第8話 姉と弟

 季節感がない場所、それが宗像本邸。

 中庭にある梅の木は万年花を咲かせているし、春の風が年中吹いている。

 だから、本当の季節を学習するには一歩でも外庭へ出ることが肝要だ。

 四季を愛し、その時々の花をめでるのが日本人。

 出雲では祖父とよく縁のある神社に出かけては季節を楽しんで過ごしていた。

 雅のようにディズニーランドやUSJで大はしゃぎする生活はしてこなかった。

 姉の悠貴に老成していると馬鹿にされたけれど、僕にとっては神社と温泉の存在はなかなかのものだ。

 僕が居た宗像別邸は出雲にある。

 出雲といえば島根県。でも島根県は横に長く、県の東と西では恐ろしいほどの移動時間を要し、いっそ大阪、いっそ山口に出た方が早いというほどだ。

 島根県東部に位置する出雲地方。出雲といえば出雲大社。だけれど、出雲地方にはそれをしのぐ古い古い格の高い神社がごろごろしており、敷地に入るだけでそれはもう心身が生まれ変わったんじゃないかというほどの禊のパワーをもつ宮など一つではない。

 根の国といわれるだけあり、当然、道反のような僕たちにとって核となる場所もある。

 どうして重要拠点である道反のある出雲に分家があり、京都に本家があるのかといつだったか姉が祖父にきいていたことがあった。

 祖父は困った顔をして、お茶を濁したが僕はその答えを知っていた。

 黄泉の異変は道反から。

 何事も黄泉に最も近い道反から起こる。

 だから、本家筋を傷つけるわけにはいかないから、分家がまずはその異変に対処するためだと僕は勝手に思っている。

 道反は本当に山奥もここまできたらもうどうにもできんだろうというくらいに山奥にある。

 その最奥には黄泉との境界線を築く千引岩がある。その大きな大きな岩の両サイドには妖艶さを宿す桃の木がある。

 桃は邪を祓うとされ、この禁域の絶対防壁の一つでもある。

 黄泉平坂。

 日本神話において、この黄泉平坂は伊弉諾と伊弉冉の物語で有名でもある。

 そして、神話の上でも黄泉に最も近い場所。

 だが、そんないわくある場所であっても僕にとっては怖さのある場所ではない。

 京都の両親のもとからはなれて祖父のいる出雲へ預けられたのは5歳。

 祖父にちょっと待っていろと一人ぼっちにされた場所がこの岩の前だった。

 洞窟の中へ風が流れ込んでいく音が怖かった僕は一生懸命に耳をふさいでいた。

 すると、そこは寒いから近くへおいでと真っ白いおひげのおじいさんとめちゃくちゃ綺麗な女の人が手招きをしてくれた。

 大きな岩の横にすわると不思議なことに恐ろしかった音がしなくなった。

 おじいさんの膝にすわらせてもらい、僕は女の人に桃をむいてもらった。それを口にしながら祖父の戻りを待っていたのだ。


「貴一は多くを助けるが多くを傷つけるかもしれない。 だから、困った時はお空を見上げて良い言葉を口にしよう。 言葉は現実となるからね。 私たちはお前が大好きだよ。 いつでもここで待っているからね」


