第5話 もう一人の王代行

 縁側へ出てみようと暢気に行動を起こしたのが間違いだった。 

 黒い影が見えたと思った瞬間に僕は一歩足を引いた。 

 軌道は見えている。

 数秒後に僕の立っている場所は黒焦げになる。

 さらに、僕は必死に身をよじらせた。

 風を切る音と同時に思ったよりも小さな爆音。

 だが、ものすごい爆風だ。

 続いて攻撃する気がないのか、殺気が伝わってこない。

 不気味すぎる。

 風が通り過ぎた後、鼻腔をかすめるエスニックな、なんとなくアジアの匂い。

 どう表現すべきかわからないけれど、嗅いだことのある匂いだ。安易な表現でいくと神戸の南京町。そうだ、中華街の匂いがする。


「なんだ、ぼんくら、ちがうか?」


 中国語なまりの日本語が頭上から降ってくる。

 奴は屋根の上に立っていた。

 逆光で顔は見えないが黒いマントが風にたなびいている。

「誰だ?」

 音もなく、地面に飛び降りてきたのは僕より小柄な女の子だった。

 ちょうど静音くらいの背丈、だが引き締まった体は体操選手のようだ。

 年の頃もちょっと童顔なのも静音に似ている。

 特徴的なのは燃える炎のような赤い髪だ。髪は肩にかかる程度で、天然パーマなのかうねりがつよい。気の強そうな吊り上がり気味の目。額には蓮の花のような文様が描かれている。


「お前だれや!」


 やばい、よけてと僕はその中国少女の体を突き飛ばした。

 まさに間一髪だ。

 容赦ない鎌鼬は僕の羽織の袖の一部をばっさりと切断してくれた。


「もう、だめだって! 静音、これは悪鬼じゃない!」


 僕は稽古場の入り口で第二波を準備していた静音に待てをかけた。

 静音が関西弁になる時は別人格とスイッチした時だ。


「静音! 僕の声を聴いて! 僕は何もされていない! ちゃんと見て! ほら、無事だから! 何ともなっていないでしょう?」


 実際はちょっとは襲われたんだけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 静音の暴発を止めないと。

