第3話

 二度目の夜の体育館。初めてほどではないけれど、まだちょっとドキドキしてしまう。

 今日は高校の授業も初日だったし、慣れないことが多いのは大変だ。

 練習は十九時からなので、放課後は浦内くんや玉木さんたちと駅前のゲーセンで時間をつぶしていた。

 南条さんは夜ごはんを作らなきゃと言って早々に帰っていった。練習のある日は南条さんに当番が回ってくるとのこと。

 初対面の他クラスの人もいたのでここでも少し緊張したけれど、シューティングとかレースゲームとかを一緒にやっているうちに打ち解けてきた気がする。

 そんなこんなで練習の時間が近づいてきたので、僕はここ白砂しらすな小学校の体育館にやってきたというわけだ。


 扉を開けると子どもたちが走り回っていて、大人ももう何人か来ているようだった。

 僕は近くにいたマイトさんに挨拶をすると、着替えをしに更衣室に向かった。

 マイトさんはよさこい歴六年で、仕事は自動車のディーラーをしているとこの間の練習で教えてもらった。

 うたのお姉さんのようだったセーラさんは、鳴浜市の観光協会で働いているとのこと。

 いろんな人が集まってるんだなあと思いながら着替えを終えてフロアに出たところで、そのセーラさんに出会った。


 「あっよさお! 今日も来てくれたんだー」

 「こんばんは、今日も来ちゃいました」

 「へへへ、ありがと。そんなよさおにスペシャルアイテムをレンタルしちゃうよ」

 「レンタルなんですね。どんなアイテムですか?」

 「じゃじゃーん」


 セーラさんが効果音付きで鞄から取り出したスペシャルアイテムは、三本のバチみたいな棒がついた、しゃもじのような楽器。

 さくらまつりで僕が南条さんに渡したもの……とは柄が異なっていたし、バチはしゃもじの両面についている。


 「これは……」

 「鳴子なるこ! よさこい踊りの必須アイテムだよ。詳しい説明は、あそこの先生に聞いてみよっか」


 これが鳴子。見た目はバリエーションがあるようだ。

 ていうか、あそこの先生って?

 セーラさんの指さす先にいたのは。


 「よさおー!!」


 満点笑顔の南条さん。

 今日も来てよかったな、と素直に思った。



 「じゃあ今日ははじめての人もいるので、鳴子練なるこれんの前に『鳴子ってなーに』っていうお話もします!」

 

 はーい! と子どもたち……に負けない勢いで大人たちも手を挙げる。

 ホワイトボードの前に立つのは南条さん。『るいか先生』と書かれたネームプレートを首から下げている。

 学校ではかけていた眼鏡はかけていない。眼鏡してたほうがもっと先生ぽいかも。


 「みんながいつも鳴らしてる鳴子には、別の使い方もあったんです! 何かわかるかな?」

 「はーい! 居眠りしてる子のおでこに先生がぶつけるため!」

 「ブッブー。鳴子は投げちゃいけません!」


 わははと笑いが起きる。

 元気よく発言したのはりぼんぬちゃん。チーム唯一の中学生だ。


 「正解は、畑に飛んでくる鳥を追い払うための道具でした! その道具を楽器として使ったのが、よさこい踊りを考えた人たちなの」


 みんながそうなんだと頷いた。

 そうは言っても、りぼんぬちゃんもみんなも知ってるっぽいけど。僕はぜんぜん知らなかった。よさこい踊りは考えた人がいるんだな。

 

 「六十年以上続いてきたよさこい踊りには、鳴子を持って踊るっていうルールが変わらずにあるんだ。でもね、鳴子のデザインはいろいろあるんだよ」

 

 南条先生の授業によると、基本として有名になっているのが、いま僕が貸してもらっている、赤地に黒と黄色にバチが両面に付いている鳴子。花々重はなぶたえが演舞で使っていた鳴子は柄が違うし片面だ。チームによっては大きさも変えているところもあるらしい。