 幾度も幾度もこの二人は僕にそう言ってくれた。

 あまりに優しい口調と心地よさに僕はうっかり眠ってしまった。

 祖父に揺り起こされて、僕が目を覚ました時にはもう二人はいなかった。

 祖父は僕になんて場所で眠っているんだと大慌てで僕を抱き上げた。

 僕は千引き岩にもたれて、桃の実をにぎったままで眠っていたらしい。

 祖父は僕からこの話を聞いて、額に汗を浮かべて、大きな岩と桃の木にむかって深く深く頭を下げた。

 そして、千引の岩の神様のお名前は道反大神、桃の木の神様のお名前は意富加牟豆美命だと教えてくれた。


「お土産までいただいているだなんて」


 祖父は非常に申し訳ないと僕にも頭をさげるようにと慌てていた。

 それからだ、祖父が僕に丁寧な言葉、穏やかな口調を求めるようになったのは。

 あの出会い以降、稽古にしんどくなると、僕はいつも千引き岩の前に行くようになった。おかしなことに、そこへ行くと足元へころころと桃の実が転がってくる。

 姿はみえないけれど、思わず笑顔になってしまう毎度の出来事だ。

 完全にオカルトなのだが、今の僕にとってはもう驚くべきことではない。


「始まりは道反から。 ならば、僕は道反へ行く」


 別邸は跡形もなくなったときいた。だが、祖父が道反の禁域だけは死守したともきいた。

 誰よりも優しく強いあの神々が待ってくれている場所へ行く必要がある。

 ふうと息を吐く。

 本邸の縁側へでると夕風が頬をなでた。もうすぐ夜のとばりが下りる時間だ。


「何かを決めた顔して、どうした?」


 振り返るとそこには悠貴が立っていた。


「道反へ戻ろうと思うんだ」

「危ないとわかってるのに?」


 僕は悠貴の問いに静かにうなずいた。


「どうして出雲が一番はじめだったのかを考えたんだよ。 もっともはやく潰しておきたいものがあったからじゃないかって」


 悠貴は眉根を寄せ、唇を真一文字に引き結んだ。

 別邸が吹き飛んだ時間は本来なら僕がいる時間だった。運よく、いや、泰介の直感に救われたのだ。泰介に言われて僕は道反の禁域へ出ていたから免れた。


「僕が狙われたんだよね」


 悠貴の視線がさがった。彼女も同じところへ行きついていたのだろう。


「僕の目のことは海外にいた美蘭すら知っていた。 当然、暗躍している方々が知らないはずはない」

「それがわかっているのに、道反で何をはじめるつもり?」

「鬼を取り戻してくる」


 僕の言葉に悠貴の目が見開かれる。


「ヒントは得た。 黄泉の4つある階層の封印が破綻しかかってる。 それを再構築するための方法を僕は探さないといけない。 例えミスリードして動くことになったとしてもね」

「はっきりとしたことがわからないままに動くことほど愚かなことはないとわかっているのに?」

「姉さん、はっきりとわかるまで待てる余裕なんか僕たちにはきっともうないんだ」


 悠貴はぐうと言葉をのみこんだ。

 彼女もわかっている。

 日に日に出くわす悪鬼のレベルが上がっているのだ。このままで無為に時を過ごすことがいかに状況を悪化させているかを本当はもうわかっている。


「姉弟、家族なんだよ、貴一」

「そうだよ、わかってるよ」

「父さん、母さん、じいちゃんもいない。 大叔父さんもいない。 ばあちゃんだって、身動きがとれないんだよ?」


 悠貴は僕に何かあったらどうするんだと言いたいのだ。でも、それでも、僕が動かねばならない。


「姉さんがいるじゃないか。 僕にはまだ姉さんがいる」


 悠貴の目から涙がこぼれおちる。

 これまで随分と我慢していただろうに、大粒の涙が零れ落ちた。

 僕の背中を預けるのだとしたら姉さんしかいない。


「一人で行くつもり?」

「現状、黄泉に潜ることができるのはもう僕だけだ。 それに、黄泉使いのお家事情はボロボロだ。 全員がここからいなくなったら誰が禁域を護れるの?」

「雅を連れて行って」

「ダメだよ。 雅はこちらに置いておく」

「こちらには珠樹がいるから大丈夫」

「そういうことじゃない。 雅を除いて誰が熊野を制御できるの? 姉さん、冷静になってくれる? 中央にはトップ18の体がある。 これを傷つけられたらたまったもんじゃない。 だから、姉さんと珠樹さんが残る。 熊野へは雅が出る。 僕は道反に戻って、方法を模索し、鬼を取り戻す。 誰がどう考えたってこれがセオリーでしょう?」

「貴一! それがとれだけとんでもないことかわかってるの?」

「わかってるよ。 姉さん、あなたが宗像の主だよ。 あなたがいるから僕が動けるんだ」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。 たかだか宗像の主の私が王代行のあんたを危険にさらすっての!? ありえないわ!」

「たかだか宗像の主!? 宗像は黄泉使いの良心だ! 王は誰だってかまわないけれど、宗像の主はしかるべき人間しかつくべきじゃない。 目を覚ますのは姉さんの方だ!」

 

 姉弟喧嘩なんて何年ぶりだろう。このわからずやと互いに言葉の殴り合いだ。

 さらには互いに頬を膨らませ、これまた互いに胸の前で腕を組む。


「さっきからうるさいよ。 悠貴、貴一、喧嘩するならこっそりやってよね」


 ソフトクリームをどこで仕入れてきたのかわからないが、それを口にしながら喧嘩を中断してきたのは静音だった。


「あのさ、さっきのやりとり、私の名前はあがらなかったから、私が貴一と行くことは問題ないってことよね?」


 縁側にこしかけた静音がゆっくりと僕と悠貴の顔を見上げた。

 悠貴の顔に一気に血色が戻る。


「静音! 貴一と行ってくれるの?」

「待って! そういうことじゃないし、危ないって!」


 僕は必死に抵抗するが、静音ににっこりと笑われた。


「私は貴一より強いけど」


 万事休す。

 確かに、静音の破壊力は僕の数段上だ。


「でも、静音は黄泉に潜ることはできないじゃないか!」

「できるわよ。 私にはこんな時のためにとパパから渡されていたものがある」


 静音がごそごそと首からぶら下げていた大きな勾玉をみせ、にやりと笑んだ。

 その勾玉の色は遠目には黒く見えたが、近くで見ると深緑と黒と白が混ざり合っていて、綺麗な光沢もある。


「うちのパパは黄泉の鬼の筆頭だよ? 自分たちに何も起こらない保証はないからとこうして準備万端で私にくれていたのよ」


 静音はその勾玉が臨時で黄泉の鬼と同じ役割が果たせる代物だと説明してくれた。

 神居古潭という天然石を母体にして彼女の父親が特殊な術法で生成したらしい。


「もちろん、パパたちみたいに何年間も役割を果たせるものではないけれど、それでも2,3年程度はもつだろうってパパが言ってた。 跡取り衆がつける分の準備もできてるよ」


