1.ようこそ櫻河艦艇群へ(2)

  櫻河艦艇群は十三の旧艦艇を連結した人工島である。

 各艦艇ごとの行政機能は自治官と呼ばれる代表者が一手に担い、全ては住民の総意によって決定づけられる。もちろんそんな重い仕事を一人に押し付けるわけにはいかないため、一日二十四時間を六分割した‘櫻河時間’のそれぞれに一人ずつの自治官を選出する。現在深夜零時直前は、五枠と呼ばれる時間帯にあたる。

 選出と言っても、自治官にはそれなりの素養と適性が必要だから、なれる者がなりたいと言ってなってしまえば、引退するまで自治官の任を降りることはほぼない。

 一艦艇あたり六人の自治官が分担し、時に協力して行政機能を維持し、櫻河は進んでいく。

 ただし、艦艇群全体の代表として誰か一人が出なければならないようなときというのもある。

 そんなとき、それは統括艦たる十三番艇の自治官第一席、櫻河ほまれが担当することになる。

 今回がまさにそんなとき、だ。

 十三番艇から自治官専用の路舟で運河を進み、向かうは一番艇の入国管理事務所。

 さすがに出入国の関所。ゲートで身分証の提示を求められる。慣れた様子の自治官に続いて住民登録証を見せ、中へ。

 促されるままに進んだところはなにやら薄暗い部屋だった。電子プレートには監視室と書いてある。部屋を取り囲むように設置されたモニターには櫻河艦艇群の周囲に設置した無数のカメラ映像が映され、夜間の漁に出かけていく漁業組合の船も見えた。

 そのど真ん中、一番艇の自治官が椅子の背もたれを最大限に倒して、そこらじゅうのモニターをチェックしていた。

 なるほど、監視室だ。

「五席、お客様はまだお見えじゃない?」

「まだだねえ。どんな奴が来るのか、おれも楽しみで待ってんだけどさ」

「残念ながら一切知らされてないんだよ。ま、譲った弱みってとこかね」

「しかし、ほまれちゃんも大変だねえ。ほんとなら一席はまだ寝てていい時間だろうに、向こうがこの時間を指定したせいでえらく早起きだ」

「いや、うちは先月から五枠が欠員だろ。いつも四人で交代番してるし、さほど苦じゃないよ。それよりも明日海が可哀想だ……眠くないか?」

 私はまだ未成年ということで、普段の五枠当番は出勤を免除してもらっている。でも今日はさすがにそんなことも言っていられないので出ると言ったところ、一席は気を遣って正規枠の一枠を休ませてくれた。

「大丈夫です。今朝寝溜めしましたから」

「辛くなったらすぐに言うんだよ」

「はい」

「いい子だ」

 ぽんぽんと頭を撫でられて、思わず笑顔になる。

 ほまれ一席の補佐官になって二年目、いつまでも子ども扱いされないように頑張っているけれど、やっぱりこうやって優しくされるのは嬉しい。

 一番艇の補佐官が出してくれたお茶をいただきながら、一体どんな人がやってくるのかを予想する。

「若いか年寄りか。どう思う、五席?」

「どうだろう、三十ちょいくらいの、それなりに権限を持たされた奴じゃないかな」

「いやいや、あっちじゃ三十じゃ権限なんかほとんどないらしいぞ。五十くらいじゃないのか」

「あれ、そうなのか。やっぱほまれちゃん物知りだなあ」

「あっちの役人と何回戦ったと思ってる。年齢によって動かせる額が違うんだ、知識は重要な武器だよ」

 ほまれ一席が補佐官だった頃の話だ。大立ち回りの武勇伝を聞いたことがある。

 そんな逸話があるくらいだから、三十歳手前にして十三番艇の一席なんて地位にいるわけだけど。

 約束の刻限があと三分に迫ったところで、入国管理事務所の受付係が駆け込んできた。

「伝令です! 摩耶市方向より車両数台が接近中。櫻河連絡橋を渡ると思われます」

「やっと来たか。早速行こうかね」

 一番艇五席は入国管理事務を取りまとめる自治官として立ち会うが、櫻河の代表者としての立場ではない。

 それはうちの一席の仕事だから。

「よし明日海、行くよ」

 翻った枝垂れ羽織を追いかけて審査室へ入る。

 その名の通り入国者を審査する部屋であるここは、実に質素だ。入国歴を検索する端末がある以外、他には特になにもない。鉄板剥き出しはまずかろうと、薄く人工大理石が敷いてある。

