第14話 迷いの森

 貴一と僕の名を呼んでいる声がして、ゆっくりと目をあけた。

 陽は完全にあがっており、岩陰のわずかな暗がりに僕の身体は引き摺り込まれていたらしい。

 静音がカロリーメイトのブロックを口にくわえたままで、僕を揺さぶっていた。

 おはようと言いかけた僕の口にカロリーメイトがつっこまれる。

 寝起きで喉がカラカラのところに口内の水気を奪うカロリーメイト。

 鬼かと勢いよく起き上がると、奏太が笑って僕に水を差しだしてくれた。

 ペットボトルをうけとると、手のひらに痛みが走った。

 陽の光の下で見る掌はひどいものだ。水ぶくれはところどころやぶれており、浸出液がかたまって赤くなっている。

 昨夜の道反大神からの映しが夢ではなかったのだと思って、ふっとおかしくなった。

 静音が何それと眉をひそめて僕の手のひらを覗き込んだ。

 何でもないと僕はすぐに隠して、さっさと水を喉に流し込んだ。

 手元にある食事がカロリーメイトとヴィダーインというのが実に悲しい。

 弁当が水没したのだから仕方がないがやっぱり悲しい。

 とほほと思いながらカロリーメイトを口にした。


「僕、フルーツ味がいいんだけど」


 チーズ味は苦手だと訴えると、静音がちょうどよかったと交換してくれた。

 もぐもぐとしている僕の横で、静音がはいと桃の実を差し出してきた。


「超美人の神様が起きたら食べさせろってさ」


 不服全開がやけにかわいく見える。

 静音も食べてみるかと促したが絶対に嫌だと断られてしまった。

 昨夜の道反大神とのやりとりを見ていたらしい意富加牟豆美命からの回復アイテムというわけだ。

 よっぽど僕は体を酷使したらしい。全く気が付かなかったけれど。

 ふと眼帯をしたままの右目に触れる。

 僕は昨夜この目を一度も使っていない。あれだけの大技の映しだったというのに、どうしてと息をのんだ。

 ひょっとして制御できていたのだろうか。

 制御できれば怖いものはないと祖父から何度も言われてきた。

 だが、方法がわからない。

 絶対に無意識にしていたことだ。

 僕はくそうと声を出した。方法さえわかれば僕はこの右目をもっと有効活用できるのにと膝を打った。

 静音と奏太が何事かと心配そうに僕の方を見た。

 独り言だと首を横に振った。話したところで僕のこのどうしようもない感じの気持ちはうまく伝えられそうにない。やけくそになり、一気にカロリーメイトをほおばる。そして水を流し込んで、立ち上がった。