 静音の背後に雅が音もなく歩み寄って、静音の首の後ろを手刀でうってくれた。

 これでとりあえずの大参事は回避。

 静音は二重人格というか、昔から僕に仇なすと判断すべき対象が現れるとそれを殲滅するまで暴れ散らすというはた迷惑な性質をもっている。

 静音の父親がナイス機能だと笑っていたが、実際のバーサーカーモードはとんでもないレベルでしかなく、うちの両親が苦笑いしていたくらいだ。   


「お前、ほんと好かれとるな」


 静音をひょいと抱えながら、雅はひひひと笑った。


「笑い事じゃない!」


 さすがにこの事態にびびったのか中国少女はあんぐりと口を開けている。

 さもありなん、静音のコレはうちのトップレベルを凌ぐ攻撃能力だ。そうそうこれに勝るものがあってたまるかと思う。


「立てる?」


 僕に突き飛ばされたために尻もちをついている中国少女に手を差し伸べると、口を一文字に引き結んで、手を払われた。


「わたし、ガン・メイラン。 おまえ、むなかたか?」

「ガン・メイラン?」

「そう、鴈美蘭」

「で、だれ?」


 静音のように大暴れはしないけれど、僕も同じ気持ちだ。

 この質問がご機嫌を著しく損ねたようで、僕は思いっきり頬をはたかれた。


「しつれいだ、おまえ!」


 頬を熱でもあるかのように上気させるほどの怒りがあるらしいがなんで殴られたのかわからない。


「美蘭、許してほしい。 そこにいるのがうちのトップの貴一だよ」


 姉さんがあわてて廊下の奥からかけてきて、苦笑いしている。

 むうと頬を膨らせたまま僕をにらみつける中国少女こと鴈美蘭は不服を訴え続けている。


「むなかたゆうき、おしえてやれよ」


 片言の日本語は本当に妙ないらいら感がある。

 温厚な方な僕だってイライラすることはある。

 今度は僕が攻撃的な視線を投げた。

 姉さんは落ち着けと僕の肩に手を置くと、喧嘩するなよと軽くにらんできた。


「で、だれなんだよ、この中国少女」

「東アジア一帯の黄泉使いの親玉に昨日就任してしまった子だよ」


 規模がでかすぎて頭が痛い。

 日本以外を知らない僕は目を白黒させるしかない。

 考えてみれば僕たちはこの日本を護るので精いっぱいだ。

 確かに、世界中のすべてを網羅しているわけではない。ということは、当然ながら同じ役割を果たしている連中がいたっておかしくはない。

 そして、今、目の前にいる美蘭がその東アジア域のトップというのか。


「グローバルだな、おい……」


 正直な感想が口をついて出た。ワールドワイドにことがすすんでいるというのだろうか。


「無知なのはお前が悪い、貴一」


 姉に言われるままに、僕は不本意ながら無知を詫びた。いや、詫びさせられた。

 そっくりかえって、僕をみている強気な美蘭にやっぱり苛立った。

 マントは同じようなものだが、その下のいでたちはカンフーキッズのようだ。

 その上、僕たちと違ってかなり目立ついで立ち、つまりは派手だ。

 緋色の布地に金糸で龍が描かれている。スカジャンのようなそれだが、少しお値段がしそうではある。


「さて、鴈美蘭。 あなたも謝っていただいても?」


 姉の顔つきが一気に変わった。これは切れているときのそれだ。美蘭とやら、早めに降参しておく方が良いぞとはアドバイスしてやるつもりはない。


「なんであやまる?」


「私たち日本は世界における4大重要拠点の一つだ。 そして、最古の黄泉使いの血筋でもあり、私たちの女王は黄泉、つまりは冥界の一部を治めても良い権利を有している。 その女王の代理である貴一は当然のことながら、あなたに不遜な態度をとられて良い存在ではない。 もう一度言う。 ここにいる貴一は臨時的とはいえ昨日よりその日本のトップだ。 あなたはその王代である彼に手を挙げた。 私たちがそれを黙って許すと思っているのかな?」


 悠貴の声色は恐ろしいほどに低く、そして、心に深く響く。

 怖すぎる。

 鴈美蘭のマウントをあっという間に撃破。

 胸の前でゆっくりと腕を組んだ悠貴はさらにきつく目を細める。

 むしろ、僕がそうまでせんでもと止めたくなるレベルに達する。

 そんな僕とはうってかわって雅がひゅーと口笛を吹いて喜んでいる。

 雅は姉のこういうところがいつも好きなのだ。

 さらに不必要にあおるようなアクションをとりかねないので、僕はやめろと雅をにらみつけた。

 いつのまにか悠貴の後ろに控えていた珠樹が追い打ちをかけるような鮮烈なまでの凪の表情で美蘭をみつめている。

 氷の微笑、いや、年季の入った呪いの噂がついてまわっていそうな能面のような笑み。この表情を文章で表現するとしたら、こうだ。


『貴様、悠貴の手をわずらわせるんじゃねえよ、殴んぞ、コラ』


 さすがの美蘭も、珠樹の表情の意味を正確に察したのだろう。こだまってしまった。それが賢明というものだ。

 戦に言葉はいらないと僕はこの珠樹を見るたびに常々思い知っている。

 珠樹は悠貴を傷つけるものがいようものなら何をしでかすかわからないと僕と雅は常に思っている。

 悠貴と珠樹が並ぶと無双だと大叔父がよく笑いのネタにしていたが、笑えるのは大叔父くらいのもので、僕は冷や汗しか出ない。


「美蘭をいじめてやらないで」


 とん、と何かが着地した音がする。

 音だけで、何が着地したのかわからない。肉眼では何もとらえることができない。


「誰の許しを得てここにきた!」


 僕の前に恐ろしいスピードで、どこからともなく白銀の狐がかけてきた。

 そして、その背の毛並みが一気に逆立っている。

「望?」

 望は大きな牙をむき出しにしてうなり声をあげている。

 尋常じゃないほどの威嚇だ。

 砂埃が巻き上がり、見えなかった物が目の前に現れた。

 猛禽類。とんでもなくでかい鷹。

 人間でも入ってるんじゃないかと疑うほどのサイズだ。

 敵意のない鷹、いや、きっとこれは僕たちにはわからないが望に対しては静かに威嚇しているのだろうな。だからこそ、それに対して、望が一向に威嚇をやめない。


「ここからでていけ! ここは私のテリトリー内だ!」


 望の言葉に僕はようやく意味がわかった。

 獣なのだからそうだよね。これは本能だ。

 僕の敵を疑う状態では絶対に望はひかないだろう。

 僕が招いたことにするからもうよせと望の背に手を伸ばした。

 しばらく抵抗するような波長は感じたが、望は受け入れてくれたらしく僕の後ろにいやいやしながらもさがってくれた。


「僕は君を知らないし、君だって僕を知らない。 どう思う?」

「そうだな、はなしがしたい」

「僕たちには僕たちを守ってくれる血族の大切なパートナーがいるけれど、彼らをここで対峙させてはいけない。 互いに守るべきものがわかりやすいだけにずっと闘うモードになってしまうから」

