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 その後、お互いの連絡先を交換した俺たちは学園を後にし、帰路についていた。


俺たちが乗っている新東京環状線は、旧中央環状線沿いに造られた新交通システムだ。環状線の内側は、中心部が行政地区になっており、その周りを居住区が囲っている。

環状線の外側は農業・工業区になっており、学園もこのエリアにある。そして、旧外環を越えると急激に荒廃した風景となる。そこは、10年前に関東決戦の主戦場となった場所であり、未だ復興が進んでいない地区だ。そういった背景があり、対アビス防衛部隊の基地が立ち並んでいる。

そして、新東京市の最も外側、旧圏央道には新東京市を護る要である晶力シールド「天岩戸」が設置されている。関東決戦後に完成した防壁であり、アビス侵攻時に展開され新東京市を護る防衛ラインだ。

「天岩戸」より先はもはや人類の生存圏ではなく、アビスの領域だ。大地は荒廃し、所々が黒水晶に覆われた世界。俺たちは、この小さな世界に押し込められているちっぽけな存在だ。


30分ほど環状線に揺られ、そろそろ自宅に到着するかといったところで、俺が個人で契約している端末に通知が来た。相手は、俺たちの生活を支援してくれている紅嶺崎刀子くれざきとうこさんだ。紅嶺崎さんは俺たちの両親の同僚であり、両親亡き後、俺たちの面倒を見てくれている。俺たちが何の収入もなく生活出来ているのは、両親が残してくれたこの家と、紅嶺崎さんの援助があってのことだ。


「兄さん、紅嶺崎さんですか?」


「うん。“入学おめでとう”と、“勤務で入学式に行けなくてごめん”だって」


「あー、結構残念がってましたからね」


 紅嶺崎さんは、対アビス防衛部隊新東京方面隊に所属する装者だ。部隊の名前が方面隊なのは、過去日本全域が人類の勢力下だった時の名残だそうだ。今日は、運悪くスクランブルシフトであったため、入学式に参列出来ず前日にはしこたま謝られた。


「それで、夕方にはスクランブルシフトも終わるから家に寄っていいか?だって」


「もちろん!そしたら、御馳走を用意しないとですね」


「そうだな、じゃあスーパーに寄って帰るか」


 夕飯の献立を相談しながら、俺たちは近くのスーパーへ足を向けるのだった。






 俺たちの家は、高給取りである装者であった両親が建てた二階建ての一軒家だ。一階はリビングダイニングと風呂好きな両親肝入りの広い浴室があり、キッチンは二人並んでも邪魔にならないスペースが確保されている。


「じゃあ、野菜切ってるから、麻衣は玉ねぎを炒めといて」


「分かりました」


 スーパーで買ってきた食材を二人で手際よく分け、料理を始める。

メニューはみんな大好き国民食、カレーだ。

お揃いのエプロンを着て、麻衣は料理の邪魔にならないように長い髪を一つに結んでいる。


「あ、トッピングはどうする?俺はチーズにしようと思うんだけど」


「私はやっぱり、ゆで卵がいいのでお湯も沸かしますね」


「はいよ」


 お互い話しながらも手を止めず、野菜は一口大に、玉ねぎは美味しそうなきつね色になっていく。鍋に投入した豚肉に火が通ったら、残りの食材を追加し、水を入れて煮込み始める。灰汁を根気良く取りながら火を通し、灰汁が出なくなったら中辛のカレールーを投入。90分ほど煮込むのがベストだと思っているので、焦げ付かせないように注意しながら煮込んでいく。


 その横では、麻衣が沸騰した小鍋に、冷蔵庫から出したての卵を画鋲で小さな穴を開けて投入している。タイマー設定はもちろん8分だ。これは、とある漫画に載っていた方法だが、驚くほど失敗せず半熟のゆでたまごが出来るので、麻衣お気に入りだ。


 充分に煮込み、隠し味であるミルクチョコを1カケ入れて馴染ませていると、来客を告げるチャイムが鳴った。


「はーい」


 恐らく紅嶺崎さんだろう。パタパタとスリッパを鳴らしながら麻衣が出迎える。話し声が近づきリビングの扉が開くと、予想通り両手に大きな荷物を抱えた紅嶺崎さんの姿があった。


「おー、今日はカレーか。ああ、いい匂いだ」


「いらっしゃい、紅嶺崎さん……それにしても、凄い荷物ですね」


「これかい?いやなに、入学式に出られなかったからな、入学祝いくらいはと思ってね」


 荷物を降ろし、肩に掛かった赤い髪を振り払いながらそう言うと、俺たちを見て相好を崩した。


「あんなに小さかった二人がこんなに大きくなるなんてな、私も年を取るわけだ」


「いや、紅嶺崎さんまだ30代でしょ?」


 両親と同期の紅嶺崎さんは、今年で確か36歳のはずだ。


「君ら比べたら年寄りだよ。さて、厚かましくて申し訳ないが、お腹がペコペコなんだ。ご相伴にあずかってもいいかな?」


「もちろんです!ちょうど出来上がったところなので、座って待っててください」


 そう言って紅嶺崎さんを座らせ、盛り付けに掛かる。俺は熱々のカレーにピザ用チーズを振りかける。そうするとカレーの熱でいい感じに溶けてくれるのだ。麻衣は二つに割ったゆでたまごが上手く半熟になっていたようで、満足そうにそれをカレーに添える。紅嶺崎さんはオーソドックスに福神漬けを食べるため、スーパーで買ったものを添える。


