第7話  狐と死神

「悠長なことだな」


 聞いたこともない声がした。

 誰もいるはずのない場所にやすやすと入り込めたらしい人影がある。

 僕の本能は今、鎧を外している。その上、僕の右目には眼帯がない。

 まずい、僕は、今この時、いつも通りではない。


「敵は排除しなければならない」


 だめだ、右目にひきずられる。

 言葉が勝手に口から零れ落ちる。

 言葉よ、勝手にでるなと僕は口を腕で抑え込んだ。

 落ち着け、敵か味方か判断するまではせめて止まれと僕はさらに唇をかんだ。

 その時だった水面が波立ち、僕を護ろうと無数の白い手が伸びてくる。

 手の一本は僕の右目をそっと覆い隠し、また別の手が僕の体をそっと救い上げ泉から岸へともちあげた。

 右目にあった手が消えると何か硬質な物が目を覆ってくれていた。

 ぽとり、ぽとりと髪から水がしたたり落ちていく。頬を、首筋に伝いおちていく雫が僕の体温を奪っていく。それなのに、寒さがわからない。ということは、確実にダメな僕の本能に引きずられているのか。

 心底、苛立った。そして、ぐっとこぶしを握り締める。

 嘘でもいいんだ、僕は静かに穏やかであるべきなんだ。

 悠貴に迷惑をかけるような僕じゃダメだ。

 落ち着け、僕はあの悠貴の弟だ。

 できる、大丈夫。

 握ったままだった拳の力を今度はゆっくりと緩める。

 敵ではない波長だけはわかる。だから、戦闘は行わないと魂に言い聞かせた。

 僕は僕に負けてはならない。

 また、無意識に握りしめてしまう拳。爪が食い込むほどに握りしめないと止まれない本能。

 すると、白い手が僕のその拳をひろげるようにして、一輪の花を握らせてくれる。

 真っ白いユリのような花。


『月夜に咲いた一輪の花はね、誰にも気づかれずに咲くんだ。 お前のためにだけ咲いてくれるから見逃してはならないよ。 その花はお前の心を鎮めてくれる。 だから、困ったらそれを胸に当ててごらん』


