第6話

 春真っ盛りの昼下がり。日曜日の小学校の体育館にやってくるのは、人、人、人。

 事情を知らなければ、子ども会のイベントでもあるのかと思うのかもしれない。

 実際のところ開かれるのは、よさこいチーム花々重はなぶたえの踊り納め。

 一年間踊り続けた演舞の、最後のステージである。


 「めっちゃ大勢来てくれるんですね」

 「そうなの~。子どもたちの家族も見に来られるし、県外から来てくれるカメラマンさんもいるし、本当にありがたいねえ」


 チームTシャツを着たセーラさんが受付をしている。

 テーブルの上では、ちゃっかり同じ柄のTシャツとかタオルとかが売り物になっていた。

 グッズが売れたらチームの活動費になるらしい。

 お金が集まればできることも増えるからと笑うセーラさん。

 チームとして活動を続けていくことは、踊ること以上に大変なのだろう。


 「さ、もう時間だ! 今日は楽しんでいってね!」

 「ありがとうございます」


 私も踊るからねとセーラさんは張り切って着替えに行った。

 僕も先に席に着いた両親のもとに向かう。

 父は受付で配っていた説明書きを読んでいた。


 「今から踊るのが、この間のさくらまつりで踊ってた曲ってことだよな」

 「そうだよ」

 「そうかそうか、人込みでぜんぜん見えなかったんだよな。ずいぶん手の込んだことをやってるんだなあ」


 説明書きに入っていた制作チームのコメントには、演舞をつくってから踊り続けていくまでの苦労話、笑い話、喜びそして誇り。そういった積み重なる思いがにじんでいた。

 方々へのお礼が並ぶ代表のショータイさんの挨拶にも、十五周年の演舞が良いものになったことへの達成感もあることが添えられている。


 「あんたは見てたのよね。どうだったの?」

 「すごかったよ」

 「すごいってどんな風に?」

 「どんな……とにかくすごいの」


 何それと母に笑われてしまった。

 実際、目の当たりにしたときはとにかく衝撃を受けたが、具体的にどこがどうと言われると難しい。

 それに練習は鳴子練と総踊りが中心で、僕がタイショウさんと話していたときに今日に向けての調整をしていたようなので、最初から最後までしっかり見るのは僕もこれが初めてなのだ。


 周りを見渡すと、チームTシャツを着た親子連れもいれば、スポーツ新聞を開いたおじいさんもいる。僕たちが座るパイプ椅子の列の後ろには、三脚の上に乗ったカメラがずらりと並ぶ。


 そしてやってくる、開演の時間。


 セーラさんのアナウンスがフロアに響くと、ざわめきがそっと止んだ。

 MCのトラウトさんと歌手の綾音あやねさんが登場すると、割れんばかりの拍手が贈られた。

 ちなみにトラウトさんはバッティングセンター店員のごついお兄さんで、綾音さんは花々重の曲をよく歌ってくれているチーム外の民謡歌手である。今日のお客さんの中には綾音さんファンと思われる人たちもいた。


 続いて、踊り子たちの入場である。

 それぞれの微笑みを浮かべて、隊列につく。

 列の左から右へと、薄桃から濃紺へとグラデーションしていく衣装。

 進みながら踊りながらのパレードで見たときの印象とは、また異なっていた。

 止まってくれているので、細かな意匠がよく見えるのだ。


 そして、二人だけ真紅の衣装の踊り子がいる。

 南条さんとりぼんぬちゃんだ。

 練習のときに聞いた話では、さくらまつりのパレードの先頭で踊っていたのはりぼんぬちゃんだったらしい。

 ひときわ目立つ二人には、カメラマンの視線も集まっている。


 メイクは女の人は朱色、男の人は金色が目の縁に引かれている。

 表情が際立ち、非日常感が増すようだ。

 セーラさんがお客さんのだれかに手を振るのが見えた。桃色の衣装がとても似合う。

 全員が位置についたところで、トラウトさんは一礼し、マイクを手に取った。


 本日は花々重の踊り納めにお越しいただき、誠にありがとうございますと挨拶。いよっ! と掛け声がかかった。マイクを掲げて応えている。職場の人たちだろうか。

 一年間の裏話をすると笑いが上がる。説明書きにも書かれていなかった話だが、まだまだいくらでも面白い話は転がっているようだ。

 おかげさまでよさこい全国大会で優秀賞をいただくこともできましたと謝辞を述べたところで、再び会場に大きな拍手が鳴り響いた。全国大会で受賞……それはすごいことなんじゃないか? そんなチームに入ってついていけるのか? と、今更ながらも不安がよぎる。もっとも、南条さんと一緒に踊りたいという思いのほうが、はるかに上回っているけれど。


