第18話 姉、後継ぎ、才能
優秀であれ。
冷静であれ。
潔白であれ。
そして、一度たりとも負けてはならぬ。
そんなことを望まれたことは一度もないし、そうであれと育てられた覚えもない。
言われないから、しつけられないからといって、私がしないで良いはずがない。
私の祖父はあるいは女王を凌ぐのではないかと言われた人。
両親は宗像の因縁を断ち切った伝説の世代の黄泉使い。
弟だけでなく、従姉妹や従兄弟は才能の塊ばかり。
血統は最強。
何の滞りもなく黄泉使いの道が開かれており、恵まれた環境で修練できる。
外敵の存在すら感じることのないぬくぬくとした毎日。
お嬢様と呼ばれて、何一つ困ることもなく生きる。
これで、私が何もできないままで良いはずがない。
私に与えられたものは私がこれから果たさねばならないものが大きいことを意味するのだから、できなかったでは済まされない。
私が恵まれているのは、託されているものがあるからだ。
だから、常勝で、完璧で、どっしりと構えている器でなくてはいけない。
言われなくとも、それが私のやるべきことだ。
親が優れているからといって、子が優れているとは限らない。
そんな言い訳できるわけがない。
2代目がダメだと言われて済む話じゃない。
黄泉使いは自分自身が武器となることが多いため古武道は必須だ。
基礎教育の中に剣道、弓道、居合道、薙刀、そして槍術、柔術がある。
強制されることはないが、親世代は選んだのならばやり抜けと教育してくる。
子に選ばせ、選択したのならばやり抜けと姿勢を崩すことはない。
選択は常に一択だと説く。
やるのか、やらないのか。それだけだと説く。
努力で身に着けるものを才能とは呼ばない。
才能は生まれた時から決まっている。
才能は自分の意志ではどうにもならない。
それでも、才能があると思われなければならない。
それが中央に生れ落ちた宿命。
本当は弓道が得意。
でも、宗像は槍だ。
槍を誰よりも優れた技術で振るう必要がある。
でも、本当は弓道が一番得意なんだ。
でも、それではいけない。
そんなこと、知ってるさ。
稽古場の裏手にある道具倉庫で、弓に手を伸ばす。
和弓は全長七尺三寸、約221㎝。
全長だけでみれば実は世界最大の大弓だ。
原則として左手に弓をもち、矢は弓の右側に番え、右手に弽を挿して引く。
取り掛けは右手親指根元あたりで弦を保持し、矢筈を人差し指根元で抱え込むように保持する。上から大きく引き下ろし、最終的に右手が右肩あたり、弦が耳の後ろに来るまで大きく引き、射る。
目を閉じてみると、その心地よい手触りがすぐに蘇る。
射る瞬間に、左手の中指で弓を反時計回りに素早く回転させる弓返りを行うことで、矢が加速するだけでなく、右にそれる力を大きく削ぐ。
その感覚までが蘇る。
悔しかった。
弓ならばもっとうまくやれる自信があるのにな。
でも、才能のない槍が私に求められているものである以上、私はそれにこたえなければならない。
そんな私の葛藤を知らない弟がふいに私に声をかけてきた。
どうしたの、なんて単純な言葉がとんできたのではなかった。
彼は私にこう言ったのだ。
「僕さ、槍苦手だし、居合がしたいから、それを極めちゃおうかなって思う」
何を言っているんだと声が出なかった。
私たちは宗像の中央にいる。
「槍を極めるの間違いだろうが、馬鹿垂れ!」
声が震えていた。
自分でもそれがわかった。
中央の血筋がそれを口にするのはありえないことだ。
「槍なんてさ、うまくなったって、所詮悪鬼を狩るだけで他に何か良いことあるの? 好きなことをしたら良いんだよ。 槍は得意な人が抜きん出たらそれで良いと僕は思うよ」
にっこりと笑う弟。
槍なんて重いしさ、面倒だしねと笑う弟。
でも、この瞬間に、私はようやく気が付いた。
私の弟は間違いなく槍の才能があるのに、知らない顔をしようとしている。
男女関係なく、直系の第一子、嫡子の私には死んでも言えない言葉をかわりに口にしている。私を助けようとしているのかもしれないと感じた。
