1.ようこそ櫻河艦艇群へ(4)

「千世さんは、櫻河でなにをしたいとかありますか?」

「……別に。就労支援的な、そういう感じで役所の人に無理矢理来させられただけなんで」

「シューローシエン? なんですか、それ」

「いわゆる普通の仕事ができない人たちをこう、特別な条件で働かせる取り組み、って言うんですかね。そんな感じです」

 どうにもピンとこない。

「普通の仕事ができない人? ってどういう人ですか?」

「え、だから、障害がある人とか、心身故障者とか、俺みたいな、なんにもできない引きニート、とか……」

 引きニートという単語も分からないけど、それよりも。

「なんで仕事ができないんです?」

「えっ……。こ、ここじゃどうだか知りませんけど、俺のいたところじゃ一日八時間以上、いつも同じように働けるってのが普通の条件なんですよ。それができなきゃ、普通の枠からは零れていく。レッテル、貼られるんで」

 一日八時間以上。

 それは確かにこの前資料で見た。一席と二人して、大変だなあと言った覚えがある。

 櫻河では一日二十四時間を六コマに分けて捉える櫻河時間が共通概念として存在する。基本単位は四時間。朝七時を基準にして、一枠から順に呼ぶ。

 それぞれ自分の好きな枠を労働にあてていて、二コマくらい仕事をしている人が一番多いようだけど、それでも大抵本業は一コマだけ。残りは副業で、気が向いたときだけ行って稼ぐという人も珍しくない。

 そのあたりの話もいつかしないといけないけれど、とりあえず今は。

「櫻河では、四時間も働ければ立派な生産層です。そして、その生産の中身がどのようなものであっても、たとえわずかでも社会に影響を与えるものであればそれは胸を張っていいことです」

 私の場合は、本業は高校生になる。補佐官は副業扱い。

 朝七時からの四時間は自治官のそばで働き、昼過ぎからの四時間は高校で過ごす毎日を送っている。

 学生ゆえの制約だけど特に不便はないし、一席はその時間に副業に出向いていることも多い。

「そうは言っても、身体が動かない人だって」

「誰だって調子の出ないことはあるでしょう。そんなときは速やかに適切な治療に専念すべきです。その期間が長いだけのことで、どうして更に辛い思いをしなくちゃいけないんですか?」

 実際、疾患や事故などによって思うように生活できない人もいる。十三番艇補佐官として、艇内のそういった人々はきちんと把握しているつもり。

 心身の自由の利かない人は、それが先天的であれ後天的であれ、それぞれができる範囲で活躍できる職種を探す。

 思うように歩けない人が配達の仕事をするには櫻河の構造は狭すぎるけど、配達役のオペレーションなら自宅のベッドからだってできる。艦環を通せば簡単だ。

 万一状況が悪化して仕事を休まざるを得なくなっても、副業で手伝ってくれる人が必ずいるから大丈夫。無駄な責任感に苛まれる必要はない。

 何の仕事もできないと嘆く人も時々いるけど、それは大体の場合杞憂だ。治療に専念しなければならないほどでなければ、なにかしらある。

 四時間という枠だって社会活動を効率化するための便宜上のもの。もっと短い時間で割って負担を減らしている業種もある。

「……優しい世界なんですね、ここは」

 優しいもなにも、それ以外の世界を私は知らない。

 でも、そのシューローシエンなるもので来たのだと言う以上、千世さんはあちらではなにかしら生き辛かったのだろう。

 できれば教えてほしい。きっと櫻河なら救えるから。

「あの、紫さん、て……おいくつですか?」

「はい?」

「いや、しっかりしてるなあって思って」

 そりゃあ補佐官ですから。

「十七です。明日海って呼んでくれていいですよ」

「十七……? あ、だからその服」

 セーラー服のことを言っているらしい。

 確かにこれは向こうの学生も着ていると聞いたことがある。

「学校の制服です。いつもこれ着てる方が覚えてもらいやすいので」

 自治官も補佐官も、顔を覚えてもらわないと仕事にならない。

 権限情報は艦環で表示されるけど、そんなことしなくたってこの顔はどこの何席か、誰の補佐官かが分かってもらえる方がいいに決まってる。見るだけで安心してもらえることも必要だから。