 誰の声だ。

 僕は知っている。

 この声を知っている。

 この花も知っている。

 ぽろりと右目から涙が零れ落ちる。

 花を僕はそっと胸に押し当てる。僕の胸の中へそれがすっと入り込んでいく。

 僕自身がコントロールできない僕だったのに嘘のように鎮まっていく。

 ようやく自分でちゃんと呼吸できるようになった。

 ゆっくりと視線を前にうつした。


「あなたは誰? 何故、ここへ来ることができたんですか?」


 足音ひとつたてずに暗闇から現れたのは全身白装束の青年だった。


「死神!?」

「俺達はまだそんな呼ばれ方してんのか……」


 無精ひげをはやしているが、その肌は若々しい。栗色の柔らかそうな毛をゆるく束た偉丈夫は僕のそばに歩み寄るとにやりと笑んだ。


「排除してみるか?」

「話をきいてからにする。 あなたから敵意が感じられないから」

「敵になるかもしらんぞ?」

「少なくとも今は違うからこうしてここにいるんでしょう?」


 好判断だと男は笑った。そして、彼は驚かせて悪かったと僕に詫びた。


「死神を見たら躊躇なく攻撃かと思ったわ」

「冥府は一枚岩じゃないってことを僕は知ってる」

「お前、その目で見たな。 まぁ、いいか。 そう、一枚岩じゃない。 俺はお前たちに勝ってもらわにゃ困るからな」

「でも、勝った後は敵になる?」

「的が同じ間は味方だ。 それでは不服か?」

「さて、どうでしょうか」

 僕は指を鳴らして、男の背後に望を呼び出した。

 白銀の狐はゆっくりと男を見上げ、予想外の動きを見せた。

 人型に戻るや否やひさしぶりとハグをしたのだ。

 僕は呆然と二人を見つめる他ない。

 見事なまでに旧知の仲らしく、僕を無視してご歓談がはじまった。

 拍子抜けだ。

 僕はお好きにどうぞと岸にすわり、二人のやりとりを目で追った。

 どう考えてもこの白装束の男はただものじゃない。

 望がかわいくみえてくるほどに男が放つオーラは強い。

 しかも、この特殊な場所へも速やかに入り込める。

 そして、おそらくこの来訪は、こちら側も冥府側もきっと察知できていないことだろう。

 さらには僕の目のことも知っていた。

 まぁ、鴈美蘭にも知られていたほどに有名なら当然か。

 白い手が準備してくれた眼帯の上から右目をなでてやる。


「自業自得ってか」


 僕のこの目が知られたには実は原因がある。

 5歳の春、僕はこの目が未来をみていたなどと当然わかっておらず、燃え広がっていく熊野の情景を口にした。熊野が火事だよと。

 祖父はそれにいち早く反応し、熊野に強襲があると上申した。

 大叔父はさらにその上申内容を疑うこともなく熊野に指示をだした。

 イレギュラーの悪鬼の強襲に備えた熊野は圧勝し、黄泉との境界も保たれた。

 その強襲において死ぬ定めだった者達の未来がかわり、冥府より調査が入った。

 祖父も大叔父も知らぬ顔をしたが、結局は僕の右目がしでかしたことが槍玉にあげられた。

 未来予知は禁忌、現世のバランスを崩すと僕の右目を取り上げろ、右目を潰してしまえと躍起になった冥府の役人も多数いたらしい。


「天が与え、持って生まれたものを罪というにはあまりに非道。 ゆえに制御させ、大きなうねりを作らせぬようにすればよろしかろう」


 冥府の役人の一人がそう言って一連の騒動をおさえこんでくれたらしい。

 祖父、大叔父、女王の三者がそれに同意し、制御させると約束したことで、僕は護られたのだと聞いたことがある。

 僕のことを護ってくれた役人はこの人だったのだろうか。

 昔のことを思い出しながら、僕は白装束の男に視線を移した。

 すると死神の男がふいにこちらをみてニカっと笑った。


「それは俺かも知らんぞ。 坊主、心をやすやすと他の人間に読まれたらダメだろうが?」


 男に言われて、はっとして息をのんだ。

 もう遅いけれど、今更ながらにシャットダウンする。


「ウィンウィンって言葉知ってるか?」

「両者にメリットがあるってことでしょう?」

「お前は女王を取り戻したい。 俺は冥府の今をぶっ壊したい。 これが的が同じって意味だ。 だから、俺はお前が女王を取り戻すために暴れてくれたらそれでいい」

「女王を奪還するのに必要であれば僕は冥府をぶっ壊すかもしれないですよ? 僕は姉のように良心で物事を判断できないでしょうから」

「だから、それで構わんと言っている。 ぶっ壊してしかるべき現状だからな」


 僕が聞き及んでいる冥府の役人は冥府さえよければそれで良いという輩のはずだ。だが、この男は逆にぶっ壊して構わないと言う。


「なんだ? 死神は全員化け物だとでも思っていたのか?」


 男の瞳の色はどこまでも澄んだ青でとても綺麗だ。

 僕の右目のように、化石のかたまりのようなアンバーではない。

 

「ほら、これが化け物の手に見えるか? お前らと何ら変わらんだろ?」

 

 僕の手と自分の手を合わせるようにして彼はニヤリと笑んだ。


「こういう意志を示した俺はこれからお前達同様に監視対象になるだろう。 冥府側に悟らせることなく互いの情報をすりあわせるのは一回5分程度が限界だ」

「ちょっとまってください! 僕は組むとは言ってない!」

「お前は組むよ。 桜を背負うことになるのだから」

 