「じいちゃんが言ってたんだけどね、ちゃんと役割がこなせる場所へ生まれてくるもんなんだってさ。 だから、やりたいと思ったことが正解でいいって。 でも、楽にできる、認められるからやりたいは違うらしい。 好きかどうかだって。 下手でも、才能がなくても、好きならありらしいよ。 姉ちゃんは弓が好き?」
後頭部を思い切り殴られた気がした。
弓道は得意だが、好きなのかとか考えたことはなかった。
弓に伸ばしていた手を引いた。
「槍の方が好きだと思う」
そうなんだと弟は笑って、倉庫を先に出て行った。
弓に手を伸ばした私が欲しかったのは楽をしようとした現実だ。
いつだって、うまくなりたいのは槍だった。
両親の様な、師匠の様な、祖父の様な美しい宗像の槍が私は好きだ。
だから、槍がうまくできない自分に失望して、いっそ逃げたかった。
弟はそれを感じ取った。そして、私に私の本当の気持ちを知らせに来た。
ダメだ、何してるんだ、私と頬をはたいた。
大弓を横目に、私は倉庫を出る。
両脇には梅の木、そして、橘がみえる。
石畳をしっかりと地に足を着けて歩いた。
ふうと息を吐くと、憑き物が落ちたような心地がした。
稽古場へ戻る道の途中、珍しく師匠が待っていた。
恵まれた体躯の師匠は遠目からでも目立つ。
ひらひらと手をふっているが、表情は意地悪い笑みで一杯だ。
「やられたか?」
私は悔しかったがうなずいた。
かかかと笑う師匠は、私の頭に手を置く。
この師匠の稽古を逃げ出そうとしたのは初めてだったから、今日の師匠はやけにおしゃべりだ。
「才能なんてもんはな、実はどうだっていい。 俺だって弟に勝てやしないことばっかだ。 でもな、俺にしかできんことが実は弟よりたくさんある。 だから、俺が宗像一門の頭なんだ。 超スーパースターが頭ではなく、俺が頭だ。 これの意味わかるか? 俺、すんごいんだからな。 その俺の弟子は誰だ?」
表向き、こんなにちゃらちゃらしている人なのに、日本中の黄泉使いが疑いもなくトップと跪く。
偉そうなそぶりなど一つもない。いつも、豪快に笑う。この人はぶっ飛んだ才能の持ち主で、女王にかわってすべてを動かしている人なのに気安いままだ。
武器なしで、片腕しかないこの人から未だに一本もとれないままでいる。
暇さえあれば寝転がっているこの人が、悪鬼を薙ぎ払う時のあの強烈な破壊力は本物だ。初めて、実践の場でこの人の戦闘を見た時のことを忘れない。
強いってこういうことなのだと口が開いた。
祖父は技巧、師匠は力そのものだ。
祖父は日本一の師匠になりえるのは自分の兄だと言った。
今、私の目の前にいるこの祖父の兄が最強だと言いきった。
悪態をつきたくなるが、私も最強はこの人だと思っている。
「本当はじいちゃんの方が強いでしょう?」
「やってみなけりゃわからん」
「やってみなくたって、じいちゃんが最強に決まってる」
「ひどい奴だな、いいか? 最強ってのはな、後につなげられる奴のことを言うんだ。 自分一人で終わるなら、それは最強とは言わん。 自分が居なくとも、自分以上に努められる人間を残せるかどうかが勝負なんだ。 自分がいなけりゃ終わるようじゃダメだ」
「だったら、後進には才能のある方を選ぶべきだった」
「だからお前を選んだ。 間違った選択はしない。 宗像の選択は常に一択だ」
実年齢は60を超えているのに容姿は40代。
線の細いフェミニンな印象の祖父と違い、この男は『漢』そのものだ。
「女王様の師匠は誰だと思ってやがるんだ? この俺様だぞ?」
思いもよらない言葉に私は息をのみ、はじかれるように顔を上げた。
「そもそも、お前を後継にしたのはこの俺だぞ? ちゃんとわかってんのか?」
実力主義の宗像。
私の脳裏に浮かんだのは従姉の珠樹の顔だった。
才能の塊集団の一角に彼女はいる。この男の一人娘なのだ、当然のことだ。
何基準で直系筋を定めたのかがわからなかった。
