『氷柱女の冬~北海道やまひめ百鬼夜行~』人と妖怪が織り成す、遠い野の物語。

墨ノ江なおき

プロローグ『ゆきおんな』//昭和61年(西暦1986年)の冬

 わたしが「ゆきおんな」になってから、さんどめのふゆです。


 さいしょのふゆは、おおばばさまから、「さほう」をおしえてもらいました。

 つぎのふゆは、おばあさまといっしょに、「おやくめ」をはたしました。


 ことしは、ひとりで、まだいきているひとを、こおらせました。


 そして、もうすこしで、はるがきたら、わたしは、「さと」におりなければなりません。

 いつも、おやまのうえからながめていた、ときどき、「さいれん」という、さけびごえがきこえてくるところです。

 かわのよこにある、おおきなとりたちがとびたつばしょも、ずっときになっています。


 さとでは、「がっこう」というおやしきにいって、「おべんきょう」というものをするんだよと、おとうさまがいいました。

 おべんきょうは、おやまにはない、あたらしいさほうをおぼえることで、それは「せんせい」というなまえのおししょうさまが、おしえてくださるそうです。

 それと、「おともだち」という、わたしとおなじとしのこどもたちがいて、いっしょに、おべんきょうをしたり、おはなしをしたり、あそんだり、おひるごはんをたべたりして、なかよくなると、「いい」そうです。

 おともだちとなかよくなると、「たのしい」というきもちになるそうです。たのしいというきもちは、「かなしい」とも「さびしい」ともちがって、「うれしい」に、にているそうです。


 わたしがうまれたときから、ずっと、おふとんのなかにいたおかあさまが、いつのまにかうごかなくなって、それからすぐに、おねえさまが、いなくなりました。

 さびしくて、かなしくて、ないていたときに、おとうさまが、こいぬの「しろ」をつれてきてくれて、しろはわたしの「いもうと」になったので、わたしは、おねえさまがわたしにそうしてくださったように、まいにち、しろのおせわをすることになりました。

 おとうさまが「おしごと」でいないとき、わたしがおかあさまとおねえさまをおもいだしてひとりでないていると、しろがわたしのそばにきて、わたしのかおを、あたたかくてぬれているやわらかいしたでなめてくれるので、わたしはくすぐったくて、いつのまにかへいきになって、とてもあんしんして、しろがいっしょにいてくれることが、とてもうれしくなりました。

 しろは「ふぁみりぃ」で、おともだちはふぁみりぃではないけれど、ふぁみりぃとおなじくらい、だいじなひとになるんだよと、おとうさまがおしえてくれました。


 きをつけなければいけないのは、さとのこどもたちは、ゆきおんなではないそうです。だからおやくめのことはひみつにしなさいといわれました。

 さとにおりるまえに、わたしのかみのけに、すみのようないろをつけるそうです。わたしのかみのけのいろは、さとのこどもたちとはちがうそうです。ちがうことをかくすのがなぜなのかは、「そのうちわかる」といわれました。

 めにも、おとうさまがつくった「れんず」というちいさな「がらす」をいれるれんしゅうをしています。わたしのひとみのおくには、むかしの「かみさま」がすんでいて、ほかのひとからみられないように、たいせつにかくしておくそうです。

 がらすは、とうめいだけど、おはじきやびぃだまをにぎりしめても、こおりのようにとけないので、ふしぎだなぁとおもいます。


 わたしは、たくさんの「ふしぎ」をしりたいです。

 なぜ、おかあさまは、うごかなくなってしまったのか。

 なぜ、おねえさまは、いなくなってしまったのか。

 なぜ、おとうさまは、やさしいのか。

 なぜ、わたしは、さとにおりるのか。

 なぜ、さいれんは、さけぶのか。

 なぜ、さとのこどもたちとおなじにならないといけないのか。

 ほかにも、たくさんの「なぞ」が、さとにはあるそうです。

 でも、さとだけではありません。さとよりひろい「せかい」には、もっとたくさんの「おもしろいこと」が、あるそうです。

 それを、おしえてくれたひとがいます。


 あれは、いちばんさむかったひのできごとです。


 わたしが「おどう」のなかでおやくめをしていると、とおくから、どどどっと、なだれのようなおとがきこえました。そとにでられなくなったらこまるので、わたしはいそいで「おうさま」のあしもとまではしりました。でも、あなはふさがっていなかったので、そのままおそとにでてみました。

 おそらは、まだあかるくて、ゆきはふっていませんでした。


 ぬまのうえに、おおきなとりがねていました。

 わたしが、いつも、おやまのうえからみていた、はばたかないとりです。つばさがながいので、これはおとをださないでとぶことができるほうのとりだとおもいます。

 しばらくみていても、うごかないようなので、わたしはすこしずつちかづいてみることにしました。ぬまはこおっているので、そのうえをあるいてわたれます。


 つばさにさわってみると、かたくてつめたくて、うもうがありませんでした。

 とりのめはおおきくて、そしてひとつだけでした。

 めのなかのひとみが、うごきました。

 いえ、これは「ひとみ」ではありません。です。

 ひとが、なかにはいっています。

 ということは、これは「め」でもありません。

 よくみると、がらすのようでした。

 では、これは、「とり」でもないのでしょうか。

 わたしは、よくわからなくなりました。

 なぜ、とりでないものが、そらをとべるのでしょう。

 そして、このなかのひとは、だれなのでしょう。


 おおきなめだとおもっていたものが、しずかにあきました。

 ずるりと、なかのひとがでてきて、どさりと、こおりのうえにおちました。ぐるりと、あおむけになって、そのまま、おそらをみあげて、ねています。

 わたしは、しんぱいになって、おかおをのぞきこみました。

「……やぁ、これは、可愛らしい、ゆき、かな?」

 わたしをみて、そのひとが、くるしそうに、しろいいきをはきながら、はなしかけてきました。わたしは、そのひとの、ながいまつげにしたたるしずくに、みとれていました。

 こえのひびくおとが、おとうさまや「ひょうそうしゅう」のおとこのひとたちのこえとにているので、たぶん、このひとも、おとこのひとです。

「ねぇ、きみ、ここは、静かだね。何も……聞こえない」

 そのおとこのひとは、わらっているようでした。でも、げんきがないみたいです。つらそうに、めをとじて、なにもはなさなくなりました。

 ひたいに、あかいみずが、べっとりと、はりついています。

 きっと、ちだとおもいます。このひとは、けがをしているのでしょう。

 しぬかもしれません。


 もし、しぬのなら。

 そのまえに、

 わたしが、

 きれいに、

 こおらせてあげなければ。


 それが、わたしのおやくめなのですから。


 だいじょうぶ。

 こわくは、ありません。


 わたしが、みまもるから。

 あなたも、おかあさまも。

 ずぅっと……


 いつか、また、そのめをあけて、わたしをみて、そのすてきなえがおで、わたしにむかってほほえんでくれる、そのときがくるまで。


 いつまでも、ずっと、ずぅっと……

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『氷柱女の冬~北海道やまひめ百鬼夜行~』人と妖怪が織り成す、遠い野の物語。 墨ノ江なおき @suminoenaoki

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