 梅の血族である僕に対してこの男は桜と口にした。

 すっと横に視線を移すと望が満面の笑みを浮かべている。


「桜は梅に負けない花だぞ?」


 余裕の笑みを浮かべている男は僕に言葉の奥にある真実をつかんでみろといっているように思える。


「僕は梅に従う」


 僕が護るべきは梅の絆であり、それを逸脱することはしない。


「それでいいんだ。 だた、お前は桜の者だぞ?」


 まるで謎かけをされているような感覚だ。

 梅を誇りに生きてきた僕にとって桜という響きはどうにもランクを下げられた印象しかない。


「桜は国の花だ。 取り戻してみれば良い」


 桜の誇りを取り戻せと繰り返し、男は僕に言ってくる。

 国の花。僕だってそんなことは知っている。でも、日本の黄泉使いにとっての至高の花は梅だ。


「女王にしかできないことがあるのと同じで、お前にしかできないことがある。 貴一、いずれお前はその宿命を受け入れるだろう」

「あなたの世迷言に僕は振り回されたりしない」

「どうとでも言っておけ。 いずれ、お前にもわかる。 お前自身に破格の値打ちがつくことになるからな」

「死神の評価など僕には必要のないものだ」

 

 男は困ったように眉根を寄せた。

 親に似て頑固だなとつぶやき、笑った。

 この期に及んでまだ笑うかと僕はきつくにらんだ。


「俺とのやり取りは他言無用だ。 表向きは冥府の一端を担い、黄泉使いを窮地に追い込むのが俺の仕事だ。 つまりは黄泉使いにとって俺は敵でしかないからな」

「皆にとって敵でしかないあなたと僕は手を組めない!」

「いいや、こんなグレーゾーンをうまく立ち回ることができるのはお前しかできんことだ。 まっとうな黄泉使いの人間にはできんことだろう?」


 男の言うまっとうな黄泉使いとはきっと姉のことだ。姉は光の道を歩む。僕はそれを支える道を選ぶ。ならば、手を汚すこともいとうなと言いたいのか。


「お前のその目に桜の花が見えたら集合の合図な」

「だから、僕は絶対にそれには応じない!」

「俺は冥府でもある意味でとても人気者だから、もう時間がない。 ごちゃごちゃ言ってないで、利用すべきは利用して、一足飛びに女王にたどり着いてみろ! 最初のヒントをやる。 まずはここからなんとかしろ」

 

 男はハンドサインで2,4と出す。

 鳥肌がたつ。

 僕しか知らないはずのあの情景、僕に何かを知らせようとした人間のハンドサインそのものを、この男が目の前でして見せた。

 男の指は僕が見た者とは違う。それなのに、この男は知っている。

 トントンと僕の胸を指先でこづいてきた。


「答えはもうある」


 得意げに笑って、男はじゃあなとくるりとまわって姿を消した。


「ちょっと待て!」


 僕は濡れた髪をかきむしった。気持ちが追い付かない。

 そもそも2,4ってなんだ。

 どこがヒントだというんだ。

 本当にハンドサインの2,4を指しているかどうかすらわからない。

 

「奏太、彼はなんなの?」

「敵ではないよ」


 鴈美蘭のおつきの鳥にはおそろしく威嚇した彼が穏やかに話す。


「腑に落ちない!」


 奏太は面白いものを見るように笑っている。


「腑に落ちないのは仕方がない。 だったら利用してやるぐらいの気持ちでいたらいい。 裏切られても仕方がないくらいで」

「どうして奏太は彼を信じる?」

「昔からの知り合いだからかな。 貴一は悠貴や雅を疑う?」

「それとこれとは違う!」

「同じなんだ。 貴一は僕を信じる?」

「信じるよ。 望を疑う宗像の子がいる?」


 奏太に思い切りハグされて、大笑いされた。

 奏太が第二領域から攻めようかと僕につぶやいた。


「この状況でいきなり領域の話になるの? それも第二領域?」


 黄泉には8階層のステージが準備されている。

 それを2階層ずつ分離するためにそれぞれに強固な封印をかけている。

 下へ行けば行くほどに悪鬼のレベルは当然あがる。

 頂点から二階層を第一領域として、第二領域は3,4階層、第3領域は5,6階層、第四領域は7,8階層を指す。


「第一領域以外はもう崩れている。 第二領域はまだかろうじて維持できている。 でも、時間の問題だろうね」

「第二領域ってさ……」

「黄泉の鬼が渾身の力でキープしている領域。 だから、それを超えて第三領域の化け物どもが現世に這い出して来るまでには時間がかかる。 だけど、鬼の力が尽きればそれで終わる」