 「そう、鳴子は奥が深いの……そして、鳴子の鳴らし方も奥が深い。鳴子を綺麗に鳴らせるチームがよさこい祭りを制するといっても過言ではないわ」


 南条先生の目がギラっと光る。

 座学タイムは終了、ここからは実技の授業が始まるようだ。



 南条さんとりぼんぬちゃんが前に立ち、他のみんなは間隔を取って並んでいる。

 りぼんぬちゃんはアシスタント役のようだ。

 僕は初めてということもあり、南条さんの目の前の場所をもらえた。


 「まずは鳴子の持ち方から! しゃもじが広くなるところの手前を、親指と人差し指の第二関節で挟んで持ちまーす」


 もちろん振付によっては例外もあるし、流派のようなものもあるらしいが、花々重の基本はこの形とのこと。

 柄と指で三角形ができているのが綺麗だと教えてもらった。


 「鳴子が持てたら、次は鳴らす……前に、予備動作が必要ですね。鳴子を返します。鳴子を返すときは、ひじをなるべく動かさないで、手首のスナップで返しましょう」


 そう言って南条さんが手をほんの少し動かすと、鳴子がカシャンと返り、柄の先が指先のほうを向くようになった。

 僕が同じようにやろうとしてもなかなか上手くいかなくて驚いた。手だけじゃなくて腕も一緒に動いてしまうのだ。


 「返した鳴子を鳴らすときは、中指から小指までの三本指で握るようにして鳴らします。鳴らし終わったときに鳴子と腕のラインが一直線になってたら、基本はバッチリ!」


 南条さんの鳴子からはシャンッと綺麗な音が出ているが、僕の鳴子からはバラバラッと鈍い音が出る。

 先生と生まれて初めて鳴子を鳴らした人では天と地ほどの差があって当然だけど、あまりの落差に凹んだ。

 ただそれ以上に、みんなと一緒に鳴子を鳴らせたことが嬉しかった。

 沿道から観客として眺めていたチームの中に入れたような気がして。


 「鳴子の鳴らし方はわかったみたいだね。じゃあ、鳴子練いくよー!」


 鳴子練。

 練習のはじめにも聞いた気がするが、いったいどんな練習なのだろうか。

 ……これがなかなかハードだった。


 「いちにっさん! にいにっさん!」


 南条さんの声に合わせて、みんなが鳴子を鳴らす。

 鳴らし方を教えてもらったときは腕を前に伸ばして鳴らしたが、横に広げたり、下におろしたり、バンザイしたりしながらも鳴らしていた。

 腕の向きが変わると力のかかり方も変わってくるし、何回も連続で鳴らしていると単純に手首が疲れてくる。

 握りが崩れて音が出せないことも多々あったが、南条さんもりぼんぬちゃんも涼しい顔で澄んだ音を出し続けている。

 終わった頃にはすっかり僕は両手に力が入らなくなっていた。

 プルプルと震えている手を見て南条さんはあははと笑う。


 「最初はみんなそう! 練習し続けてると、綺麗に鳴らせるようになる日が来るからね」

 「ありがとう、それを聞いたらがんばれそう」

 「手の皮がむけたりタコができたりするかもだけど、がんばって!」

 「……えっ」



 鳴子練の次は『正調よさこい』を踊るらしい。

 南条先生いわく、正調よさこいが最初に作られたよさこい踊りとのこと。


 「正調はシンプルな振付だけど、いろんな鳴子の鳴らし方をしてるの。正調が綺麗に踊れる人はチームの演舞も綺麗に踊れるね」


 振付自体にも、正調の振付をリスペクトして、アレンジしたものを取り入れることがあるらしい。

 みんなは鳴子練の並びのまま、南条さんが音源の入った音楽プレイヤーを持ってくる。


 「じゃあみんなで一回踊るけど、よさおは初めてだから横で私と踊ろっか。後ろから真似して踊ってね」


 南条さんは横によけて、いくよ、と音楽プレイヤーのスイッチを押した。

 僕も慌てて南条さんの後ろにつく。

 チャンチャンと鉦の音が鳴り、よっちょれよーよっちょれよー、と歌が始まった。


 背中から見る南条さんの踊りは、初めてこの曲に触れる僕から見ても特別だった。