 櫻河から陸路で出る唯一の経路は、この部屋から櫻河連絡橋を通るルート。つまり、入ってくるのもそこしかない。

 相手は複数台の自動車とやらで来ているそうだが、どうやらその総重量が櫻河連絡橋の耐荷重量を超えるらしい。全て一気に乗られては困るということで、一番艇五席の補佐官が慌てて止めに走っていく。

 生まれてこの方櫻河を出たことのない私は自動車というものの実物を見たことすらないんだけど、あれ、そんなに重いんだ。

 一悶着の末、午前零時を回ってしまったあとでようやく客人は姿を見せた。結局自動車というのは橋の手前に置いてきたらしい。人間の方も審査室まで入ってきたのは二人だけ。他の同行者は入室直前で補佐官に堰き止められている。

 ヒールの高い靴で近づいてくるスーツ姿の女性の後ろ、やる気のない歩き方でついてきた人物が、おそらく件の移住対象者。

 男性だ。歳の頃はまだ若い……と思う。

 分け目の判然としない髪、フレームの厚い眼鏡、皺の寄ったチェック柄のシャツ、だぶついたジーパン。なんだか穴の開いた、見たことのないような靴……サンダルっぽいかな?

 お世辞にも格好いいとは言いがたい容貌の男性。

 けれどその人が凡人でないことだけは直感で分かった。

 どこがと言われても困る。

 櫻河ほまれが選ばれし者であるのと同じくらいに、この人も選ばれているだろうという確信があった。

 しばしの沈黙のあと、一席がそれを破る。

「櫻河艦艇群総代、十三番艇自治官第一席、櫻河ほまれ」

「同補佐官、紫明日海むらさき あすみです」

 慌てて続き、相手の言葉を待つ。

「内閣府大臣官房櫻河政策担当室より参りました、宇部冬美です」

「宇部さんね。はじめまして、よろしく」

 一席が差し出した握手の右手が見えないのか、にこりともせずになにやら薄いファイルを渡してきた。

「第一期融和政策による移住対象者一名をお連れしています。こちらが、彼の基礎情報です。どうぞ」

 その中身は目を疑うほどに字が少ない。

 一席はなんの躊躇もなくそれを読み上げる。

千世織路ちせ おりじ、二十六歳……これだけ?」

 櫻河が国家として彼の身柄を引き受ける以上、最低限知っておかねばならない情報がある。

 例えば健康情報。こちらにカルテが一切ない状態では、もしもの場合に大きく後れを取ることになる。

「はい。他に血液型等万一の時に必要な情報は本人から必要に応じて受け取ってください。あくまでも彼は我が国の国民です。不要な個人情報を積極的に譲渡するつもりはありません」

 そのあまりの言いざまにかっとなったのが伝わったらしい。一席がたしなめるように私の肩を撫ぜて、代わりに一歩踏み出した。

 少し声のトーンを落として。

「そうかい、理解したよ。ただな、そいつにはこれから先櫻河で生きていくために、うちの住民登録をしてもらう必要がある。他にも色んな情報を登録しないと、うちではまともな生活はできない。そして、うちの情報網は全て繋がっていく――一週間もしないうちに、彼の個人情報はほぼ全て掌握することになるが、いいか?」

「千世織路本人の承諾の下で提供される場合において、それを我々が制止できるものではありませんので」

「あいよ。じゃあ好きにさせてもらうわ――五席、お帰りだ!」

 嵩のある丹塗りの下駄を鳴らして、一席は枝垂れ羽織を翻しながら背を向けた。

 途端に、宇部さんの足元だけが淡く光を放ち始める。赤く点滅を始めたそれは警告の印。

「なっ……」

《不法入国および滞在の疑い》

《入国管理担当者は対象を拘束してください》

 入国歴管理端末が発する合成音声を聞いて、五席がやれやれと立ち上がる。

「用が済んだならお引き取りいただけるかな。さもないと、あんたを縛り上げて牢にぶち込むことになる。いや、我々も仕事なんでな」

 十三番艇自治官第一席が五日かけた交渉により、櫻河艦艇群と日本政府が締結した協定はこうだ。

 一、 櫻河艦艇群は移民を受け入れること。ただし、第一期融和政策として一人を先行して受け入れ、以後三か月ごとに第二期融和政策として二名ずつ受け入ること。一年経過後は第三期融和政策として、一切の移民を拒まないこと。

 一、 櫻河艦艇群は水をはじめとして、健康で文化的な最低限度の生活を維持するために必要な資源を要求することができる。日本政府はこれに応える義務を負う。

 そしてこれは第一期融和政策。

 一人受け入れさえすれば、なにも問題はない。


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