「鬼の力が尽きるって」

「眠りにつくことで盾にされている皆の魂が砕ける」

「馬鹿言うな! 誰がそんな……」


 言いかけてやめた。

 回答はすぐに得られた。盾にしてでも止めたかったのは冥府だ。

 黄泉に異常があれば当然その報いは冥府にも及ぶ。

 冥府さえ守られればそれでいいというわけか。

 でも、待て、本当にそうなのだろうか。

 何かがおかしい。僕はどこかでミスリードしていないか。


「そもそもが女王がいるのに黄泉が荒らされるなんておかしいじゃないか!」


 今、起きている事態が何であれ、女王を奪われるということは、見えない敵にも冥府にも容易く黄泉を思うがままにされてしまうということだけは理解できた。

 奏太は何も言わずに僕が思考しているのをそばでじっとみている。


「現状、冥府は黄泉で自由に戦える権利を僕らに与えるつもりはないって話しだよね?」


 冥府が僕たちに黄泉の鬼になる権利をあたえなければ、女王のいない僕たちは誰一人として黄泉に潜り闘うことができない。その間に、黄泉で何かをおっ始められてしまうともうどうにもならない。


「とどのつまり、女王と鬼を戻せば、僕らは冥府に喧嘩を売れるが、両者がいなくてはどうしようもない」


 奏太がそうだねと言った。


「君が僕を王代行にしたのはこのためだね」


 喧嘩を売らせるために、核となる能力者が必要だ。

 女王が何を核として運用していたのかを僕に示さずに、僕を核として短期間でも同様の運用可能な状況を作り出したいわけだ。

 何かを得るには何かを失う。

 その代償が貴重であればあるだけ得るものはでかい。

 僕には時間を超える目がある。まるで僕の目はこうなる時のためにあった保険みたいなものじゃないか


「なるほど、笑える」


 ここにきて死神の男の言葉に苦笑いだ。

 のるな。

 なるほどすぎる。

 狐の主人は女王であり、僕ではない。

 女王のためであれば僕を形代にするなど容易いことだろうな。

 でも、僕には残念ながらボランティア精神が欠けている。

 それに天は無駄に僕にこんな厄介なものを与えたわけじゃない。

 奏太がよしよしと僕の頭をなでようとしたが、子供扱いはもうよしてくれと手を払いのけた。


『強烈すぎるハイクラスの死神と知り合いで、圧倒的に長い時間を生きている君がどうしてこの事態の最速の解答を持っていないの?』


 薄暗い気持ちを目の前の神の獣に悟られないように静かに飲み込んだ。

 神の獣である狼は封じられたかのように動けないのに、狐は自由に動ける意味を僕だけは考えておかねばならないとはっきりと自覚できた。

 それはあの死神が僕の指に握らせた短冊に記されていた文字を見たからだ。


【梅を信じろ】


 あの死神はふざけでいるようでふざけていない。

 同志のような動きを見せた神の狐には気づかれないように僕の手に握らせた。

 その上で唇だけ動かしてみせた。


【き】【れ】【ろ】


 死神は自分自身の言葉に反発してみせろと促した。

 ハンドサインを真似てみせたタイミングで彼はさらに唇だけを動かした。


【の】【る】【な】


 視線を素早く神の狐に移して僕に何かを示した。

 どうやら獅子身中の虫がいるんだぞと伝えたかったようだ。

 僕の本能は死神の男の方が我が守護神の狐より信じるべきだと主張する。

 さても、四面楚歌は違いない。


「あぁ、そうだ! 助けてくれてありがとうございました!」


 泉に向かって一礼すると、驚いたことに白い手たちが手を振ってくれる。

 これまたホラーな絵面だが、なんとなく笑ってしまった。

 僕の世界の当たり前はどうにも普通の高校生活を遠ざけてしまうようだ。


「戻るよ、神の狐さん」


 僕は僕しか信じない。

 ミスリードさせたいのならそれに乗ってやる。

 だけれど、僕はその中で、全てを見定める。  




 

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