欧州回顧録「総統閣下への謁見」
到着するなり一戦を終え、私は初めてヒトラー総統にお会いしました。
小さな人と聞いた気がするのですが、恰幅がよく身長もかなり高く見えます。
それでも髭や髪形から、やはりあの総統なのだとわかりました。
彼は何やらじろりと周囲を見まわしておりましたが、親衛隊員さんが床の遺体と私のことを説明しますと、総統は私の肩に手を置いて、なにかねぎらいの言葉をおっしゃいました。
私は一歩下がるとすっと右手を挙げ「ハイルヒトラー」と申しました。
総統は自然な答礼を下さり笑顔になられましたが、ふと怪訝な気分になったように、うむ、と視線をそらしました。
これは私の特技といいますか、武術家としての研鑽の産物でした。
閣下は私のような見ず知らずの者に緊張を解かれて驚いたのです。
初対面の人が持つ独特な緊張をさっと解いてしまう、それは相手を倒す技術と同様に大切な武の一面なので、私は折に触れてこうした拍子外しをしかける癖がありました。
もっとも、それをこんな大物に使うとは思ってもいませんでしたが……
彼は隣の者に何かを言い伝えると、背を向けて宿舎へ向かっていきました。
先ほど透明人間と取っ組み合っていた方が、興奮した面持ちで私に何かをおっしゃいました。
「叙勲ですよ」
通訳さんが私の耳元に言葉をつなげてきます。
「は、じょくんとは?」
「鉄十字章をお渡しいたします。ですがまずは、どうかこちらへ」
軍人ですらない私になぜ勲章を渡すのかはよくわかりませんが、そうおっしゃるならと答えました。
これですぐに休めるかと思いましたが、私は食堂へ行くよう促されました。
遅い時間でしたが、夕食を準備してあるそうなのです。
現金なものでしっかり食欲はありましたが、何しろ疲れているので手を動かすのが大変でした。
しかもドイツの方は食事の最中に会話をするのが普通らしく、親衛隊の方々が次々にお話を始めてきます。
その口調も尋問でもしているかのように厳しく、なんだか食べた気がしませんでした。
ただとにかく成果を出したことで、親衛隊の皆様の食いつき方はすごいものでした。
最初にハンス・ユンゲさんという方と少し話をしたのですが、大半の質問はシュミットさんという尉官からでした。
彼は大柄な体なのに料理を全く口にせず、とにかく質問を矢継ぎ早に投げつけてきました。
「極めて重要な戦果であり、我々は貴殿の実力を高く評価するに至った」
「はあ。まあ、今回はうまくいきましたかな」
「だがその理由を我々は知らなければならない。一回見ただけでは真価まで理解するのは困難な部分があった。技法についてより詳しい説明を求めたい」
「まあ、それをしに来たわけですし。ですが、今この場ではなかなか簡単には」
「先だってお聞きするが、あの技は誰もが身に着けることが可能なのか。一部の才能のある人間を選抜する必要があるのなら、必要な条件をお答え願いたい」
「いや、どうでしょうかな。なんというか、やってみないことには……」
「ではさしあたって白兵が得意な人員を選抜しておく。ご了承願いたい」
万事がこんな言い回しなので伝わっているのか不安でしたが、それにしても彼らが真剣なのは間違いありませんでした。
衝撃的ではあったのでしょう。
しかし今になって振り返ってみますと、捕まえるまではともかく、そこからの投げであれば、あれは合気の術を学んだ者であれば、誰でも同じことができたと断言できます。
かの透明人間もしょせんは人間であり、骨格のつくりは私がなじんだ相手のものとたがわないからです。
あとは彼ら親衛隊が倒せるようになるのかどうか。
それは明日以降のやり方次第です。
指導に当たること自体は、外地に出てからも私は合気術の指導に明け暮れていましたし、渡航前の約束にも含まれていました。
一方で、期間は短く、彼らの気質や素養もわからないという課題はあります。
さて、どうなることやら。
そう初日から様々なことを考えながら食事を終えました。
居室は壕のそばにある石造りの殺風景な住居で、換気はネジを回すとヒューヒュー喘息のような音がして、あまり快適ではありません。
ただ、ごろりと寝転ぶと、小窓からは背の高い白樺が立ち並び、枝の合間から無数の星がとびとびに瞬いているのに気づきました。
深夜なのでオリオン座が上がっているはずなのですが、その形は見えず、代わりに木々の装飾となっているのです。
私はその見事な輝きに身を乗り出しました。
ああ、自分はドイツにいるのだな、と初めて感じました。
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