トップの黄泉使いであり、筆頭である師匠の後をとるのは誰もが珠樹ではないかと思っていたはずだ。だが、師匠は生れ落ちた自分の娘の名前に『貴』の文字を使わなかった。明確に直系ではないとはじいたのだ。
「有難迷惑だ!」
素直な感想だった。珠樹はふさわしい人物でしかないのにと未だに思っている。
「まだ言うか!? 本当に良い度胸してやがるなぁ! にくたらしいこと! なぁ、悠貴。 そろそろ、お前も最強になってみないか?」
「どういう意味?」
「宗像にとっての最強ってのはな、潜在能力じゃない。 宗像は繋ぐのにたけているからこそ、宗像なんだ」
「そんなんじゃ、わからん」
「スーパースターは外敵には有効ってだけの代物だ。 そのスーパースター様が生まれてきた時に軍隊なかったら、どうなると思う? 最新兵器一つで戦争できるか?」
一体何が言いたいんだと腹が立って師匠をにらむ。
「母体を母体のままで引き継ぐ才能こそ、最強だってんだ。 人心を掌握し、組織の分裂を阻止し、軍隊を軍隊のまま、もしくは大きくして保存していく。 大勢を率いるにはただ強いだけじゃ無理だ。 才能の塊たちを導くために、冷静に己を評価できる方が良い。 王が王でいられるのは国があるからだ。 国も民もないのに、王になれるか? 国や民は黄泉使い達だ。 国を率いるのは王じゃない。 民が王を作るんだ。 民たる黄泉使い達を統率する者が真の意味で宗像の王だと思わんか?」
「じゃあ、女王は何のためにいるの? 師匠の言葉通りじゃ、必要なくなるじゃないか!!」
「女王はただいるだけでいい。 それがスーパースター様であり、女王だ」
「実質、支配する人間が別にいる意味あるの?」
師匠はその私の問いに笑った。
そして、すぐには答えない。
「今度は言わんのかい!」
師匠は片方の口角をゆっくりと引き上げた。
「仕方のない奴だな、ちょっとぐらい自分で考えてみろ。 いいか? 戦争してる時に兵器が国を想うか?」
目が覚めた。
この師匠の言葉は衝撃だった。
意味がようやくわかった。
「別に女王や潜在能力が高い者を兵器として扱えと言ってるわけじゃない。 わかりやすく言っただけだ。 誤解するなよ?」
師匠はぽりぽりと頬をかいた。
「戦闘に集中させてやれるように、組織を統率することが何よりも大切だってことだ。 たった一人がいなくとも、宗像が倒れないことが最重要。 どうしてかわかるか? 王は孤独だ。 とっても寂しがりやさんでもある。 王が護るべきものをたくさん用意して、最愛の仲間を護らせてやらにゃなぁ。 王にかわって屋台骨となる役割がいかに最強かわかったか? さて、それに選ばれたご感想を?」
師匠である宗像公介が私の顔を覗き込んできた。
「そういうのならできるかもしれない」
「俺もそう思う。 お前はむいてる。 誰よりも状況把握が速く、スピード感をもって大勢を動かせる。 それに、お前の持ち前の度胸とはったりがないと困るんだよ、頭になるってのはな」
「どういう意味だよ。 ディスられてるようにきこえるけど?」
「そのままの意味だよ。 カリスマってのは生まれ持った宝みたいなもんなんだよ。 地味な貴一にそれができるか? 華があるお前ならできちゃうじゃないの? 『悠久の美しき時を貴く護れ』 これがお前の名前の意味だ。 俺は俺の持っているものをすべて、お前に託す」
「託すってのは重荷でしかない!」
「それでも、お前は引き受ける。 俺とお前は同じだ。 弟がとんでもない才能の塊だからな、護ってやらにゃならんのよ」
「宗像の選択は常に一択なんだろう? 選べないじゃないか」
「それが生れ落ちてきた時に、お前のできることになったわけだ。 選べて、こなせる一択しか、宗像の前には転がってこない」
師匠の作るちょっとふざけた顔はむかつく。
余裕たっぷりの顔だ。
何一つこえていける気がしない。
だから、自分ができるようになるまで、絶対にそばにいると思っていた。
いつものように飄々とあらわれて、おちょくられる日々が続くと思っていた。
両親が倒れ、祖父が倒れた。
多くの大人が一斉に倒れた。
例にもれず、師匠も倒れた。