 悠貴の顔色が一気に明るくなる。

 静音は全員分あるという勾玉のネックレスをみせて笑うと悠貴の手に委ねた。

 静音の父親は女王の側近中の側近といわれている宗像時生。

 さすがにこれは起死回生の一発となるだろう。


「でも、全員が黄泉に潜ることができるってことを悟られてはいけないね」


 悠貴がぐっと表情をひきしめた。

 姉は冷静さを取り戻したのか、自分たちが潜ることができないと思わせておくことが何よりも大事だと言った。

 確かにと僕も頷いた。

 僕が黄泉に潜ることができるのは相手側も仕方なしと思っているのだろうが、代替わり要員である僕たち全員がそれをこなせるとは予想できない。


「いざという時の総攻撃は全員でやればいいじゃない? とりあえず、冥府にとっても悪名高い宗像時生の娘がイレギュラーなんてことはよくある話で済むから、私が行くのが一番スムーズだよね?」

「静音、一緒に行ってきて」


 僕が押し黙ったのをよいことに悠貴は静音に僕に同行するよう命じてしまう始末だ。全身の空気が抜けてしまうほどのため息しかでない。

 姉の嬉しそうな顔をみたらもう僕の意地などどうでもよくなってきた。

 ここいらが手のうちどころかもしれない。それに、静音がいるのなら僕ができる無茶の幅も広がるかもしれない。


「あのさ、奏太を借りたいんだ」


 悠貴はもちろん構わないと頷いた。


「この時間なら、奥室で現存の黄泉使い達の配置を振り分けでもしてくれているはずだ。 声をかければすぐに出られる状態のはずだよ」

「配置の振り分けね」


 僕の様子がどこか違って見えたのか、姉はすぐに小首を傾げた。


「勾玉の件は僕らだけで止めてくれる?」


 どうしてとは聞かないのが姉の優れているところだ。

 僕が思いつく程度のことなら彼女もとっくに気づけているはずだからだ。


「姉さん、僕はこれから梅しか信じない」


 悠貴の目が少し驚いたように開かれるが、何も口にしなかった。

 梅しか信じないの言葉の意味を正確に把握したらしい彼女はわずかに唇を震わせた。


「それは宗像の誇りは一つしかないということだよね?」


 戸惑い混じりの声で悠貴がつぶやいた。

 そうだと僕が頷くと、彼女は一瞬だけ視線を天へと向け、一つ頷いた。


「いざが来てしまうのなら僕が絡めとる」

 

 何をと姉は聞かないが、眉間に皺を寄せた。


「でも、危ないと踏んだら迷わず退くこと」

「わかってる。 それに僕が危なくなったら静音がどうにかしてくれるから大丈夫だと思う」


 ある意味で強烈な静音のこれまでのありようを思い出したのか悠貴は苦笑いした。

 それでも悠貴の目はまだ心配したままだが、僕はもう行かねばならない。

 

「行こっか」

 

 僕の声に静音がひょいと立ち上がり、小さくうなずいた。


「僕は男だからかまわないけど、静音は準備しなくてもいいの?」


 念のため、たずねてみると、静音はそんなものはいらないと手を振った。


「時間優先でいきたいのでしょう?」


 静音もやっぱり黄泉使いのトップの血筋の子。

 肌で感じる危機感は僕とかわらないのだ。

 庭先へおりたところで、僕と静音はゆっくりと後ろを振り返った。

 悠貴はまだ心配そうに立っている。

 視線を廊下のはしにやると雅と珠樹が立っていた。

 皆、聞いていたのか。それでも、止めに来なかったということは今、何も言わずに送り出すことを承諾したというわけだ。

 いつものように雅が片手をあげ、その横では珠樹が任せろというようにゆっくりとうなずいてくれる。

 それぞれが背負っている物がわからないほど僕たちは子供ではない。いや、子供でいてはいけなくなったのかもしれない。

 庭に敷かれた飛び石の上を静音と言葉少なく歩いていく。


「静音、僕のいる場所が一番危険だって自覚しておいて」


 彼女はニヤリと笑んでこう言った。


「だったら、そばにいてあげるよ」


 だって、私強いからと彼女は僕の前を飛び跳ねるようにしてかけていく。

 僕の苦笑いなんて彼女は慣れっこなのだろうけれど、何となく情けない気分になる。



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