6.嵐の夜に、刺客来たれり?(3)
摩耶市市長室調査課櫻河政策係付特別諜報官。
そんな下を噛みそうな肩書きが、千世さんの任務。
簡単に言うと、摩耶市役所の職員だそうだ。
「引きニートって嘘だったんですか」
「嘘じゃない。実際去年一年は引きこもってずっと本読んでた」
「でも役人さんなんでしょ?」
「休職してた。利き手、使えなくなったから」
「でも仕事でうちに来たんじゃないんですか」
「左遷だよ。拗ねて引きこもるくらいなら、辺境で働いてこいってね。俺ってば入庁時は超ホープだったから」
諜報官というくらいだからつまりスパイだ。
実際に情報の漏洩もしていたそうだし、それは別途調べる必要がある。
「それがなんで引きこもったんです?」
「過激派住民団体との交渉に一人で放り込まれて殴られ蹴られ、挙句利き手を切り裂かれたら、誰だって引きこもるわ」
「うへえ、痛そう……。で、これは今何を待ってるんですか?」
「パフォーマンス待ち。そろそろあっちのえらいさんが来るから」
一番艇と摩耶市を結ぶ櫻河橋を望む審査室。
始まりのあの場所に私たち三人は立っていた。
扉が開け放たれているせいですさまじく寒くて、帰りたい気持ちしかない。
一番艇は構造上風雨に弱いため、全員二番艇に避難している。そのせいでほんとに淋しくて、つらい。
一席なんて一言も喋らないし、多分ものすごく不機嫌なんだと思う。
千世さんの案ネズミ講作戦により、十三番艇の混乱は今頃もう収まっているはず。他艦にも広めるようお願いしたので、上手くいってるといいな。
「おえらいさんが来るのはいいんですが、一席と私は何をしたらいいんですか?」
「そこにいりゃいいよ。証人役だから」
「ちゃんと説明してくださいよ。どうして自治官権限を欲しがったんです?」
私に怖い目見せてまで。
「それはね、話すと長いんですけど」
「簡潔にお願いします」
「あー、摩耶市と櫻河艦艇群が手を組んであっちの政府に楯突くため」
「……百歩譲ってそうだとして、なんでこんな日を選んだんですか?」
「俺が選んだんじゃないよ。政府が仕掛けてきたから仕方なく。俺だってね、台風の日は避けたかったに決まってるだろ。知ってる? 災害時の役所ってクソほど忙しいんだから」
「仕掛けてきたって、何を」
わざとらしいほど深い溜息をついて、千世さんは言う。
「通信障害。あれ、本当に偶然だとでも思ってるわけ?」
「それについて考えるなって言ったのは千世さんでしょう」
「じゃあ今考えて。摩耶市からの申し入れ書、見たでしょ。答え書いてあったと思うけど」
「なんのことですか?」
「通信障害影響範囲の地図、送ってやっただろ。あれの通信施設は、そのまま通信攻撃拠点だよ。知らせてどうなるわけでもないけど、一応お知らせしといたの」
櫻河のネットワークは独自規格だ。
私も仕組みを完全に理解しているわけじゃないけど、専用機器のみでやりとりできる相互通信機構にすることで、櫻河の通信域内では非常に快適な通信を維持している。
ただし、その反面攻撃に弱いところがある。
受信機器、つまり艦環側の調整でエリア限定ネットワークとして艦艇群内部のみで受信できる仕様にしてカバーしているものの、防ぎきれないこともある。
その最も顕著な例が今回。ハブ施設たる制御塔自体に莫大なデータ量をぶつけることでパンクさせた――非常に原始的なネットワークテロと言える。
「で、それを捌いたりサブサーバー立ち上げたりなんだりして大騒ぎの八番艦、システムダウンで警備も手薄、電気基盤をぶち壊されても気づきもしない」
「ねえ千世さん、本当に信じていいんですよね?」
「信じてよ。摩耶市はまじで櫻河のこと考えてるから」
「もう少し信じられるように言ってくれませんか」
「そうだなあ……。櫻河艦艇群で三日も過ごせば、ひたすらシステム化しつくした弱点だらけの街だってすぐ分かる。俺はそれを補強するために派遣された特別調査官だ」
「システムダウンを知ってて見過ごした男に言われても」
「あれは願ったり叶ったりでね。――オンラインじゃあっちもこっちも政府の見張りが付いてるもんで、あのくらい大規模なトラブルが起きてくれないと、このパフォーマンスはできなかった」
「パフォーマンス?」
「うん。……あ、来た」
千世さんが指さす先、人影が見える。
人のことは言えないけど、この暴風雨の中物好きもいるもんだ。
どうにかこうにか近づいてみて分かった、千世さんの言うおえらいさんが誰か。
「お久しぶりです、市長」
「とんでもない日に呼んでくれたね、千世くん」
「いやあ、これ俺のせいじゃないんですよ」
「知ってるよ。あちらの日取りが悪かったんだろ」
さて、と仕切り直したのはほまれ一席だった。
「摩耶市長。櫻河艦艇群総代の櫻河ほまれです。ご無沙汰してます」
「三カ月ぶりかな。相変わらず美しいね」
