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 晶気、それは20年前に突如現れた新物質であり、人類の敵“アビス”を形作るものでありながら、そのアビスへ対抗する力の礎となっているもの。どうやって発生したのか、どこから現れたのかなど、謎が多いこの物質だが、今の人類にはどうでもいい事だ。重要なのは、それによって人類は“晶力”という力を持つ種族へと変貌させられた事、晶気を物質化する事でアビスへ対抗できるという事だ。人類の変貌がこれで終わるのか、そもそも存続できるのかは誰にも分からないが、生き残るためには戦うしかないのだ。






 対アビス防衛部隊の戦闘指揮所では、今月何度目かになるスクランブル要請を発令していた。メインモニターでは、スクランブル部隊の4名が数体のアビスを殲滅していた。


「任務お疲れ様です。キャリア―を向かわせます」


 オペレターである日野優は、スクランブル部隊の帰還処理を終わらせると、深いため息をついた。無理もない、4月も始まったばかりだというのに、スクランブルは今回を含めて15回を超える。1日に2回以上スクランブルがある計算だ。


 これは最近の傾向としては異常事態だった。10年前の関東決戦以降、アビスの出現件数は減少傾向にあった。3月の統計グラフを呼び出せば、スクランブルがあったのは大体1週間間隔であった。早くても4日は間が空いていたのだ。それが4月に入った途端、急激に増加し、その対応に追われ隊員は毎日奔走している。


 スクランブル部隊のシフトも厳しいものとなっている。装者は唯一、アビスへ有効的な攻撃が出来るが、それに何の代償がない訳ではない。むしろ、精鋭だとか、エースだとか言われるような装者ほど大きな代償を背負ってアビスと対峙している。


 身体結晶化症候群、通称BCSと呼ばれるそれが代償の名前だ。人類は晶気に適応した結果、晶力を手に入れた。それはつまり、晶気を自身の身体に入れたという事だ。実際、血液検査を行えば、身体に入り込んだ晶気を数値として測ることが出来る。その数値は、日常生活を送る分には大きく変動せず、人体にも目立った変化を与えない。この数値が大きく変化するのは、晶気を大量に身体へ受け入れた時だ。


 天岩戸が出来た今、そんな状況に直面する人は彼らしかいない。そう、装者だ。装者がアビスを倒した時、アビスはその体を晶気へと還す。それは大気に溶けるように消えていくが、その多くは近くにいる装者の体内へ溶けていくのだ。そうなると、アビスと対峙した装者の血液中の晶気濃度が上昇する。するとどうなるか━━━━身体が結晶化するのだ。


 “結晶化指数”と呼ばれるこれは、装者が出撃する度に評価され、数値が高い装者には出撃制限がかけられる。もし、この指数が高い状態で出撃を続け、アビスを倒し続けると、急激に上昇した血中の晶気によって装者の肉体が結晶化、翡翠色の破片となって砕け散ることになる。そういった理由があり、精鋭達は1回出撃する度に、次の出撃まで期間が空いてしまうため、シフトも厳しいものとなってしまうのだ。


 しかし、そんな代償がある一方で恩恵も存在する。より多くの晶気を身体に取り込んだが故に手に入れることが出来た“特殊能力”━Super Dimension Ability━、通称SDAと呼ばれるそれは、空想上でしか語られなかった“千里眼”や“瞬間移動”といった能力を装者に与えた。


 つまり、装者として“強く”なることと、“結晶化”して消滅することは表裏一体ということなのだ。


「……本当に、装者の皆さんには頭が上がりませんね」


 そろそろ出撃していた装者達が戻る頃だ。呟き、彼女はコンソールへ再び向き直った。






 火曜日、近接実技・演習が行われるアリーナへ行くと、数人の学生が既に集合していた。少し期待していた数少ない、他の男子学生の姿を見つけることは出来なかったが、その中に見覚えのある赤い髪を見つけた。


「朱夏もやっぱり近接の授業受けるんだ」


「優人、やっほー。うん、私は武術とかやったことなかったし」


「俺もだよ」


 この授業は、銃や盾など馴染の浅い武器に適性があった学生へ、集中的な授業を行うために存在している。近接の授業は、武術が発達している現代では受講する学生が少ないため、他の授業と比べて人気が無いように見える。人が少ない分、より集中的に授業を受けられるため、意外とおススメだと思うんだけどな……。


「朱夏は刀より剣派?」


「そりゃね、目指すは連結刃ですから!━━優人は刀?」


「まあ、朱夏みたいにこだわりがないから無難にね」


 朱夏と話していると、授業開始のチャイムが鳴り、担当の先生がカートを押しながら入ってくる。その長身に映える長い黒髪を一つに結んだその姿は、ここ数日で見慣れた須藤先生のものだった。