横たわっている師匠を見て、血の気がひいたのに、私は動いた。
託されたものがあった。
「たった一人がいなくとも、宗像をつなげ」
自分で口にしてみると身震いが来る。
武者震いなのかどうかはわからない。でも、もしもが来てしまったのだから動かなければならない。
「繋ぐ」
宗像には常に保険となるシステムがある。どんな強者がいたとしても、どれだけ盤石な組織をもっていたとしても絶対はない。
だから、王が不在となるのなら、誰かが玉座につくことはわかっていた。
宗像の次世代から誰が選ばれてもおかしくない。
そして、私は玉座を護り、母体となる組織を統率する役割がすでにふられていたから、自分だけはその選択肢にないことを知っていた。
私の中では一択だった。
宗像貴一、私の弟はあの祖父を師匠にもつ唯一の直系。
神の狐が弟を選ぶはずと知っていた。
もう、弟以外が選ばれるのはどこか嫌でもあった。
弟が立つのならば、私はその母体を率いるだけだと覚悟ができた。
年齢や経験など関係ない。
宗像はつなぐ。それが宗像だ。
強者が奪われただけで倒れるような軟な宗像ではない。
いざという時のために師匠からきいていた物をすぐに取りに行った。
本家の庭にある大きな池。
その真ん中に古びた石灯篭がある。
珠樹がとめるのも聞かずに、私は池に入る。
水の冷たさも感じられないほどに緊張していた。
言葉もなく、中央の石灯篭を目指して歩く。
肩ぐらいまで池の水につかったところで、石灯篭へ手を伸ばす。
石灯篭に手が触れると私の手の上で何かが這うようにうごめく。
それは迷うように、戸惑うように動く。
負けるな、迷うな。こいつらに選ばせる必要がある。
強気で行くしかない。
「只今よりお前たちの主は私だ! よこせ!」
私の声に反応するように動きがとまり、数秒後に右の耳に痛みが走る。
無理矢理ピアスをおしこまれたような痛みに軽く声をあげてしまったが、流れ込んでくるあまりの情報量にすぐにそれどころではなくなった。
圧倒される宗像のトップが知るべき情報量。これはマニュアルだ。
最後の最後に音声が流れる。
宗像公介の声だ。
『つなげ、悠貴。 はったりでもなんでも構わん。 俺達が戻ろうとも、戻らなくとも、お前がつなげ』
子供だからできませんでしたとはもう言えない。
公介はこの事態を少なくとも起こりうる未来として認識していた。
きっと祖父や両親も同じはずだ。
だから、私だけがつなぐ要素をもっているとは考えない。
私たちは全員がきっとつなぐ要素を持っている。
いや、持たされているはずだ。
どれだけ打ちのめされようと、もうこの時、今をもって私だけは歩みをとめてはならない。
再び、岸へと無言で歩く。
びしょ濡れの服も何もかも気にならない。
手で右の耳たぶをそっと触れてみると、硬い金属と石の感触がした。
師匠の左耳にあったものが今ここにあるのだろう。
これは宗像本家のありとあらゆる扉を開くことができる鍵ともなる代物。
筆頭の証。
「総攻撃されようと、宗像をつなぐ。 珠樹、いくよ」
珠樹が静かにうなずいてくれる。
師匠の娘は彼女だ。
嫁などとらんと言っていた師匠が根負けして結婚し、まさかの私の同級生として生まれた彼女は私の最大の味方であり、相棒だ。
「泣いてもいいんだよ、悠貴」
珠樹が私の袖をつかんで歩みを止めてきた。
「そんな暇があるなら、今すぐにでも私は宗像の『最強』としての務めを果たす」
珠樹が驚いたように私を見た。
そして、何度も繰り返しうなずいてくれた。
「悠貴、手伝う」
「当然だ。 行くよ」
私には護らねばならないものがある。
私にしか護ることのできないものがある。
「はったりをかましに行く。 だから、私が震えてる時は殴って」
あまり笑わない珠樹が私を見て笑った。
彼女の笑顔は師匠に似ている。やっぱり父娘だ。
怖くても、できなくても、盾になるのは私しかいない。
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