第4話

 明くる日の学校。

 新しく始まっていく授業は新鮮。クラスメートの顔と名前も一致してきた。

 ガヤガヤとはしゃいでいる彼らをよそに、自席でひとり物思いに耽る。

 どんどん面白くなっていくはずの高校生活に現れた、一点の曇り。

 それは顔にも出ていたらしい。

 クラス委員の観察眼を発揮した小山さんが話しかけてきた。


 「元気ないじゃない、よさおくん」

 「あー、ちょっとね」

 「昨日の今日でこの調子ってことは、花々重はなぶたえかしら」

 

 さすが、小山さんにはお見通しだな。

 僕は昨日の練習で花々重の代表、タイショウさんから聞いたことを話すことにした。



 「お金の話……ですか?」

 「そう。お金の話は重大でね……。端的に言うと、よさこいにはそれなりにお金がかかる」


 よさこいにかかるお金。

 言われてみれば、たしかにタダで衣装や曲は用意できないだろう。

 しかも、たくさんの人が感心するようなクオリティ。

 それじゃあ、何にどれくらいのお金がかかるのか?

 想像がつかない。


 「まず、うちのチームでは年会費として大人は一万円、高校生以下は五千円いただいてる。このお金は曲を作ったり、倉庫やホームページを維持したり、練習場所を借りたりと、いろいろなチームの活動に必要な経費に使わせてもらってるんだ」


 めっちゃ具体的な金額と用途が出てきて生々しい。

 年会費はチーム全体の活動を支えるお金、ということ。


 「次からは個人が踊るために必要なお金で、まず鳴子と足袋の費用。年によって微妙に変わるけど、今年はこれが合わせて五千円」


 鳴子は曲に合わせてデザインを変えているらしい。

 足袋は職人さんが履いているような外でも履けるもので、白と黒があるとのことだ。


 「そして、衣装。これがなかなか値がはってね……今年は三万円だ」


 三万。

 急に額が大きくなった。

 万を超える買い物、したことあるか……?


 「あとは祭りに参加するときの費用だね。これは実際に参加する人にだけ払ってもらってる。だいたいは二千円以下で収まるんだけど、例外もあってね。よさおくんは、よさこい踊りの一番大きな祭りは何か知ってるかな?」

 「あ、はい。夏に高知県でよさこい祭りが開かれて、それが一番大きな祭りだって」


 よさこい祭りは高知で始まって、高知の祭りが一番すごいの! と前に南条さんが言っていた。

 そうかすごいのかと、純粋に楽しみにしていたけれど……。


 「そう。それに出るためにぼくたちは高知まで行くわけだけど……まず高知まではバスで六時間以上かけて行く。そうなると行く日や帰る日に踊るのはしんどいから、前入りして祭りが終わった次の日に帰る。祭りが三日間あるから、日程としては四泊五日になる。このプランの費用が……六万円。」


 六万。

 三万でも驚きだったが、さらに数字が積み上がっていく。


 「これはフル参加した場合で、もちろんいろんな都合に合わせたプランもある。でもまあ、手間とか体力とかを考えたら、このプランをお薦めさせてもらっているよ。ここまでの費用を全部合わせると……少なくとも、一年で十万円になるね」


