6.嵐の夜に、刺客来たれり?(2)

「あれ、本当に停で、うっ……」

 右目に走る鈍い痛み。

 思わず目を覆って、その場に蹲る。

「紫さん、大丈夫ですか?」

「目、痛くて」

 ずきずきしてきた。どうして?

 千世さんが背中を優しく叩いてくれるけど、そんなもので和らぐ程度じゃない。

 痛い。

 治まるのを待つ間に、一席の声が聞こえた。

「全員その場から動かないで。艦環のライトが使えるか試してくれるか。……全滅か、弱ったな」

「一応、有線端末は繋がったんだけどさあ。電気がやられたら意味ないよね?」

「ああ、蓬はそこにいるのか……明日海、明日海はどこだ?」

「ここ、です」

「こっち来れるか?」

 痛みは増すばかりで、その指示には従えそうもない。

「あの、目が、痛くて」

「目? ……まさか、艦環連携してるからか?」

「分かりませんけど」

「待ってろ、今そっちに、痛っ、なんか踏んだ」

 暗闇の中、一席の慌てた声がする。

 それ以外にも方々でざわめきが起きて、私の目は相変わらず痛くて。

 そんな状況なのに、突然強い光がちらついた。

「千世、さん?」

「紫さんには眩しいかも。すいません、これ、どなたか」

「なんだそれ、千世の私物か?」

「スマホです。ライト機能オンで」

 例の板切れ。そんな使い方もできるなんて、丸きり艦環じゃないですか。

「助かった。明日海、大丈夫か?」

「痛い、ですけど、なんとか」

「よしよし……。蓬、その機械には予備バッテリーとかないのか?」

「ないよ。……あ、でもあれだ、電話は使えたはず!」

 一席が運んだスマホの光を頼りに、二席がごそごそ操作。

「どこにかけるんだ?」

「八番艇。これ教えてくれたのは一席だから、今でも多分ちゃんと……ほら、繋がった! お久しぶりです、蓬です」

 どうやらきちんと通話できたらしいことに驚いていると、千世さんに腕を引かれた。

「紫さん、ちょっとじっとしてて」

「なん、ですか」

「いいから。手、のけて」

 痛む右目を強引にこじ開けられる。

 どこから出してきたのか、小さなライトが義眼を照らす。

「ま、ぶし」

「我慢して。……外すよ」

「や、だめ、です」

「痛いでしょ?」

「でも、だめ、です……」

 この義眼は基本的に寝るときも外さない仕様だ。

 視神経の接続がずれると再手術となるから。

 それをこんなところで外すなんて、できるわけない。

「……分かった。じゃあこれ飲んで」

 代わりに握らされたのはごろりとした錠剤。

「なんですか、これ」

「痛み止め。即効性」

「なんでこんなの」

「自分用に決まってるでしょ」

 怪しくて、左目で千世さんを見た。

 でもその顔は真剣で、多分これは嘘じゃない。

「手の、ですか」

「うん。よく効くよ」

 左手を覆う形状の灰色の装具は、どうやら快適らしい。

 これまたどこから出してきたのか分からないペットボトルのキャップを左手で開けてくれた。そこまで渡されたらもう飲むしかない。

 すぐ、と言ってもまさか飲んで数秒ってことはない。早く治まってほしいと願いながら、痛みに耐える。

 と。

「制御塔がかなりダメージを受けてるらしい。艦環システムはバックアップも含めてダウン。電力基盤も吹っ飛んだもんで、当面復旧の見込みなし!」

「……まじで?」

「まじ!」

 二席のいやに力強い報告に、全員力が抜けた。

 櫻河艦艇群は、増える人口を限られた床面積に収めるため、あらゆる手を使ってきた。

 基本的には、電子化と物品の処分。

 その結果、電気とシステムを失うと、なにもできなくなる。

 ちょうど今の状態のように。

「しかしなんだ、なんでそんなに一気に……」

「櫻河ほまれ一席、その考察は今は不要。十三番艇艦内の安全確保が最優先では?」

