第5話

 夕食を終え、ごちそうさまと手を合わせる。

 今日の食卓はいつもより静かだった気がする。

 その原因はたぶん僕だけど……心なしか口数が減ってしまった。

 よさこいのチームに入りたい、ちょっとお金はかかるけど……頭の中でシミュレーションを繰り広げてみたが、うまくまとまらない。

 食器を流しに置いてリビングに戻ると、両親は席についてお茶を飲んでいた。

 僕の様子から何かを察したのだろうか。話をしやすくしてくれてありがたい。

 僕も席に着くと、ポケットから花々重はなぶたえのビラを取り出して話を切り出した。


 「えっと、最近おれがよさこい踊りの練習を見に行ってることは知ってると思うけど」

 「そうね」

 「そこのチームに正式に入りたいんだ」

 「うん」

 「ただ、ちょっと問題があって……お金がかかるんだ」


 どれくらいかかるのかと母が尋ねる。年に十万円はかかるらしいと伝えた。

 ここまでは頷きながら聞いてくれていた母だが、お金の件はどうだろうか。

 とにかくここで折れてしまっては花々重で踊れなくなってしまう。僕の気持ちを伝えなければならない。


 「あの、最初のうちはお金を借りないといけないかもしれないけど……バイトしてちゃんと返すし……学校の勉強もちゃんとするから! どうしてもあの人たちと踊りたいんだ」


 一緒に踊ったら今までの自分が変わる気がするから、と息せき切って言った。喉が渇いてお茶を飲む。冷たさが体に入ってきて、少し落ち着いた。

 さあ、どうなるか。息を呑んで両親の反応を待つ。


 「いいじゃない! がんばりなさい」


 両手をパンと合わせて母はあっけらかんと言った。バイトは家の店で雇ってあげてもいいわよ、もう高校生なんだから給料もちゃんと払うわと話す母の様子は何というか、軽い。

 緊張してたのがバカみたいだと拍子抜けした僕は、背もたれに体を預けて、もう一杯お茶を飲む。さっきよりも麦の香りを鼻に感じた。


 「あんたがあんなに張り切ってわざわざ鳴浜まで練習に行ってるんだもん、邪魔しちゃ悪いし。それに、あだ名までつけてもらったのにやっぱやめますじゃああの子もかわいそうじゃない」


 僕はそんなに気合入ってたのか……と複雑になったが、様子を見てくれていたのは嬉しかった。でもあだ名のことも知ってるのはなんでだ? と思い返したら、入学式の帰りに南条さんに思いっきり呼ばれていた。

 父があだ名ってなんだと言い出して急に恥ずかしくなったが、母が話してしまう。両親揃ってニヤニヤしてる。こっち見んな。


 「あだ名のことはもういいでしょ! オッケーしてくれてありがとう。うちでバイトするかどうかはちょっと考えさせて」


 席を立とうとする僕をまあ待ちなと父が制する。

 ここまでとくに賛成も反対もしていなかったけれど、何か話があるのだろうか?

 とりあえず再び席に着く。


 「バイトの話なんだけどな、ひとつ作戦がある。これがもしうまくいったら、よさこいのお金は家から全部出せる。バイトする時間で踊りの練習ができるぞ」


 バイトをしなくてもいい? もしそうならすごくありがたい。ありがたいけど、家は大丈夫なんだろうか? 僕のせいで両親が倹約生活を送らないといけなくなるのはイヤだ。


 「もちろん家は大丈夫だ。その作戦っていうのはな――」



 風呂から上がって髪を乾かし、寝間着で部屋に戻る。

 春の夜は涼しくて過ごしやすい。

 今日は一日どうなることかと気が気でなかったが、どうやらなんとかなったっぽい。

 やっぱり両親には頭が上がらないなと思う。

 僕がやりたいことを受け止めてくれたからには、がんばらないとな。

 そう決意に燃えていると、スマホがピョコンと鳴った。

 南条さんからのメッセージだ。慌てて確認する。


 『明日は、練習に来てくれる?』


 今日の南条さんは学校ではあまり話しかけてこなかった。

 僕が思い悩んでいるオーラを出していたからかもしれないが、きっとショータイさんから僕にした話のことも聞いているんだろう。

 久しぶりに同い年の踊り子が来たと思ったら、チームに入るかどうか迷っている。

 南条さんも不安だったのかもしれない。

 その不安の原因が僕ならば、僕が解消しなければ。


 『うん。行くよ』


 送ったそばから既読になった。早い。

 続きのメッセージを考える。


 『明日も、その次も』


 送った瞬間、ポポポポとメッセージが飛んできた。


 『ほんと!?』『やったー!』『ありがとう!』『待ってるね!!』

 

