4.嵐の前の嵐

4.嵐の前の嵐(1)

 次の日、一席の指示により千世さんを呼び出すこととなった。指定時刻は二枠の十一時半。場所は十番艇舟着き場。

 今日は時間通りに現れた彼を連れて、目的地へ向かう。

「長弓義装具工房……?」

 十番艇の十二層外周部、五区画ぶち抜きの大きな店構え。

 金属製の重厚な看板を見上げて首を傾げる千世さんが面白くて遠巻きに見ていたら、急いた店主が自ら顔を出した。

「あんたらいつまでそこにいるんだ。予約したならさっさと入ってこい」

「ごめんよ長弓。こいつがあんまり面白い反応するもんで、つい」

「誰だ、そいつ? ……誰でもいいが、その左手は使いづらそうだ、早く来い」

 長弓親方は優秀な装具職人だ。

 なにも言わずとも、一目見ただけで人の身体的な支障を見抜いてくるぐらいには。

「誰って、昨日話したろうがよ……ほれ、行け」

 きょとんとして動かない千世さんの背を一席が押せば、なおさら急く親方が手首を掴んで連れていく。

 工房の入口に設えられた調整スペースに座らされ、千世さんはされるがままに左手を委ねるほかない。

「腱が切れたか。再建術は?」

「いや、あの……しましたけど、上手くいかなくて」

「まだ一年くらいの傷か。……あんた、リハビリ嫌いだな?」

「……まあ」

「うん、と……あれ、あんた……」

 何か気になったらしく、右手もこねくり回して比べはじめた。

「ひっ……あの……」

 少し抵抗したものの、結局大人しく従う千世さんがちょっと可愛い。

「ちょっと待っとれ」

 小走りで工房の奥へ向かった親方は、すぐに箱を抱えて戻ってきた。そしてそこから取り出したハーフグローブをぽいと投げ、着けてみろと顎で言う。

 千世さんは眉を顰めながら左手を通し、みるみるうちに目を見開いて。

「どうかね?」

「……すげえ。力、入る……」

 感慨深げに拳を握った。

「ほれ、測ってみろ」

 差し出された握力計を握りしめれば、三十キロ手前まで針が動いた。

「すげえ……なにこれ……」

 信じられないものを見たという顔も、お構いなし。どんどん進む。

「このタイプでいけそうだな。よし、型を取るぞ」

「型?」

 説明する気はさらさらないらしい親方に代わって、私が解説を挟む。

「ちゃんと手の形に合ったものを作っておかないと、擦れて皮膚がめくれたりしますから。はい、それ一旦外してください」

 手の型を取られていく間、不安そうにこちらを見るのが、なんとも面白い。

 長弓親方は、こちらの欲するものを的確に出してくれる。

 ただし、希望は全く聞いてくれない。大抵希望より上の物ができるから構わないと言えばそうなんだけど。

 親方の独り言を聞いているうちに型は固まり、三日後に来いと一言告げて、本人は工房の奥へ引っ込んでいく。滞在時間はわずかに三十分程度。相変わらずの無駄のなさだ。

「長弓親方、面白いでしょう。あんなに忙しないのに作業は丁寧ですごい集中力なんです」

「……まだ状況が分かってないんですけど、あのなんかよく分からない原理のアシスト手袋? みたいなのを作ってもらえるってことですか?」

「そういうこと。悪いな、左手のこと全然気づいてなかった」

「いやまあ、隠してたんで……」

「ま、ちょっとでも暮らしやすくなるならそれでいいかなって。うちは艦艇改造で街を作ってるから、どうしても事故が多くてな。こういう技術はよく発達してるんだ」

「そうそう。私の右目も、長弓親方に作ってもらったんですよ、綺麗でしょう?」

 自慢の右目を千世さんの方へぱちくりさせれば、とても訝しそうな顔をされた。

「……目を、作った……?」

「あれ、気づいてませんでした? 私、右は義眼なんです」

「でも別に見えてない感じは」

「一応見えてますよ。手術して、視神経入力回路を作ってるので」

 櫻河の最先端技術だ。

 元の視力ほど鮮明には像を捉えられない代わりに、補助機能として艦環との連携も取れるようになっている。これがあれば地形データによる視界補整をしてくれるので、夜も安全に歩ける。

「視線追随も見事なもんだし、言われなきゃ分からんよ」

 櫻河の身体障害者比率というのは、かなり高いそうだ。特に後天的、事故によるものがとても多い。

 私の場合もそれで、小さい頃に補修部材の落下事故に巻き込まれて右目が潰れた。ものすごく痛かったけど、この手の事故は頻繁にあるからと治療はスムーズに進み、義眼も一月で作ってもらえた。

 このタイプの目のユーザーは全艦で二百人程度。ときどき見かけるけど、確かに使っている人間にしか分からないくらいの違和感かもしれない。

「それ、高いんですか?」

「へ?」

 私には千世さんの質問の意味が全然分からなくて聞き返してしまうも、一席はすぐに意図が分かったらしく、ちょっとめんどくさそうに説明してくれた。

「福祉用具扱いだから金は必要ない。あとで艦艇群から職人へ直接実費と報酬がいく」

「でもそんなの必要ない人もいるでしょう。不公平じゃないんですか」

「別に? 誰でも必要になりうるものだろ。権利は全員にあるんだから、なにも不公平じゃないよ」

 櫻河艦艇群は、個人の幸福値を最大限に保つことで全体の幸福値を高く保つ。

 心身の疾患をカバーすることで個人の幸福値が上がるならそれでいいのだ。そもそもみんなで集めたお金だから、みんなのために使えばそれでいいのだ。

 千世さんも、今は櫻河艦艇群の一員だから、いい。

 自治官の中でも彼の評価は悪くない。最近では他の住民とも打ち解けて馴染んでいるようだし、浮いているのはいよいよ服装くらいになってきた。

 手のことが不安で仕事を決めあぐねていたのなら、これで一歩進めるだろうし、そうすれば更に落ち着いて暮らしていける。


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