 声の主は、手に持ったライトをいじって光を拡散させた。

 薄暗い明かりの隙間で眼鏡を外し、前髪を後ろへかきあげて。

 徐々に痛みの引いてきた右目は、左目の視覚を邪魔しない程度には機能を取り戻していた。

 その目に映るは、千世織路、その人。

「千世、少し黙ってろ。言われなくてもやる」

「どうやって?」

「……手分けして、だ」

「十三番艇住民は全部で千八百人程度。そのうち二百人は他艦で避難または対応中といったところ。残る千六百人、全層を見て回るのに、ここにいるのは俺を入れてもたったの九人。予言しよう、今の艦内は大混乱だぞ。いくら自治官でも、収められるとは到底思えん」

 いつもと違う。

 そのオーラは、初日の、あのときのそれ。

「それ以外に上手くやれるとでも言うのか」

「うん。俺に任せてくれるならな?」

 千世さんが口角を上げた。

 本能的な恐怖に立ち上がり、一席の方へ走ろうとしたところで腕を掴まれ阻まれる。

「ひっ」

「ごめんね紫さん。ちょっと人質やってて」

「ひとじち?」

「そ。人質」

 聞き慣れない単語に気を取られているうちに腕の中に納められて逃げられない。

 身じろぎすれば、危ないよという声と共に小型のナイフが首元へ。

「離して、くださ、い」

「ごめん、我慢して。あー、そっち見えてる? 変なことしたら紫さん、怪我するからね」

「正気かお前?」

「最初から、正気だよ。ね、俺に任せてくれる?」

「駄目だほまれ、許可できない。……まだ素性が分からない」

「声がでかいぞ二席。下がってろ」

 割り込んだ二席を振り払い、一席は声を低くした。

 首筋に当たる冷たい金属の感触に震えが止まらない。

 目をぎゅっと閉じて、とにかく動かないように、それだけ。

「ああ、調べてたのは知ってる。こっちの諜報員は優秀だよね、ぱっと見分かんないし」

「問おう。お前、どういう任務を帯びて来た?」

「任務なんて大それたもんじゃないよ」

「言えないのか」

「そっちが俺に任せてくれるなら、言うよ」

「何を任せろって言うんだ」

 長引く会話に膝が耐えられない。

 必死で力を入れて、倒れないように倒れないようにする努力の最中、耳元で囁かれた。ごめんね、形だけだから、と。

「あー、とりあえず、この状況の打破とか? ああ、分かりやすく言おうか。力が欲しい。自治官権限をくれ」

 私の膝がもたないのを知ってか知らずか、千世さんの腕が私の身体を引き寄せ、もたれさせてくれた。

 この人、私を傷つけるつもりはないような気がする。

「……補佐官では駄目か」

「駄目だ。自治官の権限が欲しい」

 これは多分ただのパフォーマンス。

「自治官権限が、そんなに欲しいか」

「だからそうだって」

 一席が、こちらを見た気がした。小さく、頷く。

「お前、本当に何言ってるんだ? そんなのやれるわけが、」

「分かった。十三番艇五席が空いてる。それをやろう」

「はっ、一席お前も狂ったか?」

「うるさいぞ二席、下がれって言ったろ。……ただし先に明日海を返してくれ。大事な補佐官だ」

「いいよ」

 一席に抱えられるようにして解放された私は、左目の隅で交わされる儀式を見る。

「システムが落ちてるんでな、正式承認は復旧後になる」

「仕方ないね。自治官補佐官四人ずついれば、証人になるでしょ」

「千世織路、十三番艇自治官第五席に任命する」

「お任せあれ」

 拳をぶつけて行われた会話は、形だけの自治官就任。

 それでなにがどうなるわけでもないけど、千世さんはどうするつもりなのか。

「さて、お前の任務を聞かせてくれ」

 自信満々の、見たことがないほどの満面の笑みで。

 彼は己の正体を語る。


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