 スマホを持って喜ぶ南条さんの姿が見えるようだった。

 タイショウさんにも報告してるかも。

 僕まで嬉しくなってきたな。

 とりあえず明日学校でねと返して布団に入る。


 まだ父の作戦がうまくいくかどうかはわからないし、説明をするのは僕だ。

 でも、ダメなら僕がバイトをすればいい。

 花々重で踊れるかどうかわからないという緊張感に比べたら、何倍も気持ちは楽だった。



 鳴浜高校入学一週目が終わりを告げる、金曜日の放課後。

 今日の練習前の時間は、小山さん浦内くん玉木さんと駅前のカラオケに集合。南条さんは今日も夕食当番だ。

 カラオケは久しぶりだけど、思い切り歌うのはやっぱり楽しい。

 飲み物がなくなり、じゃんけんで負けた僕と小山さんがドリンクバーに向かう。


 「小山さん、昨日はありがとう」

 「なにが?」

 「花々重のことで励ましてくれて。どれだけ踊りたいのかっていうの、なるほどなって思った」


 ああ、といってこともなさげな小山さん。

 クラス委員もほぼ毎年のことらしい。

 相談に乗ることにも慣れてるのだろう。


 「お役に立ったならなにより。それで、よさおくんはどうすることにしたの?」

 「僕は踊るよ。どれだけ考えても、踊りたいっていう気持ちは変わらなかったから」

 「そう。まあ、練習に行かないならこんなところで時間つぶしてないでさっさと帰ってるわよね」

 「そんなことはないけど……みんなとカラオケ行くのも楽しいし」


 あははと笑う小山さんは、しかしわずかにほっとした表情を見せた。

 涙花も喜ぶわ、と部屋に戻ろうとするので、急いでついていく。

 部屋の扉を開けたら二本のパフェタワーが僕たちを出迎えてくれた。

 練習で踊ったらお腹がゴロゴロするかもな、と苦笑い。



 練習の時間がやってきた。

 みんなが準備体操を始める中、僕はタイショウさんのところに向かう。

 タイショウさんは優しく手を振ってくれた。


 「あの、チーム加入の話なんですけど」

 「考えてきてくれたんだね。ありがとう」

 「はい。僕は花々重で踊りたいです。よろしくお願いします!」


 グッと手を握ったタイショウさんは嬉しそうな、そしてどこか安心したような表情をみせた。

 嬉しそうなのが代表としての、安心したのが父としてのタイショウさんなんだろうか。

 小山さんもそうだったけど、みんな南条さんのことが心配なんだなと改めて思う。


 「いやあ、君が来てくれてこれから楽しくなるね。歓迎するよ」


 差し出しされた右手を握ると、力強く握り返してくれた。

 喜んでいる気持ちが実感できて、僕も嬉しくなる。

 嬉しくなるが、父の作戦はここからだ。


 「ありがとうございます。僕も楽しみです。……それで、ちょっと相談なんですけど」

 「おっ、何かな」


 ショータイさんが真っすぐ僕を見る。

 僕はひとつ息をついて、心の中で練習してきたことを言葉にした。


 「花々重でイベントがあるときに、うちの店からお酒を買ってくれませんか?」


 ほう、と相槌をうつショータイさんに、家が酒屋であること、花々重がお酒を買ってくれたお金を僕の活動費に充てるつもりであることを伝える。


 「なるほどなるほど」

 「お値段は勉強させてもらいますって言ってました」


 それを聞いたタイショウさんの目が輝くと、おーいと手を振って女の人を呼んだ。

 会計担当のウメコさんだ。

 ウメコさんは話しぶりからはショータイさんと同年代のようだけれど、見た目からは実際に何歳なのかは見当もつかない。さすがに成人してはいるだろうが、ミステリアスな人である。

 二人はごにょごにょと話し込んでいたが、どうやら結論が出たらしい。

 僕のほうを見たウメコさんは両手で大きくマルを作ると、元いた場所に帰っていった。


 「会計班のオッケーももらえたから、君の提案に乗らせてもらうよ」


 昔は酒屋さんもチームのメンバーにいたが、喧嘩になって出ていってしまったそうだ。それ以来は合宿や遠征に持っていくお酒は普通にスーパーで買っていたので、コストカットが課題になっていたとのこと。

 よさこいチームといえば酒盛りだろうと父は言っていたが、どうやら当たっているらしい。通販を始めたときも思ったけれど、父の売れ線を見つけるセンスはなかなか鋭いな。

 それにしても、花々重も酒盛りするんだろうか。あんまりイメージになかったが、みんな飲んだらどうなるのだろう。


 「ありがとうございます! うちの店も助けてもらっちゃって」

 「いやいや、こちらこそ新メンバーだけじゃなく新しいつながりまでできてしまうとは、願ったり叶ったりだよ。しかしそうなると、日曜の練習にはぜひご両親もいらしてくれたら嬉しいな」

 

 未成年の大事なお子さんを預かるわけだから、それでなくてもご挨拶はさせてもらいたいけどねとショータイさんは笑う。

 両親に花々重を見てもらう。みんなが踊ってるところを見れば、もっと応援してくれるかもしれない。そうなれば僕にとっても良い話だ。

 それに、花々重がどんなよさこいチームかがわかれば両親も安心するだろう。

 単純に新しいお取引先でもあるので、何があっても来るとは思うが。


 「はい、伝えておきます」

 「ありがとう。今度の日曜は僕たちにとって特別な日でね。一年間の振り納めの日なんだ」


 振り納め。最後ということだろうか。高知のよさこい祭りに行くという話もしてたのに、どうして?

 僕の顔にハテナマークが浮かんでいたのだろう。心配しなくてもいいよとショータイさんが教えてくれた。


 「まだメンバーから聞いてなかったかな。僕たちは毎年テーマを変えて新しい演舞をつくってるんだ。お祭りでお客さんにお見せするのはさくらまつりまで、最後にみんなで踊っておしまい」


 あの踊りを踊ることになるのかと思っていたけれど、そうではないらしい。

 新しい演舞はどんなものになるのかも気になるが、それ以上に重大なことをタイショウさんが口にした。


 「最後だから衣装も来て盛大にやる。近所の人とかファンの人とかも来てくれるんだ」


 さくらまつりではただただ見蕩れるだけだった演舞を、もう一度見られる。

 ふるふると体が震えているのは、憧憬と期待。

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