 恰好はTシャツとジャージなはずなのに、衣装のひらひらした袖が見えるかのよう。

 細かな緩急が踊りの随所に効いていて、どれだけ練習したら自分もこんな風に踊れるのか想像もつかなかった。

 そして、鳴子の音。

 バチを打った先から広がるように響く音色は、曲の流れとともに表情を変える。ひとつひとつの鳴らし方に理由があるのだろう。

 必死でついていったら、一曲はあっという間だった。


 「どうだった?」

 「すごかった」

 「えっと、よさおが踊ってみて」


 あっ、と恥ずかしくなる。

 僕が踊ってみてどう思ったか。

 ただただ体を動かすので精一杯だったけど、辛いとかしんどいとかではなくて。


 「なんとなくでしか踊れなかったけど、楽しかった……かな?」

 「なんとなくでも、楽しければ大丈夫! どんどん踊ろう!」


 南条さんが元気をくれて、僕ももっと踊ろうと思った。

 南条さんはスピーカーを体育館の中央に持っていき、みんなで囲んで円になるように言った。


 「よさこい踊りにはもうひとつルールがあってね、前に進みながらの踊りをするんだ。正調よさこいも歩きながら踊れるんだよ」


 さくらまつりもパレードだった。普通に踊るだけでも大変なのに、前に進みながらだとどれだけ難しいんだろう。

 不安が顔に出てたようで、前にいたウーロンさんに励まされた。

 ウーロンさんはサーフィンをしてそうな大学生のお兄さんだ。


 「難しく考えなくていいよ。盆踊りと一緒」


 たしかに、盆踊りも輪になって進みながら踊るな。

 曲も言われてみたら盆踊りみたいだ。


 「そういえば、よっちょれよーって何ですか?」


 曲を思い出したら気になったのできいてみた。

 歌詞に入ってたし、パレードでもよっちょれという掛け声もあった。


 「よっちょれっていうのは『どいて』みたいな意味で、踊りが来るからどいてよーっていう掛け声みたいなもんかな」

 「どいてよーってことなんですね! ありがとうございます」

 「って、俺も入ったときにるいか先生から聞いた」

 「さすが先生」


 はははと笑いあって位置につく。

 よっちょれよーよっちょれよーよっちょれよっちょれよっちょれよ。

 輪になって踊りが進む。

 四月の平日なのに、夏祭りに来ているみたいだ。

 僕の鳴子の音も、さっきより柔らかくなった気がする。

 最後に鳴子をシャラシャラと鳴らして決めポーズ。

 今日もまた花々重のことが好きになった。



 「休憩おわりー! 練習するよー! あ、よさおはちょっと来て」


 正調よさこいの後の休憩に南条さんの掛け声が終わりを告げ、練習が再開される……と思いきや、僕は何やら呼び出しを受けた。


 「どうしたの?」

 「花々重の代表から、重大なお話があります」


 重大なお話とはおだやかじゃない。

 見ると、南条さんの隣に男の人がいる。僕の父より若干若そうだ。

 南条さんはそれだけ伝えると、もうみんなのところに行ってしまった。

 僕と代表さんの二人だけ。緊張。


 「はじめまして。花々重の代表の南条大将なんじょうひろまさです。みんなからはショータイと呼ばれているよ。」

 「はじめまして、えっと、タイショウさん。吉岡咲万よしおかさくまです。」

 「この間は顔を見せられなくてごめんね。花々重に入ってくれそうな人がいるって涙花るいかが教えてくれたんだ」


 この間は僕が突然練習に来てしまったので、むしろごめんなさいと伝えると、タイショウさんはぜんぜん大丈夫だと言ってくれた。

 何というか、しっかりしつつも優しそうな人だ。代表が務まるのはこういう人なんだろうか。


 「それで、重大なお話とは……」

 「ああ、これは重大な話だ。君がこれから花々重に入ってくれるのなら」


 タイショウさんの顔は真剣だ。

 ごくりと息を呑む。


 「お金の話さ」

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