五、座敷童子との邂逅
父の実家である日吉の本家に着いた時、穂乃はもうすっかり疲れきっていた。
朝早くに自宅を出たにも関わらず、既に日は暮れかかっている。
祖母の葬式は明日。今日はもう寝てしまおうか、と考えていたその時のことだった。
「穂乃ちゃーん!」
廊下にドタバタという慌ただしい足音が響き、奥から一人の少女が走ってきた。
「久しぶりー!」
満面の笑みを浮かべ、勢いよく抱きついてくる。
「月音ちゃん。久しぶり。」
彼女は穂乃の従姉妹、
穂乃には月音の他にもう一人、その兄である
大地は月音より丁度ひとまわり歳上の12歳なのだが、こちらはあまり穂乃と関わる気がないらしく、親戚の集まりで顔を合わせても、何かよほどの事情がない限り話さない。
「穂乃ちゃん、遊ぼ!」
嬉々とした様子でまだ来たばかりの従姉妹を引っ張っていこうとする月音。
祖母が亡くなったばかりのこの状況下で、明るい性格のこの従姉妹の存在は、穂乃にとって癒しだった。
しかし今、彼女は本当に疲れている。正直これから年下の従姉妹の相手をするのは流石にしんどい。
「あー、うん……」
なんとか笑顔を作ってみたものの、月音は案外鋭く、「穂乃ちゃん、私と遊ぶの嫌?疲れてるのー?」と、穂乃の顔を覗きこんできた。
完全に見透かされている。
穂乃は苦笑した。
「えーっと、ごめんね?今日はもう休みたいかも。」
「そっかぁ……」
目に見えて落胆した様子の従姉妹を見て心中、悪いことしたなぁ、とは思ったものの、仕方がない。
それでも月音は久々に会えた従姉妹と少しでも長く一緒にいたいらしく、穂乃を部屋に案内する役目を進んで買って出た。
「こっち、こっち。」
月音に引っ張られるがままに本家の廊下を進む。
「ここが私のお部屋!それから、ここはトイレで、こっちは物置部屋ね!」
この家に住む彼女の母から穂乃の案内役を仰せつかった月音は、誇らしげに屋敷の中を案内してくれる。
しかし実は、今回穂乃にあてがわれた部屋が何処に決まったのかわからないが故の案内係抜擢だったりして、前にも来たことがある場所は特に説明されなくとも知っていたりする。
しかし月音があまりに嬉しそうに話しているので、結局最後まで遮ることなく聞いていたのだった。
やはり自分に懐いてくれる存在というのは、可愛いものである。
月音による案内がおおかた済み、穂乃の使う部屋までやって来た時にはもうすっかり日が暮れていた。
だからもう、穂乃の部屋の前で月音が隣の部屋を指し、興奮ぎみに話し掛けてきた時には既にヘトヘトだったのだ。
「それでここにはね、座敷童子の
言うなり、月音は勢いよく襖を開けると中へ向かって声を張り上げた。
「おーい!千歳ちゃーん!」
すると、その瞬間。
「はぁい。」と、確かに返事が聞こえた。
まだ幼い女の子の声だ。
それからすぐに、部屋の奥から月音とそう変わりない年格好の一人の少女が音もなく現れる。
青い生地に向日葵の咲く浴衣を身につけた彼女の、きっちりと切り揃えられた黒髪が夜風に揺れた。
「千歳ちゃん、こんばんは!」
「月音ちゃん、こんばんは。」
驚きのあまり硬直する穂乃の目の前で、ごく普通に挨拶を交わし合う従姉妹と少女。
和装の少女はくるりと穂乃に向き直ると、しげしげとその顔を見つめた後にっこり笑う。
「穂乃ちゃんとは……一応初めまして、かな。」
「……うん?初めまして。」
一応、とは。
間違いなく初対面だと思うのだが、と、疑問を抱きつつ曖昧に頷く穂乃。
既に自分の名前が知られているのは、月音が事前に話していたせいだと考えても、やはり何処か浮世離れした彼女の雰囲気のせいなのか、正直なところ薄気味悪かった。
その様子を見て、千歳がくすくすと笑う。
「あの時は穂乃ちゃん、まだちっちゃかったもんね。覚えてなくて当然だよ~。」
その言い方に、穂乃は些か違和感を覚えた。果たして自分が幼かったころ、この少女はこの世に生まれていただろうか。
そもそも、彼女の年齢は一体いくつなのだろう。どこからどう見ても彼女の方が年下なのに。穂乃の胸中を察したのか、横から月音が介入してくる。
「言ったでしょ!千歳ちゃんは座敷童子だから。本当は見た目よりもっとおばあちゃんなの。」
その発言に対し、「そうそう、おばあちゃんでーす。よろしくね~。」と陽気に乗っかる座敷童子。
いくら月音に悪意がないとはいえ、年寄り扱いされても平気なのか。
うちのお母さんなんか、そこそこの年齢に達してもまだやたらと若者扱いされたがるのにな……
穂乃は彼女の寛大さを実感する。
「えっと……ということはつまり、私は昔、小さい頃に千歳さんと会ったことがあるんですね?」
穂乃の問いに対し、千歳は頷いた。
「そうよ~、まだ司君もミキさんも今より若かった時に。」
「それじゃあ、千歳さんは」
「千歳でいいわよ~。」
会話を続けようとすると、彼女から思わぬ突っ込みが入った。
「え……」
思わず言葉がつまる。
見た目はさておき、歳上の千歳を呼び捨てにするのはかなり気が引けた。
「いや、それはちょっと……」
穂乃は断ろうとしたが、千歳があまりに素直なきらきらした瞳を向けてくるものだから、若干気圧される。
「私、穂乃ちゃんにも親しげな呼び方されたいなぁ。」
穂乃は少しばかり悩んだ末に代替案を提案する。
「……それならせめて、千歳ちゃんでお願いします。」
それを聞いた千歳は目をぱちくりさせた後、にっこりと微笑んだ。
「はぁい。」
希望通りの呼び方でなくとも彼女は充分に嬉しそうで、穂乃はほっとする。
「……ところで穂乃ちゃん、月音ちゃん。」
だから、それからまもなく彼女の口から発せられた恐ろしく低い声には、少し戸惑ってしまったのだ。
月音もびっくりした風に千歳を見る。
「あちらの子はお友達?」
彼女は穂乃達の後ろに続く廊下を指で示して言った。
「え?」
思わず振り向くと、長い廊下の奥、突き当たり、曲がり角の向こう側から、こちらを覗く子供の姿があった。
何故か白狐の面を被り、闇に紛れそうなほど真っ黒な着物姿。
その裾からは、ほっそりとした生白い足が伸びている。
性別もわからない謎の子供は無言のまま、近づいてくるわけでもなく、ただじっとこちらを見つめていた。
じわじわと肌に伝わってくる異様な空気。
その不気味さに穂乃は寒気を感じた。
「私、知らない……」
月音が穂乃の服の裾を掴み、小さく震えている。
「私、も……」
穂乃は月音を抱き寄せて庇いつつ、千歳の方に一歩下がると、そう答える。
狐面の子供はそれからすぐにその場所から立ち去って行った。
その後、穂乃達は先程までその人物がいた場所を慎重に見に行ったけれど、結局あの子供がこの家の中から出ていったどうかまでは確認できなかった。
怯える穂乃達に、険しい顔の千歳が言う。
「これは面倒なことになりそうだよ……」
夏が始まったばかりの蒸し暑いこの日、冷えた汗が穂乃の背中を濡らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます