第17話 闇御津羽神の絆

 

「弥都波能売神!」


 はいよ、と声がした瞬間、私の背後に気配がした。

『絆を受け入れるのかい?』 

 声色はとてつもなく柔らかいが、その質は凛としていて神の畏怖を感じる。

 父にすら話したことはないが、この声を私は幼い頃から知っている。

 その声の主がまさか弥都波能売神だとは思いもしなかったけれど、幾度となく、私はこの声に問われ続けた。

 それは、10歳くらいの時だっただろうか。

 宗像別邸にある池の中にいた小さな小さな龍の姿をした光のかたまりを見たのがはじまりだった。

 父の容赦ない稽古で傷だらけになって、どうしてこんなに痛い想いばかりしなければいけないんだと不貞腐れて縁側に座っていた時に、みつけた。

 恐る恐る近づいてみると、とっても美しい白銀の龍だとわかった。

 あまりに綺麗で、ほうと息を吐いたのを覚えている。

 私と目が合った龍はびっくりしたようにもう一度しっかりとこちらを見て、見えるのかいと問うてきた。

 手を伸ばすと、それがひょいと掌にやってきて、こちらをじっと見て言った。

『絆はいるかい?』

 当時は言っている意味がわからなかった。ただ首をかしげる私に龍はさらにこう言った。

『絆はいつもそこにある。 君が受け入れたら良いだけだよ』

 よくわかっていなかった私は深く言葉を吟味せずに、ただ小さな龍の友達ができたようでうれしかった。

 小さな龍が優しい音を奏でると、嘘みたいに傷の痛みが引いていく。

 優しい音は鈴のようで、風鈴のようで表現できない音だけれど、それは私の薬代わりの音だった。

 黄泉使いのルーキーとして任務に出るほんの数か月前に、父が神仙とは一線を画さねばならないよとふいに口にした。まるですべてを見透かされたようで、怖かった私は何も言えなかった。

 父はそんな私の様子をたいして気にする風でもないのに、くぎを刺すように続けてこう言った。神は祟る、そう一言だけ。

 黄泉使いの多くは神社、つまり神道の信仰のもとに生きている。生業の多くが神主というケースが大半だ。でも、それだけでは黄泉使いの生業を支えていくことはできない。だから、中には医師や学者、警察、判事や弁護士、小説家や音楽家、企業家と幅広く配置して、自衛隊組織と同じように自己完結できるような構成になっている。

 資本力を支えるのは黄泉使いとして戦う才のなかった血族達。

 生傷の絶えない黄泉使いの治療を一手に引き受けてくれているのも同様。

 生業に伴ったトラブルを一手に引き受けてくれているのも同様。

 だが、才があろうとなかろうと、黄泉使いの血族に生れ落ちた者は皆、『神は祟る』の怖さを知っている。

 神は美しい、強い、万能であるというのは大きな間違いだ。

 神となった存在の多くはその大きすぎるエネルギー故だ。

 安易に願い事を口にしてはならない。

 願うならば、己が何をなすのかを提示して契約するという繊細なやりとりが必要となる。

 神は願いを叶えてくれるだろう、だが、差し出すものを提示していなかったのならば何を奪われるかわからない。それほどに辛辣でもある。

 神とは生半可な覚悟でかかわってはならない。きっと父はそれを私に言ったのだ。

 ふうとゆっくりと息を吐いた。

 体中の緊張しきった空気を吐き出したかった。

 選択肢はない。一択だ。

 神の怖さを知っている父がハンドサイン4を送ってきた。

 禁じ手を受け継げと言っている。

 ならば、やってやるしかない。

 ゆっくりと視線をもちあげる。先の事など知るか、今が何ともならないのなら未来など来るわけがない。迷うな。

 一択だ。やるしかもう手がない。


『十三の夜にさそわれいでてなむぞ思ひなりぬる』


 弥都波能売神が私の緊張を悟ったのか、あの日のように小さな小さな龍となり私の肩口に降り立つ。

『知っているかい? 十三夜に曇りなしと言うんだ。 私が水を司る一端にいるというのにね』

「どうして私を選んだのかだけきいても?」

『私の姉の闇淤加美神は別の子供を見ていた。 そんなに子供が気になるのかと問うたら絆の子だから気になると彼女は言った。 そんなものかと思っていた時に、君に見つけられてしまった。 その時に実に得心した』

「さっぱりわからない」

『君にみつけられて理解したのだよ、絆の者の意味をね。 君たちは私のことを弥都波能売神とも呼ぶ。 でも、それではつまらない。 君にだけ特権を与えようと思う。 闇御津羽神と呼ぶがいい。 この名を君が口にするのを合図に私は君に絆をくれてやろうと思う』

「神は祟る。 あなたは何を奪うのですか?」

『奪うか。 そうだな、もうもらっている。 だから、もう何も奪うものはない』

 小さな白龍はきゃらきゃらと笑っている。

「闇御津羽神、絆は受け入れる。 今すぐにあなたとの絆が私には必要です」

『承知した。 では、ちょっとだけお時間を拝借』

 花の香がする風があたりに満ちる。

 不思議だ。貴一の纏っている香りに似ている。

「桜?」

 そうだというように白龍がうなずく。

 突如として吹き付けた風に桜が舞い散る。視界を埋め尽くすのは一面桜の花。

 花吹雪の向こう側に人影が見えた。

 ところどころきらりと光をはじくような不思議な白い髪をした少女が立っている。

 瞳の色は美しい水のような澄んだブルー。目の端を紅色で色付けており、実に美しい。背格好も年の頃もかわらないのに、妖艶で、圧倒されるほどの覇気。

『静音、舞をしよう』

 闇御津羽神が指を鳴らすと、私の手の中にずしりとする感覚が届く。

『隠し舞い』

 はっとして目を向けると、そこには小ぶりだが確実にこれまで見たこともない形状をした槍がある。刀身の両側から枝が3本ずつ互い違いに出ている七本の刃を持つ切っ先、持ち手は白銀で身も凍るほどの冷たさ。

 舞は映し。だが、目の前の神は何の武器も持っていない。

『君への回答を私はもう準備している』

 私はわかっていないのに、何だかわかった気分になった。

 右手を彼女へむけて差し出す。すると、彼女の姿が小さな龍へとかわる。ひょいと手のひらにとびのってきた龍に一つうなずいて、自分の心臓あたりに近づける。

 一瞬、雷に打たれたような衝撃。

 だけど、はっきりとわかった。

「依り憑かせる」

『そう』

 頭の中で闇御津羽神の声がする。

 手と足がまるで操られるように動き出す。

 目を閉じれば、瞼の裏に映る闇御津羽神の姿。こうして彼女は映しをするというのだ。

『隠し舞いは映しきれなかったのならそこで終わりだ。 君はそこまでで、これからも何もできないままというだけのことだよ』

 言われなくともわかっている。

 千年に一度の天才であっても習得することは難しいと父が言っていた。

 器だけでも、意志だけでもダメ。

 人が望もうがどうにもすることはできない。生れ落ちた瞬間から決まっているようなものだと父が話していた。選抜された魂であればそれがただ一つの条件。

『未熟を補いあまりあるほどの気迫をみせてくれないと、振り落とすよ』

 言われなくてもわかっている。

 自分のイメージする速度に体がついてこない。

「私は宗像の舞の一を務めなくちゃならないんだ!」

 自分を鼓舞する。

 舞の一とは王を守護する役割、舞の二とは宗像の頭たる本家の長を守護する役割がある戦闘部隊のトップを指す。

 父はその舞の一だ。そして、私はそれを受け継ぐためにいる。

 戦闘場面での最強でいなくちゃいけない。

 舞は戦闘特化。

 つまりは素早さと力強さを兼ねた激しい動きのもの。

 優美に、緩やかに動くなどありえない。

 振りは緩やかに、たおやかに、それなのにスピード感がとんでもない。

 感覚が追い付かない。

 力おししてきた舞しかしらない私のこれまでつけてきた筋力では対応できない動きをする。まだ踏ん張りかたがわからない。それなのに、次の動きが読めてくる。

「気持ち悪い!」

 私はどうしてわかるんだ。

 釈然としないのに、明確な流れでもある。

 頭の中で不協和音がする。

 舞は攻撃するためのもののはずだ。

 攻撃に転じるような動きがどこにあるのだろう。

『はじきあうだけが攻撃だと誰が決めたの? 目を覚ましなよ』

 型にひきずられるなと闇御津羽神がささやいた。

 槍の型にひきずられるなと繰り返し声が響く。

 徐々にその言葉の意味が体中に広がっていく。

 何度考えてみても、こんな動きの舞を私は知らない。

 手足の筋がひきつる。骨が軋む音がする。

 無理だと以前なら投げ出していただろうほどの痛みが身体中にあるのに、もっとみたい、もっと知りたいと先を望み、止めたくない。

 もうじきに自分の体はそれをスムーズに受け入れられるのだとわかってもいた。

 宗像の舞で唯一しっくりこなかった振りごとに動きを止める動作がとっぱらわれている感覚だ。すべてが流れの中にあり、永遠に継続していけるような動き。

「型は一つ一つの動作が封印の一端を担うだから流れを切る必要がある。 舞は違うってことか」

 くすくすと闇御津羽神が笑う。

 それにしても、この舞はまるで円環をなしたように、切れ目がわからない。

 これは一体どう説明するのだろうかと息がもれる。

『これは隠し舞いだからだよ。 舞手となるのは舞に選ばれた者だけ』

 アクロバットしようとも、身が軽い。

 バク宙すら、音を立てずに着地できてしまう。

 これが死神と対峙していたあの時にできていたのならと唇をかんだ。

『違う、違う。 この舞はそもそも相手を葬るためにあるのではない。 これは数ある舞の中でも場を一掃することができる唯一の浄化の舞。 穢れは去り、天地清浄となる舞だ。 怒りを以て行使すべきものではないよ』

「怒りなくして、春夏秋冬とやりあえるっての?」

『超えるんだよ、静音。 葬るは役割が異なる。 祓ってしまうんだよ。 天地に生きる者の歌を忘れてはならない』

「天地清浄、祝詞でいうのならば大祓ということ?」

 では、戦闘にはいかせないのか。

 退けるだけが私の隠し舞いとなってしまうのだろうか。

『それも違う。 穢れは去る。 この刃は身を切るためにあるものではないが、対峙した相手にとってもっとも困ったものを断つことができる』

 何をという問いに闇御津羽神は自分で考えろと先に釘を刺してきた。

『水はいかようにも形を変えることができる。 舞の十三夜はまさにそれ』

 攻撃しようと思えば攻撃ができる。

 防御しようと思えば防御ができる。

 すべてを灰にしようと思えばそれもできてしまうだろう。

 すべてを浄化しようと思えばまたそれも同じ。

『癒そうと思えば?』

「癒すことができる」

 私の中にいる闇御津羽神が笑う。

『桜の舞、十三夜と叫ぶがいい』

 瞼をあげると、槍の先で描いた紋様が足元に広がっており、その中央に貴一がいる。

「桜の舞、十三夜!」

 桜の花びらが龍の形を描き、貴一の体をゆっくりとゆっくりと包み込む。

 脳裏に思い描くイメージは一つ。

 貴一がそこに居て、ちゃんと生きて、息をしている、それだけだ。

『それでいい』

 闇御津羽神がふっと横に姿を現した。

 上手にできているとにっこりと笑んでいる。

『彼の炎は美しく、気高い。 だが、ともすれば彼自身の終わりを決めてしまいかねないもの。 故に、炎を癒せる者がそばにいて、共に闇に堕ちることがなければそれを食い止めることは容易いと私は思う』

「闇に堕ちる?」

『正義とは一つではないからな』

 それだけ言うと闇御津羽神はまた考えろと問うことは許さなかった。

『ところで、君は大丈夫なの?』

「誰よりも頑丈であり、限界がなく生まれたことの意味を知ってるから、大丈夫」

 誰かを癒すためにこの舞を使用することは私の何かを消費することだとほんの数秒前に気が付いた。

 技を発動した際に、気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいかねないほどの脱力を感じた。

 癒し=そのものの穢れを祓う。

 代償は私自身の何か。生命エネルギーに近いもの、つまりは寿命ってところかなと気が付いた。

 父は実はこうなることはとうにわかっていたのかもしれない。

 本当に我が父親ながら食えない。

 貴一のそばに膝を折り、そっと頬にふれてみるとあたたかい。頬にうっすらの血の気が戻ってきている。指先で首筋をなぞるとしっかりと拍動している部分をみつけることができた。 