「こんなびっちょびちょのときに言われても。市長も男前ですよ」
「水も滴るって?」
「ああなんかそういう言い回しありましたね」
妙に親しげな二人に、分かったような顔の千世さん。
知らぬは私ばかりで、面白くない。
そういう不満が出ていたのか、一席がこちらに微笑んだ。
「ごめんね明日海、ずっと黙ってて」
「なにをですか」
「いや、実は、千世のこととか全部知ってた」
わざとらしく笑うその顔が、嘘ではないと知らせてくる。
そして気づいた。さっきの沈黙は不機嫌ではなく、答え合わせを見守っていただけなのだと。
「え、いつからですか?」
「最初から。千世来る前から」
「いやあ、ほまれさんも役者だよねえ。身内の諜報員も、他の自治官も、こんな可愛い補佐官までも騙すとは」
「たったの二週間だろ。千世も上手かったじゃないか。うちの仕組みなんかもうほとんど頭に入ってるのに、知らないふりして」
「慣れないふりして寝坊したり?」
「あれはやりすぎ。明日海への配慮が全然足りない。あのときばかりは本気で怒ったし……明日海?」
つまり、二人とも何も知らない私をからかっていたということで。
「……酷いです、一席も千世さんも嫌いです!」
「違うんだって明日海、ごめん、話聞いて!」
摩耶市は、櫻河が執拗に抑圧される様子を見て、長年よき隣人として共存してきた立場として心を痛めていた。
摩耶市にも政府の監視が付いているから、支援したくても、大っぴらにはできない。
だから水の買い付け制限のとき、これはチャンスだと思った。人道支援の名目で手を差し伸べて、交換条件として自由な行き来を認めさせれば、いくらでも裏から支援ができる。
しかしそこに、政府が介入した。
摩耶市と櫻河艦艇群で結ばれるべき協定は政府と艦艇群で結ばれ、摩耶市はただ水を供給するだけ。唯一残された希望は、移住者として派遣される人間を摩耶市民から選べるという点のみ。
千世さんが選ばれたのは、涙ぐましい努力の結果だそうだ。
たまたま怪我で長期療養に入っていた彼を説得し、引きこもりニートに仕立て上げ、さも社会復帰の一環かのような演出を施して、政府さえ騙した。
摩耶市生まれ摩耶市育ち、一度も摩耶市以外に住民登録していない彼の情報は、摩耶市役所が偽装すれば政府さえも騙しうる。
そしてそうまでして作り上げた最高の設定を説明すること自体が、リスキーだった。
「政府の犬が、どこにいるやら分からないからな。疑いたくはないが、艦艇群の中にも必ずいると思ってる」
「特に櫻河の通信網はきつかった。どこにいてもネットワークの末端に見られてる。制御塔の人間が全員シロって保証はどこにもない」
「つまり、喋りたくても喋れなかったってわけ。だから、ごめん」
全システムがダウンしている今なら、一気に種明かしができる。そういうわけだ。
腹立たしいのに代わりはないけど、仕方がなかったってことは理解した。
「もうそれはいいです。分かりました。で、なんで摩耶市長さんがわざわざここに? 部下の千世さんでも見舞いに来たんですか?」
「いや正確には俺はもう市職員じゃないんだけどね。正規の名簿からは消されてるし、そもそもの入庁記録も抹消されてる」
「そういうのはいいんです、答えてください」
「明日海さん」
名前を呼んだのは市長だった。変に緊張して、返事に詰まる。
「は、はい」
「今日は、千世くんのことを、正式に預けに来ました」
「預ける?」
「ええ。彼は便宜上は職員ではありませんが、私の心の中では最も信頼のおける腹心の部下です。その彼を正式に、こちらへ出向させに来ました」
「……それだけですか?」
「ええ。だって、大事な部下を、大事な隣国に送り出すんです。ちゃんと出向かないと失礼じゃないですか」
「分かり、ました」
「ありがとう。……さて、長居はできません。形式的ではありますが、一応、いいですか?」
「はい、記録なんて残すわけにもいかないんで、記憶程度で」
摩耶市長が差し出した手を、一席が握る。
「改めて、本市職員、千世織路をよろしくお願いします」
「期待を込めて、十三番艇第五席自治官としてお迎えいたします」
公務員を出向させるには、公務に近い仕事が必要なんだそうだ。
だから千世さんは自治官の権限を欲しがった。いや、自治官という肩書を欲しがった。
特にそれはこの一連の流れに必須というわけではなくて、ただの形式的なこと。
でもその形式的なことが、多分とっても大事。
これから先、秘密裏に手を携えていくための、要になるから。
8月3日 十三番艇自治官覚書
・特例的に千世織路を第五席に迎える
ただし、システムダウン中の任命につき、正式な任命承認作業は後日改めて行う。
任命担当自治官は十三番艇第一席、櫻河ほまれとする。
以上
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