 ほまれ一席が同じ紅の色味に染めた櫻紗を何枚も持っているのだって同じ理由だ。

 制服に引っかかったのか、はたまた十七歳に引っかかったのか、それはよく分からないながらもそれきり黙った千世さんを連れて、外3路6室の前に辿りついた。

 同じようなドアがずらりと並んでいるけど、前に立てば足元に現在地の位置が表示されるから迷うことはない。

 曲がり角も差し掛かれば案内してくれるし。

「ここですね。解錠方法を教えますから、艦環を見せてください」

 だらりと両手首を上げてみせるので、片方でいいと断って右手を掴む。そして中指を伸ばし、ドアの中心に触れさせた。

 瞬間、環から発された光が指を伝うようにドアへ流れ、目線の高さにメッセージが表示される。

《初回認証開始――千世織路:正当な居住者と確認》

《多段階認証システムは未登録です》

《今すぐ各種生体情報を登録しますか? はい いいえ》

「後でゆっくりやりましょう。とりあえずいいえを選択で」

「選択?」

「そのまま指をスライドしてタップです」

 そろそろと動いた指がいいえに触れると、メッセージが変わった。

《おかえりなさい》

 そしてすぐにドアがスライド。

「……ハイテク、ですね」

「そうですか? さあ、入ってください」

 ハイテクだと言われても、櫻河の施錠システムは全てこれだ。仕事で櫻河の外の会社に出入りする人たちは金属製の鍵を持っていることもあるけど、あんな小さなもの失くしそうで仕方がない。

「あの」

「なんです?」

「電気って、ないんですか」

「ああ、操作教えますね」

 家の中の設備も全て環と連携しているから、一つ操作を覚えればあとは同じ要領で大丈夫。

 ちょうどいいので照明の調整を例にして説明して、施錠の仕方だけは念のために丁寧に教えて。

 正直、外の人にどこまで教えてあげるべきなのかさっぱり分からない。時々やってくる来賓に貸し出す権限の少ないゲスト用の艦環は操作も簡単でほとんど教えることはないし。

 不具合があればまた追い追い教えればいいかと割り切って、千世さんの部屋を出る。早くおうちに帰って寝たい。

「明日――朝の七時くらいに迎えに来ます。一席の正規勤務枠なので、巡回しながら艇内をご案内しますね」

 おやすみなさいと告げて、ドアの自動施錠を見届ける。

 自宅は九番艇。

 料理人の父と食品仲買事務の母の仕事に便利だから。

 十三番艇と直結はしていないので、路舟を使うしかない。

 とは言え、櫻河の飲食関係業の九割が集う九番艇、どの艇からも直通便が頻繁に出ているので、長時間待たされることもない。

 四層の自宅に入り、弟たちを起こさないようそろりと自室へ。父はまだ十四層の店で一枠労働者向けの朝食を仕込んでいる時間だし、母は六枠から始まる朝市出勤に向けてそろそろ起きてくる頃か。

 パジャマに着替えてベッドへ入る頃には、もう三時を回っていた。

 一席に報告のメッセージを打つか悩んでいたら、逆に一席からの報告を受信。

 第五席とあるが、もちろんこれは五席代理のほまれ一席だ。


7月17日 十三番艇自治官第五席公務報告事項

・融和政策移住対象者受け入れ完了

・    同    住民登録完了

・その他通常案件 計25件完了

・艇内異常報告なし        

 以上


 二十五件も処理する暇はなかったはずだけど、やってしまうあたりさすが一席。

 続けざまに艦環が光る。一席からのメッセージ受信。

 展開すれば、さっさと寝ろと一言だけ。

 ……怒られないうちに大人しく眠ることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る