「どれくらいかかるのかな?」

『10日前後はかかる。 この泉に預けておくのが上策と思う』

 この現状において、貴一を10日間も失う。

 こちらのダメージははかりしれない。

「闇淤加美神が見ていた子供は誰?」

『それは答えられない』

「でも、見ていたのは子供だった」

『詮索はするな。 闇淤加美神との絆を望む者の覚悟が定まれば自然に動く』

「それでは遅い!」

『静音、私は君に甘いところがあるから多少のおいたは許すことができる。 だがね、他の絆の持主はそれぞれに定めた規範があり、それに従い動く。 触れてはいけないよ』

「敵は図らずも貴一を十日間奪うことに成功した! こちらは奪われてばかりだ! 時間が惜しい。 女王が動けるようになるまでしのげる武器をもたないと!」

『絆の持主は絆の者に甘いところがある。 だから、心配はいらない』

「でも! どこへ行けば? 私のように皆が隠し舞いを身に着ける必要がある! 貴一を護り抜かないと!」

『だから言っただろう? 絆の者には甘いから大事無い。 落ち着いてごらん』

 闇御津羽神はぽんぽんと私の肩をたたいた。

 貴一は預かるよと彼女は泉の中へと歩いていく。

 複数の白い手が息を吹き返した貴一の体をそっと抱き上げた。

 

「貴一!」


 やっぱり一番早かったのは悠貴だった。

 髪は乱れて、息もきれぎれだ。

 どれだけもうスピードでかけつけてきたのだろう。

 貴一の体が泉の中へと沈められる直前で、悠貴は岸から貴一に手を伸ばした。

 眠っている貴一の髪をぐしゃぐしゃになるまで撫でて、ごめんと泣きじゃくった。

 悠貴がこんなに背を丸めて泣くなんて、これまで一度もない。

 悠貴に声をかけようと手を伸ばしたその瞬間、すぐ耳元で、闇御津羽神の声がした。


『ほら、甘いんだから』


 突如として巨大な水柱、いや、轟音のする竜巻。

 激しい水しぶきを浴びた私は瞼を閉じた。

 急いで瞼を持ち上げると私の目の前にいたはずの悠貴がそこにはもういない。

 声がでなかった。

 笑い声が聞こえ、視線をあげると泉の中央で白銀の龍が笑っている。

 ここへ来ることができるのは君たちか神くらいのものだと龍は言った。

「神!?」

 声が完全にうわずってしまった。

 悠貴を絆の者と判断した絆の主のやりようはまさに神隠しだ。 

『言ったでしょう? 絆の子供には甘いんだって』

「それにしたって、荒々しすぎるだろう!」

『急いでいたのは君の方ではなかったっけ?』

「そうだけど! 本当に大丈夫!?」

『貴一が絆の者になったのが皆の覚醒のはじまりだから、きっと悪くはない流れになる。 それぞれがぞれぞれの子供には甘いものだから、大丈夫だと思うよ? それよりも静音は今、何がしたい? そちらの方が重要だ。 ほら、今、思い描いたことをすべきだ。 君ならできる。 私の愛し子なんだからね』


 貴一は回復のために闇御津羽神の懐に抱かれ、泉の水の中へと引きずり込まれていった。


「やってみるよ!」


 父が日ごろから口にしていた言葉を思い出す。

 保険はかけておいて損はない。

 だから、父のかけた保険を私は受け取りにいかねばならない。

 この十日間を絶対に無駄にはできない。

 トップクラスを欠いた黄泉使いがいかに束になっても春夏秋冬との力量の差を埋めることは難しいとよくわかった。

 だが、日本の黄泉使いは一筋縄ではいかないことを思い知らせる手段の一つを私は知っている。

 何千年と一つの方針で受け継がれてきた血筋と組織力をなめるなよと思っている。

 私たちをこの窮地に追いやることに成功したと酔っているであろう敵はわかっていない。

 

「ただで何千年続いてきたと思うなよ」


 どんなに打ちのめされても、護る者があるという現実は力にかわる。

 私たちに選択肢はない。

 常に一択だ。


「討って出る」


 最大の防御は攻撃。

 逃げ回ってしのぎ切る選択肢なんかあるわけない。

 私たちの頂点に君臨している女王が、息をひそめて待っていろなんて言うわけがないんだ。

 私たちは宗像なんだから。

 まずは、このびしょ濡れの服を何とかしなくてはならない。

 そして、私は話をつけにいかねばならない。

 貴一が戻ったなら、ご褒美にしまねっこの特大人形買ってもらうことにしよう。

 

「いっちょ、やったるか」


 負けのイメージなんかありはしない。

 勝って、勝って、勝ちまくる。

 道を決めるのは常に自分であるべきだ。

 行こう。




 

  

 

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