「見知った者もいるが、改めて挨拶をさせてもらおう。CAD実技・演習の近接を担当する須藤だ。適性は近接Sだ」


 須藤先生の自己紹介にどよめく学生達。俺と朱夏も、もちろんその一部だ。適性Sとなると、歴戦装者である証拠だ。精鋭中の精鋭から指導を受けられることを認識した学生から歓声があがる。


「静かに」


 決して怒鳴ったわけではないが、確かな重さを感じさせる一声に、騒がしくなった教室が一瞬で静かになる。浮かれていた気持ちに冷水を浴びせられた気分だ。


「今年からこの授業を受け持つことになったが、受け持った以上は諸君らを一定以上の実力に仕上げることが、私に与えられた職務だと思っている」


 相変わらずの鋭い眼光に、慣れていない他クラスの学生が委縮している。あれ、威圧しようとしてるんじゃなくて、須藤先生の素みたいなんだよね。


「CADでの近接戦闘は、装者本人の技量が大きく関わってくる。CADならではの動きもあるが、まずは基本から固めていこうと考えている。具体的には刀剣類を振るうのに必要な身体作りから行う」


 CADでの戦闘実技訓練が行われると思っていた学生から戸惑いの声が上がる。俺も実は、刀を振るえると思って少しワクワクしていた。


「誤解しないでもらいたいのは、なにも体力づくりのみを行う訳ではない。素振りや型稽古なども行っていくので安心するように」


 そう言うと、ガラガラと重い音を立てながら押してきたカートを前に押しやる。


「と言ったものの、今日は体験授業だからな。ちょっとした心構えの話をしようと思う。それからこの授業を受けるか決めてほしい」


 カートの中身は沢山の刀や剣だった。須藤先生はそれを1本ずつ掴むと、学生一人一人に手渡す。見るからに重厚な造りで、歴史を感じさせるそれは、抜くまでもなく真剣であることが分かった。


 俺の前に須藤先生が立ち、鞘に入った刀を差しだしてくる。両手で受け取るが、須藤先生が手を離した瞬間にあまりの重さで取り落としそうになる。慌てて身体に力を入れて、しっかりと持ち直す。


「全員持ったな━━今感じている重さが、真剣の、“敵を倒す武器”としての重さだ」


 その言葉に、ズッシリとした感覚がより強くなったような気がした。浮かれていた学生の姿はなく、みんな硬い表情で手に持った真剣へ視線を向けている。


「諸君らは、これからこういった武器を扱っていくことになるが、真剣は敵を倒すと同時に、自分や他人を“傷つける凶器”にもなり得る」


 スラリ、と引き抜かれた刃が日の光を浴びて鈍い輝きを放つ。その輝きに、本能的な危機感を抱いた。それが、自分を傷つけ得るものであることを理解してしまう。それを自覚すると、途端に恐ろしさが沸き上がってきた。


「…………諸君らが今覚えている恐怖は、正しいものだ。その恐怖を知らずに武器を振るうのと、知って振るうのとでは、いざという時の覚悟が変わってくる」


 入学式の時と同じような、穏やかな表情で須藤先生が言葉を繋げる。


「その重さは確かに、“敵を倒す武器”のものではあるが同時に、“誰かを護る武器”のものでもある。これからの授業で、諸君らが“敵を倒す技術”だけでなく、“誰かを護る技術”を身に付けられることを、切に願っている。その手伝いが出来れば、幸いだ」


 刀を鞘に納めると共に、語りが終わる。抱いていた恐怖心はいつしか和らぎ、消えることはなかったが、地に足をつけてくれるような重しのようだった。少し前まで浮ついていた自分が恥ずかしい。この学園には、遊びに入学したわけではないことを再認識出来た。


「さて、少し早いが今日はこれで終わりにしよう。武器を振るう事は許可できないが、抜刀することくらいは許可しよう」


 そう言うと、アリーナの隅へ移動する須藤先生。鯉口を切り、そのまま刀を引き抜く。先ほどと同じように、日の光を浴びた刃はギラリと光るが、どこか頼もしさを感じた。なんにでも言えることだが、結局は自分がどんな気持ちでいるかが重要なのだ。生半可な気持ちでは、生半可な結果しかついてこない。


「優人……私さ、真剣さが足りてなかったよ」


「そうだな……俺も改めて装者になるってことを考えたよ」


 二人してしばらく無言で刃を眺めた後、正式な受講申請を提出したのだった。

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