3.秘密の左手(2)

「さてと……どうしたもんか」

 そんなわけで様子伺いに部屋の前まで来てみたものの、なかなか躊躇いを拭えないでいた。

 やっぱり無理してたんだろうか。なにかフォローすべきだった?

 試しに部屋の前で来訪シグナルを送ってみるもやはり無反応でますます頭を抱える。

 例えば一席の私室ならしょっちゅう勝手に入っている。

 職務上必要なのでキーロックは三重にかかっているけど、私は本人と同じレベルの鍵コードをもらっているので、特に問題なく入れている。

 千世さんが自分の部屋をどんなセキュリティにしているのかは不明だけど、自治官権限を預かってきたので、全解除して入室できてしまう。

 いつまでもうだうだやっているわけにもいかないし、ついに腹を括った。

「千世さん、入りますね!」

 大声で宣言し、右の中指をドアに這わせる。

《十三番艇自治官権限代理行使 補佐官 紫明日海》

《本人情報突合完了 解錠します》

 冷淡なメッセージが走り、すぐにドアはスライドする。

 採光ファイバーがオフになっているせいで、艦環のライトをつけないとよく見えない。そろりと踏み入りながら、環を淡く発光させる。

 具合が悪いわけではないようで、千世さんはベッドで気持ちよさそうに眠っていた。

 枕を抱き込むようにして横向きに眠る身体を簡易スキャンした限りでは、特に体温や拍動に異常はない。

 となると、ただの寝坊かな。

 一旦安堵して、少し大きく息を吐いた。

 そうはいってもあれだけの回数の共鳴を無視して眠り続けるのは困難なはず。艦環の方が不調なのかもしれないと、手首を探して光を向けた。

「ん、なにこれ?」

 掌大の黒い板のようなものが枕元に転がっている。

 見慣れないそれは、もしかせずとも千世さんが外から持ち込んだものだと知れた。

 橋の向こうのウェブサイトには、艦環からのアクセスを嫌うものもある。それらを閲覧する必要のある職業の人間が使う簡易デバイス……スマホとかいうのがこんな形だったなあとぼんやり思い出す。

 別に所持が咎められるようなものではないけど、日常的にこれを使って向こうとつながっているのだとしたら。

 その板に触れようとして手を伸ばせば、ちょうど千世さんの顔にライトが直撃してしまい、かすかに呻くような声が漏れ聞こえた。

「う……ん……?」

 咄嗟に手を引く。

「あれ……紫さん?」

「ち、千世さんがあんまり起きてこないので、一席の権限で入ってきましたっ」

 うるさい心臓をおさめたいのだが上手くいかない。

「ああ、そう……」

「もう九時近いですよ?」

「……ああ、うん、ごめん、なさい」

 千世さんはのそのそと身体を起こそうとするが、シーツが引っかかったようで手こずっている。

「あの、一席、すごく怒ってますからね」

「うん……」

 寝起きはあまり強くないらしい。どことなく螺子の緩んだような声色が私の気力を削ぐ。

「……ところで、何回も共鳴使ったんですけど、気づきませんでした? ……っていうか、艦環どこやったんですか?」

 その両手首にはなにもない。

 寝ている間に外れるなんて仕様ではないし、そうだとしても周りには落ちていない。

「ああ、あれ……夜中でも容赦なく光るから寝れなくて」

「どこに置いたんです?」

「あそこ」

 言いながら指をさした先は冷蔵庫。

 まさかと開けてみれば、電源さえ入っていないぬるい庫内にぽつんと置かれた艦環一揃い。

 思わず怒鳴った。

「何してるんですか!」

「いや、冷蔵庫って防音性高いんで。快眠のためにはちょうど……」

「駄目です、緊急時の連絡とか全部これで来るんですから、いつでも応答できる状態を維持しなきゃ駄目です!」

 千世さんの環を引っ掴んでベッドへ戻り、まだ眠そうにしている手に環を嵌めてやろうとすると、どうやら手首を変に引いてしまったらしい。呻き声が帰ってきた。

「じ、自分でつけますって」

 左を装着した後、右をつける段になって千世さんは少々苦労した。顎を使って手を通したあと、留め具を歯で嵌め込んで、ようやく固定される。

「あの、左手どうかしたんですか?」

「いや、別に……」

「そうですか?」

 いや、絶対におかしい。まるで、左手に力が入らないかのような振る舞い。

「とりあえず電気、と」

 だいぶ使い慣れた様子で採光ファイバーを起動し、両手を上げて大きく伸び。

 緩やかに自然光が注がれていく中、盛大な欠伸をしながら前髪を乱暴にかきあげる。ベッドの端に転がっていたウォーターボトルを掴み、脇に挟んでキャップを外して。喉の突起を動かしながら飲み干し、肩を掴んで首を回す。そこにいたのは、普段の彼とは全く違う、絵に描いたような色男だった。

 思わず見蕩れていることを自覚した瞬間、とんでもないことに気づく。

 シーツで隠れてはいるけど、この人。

 目を逸らすのは間に合わず、直視してしまったところで慌てて顔を覆う。

「ん、眩しかったですか?」

「ち、ちがいます、その、あのっ」

「あっ、早く謝りに行った方がいいですか?」

「そそそそれもそうですけど! あのっ!」

「なんなんですか」

 困り果てて、ストレートに言うしかなかった。

「服、着てください!」


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