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夢を見ていた。
幼い頃、優しい両親に、一つ下の妹と海辺の遊園地に行った時の夢だ。
全ては、あの時から変わってしまった。
降り注ぐ紅い光。迫りくる黒い水晶の怪物達と、目の前に立つ両親の姿。
視界を覆う翡翠の光と、両親の最後の声。
夢の終わりはいつも変わらない。
もう起こってしまった事は変えようがない。
例えそれが、夢の中であっても。
目を開くと、見慣れた天井が視界に広がった。
枕元の目覚まし時計は、予定よりも1時間早い時間を示している。
もうひと眠りしようと思えばできる時間だが、汗で張り付いた部屋着がその気を失せさせた。
「……シャワーでも浴びてくるか」
3月終わりの肌寒い空気が漂う廊下を通り、浴室に入る。
熱いシャワーを頭から被ると、汗の不快感と脳裏に残った夢が流されていく。
数分、そのままでいると、脱衣所の扉が開く音がした。
「兄さん、おはようございます。ここに制服を置いておきますね」
女性の柔らかな声。
この家に暮らしているのは俺ともう一人だけ、妹の麻衣だ。
「ありがとう、麻衣」
「どういたしまして。朝ごはんを作って待っていますね」
「分かった」
その後、もうしばらくシャワーを浴びた僕は、丁寧に畳まれた真新しい制服に袖を通し、居間へと向かった。
西暦2100年。人類は戦争をしていた。といっても、20世紀代に起こった人類同士の侵略戦争ではなく、未知の敵との|生存戦争<・・・・>だ。
20年前、「始まりの夜」と呼ばれるあの日から現れた敵、“アビス”。
突如現れた奴らは、世界各地で人類への侵攻を開始した。
人類側も持てる兵器を動員し対抗したが、アビスに現代兵器の効果は乏しく、次々と国が崩壊、NATO軍までも壊滅する事態となった。
アビスによる侵攻がこれほどまでに強力で素早かったのは、アビスがもつ力が原因だ。アビスはコアから発する紅い光を攻撃手段としており、光が当たった部分から黒水晶による結晶化を始め、人間サイズでは数秒で完全に結晶化し、崩壊してしまう。どんなに分厚い装甲板でも防げない、この非常識なまでに強力な力により、人類はその侵攻を止められずにいた。
先進国各国はこの事態を重く捉え、各国で独自に対策の模索を始めた。しかし、その間もアビスによる侵攻に停滞は無く、南半球の国々はほぼ全滅。残った国々も国土の大半を侵略され、総人口も10億人まで減少と人類が絶望に染まった頃、ようやく光明が差す。
反撃の始まりは日本からだった。とある少女が、家族を結晶化させられたことで激昂、アビスに特攻した際、翡翠色の光が少女の身体から発せられ、アビスが粉々に破壊された。この現象は日本だけでなく、世界各国で観測されていた。共通するのは、10代の少年少女であること。特に少女の割合が多く、その割合は9割にものぼった。後に「|晶力<しょうりょく>」と呼ばれるようになったこの力は、アビスの攻撃への抵抗性を持っており、同時に有効な攻撃手段であることが判明、以降人類反抗の礎となった。
「兄さん、そろそろ家を出ないと間に合いませんよ?」
「もうそんな時間か」
朝食後、テレビでニュースを見ていると、俺と同じく真新しい制服を着こんだ麻衣が声をかけてくる。画面の時計を見ると、確かにそろそろ家を出ないといけない時間だ。
傍らのカバンを持ち、玄関へと向かう前に隣の部屋で遺影に手を合わせる。
写真は二つ。男性と女性が一人ずつだ。
(父さん、母さん、俺も麻衣も何とか元気にやってるよ。いってきます)
「兄さん、早く!」
「麻衣は父さん達に手を合わせたか?」
「当たり前です!兄さんがボーッとしている間に合わせました!」
玄関へ向かうと靴を履き終えた麻衣が、心外だと言わんばかりに頬を膨らませている。
兄妹の贔屓目なしにでも、麻衣は可愛いと断言できる。
染めたこともなく、手入れを欠かさない黒く長い髪に顔は小さな卵型、スッとした鼻立ちに薄いピンクのくちびるが華やかな印象を見る者に与える。快活さはないが、その言動から滲み出る淑やかさに、中学時代では告白者が後を絶たなかったのは、本人にとっては苦い思い出か。
今年から俺たちが通う新東京装者学園は、その名の通り“装者”を育成する学校だ。装者とは、晶力を使ってアビスと戦う者たちの事であり、この学校には装者としての適性が高い少年少女が選抜されている。必然、学生の9割が女性だ。
今日はその入学式。俺たちを含めた総勢96名が装者を目指して、3年間の研鑽を積む。
最終的には命を懸けて、アビスから人類を護る防人となるため、そのカリキュラムは過酷とされている。卒業出来るのは、入学者の7割という数字がその過酷さを物語っている。
「兄さん、兄さん。ボーッとしてないで、そろそろ降りる駅ですよ」
「あ、ああ……悪い、ありがとう」
自宅から電車を乗り継ぐ通学路、電車の揺れと差し込む日差しが心地よく、いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。
駅の程近くにある学園への道は、自分たちと同じ白を基調とした真新しい制服に身を包んだ入学者と、その保護者で溢れている。道の両脇に植えられた桜が綺麗に咲き誇り、花びらが舞っていた。
「綺麗ですね」
吹き抜ける風に舞う髪を抑えながら、麻衣が呟く。舞い散る桜の花びらと相まって、その姿はとても幻想的な光景だった。事実、周りにいる男子学生は麻衣の姿に心奪われている。
と言っても、この15年で男性の数が急激に減少しているため、男子学生の数も数えるほどなのだけど。