 時間を無駄にしたつもりはなかったが、そろそろ行かねばならない。

 これまで直視できていなかった現状を見ねばならない。

 鉄壁の防御を誇っていた親世代の不在の現状を僕が評価し、姉に報告しなくてはならない。

 ポンポンと尻あたりについていた砂を払ってから、不遜にも岩の上で乾かしていた羽織を身に着ける。もちろん、ここで乾かして良いと許可をくれたのは大神だ。

 古い歴史あるこの羽織は肌触りが抜群で、戦闘で破損しても不思議なことに三日程度あれば自動修復できる優れものだ。その背と両胸には母から譲られた宗像望月紋がある。

 親世代がそれぞれの羽織を身に着けて、一堂に会している姿は壮観だが、僕はまるで衣装に着せられているようだ。

 似合ってるよと静音と奏太が褒めてくれてのがほんの少し気恥ずかしい。

 本来は僕のレベルが羽織れるものじゃない。

 桃の実を片手に行ってきますと千引き岩に頭を下げ、僕らは安全地帯を後にした。


「おかしい」


 千引きの岩から黄泉の鬼の詰め所まではそう時間がかからないはずだった。

 しかし、これはどういうことだ。

 まるで同じ道を幾度も幾度も歩かされている感覚がする。

 迷いの森を防壁として準備してあることは僕だってわかっている。

 どこにどんなタイプの森が準備してあるのかという配置までわかっている。

 それほどに、ここは僕にとって勝手知ったる森だ。

 この僕が迷い込むことはない、そう思っていた。

 慢心していたかもしれない。

 冷たい汗が額から頬を伝い、あご先からおちていく。

 嫌な感覚だ。

 右目の違和感がよりはっきりとした感覚となって僕を揺さぶってくる。

 治りかけていた傷のかさぶたを無理にはがされるような鈍い感覚がじくじくとした痛みへとかわりはじめる。

 僕の思考より早く、この右目は行きついているのかもしれない。

 ふっと横に目をやると奏太もやはりしぶい顔をしている。

 もう気づいているはずだ。

 これは誰かの幻術か、結界内に足を踏み入れてしまった証。

 足を止め、土に触れようとしてかがもうとした僕を静音が止めた。

 彼女はどうして気づけなかったのだろうと唇をかんでいた。

 そして、僕がたった今触れようとしているのは土ではなく、骨だと言った。

 その静音の様子に奏太がうなった。

 僕ならまだしも奏太ほどのレベルでも騙されていたということか。

 静音がゆっくりとあたりを見渡し、ここは道反ではないと言った。

 そうだろうねと僕は小さくうなずくしかなかった。

 僕たちは安全地帯を一歩でたところから、すでに招かれていたということだ。

 もっと早くに気が付くべきだった。

 勝手知ったる森だと僕は気を抜いた。そして、多くのポイントを見逃していたのだと思う。

 陽が高いとはいえ一匹の悪鬼の残滓も感じえなかったことも今になってみればありえないことだ。あれだけの数が跋扈した場所に残り香がないなどおかしい。

 くそうと声をだしてみても、今更過ぎて胸の中のざわざわはおさまらない。

 僕たちは腐っても、黄泉使いのそれなりのクラスだ。

 親世代に比べれば鼻くそ程度かもしれないが、それでもそれなりのレベルにいる。

 さらに付け加えると幻術はどちらかといえば僕らの十八番。その十八番のはずの幻術にまんまとはまってしまったのだから目も当てられない。


「静音、ここはどんな風に見えているの?」


 僕が尋ねると、静音は墓場だと一言だけ口にした。

 僕にはただの森にしかみえていないけれど、静音の目には足元には無限に骨が広がっている見えているようだ。

 ふっと息を吐いて、僕は胸元から仮面を取り出した。

 でも、仮面をつけるより先に、僕は指に歯をたてた。うっすらとにじんでくる血液を唇に塗りつけた。そして、左腕を軽くたたく。

 僕の髪の色はけして闇色の烏色ではないし、針金のようにまっすぐでもない。

 だが、魂に刻み込まれた真の姿はどうやらそうらしい。

 背中の半分くらいまで一気に伸びてしまう髪を深紅の組紐で髪をひとつに束ねることにもようやく慣れたところだ。

 視線を横にスライドさせると静音は常盤色の組紐で髪をあげている最中だった。

 こうやってみると、僕らは本当に家の代表だと痛烈に感じざるを得ない。

 まるで運動会のハチマキの如く、黄泉使いにはファミリーカラーがある。

 宗像本家が黄、宗像分家が赤、穂積家が白、津島家が黒、白川家が緑。

 自然とそれに従い持ち物は各家の色となっており、色を見ただけでどこの家の者かわかるといった具合だ。

 仮面をそっとつけ、血の味のする唇をほんの少しだけなめた。

 自分の血に酔ってしまいそうになりながら、ゆっくりと呼吸を整えた。

 昨日、道反大神が宗像の血の扱いを教えてくれたところだ。

 ここへ来るまでに静音にも伝えておいて正解だった。

 彼女も白川家を背負ってはいるがもとをただせば同じ宗像の血統だ。だから当然のことながら僕と同じことができる。

 宗像の血を摂取するというこれはドーピングのようなもので、一度空気にふれさせた自分自身の血液が形をかえ、それぞれの全身を強化してくれる特効薬に化けるというお得な体質らしい。敵が摂取するとどうなるかまでは道反大神は教えてはくれなかったが、宗像が狙われるという現実がすべてを物語っているのでもう問うことはしなかった。

「いっちょ、やりますか」

 静音がすっと片膝をついて、軽く指を鳴らした。

 白い煙のような、でもどこか水のような形状の炎が地を這うように広がっていく。

 すると、今まで山道に見えていたものが生物の息吹一つ感じられない無機質な岩場へ姿を変えた。

 僕は静音の見ていた景色をようやくこの目でとらえることができた。

 作り物の世界から、一気に現実へ戻された感じだ。

 どこからか吹きつけてくる生ぬるい風と腐臭。

 見ていて気持ちの良い物など何一つない。

 腐食動物によって肉をはぎ取られた動物なのか人間なのかの骸骨があちらこちらに散らばっており、その不安定な土壌がところどころ崩壊を繰り返している。

 あちらこちらで岩がずり動き、見えない谷底へ引きずり込まれては落ちていく。

 ここは間違いなく黄泉の下の階層だなと僕と静音は顔を見合わせると互いにため息をついた。



 

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