 「それでは、手拍子、足拍子、心拍子のほど、よろしくお願いいたします!」


 トラウトさんはそう言うと一礼し、踊り子も合わせて礼をした。

 心拍子。なぜだかそのフレーズが耳に残った。

 この目で踊りを見つめているときの胸のときめき、それを心拍子というのかもしれない。

 この場にいるたくさんの人々がときめきを共にできるなら、それは素敵なことだ。


 『散りゆく桜と去り行く蝶が告げるは、春の終わり。今宵も参らん、花々重――』


 口上とともに隊列が動きを見せる。

 花々重の、そして南条さんの、一年間の集大成。


 『――夜桜恋すよさくらこいすちょう



 琴の調べから楽曲が始まると、一瞬にして花々重の世界になった。

 ぞくぞくと体の中から高まるものを感じる。

 滑らかな楽器の音色に合わせて繰り広げられる、たおやかな舞。

 さくらまつりでの衝撃が蘇ってきたが、今日はそのとき以上に見えてくるものがあった。


 ただただ楽しそうに見えていた表情に、踊り子たちは意味を持たせていることだ。

 激情、憂い、そして喜び――微妙に異なる顔つきが、まったく別の印象を見せる。

 蝶のはためきのように見える衣装も、近くで集中して見ると、薄い布を何枚も重ねて、ひらひらとした様子を表している。

 百人一首にも収められている和歌を題材に、桜、蝶そして恋の儚さを描きました、という制作チームの説明が、言葉通りに表現されていた。

 

 そして、南条さんの踊りは……圧倒的、だった。

 曲が体を動かしているような、ズレや力みの一切ない動き。

 全部を理解することなんて無理だと思わせるような、深みのある表情。

 そして、それらすべてをひとつにまとめる、鳴子の澄んだ音色。

 鳴子は南条さんにとっては本当に楽器なんだろうな。


 曲調が激しくなり、演舞はいよいよ終焉に近づいていく。

 満月が桜並木を照らす中、ひらり飛び交う数多の蝶――

 さくらまつりで僕をとらえたイメージが、再び広がっていく。

 ゆらゆらと袖をはためかせる踊り子たち。

 まぎれもなくそれは、夜桜の花弁であり、恋する蝶であった。



 休憩の後は子どもたちを前列に置いた隊列で、二回目の演舞が行われた。

 子ども隊隊長のシュワちゃんと副隊長のユーリくんが、南条さんとりぼんぬちゃんのポジションについていた。

 当たり前かもしれないけど僕よりずっと上手だったなあ。がんばらなきゃだ。

 そのあとは小さい子にも人気のダンスを一緒に踊ってお開きに。

 保育園に通っていそうな子でもにょきにょきと木のポーズをとっているのを見て、この曲の人気ぶりと踊りのパワーを感じた。

 南条さんは膝を折ってニコニコしながら小さな子の前で踊っている。子どもは真似をしようとして手をパタパタさせていて、お父さんとお母さんも笑いながら一緒に踊っていた。

 その様子を見ていると、幸せはいまここにあるのかもと思えてくる。


 全部のプログラムが終わり、花々重のメンバーがそろってお辞儀をすると、この日何度目かの拍手が沸き起こった。

 家路につく人、メンバーとお喋りしている人といる中で、うちの両親は揃ってショータイさんと話し込んでいた。

 商売の話をしているのか、三人とも何度も盛り上がっていた。

 割り込めるわけでもなく退屈していると、トントンと肩を叩かれた。

 南条さんだ。

 少し汗ばんだ頬はほんのりと赤くなっていて、いまさっきまでの熱気を感じさせていた。

 それでも息があがっている様子がないのは、さすがの鍛錬ということだろう。


 「どうだった? 私たちの『夜桜恋す蝶』は」

 「すごかった! すごかったし……前に観たときよりも、良いなって思った」


 それは、同じ演舞を二回観たことで、細かいところまで気がつくようになったかもしれない。練習に入れてもらったことで、踊り子のみんなのことを知れたからかもしれない。

 どちらでもいいし、どちらでもあるんだろう。

 そう伝えると、南条さんはえへへと笑った。

 その無防備な様子に心が揺さぶられてしまう。

 演舞のときと同じ恰好をしているはずなのに、踊っているときの南条さんはあんなに強く美しく見えたのに。

 いまの南条さんは、学校で小山さんたちとお喋りしたり、休憩中にりぼんぬちゃんたちと騒いだりしているときのような、ただの可愛い南条さんだった。


 「僕も南条さんと一緒に踊れるようになりたい。明日からよろしくね!」


 そう伝えると、南条さんは少し困ったような顔をした。


 「えっとね、次の練習は一ヶ月後なの」

 「えっ、そうなの?」

 「みんなの練習はお披露目が終わってからなの。よさおは正式メンバーになったばっかでまだ連絡網に入ってないから、私から直接言うことになってたんだ」


 ……一緒に踊れるのはまだちょっと先のようだ。

 聞けば、お披露目に向けてスタッフさんは練習に励むとのこと。

 踊り納めを締める挨拶でタイショウさんは、ゴールデンウイーク最後の日曜日に、今年の演舞のお披露目会を開くと言っていた。

 いよいよ、僕が踊る演舞がつくられていく。

 得も言われぬ高揚感に浸っていると、目の前に差し出されるものがあった。


 夜空の色をした本体に、黄色、橙、赤のバチが付いている。

 裏地には、満月を見立てて白抜きされた花々重のロゴ。

 『夜桜恋す蝶』のための鳴子だ。


 「これ、貸してあげる。毎日家で鳴子練して」

 「いいの? 大事な鳴子でしょ?」


 一年間苦楽を共にしたはずの鳴子を、僕が預かってもいいのだろうか。

 そう思って聞くと、南条さんはいたずらっぽく笑った。


 「次の練習で、返してよね!」


 差し出された鳴子の柄をそっと握る。

 さくらまつりのときとは反対に、僕のもとへとやってきたそれは、南条さんと僕との間をつなぐ架け橋のよう。

 次の練習で――これから先のことを想像できることが、単純だけど、心の底から嬉しい。

 この笑顔に、また会えるんだ。

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