「麻衣、そろそろ行こうか。もう少しで開式の時間だ」
「あ、そうですね……いえ、兄さんがゆっくりしていなければ、もう少し余裕があったんですからね!」
「ごめんって」
数は少なくとも、強烈に突き刺さる男子生徒の視線を一身に受けながら、俺たちは学園の門をくぐった。
入学式は、さすが装者育成の場であるため、多くの有名人が参列していた。対アビス防衛部隊━通称、ADF━のトップである
お偉方の話は長いものとばかり思っていたが、意外にも簡潔に話は進んでいき、新入生の宣誓の時間となった。この学園では、入学試験首席が壇上で3年間の抱負を述べる伝統がある。
『次に、新入生宣誓。新入生首席、白衛木乃香』
「はい!」
明るい紫色の髪をした少女が壇上へ登っていく。スッと通った背筋に凛とした佇まいは、髪色と合わせて不思議と視線を集める気品を漂わせていた。
『宣誓!私たちは、装者学園生としての名誉と責任を自覚し、人々を護る防人となるべく、常に徳操を養い、心身を鍛え、知識をかん養し、この学園で仲間たちと共に全力を尽くして研鑽に励むことを、ここに誓います!』
はんなりとした声の中に芯の強さを垣間見せる宣誓は、確かなカリスマを感じさせるもので、それに触発されたのか気持ちを改めている様子の学生がチラホラ見られた。
堂々とした宣誓に送られる拍手は、降壇した白衛が席に着くまで続いた。
『以上で入学式を終了します。最後に、学生証の発行とクラスの発表を行います。学生証を受け取ったらクラスで待機して下さい。それでは、職員の指示に従い移動を始めて下さい』
ざわつき始める生徒たち。無理もない、クラス発表は新入生にとって一大イベントだからだ。学園では、96人が1クラス32人の3クラスに割り振られる。これは、対アビス防衛部隊が1連隊32人で構成され、そこから1大隊16人、1中隊8人、1小隊4人、1分隊2人といった編成になっていることに起因している。学生の頃からこの編成に慣れさせることで、卒業後スムーズに防衛隊へ合流できるようにとの考えからだ。それに伴って、クラス内でも演習によってその編成を多用している。
加えて、“バディ”という制度がこの学園にはある。これは、最小編成単位が
アナウンスと同時に、教員が生徒の誘導を開始する。座席後方から順番に移動しているようだ。
「同じクラスだといいですね、兄さん」
「まあ、兄妹でバディやエレメント組んでる人もいるし、同じクラスになるんじゃないかな」
「それもそうですね!あ、私たちの番みたいですよ」
列の進みは早く、俺たちも教員の誘導に従って移動する。
入学式会場だった講堂の入り口に立方体の機械がいくつか用意されていて、新入生が一人ずつ指紋と網膜認証をした後に学生証が発行されている。どうやらクラスも学生証に記載されているみたいで、周囲の学生と受け取った学生証を見せ合いながら盛り上がっている。
「次の新入生、前へ」
「はい」
机に置かれた機械に左人差し指を入れ指紋認証を、覗き込んで網膜認証を済ませる。
ピッという短い電子音が鳴り、学生証が発行される。
学生証には、俺の顔写真と名前、生年月日が記載され、右側に大きくクラスが記載されていた。
「兄さん!どうでしたか?ちなみに私はBクラスでした」
「俺もBクラスだったよ。やっぱり、同じクラスだったな」
「はい!」
麻衣の言葉に、数人の男子学生がガッツポーズやチラチラと視線を向けたり、肩を落としたりと、落ち着かない行動を見せている。
ま、ウチの麻衣は美人だからな!━━それは別として顔は覚えたぞ、お前ら。
そんな中、一人の少女が近づいてきた。
赤い髪を一つ結びにした快活そうな少女だ。
瞳の好奇心を隠そうともせず、むしろ全面に押し出している。
「ねーねー、2人ってさ……ぶっちゃけ付き合ってるの?」
「…………はい?」
何を言ってるのだろうか、この少女は?
麻衣も照れてないで何か言わないの?
周囲の男子学生、君らも興味津々とばかりに瞬きせずコッチを見ない!
怖いから!
「えーっと、麻衣と俺は兄妹なんだけど……君は?」
「あれ?でも……ま、いっか。早とちりしちゃったみたいだね、ごめんごめん!」
サバサバとした物言いと、くるくると変わる表情は、彼女の人懐っこさを感じさせる。
「私は近藤朱夏!ちらっと聞こえちゃったんだけど、二人と同じBクラスだよ、よろしくね!」
「ああ、よろしく。俺は
復活した麻衣が横に並ぶ。
「妹の
「よろしくねー!いやー、入学して初めての友達がこんな美人さんで、私は嬉しいよ!麻衣って呼んでいいかな?」
「もちろんです!私も朱夏って呼んでいいですか?」
「もちろん!」
物凄い勢いで二人の仲が深まっていく。近藤さんが麻衣の手をブンブン振って、喜びを全力で表現していた。元気な子だなぁと思いながら眺めていると、唐突に近藤さんが俺へ視線を移した。
「お兄さんも優人って呼んでいい?私のことは朱夏でいいからさ」
「もちろん。これからよろしく、朱夏」
「よろしく!」
俺の手もブンブンと振って満足そうにする朱夏。
賑やかな学園生活になりそうだと思いながら周りを見ると、だいぶ新入生の数も少なくなってきていた。
「二人とも、そろそろ教室に行かないと遅れちゃうよ」
「あ、ほんとだ。私が盛り上がっちゃったからだよねー、ごめんね」
「そんな!気にしないでください━━それじゃあ、教室に行きましょうか」
そうして、人の少なさに気付いた二人を伴って、俺たちはその場を後にした。
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