 十万。

 とうとう桁が変わってしまった。


 「お金の問題は本当に厄介でね、何年も一緒にやってきた人とでも、お金で揉めたらあっさりおしまいになってしまう」


 澱みなく説明してくれていたタイショウさんの表情がわずかに翳る。

 昔のことを思い出してしまったのだろうか。

 お金のやり取りで揉め事が起きてしまうのは、想像に難くない。


 「だから花々重では、入会を考えてくれた人には必ず代表のぼくから話すようにしているんだ。言うまでもなく高校生には大金だから、ご両親とよく相談してほしい。」

 「……わかりました。聞いてみます」

 「ありがとう。よし、重大な話は終わり! よさおくんは、花々重を――」



 重大な話をしている間のタイショウさんは、とても真剣だった。

 花々重は今年で十六年目に入ったらしいが、代表は最初からずっと彼だという。

 辛い経験も一度や二度ではないのだろう。タイショウさんの言葉には重みがあった。

 つまり、お金を払わずに踊るという選択肢はどこにもない。

 もっとも、その選択肢をとるつもりもないけれど。


 「なるほど。そうねえ、よさこいって地味にお金かかるのよね」

 「……小山さんって、よさこい踊ったことあるの?」


 ふむふむと頷く小山さんの様子に気になって尋ねてみる。

 振り返ってみたら初めて話したときも、あだ名イコールよさこいっていう発想が小山さんにはあった。

 単純に南条さんと仲が良いからかもしれないが。


 「まあね。涙花なんかは小さい頃からやってるから普通になってるかもしれないけど、知らなかったところから急に入って、一年で十万とか言われたらびっくりしちゃうかも」

 「僕の小遣いを全部つぎ込んでも足りないよ」


 良いものにはお金がかかるってことですよと小山さんが笑う。

 一緒になって笑ったら、何も解決してないけど少し気持ちが楽になった。

 話してみて良かったな。

 小山さんはスッと僕の目を見た。


 「バイトするにしても、家族を説得するにしても、よさおがどれだけ花々重で踊りたいかだと思うな。やりたいことのためなら、きっとがんばれるよ」

 「どれだけ踊りたいか、か……」



 夕日が差し込むホームに、帰りの電車がやってきた。

 窓側の席に座ると、発進のアナウンスが車内に響く。

 車体の揺れを感じながら、ひとり考えを巡らせる。


 僕は花々重で踊りたいのか――


 踊れるのならもちろん踊りたい。

 しかし十万円は高校生の僕にとっては大金だ。

 お金のこととなると、苦い記憶が頭をよぎる。


 僕の家は祖父の代から続いている酒屋だ。

 地元密着の吉岡酒店として、それなりにやってきていた。

 しかし、町から人が減っていくのは僕たちにはどうしようもない。

 少しづつ細くなっていく店の勢い。

 そこに追い打ちをかける出来事が起きた。

 母が体調を崩したのだ。

 治療にかかるお金、散らかっていく部屋。子ども心に我が家が追い詰められているのを感じる日々。

 食事がお米と味噌汁と漬物だけという日もあった。

 父の疲れている顔も目に焼き付いている。


 幸いにも母の体調は一年ほどで快調に向かい、父が通信販売に販路を見出したこともあり、いまの家計は傾く前以上の勢いを取り戻した。

 けれど、どうしても苦しかったことを思い出すと、お金の支援を家に頼むのは気が引けてしまう。


 電車は坂道を上り、家路を進んでいく。

 そもそも、僕はどうして踊りたいのだろうか?

 ここ数日の出来事を思い出してみる。


 昨日の練習。

 南条先生に鳴子のことを教えてもらった。楽器だと思っていた鳴子には歴史があること。鳴らし方にはなかなか慣れなかったけれど、澄んだ音が出たときは気持ちがよかった。

 正調よさこいも踊った。南条さんの半端ない踊り。輪になって一緒に踊ったみんなの笑顔。自分の振りに感じた良い変化。


 月曜日の練習。

 体育館の扉を開ける前の緊張。

 初めて話しかけてくれたセーラさん。

 僕が鳴浜高校に通うことを知った南条さんのびっくりした顔。

 よさおって命名されたときのみんなの微妙な反応と、抗議している南条さん。

 みんなで踊った総踊り。南条さんと手をつないでドキドキした。全員で円になったときに見えた、心から楽しそうなみんなの顔。

 

 そして、さくらまつり。

 沿道の注目を一手に集める存在感。

 蝶を思わせる華やかな衣装。

 全体で一つの生き物であるかのように調和の取れた踊り。

 涼やかに響く鳴子の音色。

 一生忘れられないくらいの衝撃だった、南条さんとの出会い。


 さくらまつりの前と後では、違う人生に変わっているのかもしれない。

 花々重の人たちと一緒に踊る日々が、目の前に続いている。

 このまま歩みを進めることで、もっともっと楽しいことがある。たった数日間の出来事だけど、そう信じられるような日々だった。


 そして、タイショウさんの話を思い出す。


 「――よし、重大な話は終わり! よさおくんは、花々重をどこで見つけてくれたのかな」

 「えっと、さくらまつりで踊りを見て、すごくいいなって思って……」

 「涙花と一緒に踊りたくなった、と」

 「い、いや、そういうわけじゃなくて……」


 慌てて取り繕う僕に、タイショウさんはわははと笑って続けた。


 「親バカだったかな。……涙花はぼくの娘でね、小さい頃からずっと踊ってくれてるんだけど。最近の涙花は今まで見たことないくらい楽しそうなんだ」

 「……そうなんですか? 何でもすごく楽しんでるように見えます」

 「たしかにそうなんだけど、何というか、種類が違うんだ。高校生の子はずっといなかったし、あの子と同い年の子が踊ってくれるかも、なんて話も久しぶりだからかな」


 南条さん、代表の娘なんだと驚いた。そういえばタイショウさんは南条大将なんじょうひろまささんだった。苗字が同じだ。

 楽しそうにも種類がある……さすがお父さんということだろう。

 年の近い子がいない中、一人で踊り続ける寂しさは、僕にはわからない。でも、想像はできた。


 「これは代表としてではなく、涙花の父として話すね。もし君があの子と一緒に踊ってくれたら、ぼくもとても嬉しい」

 「……ありがとうございます」


 父として南条さんの話をするときのタイショウさんは、代表としてお金の話をしたときの真剣さとは打って変わって、柔らかく穏やかな様子だった。

 だからこそ南条さんもいつもニコニコしていて、楽しそうなんだろう。

 そして、その南条さんの元気に、どうやら僕も関わっているらしい。

 ならば僕は、できる限りのことをするべきなんじゃないかな。


 日が沈み夜を迎えた三坂市に、ライトを輝かせて電車がやってくる。

 ゆっくりと速度を落とし、駅のホームに滑り込む。

 鞄を掴み、人の流れをかわして開いた扉を抜ける。

 改札を出て家族の待つ家へと向かう僕の気持ちは、すっかり決まっていた。

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