり、盾になるのが穂積の罪滅ぼしだ。 静かに、静かに、ただ静かに役目をこなす。 だから、珠樹には穂積を継がせたくはないのだけれど』

 冬馬は静かにうなって言った。

 穂積も宗像も継げない私は一体何のためにあるのかわからないじゃないかと、生まれて初めて感情が大爆発して、ほぼ罵声だったように思うが冬馬に八つ当たりした。

 驚いたように伯父の冬馬は口をあんぐりとさせ、私をみた。

 私は口数が多い方ではない。

 だけど、一丁前にネガティブ思考に陥れるほどには普通の女子だ。

 悔しさが先行して、泣きながら、怒鳴りたおした気がする。

 伯父は困ったような表情を浮かべたが、ため息の後、優しい目をして私の頭の上に手をのせた。


『珠樹は穂積のために生まれてきてくれたんだもんな、ありがとう。 俺は俺の代で穂積を潰す気で居たから、本当はどの子にも譲る気はなかったんだよ。 でも、珠樹の身体は根っからの穂積で、宗像のやり方では合わないのが途中でわかってぞっとしたよ。 珠樹のお父さんは珠樹が穂積を受け継ぐ子だとわかっていたんだと思う。 黄泉使いは各々が体にあった受け継ぎ方をする。 だから、宗像嫡流のやり方を譲らなかったんだよ。 そういう人だから、あの人はわざとこうなるようにしたんだ』


 冬馬の言葉で、私ははっとした。

 父は私に何も教えてこなかったわけじゃない。

 基礎教育は父に受けたが、実践につながる訓練になった途端、ただの優しい父に変貌した。まるで、これから先にお前が身に着けるのは『ココ』ではないよというように。

 ことあるごとに、穂積の家へ使いにだされて、何かと穂積家の黄泉使い達との接点が増え、稽古場が自然と穂積の家へと変わっていった。

 穂積の家の者は私を慈しんでくれた。誰よりも誰よりも大切に扱ってくれた。

 それでも、父のいる宗像本家ではないという寂しさがぬぐえなかった。

 私の心は青く、つまらない性根でしかなかった。


『珠樹、周囲の言葉に惑わされんで良い。 貴の文字は黄泉使いの祈りみたいなものだから、皆が勝手に期待しているだけだ。 珠樹って名前、お前の両親が望んでつけた大切な名前なんだよ。 真珠のように美しく、しっかりと根を張ってまっすぐ育って、家の幹、要となれって意味なんだって。 知ってたか? 貴の文字を受け継ぐことが誇りであるってのは間違いなんだよ。 お前のお父さんはそういうたかだか祈りの一文字に愛する娘がひっぱりまわされること自体が悪習だ、直系、嫡出、どうだって良い、珠樹が珠樹らしく、まっすぐにやりたいことをやれるならそれで良いんだって言ってたくらいなんだよ。 困った人だけど、誰よりも珠樹を愛しているのは公介さんだよ』


 冬馬は私を抱きしめると、なだめるように背をさすってくれた。

 こんな大切なことくらい伝えとけよと冬馬はぽそりとつぶやき、私もそれを早く言ってくれればよかったのにと父に苛立った覚えがある。

 全黄泉使いの頭である宗像公介を父にもち、穂積家当主の冬馬の姉である穂積柚樹を母にもつ私に皆からの大きな期待がどれほどまでにあったと思うのだと怒鳴りつけてやりたくなった。

 伯父の冬馬は宗像咲貴と結婚する際に穂積を名乗るのをやめた。それは、その子供に穂積の家を継がせないという意思表示だったことは知っている。

 直系を穂積の椅子には座らせないというのを条件に結婚したと穂積の古参からきいた。それほどまでに冬馬は穂積を許さない。

 それなのに、穂積の後継となることを父は満面の笑みで喜んだ。

 3年前に病死した母の名前を出して、ものすごく喜んだと思うとまで言い切った。


『穂積は宗像の宝だ。 穂積がいるから宗像が護られる。 柚樹はちょっと体が弱かったから冬馬のように最前線で盾になることはできなかったが、珠樹はもう大丈夫。 体にあった方法を冬馬から学んだはずだ。 穂積のためにうまれて来た者は穂積のやり方が一番に決まってる。 それに、このパパりん譲りの才能もあるんだからどんとこいだ。 悠貴を頼むぞ。 お前にしかできない護り方をしろ。 世界で一番信用している俺の娘だからこそ、穂積を託す。 順位一番の宗像の嫡流をくれてやるんだ、思う存分やってやれ』


 無条件に涙がこぼれた。

 順位一番の宗像の嫡流と父は口にした。

 馬鹿みたいに心が救われた。

 小さな小さな誇りが護られたように思えた。

 どこか斜に構えて、世界を、自分を見ないふりをして、心を護ってきた。

 空っぽだった器は一気に満たされた。そして、私は目が覚めた。

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