「お待たせしました!それじゃあ、頂きましょうか」


「おー、コレコレ。君ら兄妹のカレーは絶品だからね」


「もう、おだててもお代わりしか出ませんよ」


 そうして、3人で手を合わせるとそれぞれのカレーへとスプーンを進めるのだった。






「そうか……学園でもそういった連中はいるんだな」


 夕食後、学園であったことを話していると、優性思想に染まった奴らの話になった。対アビス防衛部隊ADFにも一定数はいるようで、紅嶺崎さんも手を焼いているそうだ。


「それよりも、だ。折角のお祝いなんだ、楽しい話をしよう。2人とも、プレゼントを開けてみないか?」


 そう言うと、先ほどリビングの隅に置かれた荷物を視線で示す。一つは直方体の箱に入っており、もう一つはA4サイズの紙包みだ。それぞれに名前が書かれている。それらとは別に、何も書かれていない立方体の箱が置かれていた。


「あ、これ……天体望遠鏡じゃないですか!しかも限定生産モデルの最新機種ですね!どうしたんですかこれ?!」


 麻衣が自分の名前の書かれた直方体の箱を開けると、そこに入っていたのは望遠鏡だった。天体観測が趣味の麻衣の言からすると、それはとても貴重なものであるらしかった。普段、あまり取り乱すことのない麻衣が興奮のあまり叫んでいる。

 それを横目に、自分の名前が書かれた包み紙を破ると、そこにはもう少し先に発売される予定であったCAD大全の最新版が入っていた。


「え、これってまだ発売してないはずじゃあ……どうしたんですかこれ?!」


「全く、君ら兄妹はいい反応をしてくれるなあ。プレゼントのし甲斐があるよ」


くつくつと紅嶺崎さんが笑いながら言う。イタズラが成功した子どもみたいな表情だ。実際、紅嶺崎さんのイタズラ、もといプレゼントは俺たちを驚かせるのに成功していた。


「こう見えて交友関係は広いほうなんだ。それに……祝いの品なんだ、奮発もするよ」


 自慢げにそう言うと、“アレも開けてみろ”と視線で示してくる。

本と望遠鏡を置いて開けると、中にはゴーグル型のヘッドマウントディスプレイが入っていた。


「実は、プレゼントの本命はそいつでな……中の説明書を読んでみな」


 そう言われ、箱の中に入っている紙を取り出す。


「簡易型VRシミュレーションゴーグル……?」


 さらに読み進めて驚いた。これは、俺たちが入学試験で使用した大型筐体タイプのVRシミュレーションの次世機だった。


「そう!博士に君らへのプレゼントを相談したらな、テスターとして丁度良いって渡してくれたんだ」


 ……その博士ってまさか


「あの、もしかして博士っていうのは、CAD開発の第一人者である君島二三四博士ですか?」


 君島二三四博士。CADを開発した晶気研究の第一人者、君島一二三博士の娘だ。一二三博士の跡を継ぎ、CADや武装の開発を行っている。ADFの開発部門に所属しているとは知っていたが、紅嶺崎さんの知り合いだったとは……


「まさに、その二三四博士だ。実は彼女とも知り合い、というか親友でね。どうだ、驚いただろう!」


 麻衣の質問に得意げに答える紅嶺崎さん。テスターということは、このVRゴーグルは新東京市で俺たちしか持っていないということだ。とんでもないものをプレゼントされたもんだ。


「まあ、テスターって事だから使用感を教えてほしいって言われててな。私が伝えても良かったんだが、直で聞きたいって事だから」


 そう言うと、懐から出した二枚のカードを渡してくる。それには、ADF開発部特別入館証と書かれていた。


「とりあえず、来週の日曜日に行こうと思うんだが、どうだろうか?」


 ……もう驚かないぞ。正式な隊員とならなければ基本的に入ることが叶わないADF施設の、しかも開発部への入館証。大金を積んで手に入れたいと思う輩もいるだろう。それほどの重要アイテムだ。


「あの……こんな大変なもの、私たちが貰っちゃっていいんですか?」


 このカードの価値を察した麻衣が、恐る恐る紅嶺崎さんへ問い掛ける。


「まあ、君らなら悪用しないだろうし……何かあったら私が責任を持つから心配はいらないよ」


 なんでもない事のようにそう言う。信頼の眼差しに、くすぐったさと喜びを抱く。


「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます、紅嶺崎さん」


「私も、こんなに素晴らしい贈り物、ありがとうございます」


「うんうん、子どもは素直が一番だ!遠慮せず受け取ってくれ。あ、ただし今回のコレは二三四の好意だから、君たち以外には漏らさないようにな」


 満足そうに頷いた紅嶺崎さんは、一言それだけ付け加えると、少し話をしてから帰っていった。






 風呂にも入り終わり、あとは寝るだけとなった。麻衣は大急ぎでシャワーを済ませると、おやすみの挨拶もそこそこに自分の部屋へ入っていった。プレゼントの天体望遠鏡をいじくり回したいのだろう。そう思う俺の手にもCAD大全が握られており、ワクワクしながらそのページをめくるのだった。


 しばらくして時計を見ると、時間はすでに23時を越え、麻衣はもう寝たのか隣の部屋からの物音は途絶えていた。ふと、机を見るとそこにはVRゴーグルが置かれていた。


「区切りも良いし、ちょっと使ってみるか」


 誰ともなしにそう呟き、VRゴーグルを手に取る。説明書によると、付属の電源コードを繋いで被るだけで良いらしい。あとは横になって起動ワードを言うだけだ。そうすると、VRゴーグルがフルダイブを開始し、VR空間でCADの操作訓練が出来るそうだ。


 うるさい胸の音を鎮めながらゴーグルをかぶり、ベッドへ横になる。電源コードは既に接続済みだ。軽く深呼吸、ゆっくり目を閉じ、そして呟く。


「ダイブ」

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