「りかいした。 リハク、きえていて」

 大きな鷹は美蘭の頬に嘴の側面でそっとなでるようにしてから姿を溶かした。

「望、君もだ。 ルール違反はなしね」

 望がここで奏太になるのは何となくまずい。だから、それはいけないよとくぎを刺した。相手がひくのに、こちらがまんちゃらしてはいけない。

「中国語はわからないから、君がこうして日本語を使ってくれることに感謝するよ」

「いいってことよ」

 どこか間の抜けたエセ日本語だが、それが彼女の精一杯かもしれない。

 よくみたら、彼女の頬や首筋にはうっすらと傷跡が残っている。なるほど、彼女も僕らと同じか。

「東アジア、中国・朝鮮・ロシアまでが同じ状況ってことで理解していい?」

「いい。 コンロン、いや、おまえたちでいうヨミにやくわりある皆がねた」

「僕たち同様に君も王を奪われた?」

「そうだ、シュジョウがきえた」

 東アジアという広大な範囲を守護している鴈美蘭が何故、この日本という小さな島国の僕たちに逢うために出向いてきたのだろう。

 範囲の広さだけで行けば、本来、出向かないといけないのはこちらなのではないだろうかとさえ思う。

 ふと悠貴の言葉を思い出した。世界四大なんちゃら。

「ちからをかせ」

「待って、僕たちだってピンチなんだ。 力を貸してほしいのはこちらの方だ」

「おまえたちはとくべつ。 おまえたちのシュジョウはわたしのシュジョウをこえる。 せかいのなか、にっぽんだけ、じゅんけつ。 かずすくないが、おまえたちのほうがつよい。 いいか、ちからをかせ、にっぽんじん」

 美蘭は必死だ。嘘はない。

 だが、現状、日本を離れるなどありえない。

「そのめをかせ」

 美蘭の狙い。なるほど僕のこの目をあてにしているわけか。

「ちからがある。 つかえ、かせ。 それがあればぶっつぶすのできる」

「安易にこれを使うことはできない」

 眼帯の奥がうずきだす。美蘭の必死な訴えを聞いて本音ではみてやりたい。

 でもそれは理に反する。

 美蘭の望むものをみせようとする右目を僕はしっかりと閉じた。

「覚えておいて、美蘭。 僕たちはルールを破らない家なんだ。 天の定めたルールを破る時はそれが最善で、ぞれが皆の幸せを確実に護ると判断した時に僕が罪を背負う覚悟で使う」

「おまえ、いかれよ!」

「怒ってるさ!」

 線が切れそうだ。僕だって叫び倒したいほどに追い詰められているんだから。

 感情の赴くままに美蘭のように怒れたら楽だろう。

 でも、僕の中の魂がそれは間違いだと言うんだ。

 猛り狂うほどの炎ならずっと僕の胸の奥で燃え続けている。

 それでも、やっぱりそれはいけないんだと安全装置が働く。


「ルールを破らずに正々堂々と文句なしの戦い方を考える。 互いに方法を模索するために協力するなら僕は手を組む」

「おまえ、つちをなめたことないな。 あまい。 てをよごさない。 かてるはずない」

「言葉には気を付けてほしい」

「もういい。 にっぽんじん、たよるのはなしにする。 シュジョウはみあやまっていた」


 美蘭はくるりと踵を返した。

 僕は致し方ないともう何も言えなくなった。互いの情報を交換できるメリットを僕がつぶしてしまったのだろうが、悠貴が何も言わずに僕の好きにさせているのだからふっきることにした。


「気が変わったなら、いつでも手を組むから」


 美蘭は振り返らず、彼女の指笛に応じた大きな鷹が彼女を包み込むようにしてまた消えた。

 ごめんと謝ると、構わないよと姉をはじめとした面々は僕を責めなかった。

 雅が他国を助けにいけるほどこちらの事情にゆとりがあるわけじゃないしなと言った。その傍では振り出しに戻ったなと苦笑いの悠貴がいる。

 約半日でこんなにやつれてしまったのかと僕は姉の顔を見た。


「貴一、美蘭は必ず手を組むことになる相手だよ。 彼女とは共同戦線を必ず張らなくちゃいけない、そんな気がする。 今は気持ちが付いていかないんだろう。 彼女の王は、彼女の父親だから」


 美蘭がムキになっていたのはそういうことか。なるほど身内なのか。


「姉さん、僕……」

「あんたは間違ってない。 日本の黄泉使いは理を順守する。 それを何という? 言ってみ」

「梅の絆」


 そういうことだと姉はくるりと背を向けて会議場へ戻っていく。

 片腕をあげてひらひらさせてみてる姉の背中が大きく見える。


「雅、姉さんが器だよね」

「王はトップだが、必ずしも運営がうまいわけではないだろう? 玉座と誇りを護る者と組織を率いる者、適材適所ともいう。 あれと同じことはお前には無理ってもんだ。 あきらめろ」


 へへへと笑った雅が僕の背をたたいた。

 さりとて年端のいかぬ黄泉使いの僕たちに果たして皆がついてきてくれるのか。

 そして、敵がとんでもない規模で同時に喧嘩をふっかけてきている以上、僕は急がねばならない。

 美蘭の言葉から、うちの女王が桁違いだということがわかった。

 事態を大きくひっくりかえせる可能性があったのはうちの女王ということだろう。

 だから、いの一番に僕らの女王が狙われたに違いない。

 女王が気づくより早く巧妙にしかけられた罠があったということだ。

 まったく、どんだけ甘いんだ、うちの女王様は。


「まずは足元だ」


 雅の言葉にそうだなとうなずいた。


「その運び方、やめたら?」

「軽いからいいんだよ」


 けらけらと笑う雅はタオルを肩にかけるように静音の体をぶら下げて歩き出す。

 目が覚めたら通常運転を願うよと僕がつぶやき、雅がそらそうだなと笑った。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る